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9-2 私をご主人様と呼びなさい






 一日の清掃業務を終え、俺とドッツォが事務所に戻ると、ラウンジのテーブルは、様々なパーツや道具で散らかっていた。

 アリチェがホビーボットのメンテナンスをしていたのだ。


「あ、ヴォルボットだ!」


 ドッツォは大喜びでアリチェの横に飛びつくと、食い入るように作業の様子を観察し始めた。

 テーブルの上に乗っているのは、忘れもしない、あの玩具屋での死闘で手に入れた高級リモコンロボット『アルティメットグレード・ヴォルラック』だった。


 たしかゲラフとのバトルでボロボロに傷んでいたはずだが、今は白いボディが照明を美しく反射しており、まるで新品のようだ。

 アリチェが手間と時間をかけて修復したのだろう。


「アリチェ姉ちゃん、もしかしてレースに出場するの!?」


 ドッツォが興奮気味に聞くと、アリチェは視線を動かさずに答えた。


「何のことかしら。

 私はただ、メンテナンスとチューニングをしているだけよ」


「え?

 でもロニャ姉ちゃんが言ってたよ。

 今日、噴水広場でホビーボットのレースをやるって……」


「そう。

 でも、関係ないわ。

 勝負ごとには興味ないし」


 アリチェは無関心な態度を示すと、極細のドライバーで本体に装甲を取り付ける作業を続けた。


「えーっ!

 せっかくホビーボットがあるなら、参加しようよ!

 優勝すると、ヴォルラックの限定フィギュアがもらえるんだよ!」


「そんなものをもらっても、しょうがないでしょ」


「すごく珍しいフィギュアなんだ!

 スポンサーのマルビンさんが提供してくれた特別なやつなんだって!」


 ドッツォはアリチェをその気にさせようと必死に奮闘するが、彼女は全く興味を示さない。

 黙々とロボットの膝関節に潤滑油を塗りつける作業に集中している。


 そのとき、俺は自分の中に眠っていたゲーマー魂がメラメラと燃え上がっているのを感じていた。

 秋葉原のゲームセンターに通い、アーケードゲーム『ヴォルボットアリーナ』で上位ランカーとして激闘を繰り返していた頃の記憶が蘇る。

 あれからもう何年も経っているが、自分の実力が健在なのか、どこまで戦えるのか、無性に確認したくなったのだ。

 もちろん月の重力下では勝手が違うし、ヴォルボットアリーナとボットレースではルールも異なるだろう。

 だが、心の中に芽生えた衝動はもう押さえきれなくなっていた。


「アリチェ。

 そのヴォルラック、俺に使わせてくれないか?」


「レンマ兄ちゃん!」


 ドッツォの全身の毛が、期待でふわっと持ち上がる。


「レンマ兄ちゃんなら、絶対優勝できるよ!

 おもちゃ屋でゲラフを3つもやっつけたんだから!」


「な、いいだろ、アリチェ。

 貸してくれよ」


 俺が頼み込むと、アリチェはようやく手を止め、冷ややかな視線を俺に向けた。


「嫌よ。

 せっかく綺麗に仕上げたのに、レースなんかに参加したら汚れるでしょ?

 ぶつかって壊れちゃったら、今までの努力が台無しになっちゃうわ」


「アリチェ。

 ここまで修復するのは大変だったとは思うが、ホビーボットは飾っているだけじゃ宝の持ち腐れだ。

 どんなに理論ベースでチューニングしたって、実際に物理空間で動かしてみなきゃ、その方向性が正しいかどうかなんてわからないだろ。

 それにAIの学習効率を考えたら、実戦トレーニングに勝るものは無いぞ」


 俺の理詰めの言葉に、アリチェはしばらく黙って考えていた。


「確かにそうだけど……。

 勝てる保証はあるの?」


「保証なんてできねぇよ。

 どんな奴が相手なのかも分からないんだからな。

 ……だが、役に立つデータは必ず持ち帰る。

 それでいいだろ?」


「……わかった。

 その代わり、ひとつ条件があるわ」


 アリチェはふっと口角をわずかに上げた。

 嫌な予感がする。


「私をご主人様と呼びなさい」


「は?」


「もし負けたら、今後、私のことを『ご主人様』と呼びなさい。

 それでよければ使ってもいいわ」


「なんだよ、そりゃ!

 そんな条件、飲めるわけねぇだろ!」


「それじゃあ、この話はなかったということでいいわね」


「うぐぐっ……」


 俺が返答に窮していると、ドッツォが目をウルウルさせて俺の腕に抱きついてきた。


「大丈夫だよ!

 レンマ兄ちゃんが負けるわけないよ!」


 俺は悩んだ。

 16歳の小娘をご主人様と呼んでかしずくなんて、耐えられそうにない。

 だが、ここで引き下がってドッツォの期待を裏切るなんて、もっと自分を許せそうになかった。


「……わ、わかったよ。

 絶対、勝ってやる」


 俺がうなだれると、アリチェは傍らから専用のキャリングケースを取り出し、テキパキとホビーボットの収納作業を開始した。


「バッテリーはフル充電してあるわ。

 予備も2本入ってる。

 近接武器はビームクロー。

 使いかたは覚えているわね?

 中距離の敵には榴弾砲(グレネードランチャー)を使って。

 必殺技として収熱極線(ヒート・フォーカス)も装備してあるけど、エネルギー消費が大きいから使い所に気をつけること」


 アリチェは驚くほどの早口で説明を続ける。


「あと、コースは時計回りだから、スラスターの出力もあらかじめ左寄りに調整してあるの。

 特にスタート時の挙動には注意が必要ね。

 さあ、行きましょう」


 言い終えると同時に、全ての準備が整っていた。

 アリチェは既にドアへ向かって歩き出そうとしている。


 だが、俺はまだ呆然と立ち尽くしていた。


「アリチェ、お前……。

 レースのこと……最初から知ってたんだろ」


 アリチェは答えず、俺から視線を外した。


「最初から、俺がレースに出場するって分かってたんだな?

 俺に戦わせて、実戦を通じてボットのAIを学習させようって魂胆か!」


 俺が詰め寄ると、アリチェは表情ひとつ変えずに澄ました顔で言った。


「私の意図なんて、今のあなたには関係ないでしょ。

 勝てば、貴重なフィギュアが手に入るんだから」


「いや、そうだけど、負けた場合の約束は無しだ!

 あんな約束は無効だろ!」


 俺は必死に食らいついたが、アリチェは聞く耳を持たない。


「だめよ。

 本気で戦ってもらわないと、いいデータが取れないから」


 そう言うと、アリチェはホビーボットの入ったケースをドンッと俺の腹に押し付けた。




=== 用語解説 ===


【ヴォルボット】

 商品名。ヴォルラックを題材にしたホビーボットのシリーズ。身長15センチ。ゴーグルを使って遠隔操縦することができる。


【ヴォルボットアリーナ】

 ヴォルボットどうしを戦わせるゲームセンター用の大型ゲーム。レンマが子供のころ日本で流行した。



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