11-7 痛いことは……しないよね?
キャラ同化症を発症したボサッコ人と共に訪れた『保安署』は、月面基地の中では大きめに分類される規模だった。
俺が寝泊まりしている清掃事務所は、職員が休憩するためだけの場所なので最小限の大きさしかないが、ここは警察署・消防署・救急病院を兼ねている。
エントランスは広いし、人の往来も多い。
ファナが属する保安部と、俺が属する総務部は、月面基地管理局において組織上は並列だ。
しかしこの光景を目の当たりにすると、俺は確実に存在する両者の隔たりを感じずにはいられなかった。
「ファナ、ご苦労」
アンテラ人女性が、俺たちを出迎えた。
白衣を着て、空の車椅子を押しているので、ここの職員なのだろう。
ファナがボサッコ人を紹介する。
「ネーロン。
こちらがキャラ同化症を発症した……ええと……セリスさんです」
ボサッコ人は見知らぬ人物の登場に警戒し、低く構えた姿勢でファナを見上げた。
「この女、誰なのにゃ?」
「……ええと、こちらは救急課の……じゃなくて、王国の……治癒師のかたです」
ファナは懸命に、イセハナの世界観に合うように彼女を紹介した。
「ネーロンです。
よろしく」
白衣のアンテラ人が腰をかがめて手を差し出す。
ボサッコ人はその手を握ったが、次の瞬間、突然くたりと首を垂れてしまった。
「安定剤を投与しました。
病室へお願い」
ネーロンは事務的にファナへ指示を出す。
彼女の手にどんな仕掛けがあるのか俺にはわからなかったが、どうやら医師というのは本当らしい。
「はい」
ファナはぐったりとしたボサッコ人の体を車椅子に乗せると、改めて俺に向き直った。
「レンマ、本当にありがとう。
いずれちゃんとお礼はするわ」
彼女はそう言い残し、車椅子を押しながら建物の奥へと進んで行った。
立ち去るファナを目で送ったネーロンは、澄ました顔で俺に挨拶をしたが、その横に立つドッツォに気づくと、興味深そうに彼の全身をくまなく観察し始めた。
「あなたは……清掃課で勤務しているボサッコ人ですね?」
「う、うん。
ドッツォだよ」
ドッツォはネーロンの鋭い視線に押されて、少し後ずさりする。
「私はネーロン。
保安部の救急課で働いています。
月面基地管理局に勤務するポータリアンという点においては、私たちは同類ですね」
「そ、そうだね」
妙に距離を詰めてくるネーロンには、何か魂胆がありそうだった。
しかし、続く質問でドッツォの警戒心は一瞬で溶けた。
「あなた、アニメは好きですか?」
「好きだよ!
特に『重星覇装ヴォルラック』が大好きなんだ!
巨大ロボットのバトルが熱いし、主人公のレオンがとにかくかっこいいんだ!
……ネーロンは見たことあるの?」
たちまち怒涛の布教活動を始めるドッツォに対し、ネーロンはニヤリと笑うと、ダークレッドの目を怪しく光らせた。
「ドッツォ。
月面基地管理局の職員として、医学に貢献する気はありませんか?」
「え。
こうけん……?」
いきなりアニメ以外の話題を振られて、ドッツォは戸惑う。
「私は今、アニメ症候群の発症条件について調べています。
ボサッコ人であるあなたが協力してくれたら、大きく解決に近づくかもしれないのです。
引き受けてくださいますね?」
ネーロンは熱い視線でドッツォを見つめた。
そのとき、俺にもようやく彼女の魂胆が見えてきた。
アニメ症候群がどんな条件で発症するのかは未だ謎に包まれているが、今のところ発症したのは『アニメ好きのポータリアン』だけだ。
医師のネーロンとしては検証のために被験者を調達したいところだが、観光客の体で実験するわけにはいかない。
その点、基地の職員ならうってつけというわけだ。
ドッツォは少し困った顔をしたが、やがて目を輝かせて拳を握った。
「うん。
わかった。
僕、協力するよ!」
改めてドッツォの健気さには感心させられる。
何をされるかわからないし、俺だったら絶対断るところだ。
***
俺とドッツォはガランとした部屋に通された。
部屋の真ん中に椅子が1つだけ置かれているだけで、出入り口の他、壁には窓も飾り付けも無い。
ネーロンは椅子の後ろに立つと、ドッツォを手招きする。
「ここに座ってください」
「痛いことは……しないよね?」
少し警戒するドッツォに、ネーロンは目を合わせずに答えた。
「もちろんです。
すぐに終わりますから、安心してください」
「うん、わかった!」
駆け寄ったドッツォが椅子に腰かけようとしたときだった。
何を思ったかネーロンは、さっと後ろに椅子を引いたのだ。
「あっ!」
当然、ドッツォはバランスを崩して後ろに転倒してしまった。
「あら、ごめんなさい。
ちょっと手元がくるってしまいました」
ネーロンは謝ったが、今のは、どう見てもわざとだった。
いったいなんの茶番を見せられているのかと俺は混乱したが、「だ、大丈夫だよ……」と起き上がるドッツォの様子をつまびらかに観察する彼女の目を見て、ようやく気がついた。
すでに実験は始まっているのだ。
「まず最初に注意していただきたいことがあります」
ネーロンは椅子に座り直したドッツォに、1つのコップを見せた。
「このコップには致死性の猛毒が入っています。
ちょっと触っただけで死んでしまいますから、絶対に触れないようにしてください。
いいですね?」
目を細めて念を押すネーロン。
「う、うん!
わかった!」
ドッツォが返事をした、そのときだった。
「あっ!」
声を上げてネーロンは何かにつまずき、コップの中身をザバァッとこぼしてしまった。
「うわあっ!」
液体が膝にかかってしまったドッツォは、叫び声を上げて思わず立ち上がった。
「あら、ごめんなさい。
ちょっと手元がくるってしまって……」
ネーロンはまた謝る。
「ドッツォ!
大丈夫か!」
慌てて駆け寄ったが、本人は痛がってはおらず、なぜか遠くを見るように呆然と立っている。
いったい何が起きたのか?
「ドッツォ……?」
恐る恐る彼の顔を覗き込むと、目の焦点が合っておらず、瞳孔が大きく広がっている。
そしておもむろにドッツォは顔を上げると、妙に凛々しい表情になり――
「兄さん、それでも僕は、この星を選ぶ――地球を、選ぶ!!」
勇ましく、そう叫んだ。
「キターッ!」
ネーロンが飛び上がって喜んだとき、俺にもようやく状況が理解できた。
ドッツォが喋った言葉はヴォルラックの主人公レオンのセリフであり、たった今、彼は「キャラ同化症」を発症したのだ。




