9-5 勘弁してくださいよぉ
「は? 何のことでしょう? ぶっちぎりで勝っていますが……」
ナーグは、なぜビンキが怒っているのか分からず、明らかに動揺していた。
プロのパイロットである彼も、パトロンであるビンキには逆らえないのだろう。
隣に立つビンキは、顔色こそ変わらないが、額からダラダラと大量の汗を流していた。
グレーネ人がこれほど汗をかくのは、相当に感情が高ぶっている証拠だ。
「ネメス・デュアルの表面から光沢が失われたことに気づかないのですか!?
あなたが煙の中を避けずに突っ切ったからですよ!」
「え?
いや、少し煤が付いただけですよね?
拭けば落ちますし……」
「少しじゃありません!」
ピシャリ、と乾いた音が響いた。
ビンキがナーグの頭を平手でひっぱたいたのだ。
「あのホビーボットには、お金がかかっているんです!
少しでも汚したら、そのぶん報酬を減らしますよ!」
「そ、そんな……。
勘弁してくださいよぉ」
ナーグが情けない、泣きそうな声を出した。
どうやら彼は相当にお金に困っており、ビンキからの報酬を唯一の頼りにしているらしい。
少し同情を感じないでもないが、俺はニヤリとほくそ笑んでいた。
(……この勝負、もらったな)
ロニャが実況席で絶叫する。
「さぁ、レースは後半戦に突入!
ここからは不規則なカーブが続く難関コース!
果たしてチャンピオンは、ここから巻き返すことができるのかぁーっ!?」
ヴォルラックはネメス・デュアルから大きく引き離され、会場には既に諦めのムードが広がっている。
しかし、俺は少しも慌てなかった。
精密に狙う必要などない。
ネメス・デュアルの本体ではなく、その少し手前にある壁や地面を狙って榴弾砲を打ち込み続けるだけで良かったのだ。
ドォォォンッ! と爆発が起こるたびに、榴弾とブロックの破片がネメス・デュアルの機体に降り注ぐ。
ひとつひとつは小さな破片だが、それらが衝突する度に、黒く美しいボディに無数の小さなキズが刻まれていく。
「うわっ、やめろ!」
ナーグは悲鳴を上げながら、必死で破片を避けようと姿勢制御用スラスターを吹かして機体を旋回させる。
だが、この狭く曲がりくねったコースの中で、全方位から飛んでくる破片をすべて避けるのは、プロの腕でも不可能に近い。
「これ、しっかり避けんか、このバカものめが!」
ビンキの怒鳴り声と共に、ピシッとナーグの後頭部を叩く音が再び聞こえてくる。
「は、破片ぐらい許してくださいよ!
あとでコンパウンドで磨けば済む話じゃないですか!」
「何を言っている!
表面に細かな傷がついたら、コレクションとしての価値が失われてしまうではないか!」
「そんな、大げさな……っ」
「大げさではない!
これがコレクターとしての矜持なのだ!」
二人の口論は続き、ナーグはどこに進路を向ければいいのか分からず、操縦が目に見えて迷走し始めた。
俺はその間隙を逃さなかった。
降り注ぐ砂煙と破片のカーテンの中に、ヴォルラックを全速力で突っ込ませる。
「おーーーっと!
連続コーナーを最初に抜け出したのは、な、なんと、ヴォルラックだーーーっ!」
ロニャの絶叫が響き、観衆がどよめく。
ヴォルラックは、このレースで初めて先頭に躍り出た。
しかし、背後にはまだネメス・デュアルが食らいついている。
基礎性能で劣る以上、直線に入れば再び追い抜かれるのは必至だ。
俺はヴォルラックの必殺技収熱極線を放つため、エネルギーのチャージを開始した。
ロニャがそれに気づいて叫ぶ。
「ヴォルラックの全身が赤く光っている!
これは必殺技の前兆かぁ~っ!?」
ナーグも当然それに気づいており、射線を避けるように機体を激しく蛇行させている。
しかし、俺はそれが無駄だと知っていた。
この技は本来、熱エネルギーを極めて細い束に絞り込んで打ち出す技だが……俺はあえて、熱エネルギーを絞らずに、拡散するように再調整していたのだ。
「食らえ!」
収熱極線が発射される。
破壊力こそ微弱だが、広角に広がった熱線は、ネメス・デュアルの全身をじりじりと炙る。
パーツを溶かすほどではないが、表面のコーティングに軽い焦げ跡を残すには十分な熱量だ。
「ぎゃーっ!
熱い、熱いですよ!」
隣でビンキが、自分の身を焼かれたかのような悲鳴を上げた。
「ナーグさん、何をやっているのですか!
避けなさい、今すぐ!」
「む、無理ですよ、あんな広角度で撃たれちゃ!」
ナーグとビンキの関係は、もはや修復不可能なほどに悪化している。
俺が第2射のためのチャージを開始する仕草を見せると、ナーグは機体にこれ以上の汚れをつけまいと、減速して距離をとるしかなかった。
「ネメス・デュアルが大きく後退したぁっ!
そしてレースは最終コーナーを回って、運命のメインストレートに突入!
ゴールまでの距離はあとわずかだ!
ヴォルラックはこのまま逃げ切れるのかぁ~っ!?」
ロニャの絶叫が響く。
俺が勝利を確信し、スラスターを全開にしてラストスパートに入った、そのときだった。
不穏なささやきが聞こえてきたのだ。
「ナーグさん、《《あの》》技を使うのです」
それはビンキの、冷酷で静かな声だった。
「え……。
しかし、あれは……っ」
「もう後がありません。
やるのです。
これは命令です」
「……りょ、了解しました」
その瞬間、俺はネメス・デュアルの背中にある『レクイエム・リング』が、これまでになく禍々しい赤色に光りだしたことに気づいた。
「なんと、ここでネメス・デュアルの必殺技、レクイエム・リング発動かぁっ!?
しかしヴォルラックとの距離はまだ遠いぞ!」
俺はレクイエム・リングが発射される瞬間に回避しようと、全身の神経を研ぎ澄ませた。
だが、放たれた真っ赤な光束は、ヴォルラックには向かわなかった。
それは、サーキットのガラス板を透過し、まったく見当違いの方向へと放たれたのだ。
「……?
いったいどこを狙って――」
疑問を感じる間もなかった。
バチンッ、と強烈な衝撃と共に、頭の中のブレーカーが落ちたような音が響いた。
俺の視界が、一瞬で真っ赤に染まる。
レクイエム・リングのターゲットは、機体ではなかった。
俺――パイロット本人だったのだ。




