第03話 同じ場所に来てしまう
一宮神社と生田神社での出来事は、それぞれを切り離して考えればそこで完結しているはずだった。なのに、心の中ではどこかが繋がっているような感覚が抜けない。
どちらも短いやり取りしかなかったし、何かを約束したわけでもない。それなのに、完全に別個の出来事として処理するには、わずかに同じ方向へ引かれるものがある。
思い出そうとしているわけではないのに、似たような場面がふと頭をよぎる。ポートタワーでパンフレットを手に取ったときの、あの曖昧な指の重なり。境内で差し出された硬貨の感触。それらがぼんやりとした形のまま胸の内にあって、どこで区切ればいいのか分からないまま、同じ場所に存在しているように感じられた。
返していない小銭のことも、そのモヤモヤに含まれていた。あのとき、返さなくていいと言われた以上、それ以上何かをする必要はないはずだ。なのに、返していないという事実だけが、妙に意識に残る。金額としては取るに足らないものだし、気にするほうがどうかしているとも思えるけれど、それでもどこかで消化しきれない思いが、薄く続いていた。
それは負担になるほどではないし、日常の中で意識し続けるほど強いものでもない。ただ、ふとした瞬間に『まだそこにある』と気づく程度には残っている。終わっていないというより、終わらせる必要がないまま放置されている何かが、心の端に引っかかっているのだ。
外に出る理由は、相変わらず曖昧なままだった。何かをしようとしているわけではないけれど、何もしないままでいるのが落ち着かない。ただそれだけで靴を履き、表へ出る。行き先を決めないまま歩き出しても、街の流れに乗っていれば、どこかには辿り着くだろう。
歩いているうちに、自分がどの方向へ向かっているのかがぼやけてくる。いくつかの曲がり角を過ぎるうちに、最初にどこへ行こうとしていたのかさえ忘れてしまうが、それでも足は止まらない。進むこと自体が目的のようになり、その流れの中で、自分の位置だけが少しずつ移動していく。
賑やかな駅の気配が近づいてきたところで、ようやく自分の現在地に気づいた。どうやら無意識に、一宮神社から東の二宮神社の方へ向かっていたらしい。結果としてそうなっているなら、それを否定する理由も見つからない。引き返すのも面倒で、僕はそのまま歩き続けた。
やがて、鳥居が見えてくる。ここに来るつもりだったのかどうかを自問しても、明確な答えは出てこない。ただ『来てしまった』」という事実だけがあり、それをそのまま受け入れるしかないように感じられた。
境内に入ると、外の通りとは違う空気が流れているのが分かる。一宮神社とも生田神社とも違う気がするけれど、その違いがどこにあるのかは分からない。場所のせいなのか、それとも自分自身の状態のせいなのか。似ているようでいて同じではない空気の中を、ゆっくりと歩く。
お賽銭箱の前に立ち、ポケットに手を入れると、小銭があることを確認した。前とは違って、ためらう理由はない。硬貨を取り出して投げ入れ、手を合わせる。その一連の動作は、特に意識しなくても自然に終わった。
手を下ろしたところで、横に人の気配を感じた。
顔を上げると、彼女がいた。
驚きはなかった。ここに来れば会う可能性があるという予感がどこかにあったのかもしれないが、それをあらかじめ考えていたわけでもない。ただ、目の前の状況をそのまま受け取るだけだった。
「……またですね。ここ、順番通りだと二番目なので、一応来てみました。あなたが来ているとは思いませんでしたけど」
彼女はそう言って、軽く視線を外す。
「自分も来るつもりはなかったんです。ただ、気づいたらこっちに来ていて」
言いながら、それがまともな説明になっていないことは分かっていたけれど、他に言いようもなかった。
「決めてないのに、結果だけ揃うことってありますよね。順番を意識していても、来る日までは決めているわけじゃないので。来られるタイミングに合わせて動いている感じです。だから、平日はあまり長くはいられなくて」
そこで一度言葉を切り、彼女はわずかに息を整える。
「近いところだけなら、昼休みでもなんとかなるんですけど。全部を順番通りに回ろうとすると、やっぱりまとまった時間が必要になるので。そういうときは、休みの日にすることが多いです」
「順番通りに、ちゃんと来ているんですね」
僕が言うと、彼女は小さく頷いた。
「はい。せっかく決まっているので、一応その通りにしておこうかなと。途中で崩すと、どこまでやったか分からなくなりそうですし、そのほうが楽だというのもあります」
その理由は単純だけれど、迷いがない。
彼女も同じようにお賽銭を入れ、手を合わせる。その動作には無駄がなく、前に見たときよりも自然に見えた。
手を下ろした後、少しだけ間ができる。
「この前の……ありがとうございました。あの時のこと、まだ自分の中で片付いていない感じがするので」
生田神社でのことを思い出して伝えると、彼女はわずかに首を振った。
「気にしなくていいって言ったと思いますけど」
「でも、なんとなく気になるんです」
「それなら、それでいいんじゃないですか。気にしていること自体は、特に問題ないと思いますし。無理に消そうとしなくても」
さらりと言われるが、その言い方には前と同じような余韻が残る。
境内を歩きながら、会話は途切れがちになった。けれど、それは不自然ではない。前に並んで歩いたときよりも、距離の取り方が少しだけ分かってきているような気がした。
足音の間隔が揃い、話していない時間が続いても、それを無理に埋める必要はないと感じられる。同じ場所にいることが、自然なことになりつつあった。
「ここ、来やすいですね」
「そうですね。場所が分かりやすいから順番通りに回るにはちょうどいいですし、途中で抜けるにしても、戻りやすい位置にありますから」
「順番があると、来る理由は作りやすいですけど」
「なくても、来ていますよね?」
言われて、その通りだと思った。
「そっちは、やっぱり順番があったほうがいいんですか?」
「はい。決まっているほうが、考えなくて済みますから。迷わずに動けるのは楽ですし、時間の使い方も決めやすいので」
その言葉の中に、どこか時間の制限に追われているような響きを感じる。
「自分は、どっちでもいいです。あってもなくても、結局来るなら、あまり変わらない気がするので」
「来ること自体は変わらない、ということですか」
「たぶん」
曖昧に答えると、彼女はそれ以上追求してこなかった。境内の端まで来たところで、彼女が時計を見る。
「そろそろ戻ります。今日は、あまり余裕がないので」
「はい」
それだけで、十分だった。
「続きは、また時間があるときに。こういう形だと、途中で止まってしまいますから」
軽く言われるけれど、その「時間」がいつなのかは口にしない。
「そうですね」
否定も肯定もしないまま、その話は終わった。別れるタイミングも、特に相談する必要はない。流れの中で自然に分かれていく。どちらからともなく歩き出し、少し距離が開いたところで、それぞれ別の方向へと進んだ。
振り返ることもなく、そのまま人の流れの中に入っていく。それでも、さっきまで同じ場所にいたという感覚だけは、確かに残っている。
二宮神社に来たことで何かが進んだのかどうかは分からない。ただ、ここに来てしまったという事実だけは、前よりも少しだけ手応えを増しているように感じられた。
順番に意味があるのかどうかは、まだ分からない。それでも、ルールがあってもなくても、同じ場所に来てしまうことだけは、少しずつ現実味を帯びてきていた。
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