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<完結済み> 神戸、八社のあいだで  作者: 第三ひよこ丸


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第02話 ここにいる理由

 一宮神社で別れた後、それで終わりだったのかどうかを深く考えるほどのことでもなかったはずだ。なのに、帰り道のどこかで、その日の感覚がうまく切り離せないまま残っていることに気づいた。

 特別な話をしたわけでもないし、何かが劇的に変わったわけでもない。それなのに、何もなかった一日として片付けるには、どうしても心に小さなトゲが刺さっているような感覚があって、それが形にならないまま居座り続けている。


 家に戻ってからも、そのモヤモヤは消えなかった。ただ、時間だけが同じように積み重なっていく。何かをしなきゃいけない理由もないし、何もしなくていい理由もない。部屋にいる時間が長くなるにつれて、自分でも処理しきれない何かが、ゆっくりと広がっていくような気がした。

 『順番に回る』という彼女の言葉を思い出しても、それに従う気にはなれなかったけれど、かといって完全に忘れることもできない。そんな中途半端な感じだけが残っていた。


 外に出たのは、何かをしようと思ったからじゃない。何もしないままでいるのが、逆に落ち着かなくなったからだ。理由はそれで十分だった。

 行き先は決めていない。でも、歩き出してしまえばどこかへは着くだろう――そんな頼りない感覚だけで靴を履き、ドアを開けて通りに出る。外の空気は特に変わったところもないけれど、部屋の中にいるときとは違う流れがあって、そこに身を浸すことで、余計なことを考えずに済むような気がした。


 歩いているうちに、自分がどこへ向かっているのかが分からなくなってきた。角をいくつか曲がった後には、最初にどこへ行こうとしていたのかさえ忘れてしまう。それでも足だけは止まらず、歩くことそのものが目的のようになっていく。

 

 (……二宮の方は、避けているのかもしれないな)

 

 意識のどこかでそんなことを考えていたのかもしれないけれど、それを認めるほどでもなく、ただ自然に違う道を選び続けていただけ。その結果として、順番から外れてしまっているだけだった。


 そうして歩き続けるうちに、視界の先に大きな鳥居が見えた。探していたわけじゃないけれど、ここに来たのは自然な流れだったようにも思える。立ち止まる理由もないので、そのまま境内へ入ると、外の通りとは少し違う、静かな空気が流れていた。


 平日の昼間ということもあって、人はまばらだった。それぞれが自分の時間の中にいるように見える。お参りをしてすぐに出ていく人もいれば、少しだけ立ち止まっている人もいる。どこにいればいいのかを考えなくても、そこにいることが許されているような、ゆるい雰囲気。


 賽銭箱の前に立ったとき、ようやく自分が何をしようとしていたのかに気づいた。けれど同時に、準備が足りていないことにも気づく。

 ポケットをまさぐってみても小銭は見当たらない。財布を出せばあるのかもしれないけれど、そこまでする必要があるのか。そう考えると、動きが止まってしまった。


 このまま何もせず離れてもいい。でも、ここまで来た流れを途中で切ってしまうのは、なんだか気持ちが悪かった。かといって、何かをするための理由も足りない。僕は中途半端な状態のまま、その場に立ち尽くすことになった。ほんの短い時間のはずなのに、それが妙に長く感じられる。


 そのとき、横からスッと硬貨を差し出す指が見えた。


「……どうぞ。小銭、なさそうだったので」


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。少し遅れてその意味に気づき、顔を上げる。

 そこに立っていたのは、見覚えのあるあの顔だった。


「昼休みで、少し寄っただけなんです。ここは職場から近いので。……順番とか関係ない場所ですし、気にせず使ってください」


 落ち着いたトーンでそう言われて、受け取るかどうかを一瞬迷う。でも、断る理由も見つからないまま、手が動いていた。


「あぁ、先日の……。すみません、気づいてなかったというか、用意してなくて」


 そう言いながら硬貨を受け取ると、彼女は特に気にした様子もなく、少し横にずれて場所を譲ってくれた。

 受け取った硬貨をそのままお賽銭箱に入れ、手を合わせる。隣でも同じような動きがあって、終わるタイミングも自然に重なった。


 手を下ろした後、ようやく硬貨のことを思い出して、財布を取り出す。


「これ、返します。借りたままだと、やっぱり気になるので」


 財布を出そうとすると、彼女は軽く首を振った。


「いいですよ、気にしなくて。そういうつもりで渡したわけじゃないですから」


 言い方は柔らかいけれど、もう受け取る気はないことははっきり伝わってきた。


「でも、そのままだと……」

「本当に大丈夫です。別に困ることはないので」


 そう言われてしまうと、それ以上返す言葉が出てこない。強く拒んでいるわけじゃないけれど、ここで話を終わりにしようとしているのを感じて、やり取りが途切れた。


 境内の中を少し歩く。特に目的があるわけじゃないけれど、そのまま別れるには区切りがついていない気がして、足がゆっくりと動く。隣に人がいる状態に、少しずつ慣れてきている自分に気づくけれど、それを口にする必要もない。


「来るつもりだったんですか? ここ」


 歩きながら聞くと、彼女は少し考えてから答えた。


「近いので、つい。昼休みの時間は限られているから遠くへは行けないし、でも何もせずに戻るよりは、こういう場所に寄ったほうが気持ちを切り替えやすいというか。……それに、神社って空気が澄んでいる気がするんですよね」


 理由としては十分だったけれど、それが本当の理由かどうかまでは分からない。


「あなたは?」

「特に理由はないです。気づいたらここに来てたというか。来ようと思って来たわけでもなくて」


 自分でも曖昧だなと思いながら答えたけれど、彼女はそれを笑わなかった。


「そういうこと、ありますよね。決めてないのに、結果だけそこにあるみたいな」


 会話はそれ以上広がらず、歩く速さだけが揃う。並んでいるというより、ただ同じ方向に動いているだけ。そんな関係がそのまま続いていく。


 境内の端まで来たところで、彼女が時計を見た。


「そろそろ戻ります。あまり長くはいられないので」

「はい」


 それだけで、区切りとしては十分だった。


「さっきの、本当に気にしないで大丈夫ですから」


 もう一度だけ言われて、僕は頷くしかなかった。


「……ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、今のところは。……また、いつか」


 そう返すと、彼女は軽く頭を下げて、そのまま出口の方へ向かっていく。

 呼び止める理由は浮かばないし、追いかけるほどの仲でもない。少し離れたところで、その背中が人の波に紛れて見えなくなるのを、僕はそのまま見送った。


 彼女がいなくなった後も、しばらくその場に立っていた。何をするわけでもなく、ただ時間が過ぎていく。手元に残っているはずの”借り”の感覚だけが、妙に引っかかる。


 返していないという事実は、小さなことのはずなのに、綺麗に終わったとは言い切れない形で残り続けている。それは負担になるほどじゃないけれど、完全に忘れることもできない、どこかに置きざりにしたままになっているような感覚。


 八社とは関係のない場所で起きたことなのに、それが一宮神社の続きのようにも思えてしまう。うまく説明はできないけれど、順番の外側にある場所で、順番の内側と同じような引っかかりを感じているのが、少し不思議だった。


 境内を出ると、外の騒がしさが戻ってくる。静けさが消えて、元の日常の中に引き戻される。それでも、何もなかった一日とは少しだけ違っていることだけは、はっきりしていた。

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