10-4 ファナのこと好きなの?
ツキハバラの商店街をひとりで散歩していると、新しい施設がオープンしていることに気がついた。
看板には『エンタメボックス』とある。
見たところカラオケボックスと同じような作りだが、歌うだけでなく映画を観たりボードゲームをしたり、グループで楽しめる施設らしい。
へぇ、月にもこういうのができたのか……などと感心していた、そのとき――
「やっほー、レンマ!」
聞き慣れたハイテンションな声に呼び止められ、俺は足を止めた。
そこには、派手なへそ出しスタイルのロニャと、その隣に……。
「……ファナ?」
俺が月で目を覚ましたとき、親身になって介抱してくれた保安部救急課のファナ・クベロスが立っていた。
だが、今の彼女はオレンジ色のユニフォーム姿じゃない。
白いフリルのついたブラウスに、ラベンダー色のカーディガン。
ボトムスは膝下をきっちり隠すネイビーのロングスカートだ。
19歳にしては少し古風というか、いかにも親に選ばされた感じの、育ちの良さが滲み出る服装だった。
だが、それがいい。
メガネの奥にある藍色の瞳が、俺を見つけて柔らかく微笑む。
「お久しぶりです。
お元気そうで良かった」
会釈する彼女の仕草ひとつとっても、上品で美しい。
私服姿を初めて見た俺は、改めて彼女に惚れ直してしまった。
ロニャはそんな俺の心情には気づきもせず、券売機に並びながら振り返った。
「今から映画観るんだけど、レンマもいっしょにどう?」
「い、いいけど……。
お前ら、友達だったのか?」
意外な組み合わせに俺は驚いていたのだが、ふたりは顔を見合わせて「アハハ!」と笑った。
「うちら高校の同級生だよ!
ね、ファナ」
「はい。
ヴェルヌ総合学園のクラスメイトだったんです」
「マジで?」
「まぁ、月には高校が1つしか無いし、1学年も1クラスしか無いんだけどねー」
そりゃそうか。
月面基地に住む地球人は数百人しかいないらしい。
とくに同世代の子供にとっては、全員が顔見知りなのだろう。
俺は納得しつつ、彼女たちと一緒に施設の中へと入っていった。
個室は4畳半ほどの大きさで、ふかふかのカウチとテーブルがあり、壁一面が巨大なスクリーンになっている。
ロニャが真っ先にカウチのど真ん中に腰を下ろしたので、必然的に俺とファナはその両側に座ることになった。
完全防音の個室の中にいるのは、俺と美少女2人だけ。
しかも、そのひとりは憧れの女性だ。
心臓がうるさくて、到底、心穏やかではいられない。
俺はとにかく話題を振って沈黙を打ち破ることにした。
「……ところで。
心の準備をしておきたいんだが、これから何を観るつもりなんだ?」
ロニャは手慣れた様子でディスプレイを操作し、飲食の注文をしながら答える。
「まだ決まってないけど、アニメを観ようってことになってるんだよねー」
「アニメ!?」
ロニャはともかく、あの真面目なファナがアニメを観るとは意外だった。
「私がロニャを誘ったんです。
アニメについて、いろいろ教えて欲しくて……」
「へぇ。
どうしてまた?」
「最近、『アニメ症候群』の患者さんが急増しているんです。
救急課としても、アニメについて理解しておかなければと思って……」
俺の脳裏に、リリアンヌになりきったケーミンや、冥界の覇王ダーク・シュレーディンガーの顔が蘇った。
確かに、あんな迷惑な患者が増えたら救急課も大変だろう。
「ファナはアニメのこと、あまり知らないのか?」
「はい。
というより……いちども見たことがないんです」
「え……。
でも、子供のころとか、普通は見るだろ?」
「それが……。
親が厳しくて、禁止されてたもので……」
「マジで!?」
物心ついた時からアニメに囲まれて育った俺にとって、いちどもアニメを見たことがない地球人がいるなんて想像もできなかった。
「ファナのお父さん、滅茶苦茶に厳しいんだよねー。
6歳までテレビ禁止、ゲームなんて今でも禁止だってさ」
ロニャの言葉に、俺はファナの境遇を少し不憫に思った。
月面基地の最高権力者であるクベロス司令官の娘という立場は、相当に息苦しいものなのだろう。
「さて、どれにする?」
スクリーンの検索画面で、ロニャが『アニメ』と入力すると、アニメ作品のサムネイルがずらりと並んだ。
「これ、全部アニメなんですか?
こんなにいっぱいあるなんて……」
まごつくファナを見たとき、俺の中で悪魔の声が囁いた。
これは、彼女の個人情報を知るチャンスだと!
「あのさ!
まずは興味のあるテーマから選ぶのがいいんじゃないか?
ファナは、どんなことに興味があるんだ?」
我ながら完璧な作戦だと俺は心の中でほくそ笑んだ。
この方法なら、無理のない自然なやりとりの中で、彼女のプライベートを探ることができるのだ。
「ええと。
やっぱり救急医療関連でしょうか。
他には薬学とか、生物物理学とか……」
(仕事かよ!)
俺の膝がガクッとなった。
どこまで真面目なんだ、この子は。
「趣味は?
たとえば、休日は何をして過ごしてるんだ?」
「休日は勉強したり……走ったりしてます」
「走ってる!?」
「はい。
ドームの外周が、ジョギングコースになっているんです」
俺の目が、獲物を捉えた野獣のように光った。
月面基地は複数の『ドーム』から構成されているが、ファナが言っているのは恐らく居住区のことだろう。
つまり、休日にドームの外周道路に行けば、高確率で彼女に会えるということだ。
――だが、ひとつ問題がある。
ジョギングをするような体力は、俺には無いのだ。
もっと情報を引き出す必要がある。
「他には?
好きなものとか、集めてるものとか……」
「ちょっとレンマ!
その質問、本当に関係あるわけ?」
「う……」
ロニャのジト目が突き刺さる。
「あんたもしかして、ファナのこと好きなの?」
(しまった!)
ロニャの鋭い突っ込みに俺は震えた。
ファナもびっくりして俺のことを見ている。
「な、何言ってんだよ!
アニメはジャンルだけでも何百とあるんだぞ。
いろいろ聞かねぇと、初心者に最適な一本なんて選べねぇだろ!」
「ふ~ん。
まぁ、いいけどさー」
ロニャの疑いの目は緩まない。
そのとき、ファナが思いついたようにつぶやいた。
「そういえば私、見てみたい作品があります!
『異世界花嫁無双』っていうアニメ、知ってますか?」
「イセハナっ!?」
よりによって、その名前がファナの口から出るとは――。
『異世界花嫁無双』は確かに人気作品だが、いわゆるハーレムものだ。
女性キャラが主人公にベタ惚れするご都合主義は、真面目なファナには嫌悪感を与えてしまうかもしれない。
彼女には、アニメを嫌いになって欲しくないのだ。
「アニメ症候群の患者は、異世界花嫁無双のファンが多いと聞いたんです。
原因を突き止めるヒントが見つかるかもしれないと思って……」
「いや、でも、イセハナは……」
俺は苦悩した。
必死に代替案になるような、万人向けの爽やかなアニメを脳内検索したが――
「本人が希望するんなら決まりだね!
ほい、イセハナ!」
ロニャは既に検索を完了させ、決定ボタンを連打していた。
スクリーンに映し出されたのは、よりによってイセハナ劇場版。
『南の島でバカンス編』の文字が躍り、画面いっぱいに露出度の高いヒロインたちが映し出された。
陽気なBGMと共に、アニメ未経験の清純派・ファナの前で、俺達の「鑑賞会」が始まってしまった。
=== 登場人物 ===
【ファナ・クベロス】
19歳。女性。月で生まれて月で育った(スペイン系)。保安部救急課所属。義務感が強く仕事熱心。誰にでも優しいが、どこか寂しそう。
【ケーミン】
17歳。女性。アンテラ人。地球遊覧船のキャビンアテンダントなので月面基地を不在にしていることが多い。ロニャの悪友でよくいっしょに遊んでいるらしい。
=== 用語解説 ===
【ヴェルヌ総合学園】
月面基地でただひとつの学校。幼稚園から大学院までをすべて包含している。基地職員の子供が通っており生徒数は約100人。座学は無く実習メイン。校則がとても厳しい。
【アニメ症候群】
アニメにハマりすぎて心身に異常をきたす症状の総称。ポータリアンの中で蔓延しつつある。特にキャラに成り切って自我を失ってしまう「キャラ同化症」は危険。




