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17-6 前代未聞の大事件や!



「お、俺のことを……どうして?」


「最後に来店されたとき、お釣りが足りなかったのがあとで分かって……。

 お返ししたかったんですが、それきりぱったり来なくなっちゃったから、困ってたんです」


 がくっと膝が崩れた。


 お釣りか――。


 そりゃそうだよなぁ。

 毎日じゃがりこを買いにくるだけの男を、女子高生が待っている理由なんて、事務的な用事以外には考えられないだろう。

 そもそも彼女は俺の名前すら知らないわけだし。


 納得しかない。

 何かを期待した俺がアホだった。


 だが、心理的なショックを受けたかというと、そうでもなかった。

 むしろ逆だ。

 どんな理由であれ、自分を待っていてくれた人がいたというのは嬉しいものだ。

 俺は自分が天涯孤独の身だと思っていたが、そうではなかった。

 いや、ほとんど天涯孤独と同じではあるが、完全に天涯孤独というわけではなかったのだ。


「あの……。

 このたびは申し訳ございませんでした。

 このお釣りをお受け取りください」

 

 桜井さんは礼儀正しく頭を下げると、手のひらに5円玉を乗せて差し出した。

 月で暮らす俺にとって、今さら日本の硬貨を受け取っても使い途はないのだが、そんなことは関係ない。

 これは彼女の気持ちなのだ。

 本人が気づいていないのだから、そのまま誤魔化すこともできたのに、桜井さんはそうしなかった。

 ずっと気にかけてくれていたのだ。

 喜んで受け取ろうではないか。


 俺が彼女に向けてテレボットの手を差し出そうとしたとき――。


『ファン、ファン、ファン、ファン……』と警報が鳴り響いた。


 思わず周囲を見渡したが、コンビニの店内に異常はない。

 

 ――違う、警報が鳴っているのは船のほうだ!


 俺がゴーグルに表示されていたテレボット視点の映像をOFFにすると、地球遊覧船の天井で赤色灯が回転しているのが見えた。


「何かあったのか!」


 ケーミンの姿を探すと、船の中央にある床のパネルが開いており、下から彼女がぴょこっと姿を現した。


「た、大変や!

 お客さんが、脱走してしもた!」


「だ、脱走~っ!?」


 ケーミンの表情は真剣そのものだったが、俺には冗談にしか思えなかった。

 低空飛行中とはいえ、地上から数百メートルの高さがある。

 ここから脱走なんて、できるわけがない。


「ハッチがハッキングされて、開けられてしもうたんや!

 お客さんがひとり、いのうなっとる!」


「なんだとぉ!?」


 俺は客席を見渡した。

 ポータリアンたちは何が起きたのかとザワついているが、みんなちゃんとシートに腰掛けている――ひとりを除いては――。


 地球遊覧船には28席のシートがあり、さっきまでは確かに満席だったはずだが、ひとつだけ空のシートがあった。

 その場所に座っていた客のことは、はっきりと覚えていた。


「アッシロ……!?」


 ドッツォの友達の、あのアッシロだった。

 彼の姿が消えているのだ。


「映像が残ってた。

 今から送るわ……」


 ケーミンが俺のゴーグルに送ってきた船外カメラの映像には、アッシロが背中に背負った装置からガスを噴射しながら、地上に降下していく様子が記録されていた。


 アッシロは星間連盟貿易局に勤務しているボサッコ人のエンジニアだ。

 ガジェモンベルトやアイザラのステッキを改造して騒動を巻き起こすような迷惑男だが、ポータリアンの技術に長けている。

 彼なら地球遊覧船のハッチをハッキングしたり、ジェットパックを機内に持ち込んだりすることなど、たやすいことだろう。


 「いちどでいいから地球を見たくて、必死で貯金した」と、しみじみ語っていた彼の表情を思い出す。

 あの落ち着いた態度の奥には、遥かに壮大な計画が潜んでいたのだ。


「もう、あかん……。

 乗客が脱走なんて、前代未聞の大事件や!」


 ケーミンが、がたがたと震え出した。

 30年前に地球とポータリアンとの間で交わされた条約により、ポータリアンが地球に降りることは禁じられている。

 異なる星との間で締結された厳格なルールが、歴史上初めて、破られてしまったのだ。

 国際問題……いや、星間問題にさえ発展しかねない。

 その重大性を認識するにつれて、俺の心臓の鼓動はバックンバックンと早まっていった。


「うち、まちがいなくクビになるやんか!

 そしたら推し活ができのうなるぅ!」


 そっち?


 ケーミンの嘆きを聞いて俺はずっこけた。

 彼女にとっては、人類とポータリアンの行くすえよりも推し活を継続できるかどうかのほうが重要らしい。


 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 事態を収拾することが優先だ。

 なんとかして脱走者を連れ戻さなければならない。


「ケーミン!

 手分けしてアッシロを見つけるんだ!

 おまえは上空から彼を探してくれ、頼んだぞ!」


 俺は再びゴーグルにテレボットの視点映像を表示すると、コンビニを飛び出した。

 アッシロが着地した正確な場所はわからないが、船外カメラの映像を見る限り、北西の方角に向かったことは間違いなかった。

 歩行者に危険を及ぼすことがないように、テレボットの速度は厳しく規制されており、走ることは禁止されている。

 だが、そんなことには構っていられない。

 ボサッコ人が地上に下りたことが知れ渡れば、たちまち大問題になる。

 それは今さら避けられないとしても、早く連れ戻すに越したことはないのだ。

 俺は北西を目指し、全力でテレボットを走らせた。


「おったで!

 地上を歩いとる!」


 ケーミンの明るい声が聞こえた。

 おそらく人工人格(AI)機長が上空から写した画像を解析して、ボサッコ人の位置を特定したのだろう。


「どっちだ!」


「上や、もっと上のほうや!」


「上ってどっちだよ!

 方角で言ってくれ!」


「長い階段のあるほうや!」


 階段?


 ――神田明神か!


 確かに秋葉原の近隣でも高台にある神田明神は、着地場所としては最適だ。

 アッシロは、この脱走計画を、最初からすべて綿密に計算していたのだろう。

 俺は女坂と呼ばれる何十段もある階段を駆け上った。

 テレボットだからこそできる芸当だ。

 生身の体だったら、とっくに心臓が爆発しているだろう。


「見つけた!」


 神殿前の参道を歩いていたアッシロは俺の接近に気づくと、男坂の方向へぴゅーっと駆け出した。

 彼はそもそも丸っこいボサッコ人の中でも特にでっぷりとした体型をしているが、地球人に比べれば遥かに強靭ですばしこい。

 身長の低いアッシロの姿は、雑踏に紛れてすぐに見えなくなった。



=== 用語解説 ===


【神田明神】

 東京都千代田区、秋葉原の近くにある神社。「明神さま」の名で親しまれている。

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