間話 ヒーロー 神谷総理視点
神谷総理視点
——首相官邸、執務室——
窓の外に広がる東京の夜景は、かつての輝きを失い、どこか怯えているように見えた。
私は何度目か分からないほど、報告書を読み返していた。
「ゲート維持限界まで、残り3日……か」
祈るように手を組み、指の関節が白くなるほど力を込める。
現在、異世界の魔王軍に対して逆侵攻を行っているのは、この国……いや、人類の命運を託した精鋭たちだ。
人に任せ、彼らの勝利を祈るしかできない……そんな自分が嫌になる。
ふと、モニターに表示された最新の世論調査の結果が目に留まった。
【神谷内閣支持率:3%】
歴代最低。もはや統計上の誤差と言ってもいい数字だ。
本来ならば、即座に辞任へ追い込まれ、石を投げられて退陣していてもおかしくない。
だが、野党もメディアも、文句を言うだけで奇妙なほどに静かだった。
理由は分かっている。
誰も首相になりたがっていないからだ。
未曾有の国難、正体不明の怪物、崩壊の危機にある社会。
今、首相の座に就くことは、全責任という名の「死神の鎌」を首にかけられるのと同義。
「……誰もが、貧乏くじを引きたくないというわけか」
自嘲気味に呟く。
私とて、代われるものなら今すぐにでもこの椅子を譲りたかった。
ため息が出る。
以前、情報を秘匿し、判断を先送りにしたことで多くの警察官や市民を死なせた。
そのときの後悔が、今も夜になるたびに私を蝕む。
せめて最後くらいは、この国にとって正しい判断を下して終わりたい。
これ以上、嫌な報告は聞きたくない。
そう願っていた矢先、ドアが勢いよく開かれた。
「総理、緊急事態です!」
秘書官の悲鳴に近い声。
「……何があった?」
「全国各地で異常な数のゲート発生を確認! 何千……もしかしたら何万ものゲートが発生しています!」
ああ、神はやはり、私を見捨てたらしい。
報告書を破り捨てたい衝動に駆られながらも確認していく。
……ゲート維持の限界までは、まだ3日の猶予があったはずだ。
だが、嫌な予感がする。
「馬鹿な……まだ3日は猶予があったはずだ。……いや、悔やんでいる暇はない。
即座に全国へ緊急事態宣言を発令! 民間人をシェルターおよび防衛拠点へ誘導しろ。
各自治体の探索者ギルドに協力要請! 自衛隊は特科連隊を前線へ!」
矢継ぎ早に指示を飛ばす。
今回は情報の出し惜しみはしない。
把握している全ての情報を解禁する。
「警察にも自衛隊にも、包み隠さず全情報を流せ!」
指示を出し、なるべく発生したゲートを減らしてもらう。
だが、1日後、ついにゲートにヒビが入りはじめた。
中から溢れ出すのは、数え切れないほどのモンスターの群れ。
さらに、ゲートがあった場所以外でも突如、モンスターが発生するようになった。
……念のため、民間人は一ヶ所に集め、探索者や自衛隊も配置している。
だが……どこまで持つか。
モニターには、自衛隊や探索者たちが応戦する姿が映っていた。
「市街地への侵入、食い止めています!
また、市街地内に発生したモンスターも即座に探索者たちが対処しています!」
オペレーターの報告を聞きながら、願う。
精鋭部隊よ……急いでくれ、と。
モンスターが地球に現れ始めて、1日経過する。
現状は拮抗し、なんとか耐えられている。
だが、敵の数は依然、変わらない。
むしろ増え続けているようにも感じる。
一刻一刻と時間が過ぎていく。
流石の探索者たちにも疲労が見え始め、防衛線は限界に近かった。
このままでは、いずれ破綻するのが目に見えている。
……まだか、まだなのか。
そう思った瞬間——大型モニターに一体のモンスターが映し出された。
巨大な質量。
建物をも凌駕する巨躯を持った、漆黒の鬼。
「……オーガジェネラル」
誰かがそう呟いたのが聞こえた。
いつもならゲート奥地にいる、何人もの精鋭パーティを壊滅させたこともある、強大な敵。
それが、防御の要である民間人を集めた場所に顕現した。
「ガァアアアアアアア!!」
モニター越しでも分かる、破裂するような空気の振動音。
近くで待機していた探索者や自衛隊が抵抗するも、巨大な金棒で吹き飛ばされていた。
「だめだ……抑えきれない!」
このままでは被害が拡大する。
金棒を持ったオーガジェネラルが醜悪な顔で民間人たちを眺めている。
恐怖で民間人が膝をつき、失神する者もいた。
この個体を止められそうな者たちは、すでに精鋭部隊として異世界へ向かっている。
できることはもうない。
やがて、私たちも蹂躙されるのだろう。
私の口から乾いた笑いが漏れた。
官邸に絶望が広がりかけた、その時だった。
「ドォォォォォンッ!!」
画面の中、オーガジェネラルが凄まじい勢いで壁に激突していた。
爆煙を切り裂いて現れたのは、一人の青年。
「——岸だ。そうだ、岸誠也がまだいた!」
その姿はどこか英雄のように堂々と佇んでいた。
彼は拳を構え、怯える人々とオーガジェネラルの間に立つ。
……頼む。どうにかしてくれ!
オーガジェネラルが壁から這い出てくる。
そして、殴り合う二人。
岸が拳を振るうたび、絶望が吹き飛ばされる。
オーガジェネラルから余裕が失われていた。
彼の拳がやがて輝き始める。
光り輝き、民衆を鼓舞するその背中。
その姿はどこか英雄譚のよう。
「吹き飛べ、オラァアアアア!!」
岸の拳が炸裂した瞬間、オーガジェネラルの巨体が地面ごと弾け飛んだ。
やがて、オーガジェネラルが消滅し、周囲で暴れ回っていたモンスターたちも消えていた。
逃げ惑っていた人々が足を止め、彼を仰ぎ見る。
誰かが呟いた。
「ヒーロー……」
その言葉を聞き、岸がフッと笑った。
「——こっちは、俺らが必ず守る。だから……」
その視線は、ゲートの向こうを向いているように見えた。
「負けるんじゃねーぞ」
官邸に、今日初めての力強い沈黙が流れた。
私はモニター越しにその背中を見つめた。
自分には、決して得られない眩い在り方。
おそらく、今も戦い続けている仲間たちに向けた言葉なのだろう。
だが——その言葉に勇気をもらった。
……そうだ、私たちが諦めている場合ではない。
指示を出していく。
少しでも、あのような背中の男になるために。
今は信じよう。
必ず英雄たちが勝って戻ってきてくれる、と。




