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17-4 地球に帰りたい



 言葉にならなかった。


 陽光を浴びてキラキラと輝く青い海。

 ダイナミックに渦巻く白い雲。

 足元いっぱいに広がるその光景に、俺は不覚にも泣きそうになった。


 生命に満ち溢れた水の惑星――地球。


 あの雲の下には、何十億って人間が暮らしている。

 電車が走って、コンビニが開いていて、誰かが誰かと笑い合っている。


 それに比べたら、月なんて、ただ乾いた岩の塊だ。

 空気もなく、水もなく、本来、人間が住むような場所じゃない。


 「地球に帰りたい」という気持ちが、胸の奥から、ぶわりと蘇ってくる。

 人間が人間として、本当に心の底から安心して暮らせる場所があるとしたら、それは地球以外にはありえないのだと思えた。


 そして客席のポータリアン観光客たちを見渡したとき、俺はこの惑星で生まれ育った自分のことが、少しだけ誇らしく思えた。

 なにしろこいつらは、俺の故郷を見るために、遥か何光年も離れた星から、わざわざやってきたのだ。


 今に見てろよ、と俺は内心、ほくそ笑む。


 荘厳なナイアガラの滝。

 威風堂々たるギザのピラミッド。

 そびえ立つスイスのマッターホルン。

 延々と続く万里の長城――。


 地球の自然と文化の、奥深さと迫力を目の当たりにしたら、お前ら、絶対に腰を抜かすに決まってる。

 さっきまで自分に横柄な態度をとっていた彼らのことが、少しだけ哀れにさえ思えた。


「えー。

 皆様、改めまして、当船のキャビンアテンダントのケーミンと申します。

 地球までの長い旅、お疲れ様でした。

 ここからはうちが、うちが案内させてもらいますね」


 いつのまにかケーミンがマイクを持って、客席の前に立っていた。

 よかった。

 なんとか元気を取り戻し、業務に復帰したようだ。


「ほな皆様、下をご覧くださいね」


 ケーミンが下を指さした。

 その仕草を見て、俺は高校の修学旅行で大阪に行ったときの、バスガイドのお姉さんを思い出した。

 指し示す方向は全然違うが……。


 「ただいま高度は1万メートルほどやさかい、まだ何も見えへんと思いますけど、ここからぐんぐん下げていきますんで、目ぇ離さんといてくださいね」


 人工人格(AI)機長はケーミンの声を認識しているようで、彼女の説明に連動するようにスラスターの噴射を弱めた。

 重力が弱まり、少し体が浮かび上がるような感覚になる。


 壁の手すりにつかまって体を固定しながら、俺は期待に胸を膨らませていた。

 今まで地理の教科書や、旅行系配信者の動画でしか見たことがなかった世界中の有名な観光地を、空から見下ろすことができるのだ。

 こんな贅沢な経験、人生の中でもそうそうあるものではないだろう。


 ところが、地球遊覧船が雲を突き破って高度を下げたとき、見えてきたのは意外な風景だった。


 ――関東平野だ。


「いきなり日本!?」


 まあ、いいだろう。

 日本にだって世界に誇れる名所はたくさんある。

 雪に覆われた富士山の頂を見下ろしたら美しいに違いない。

 他には、例えば……ええと……桜島の噴煙とか。


 地球遊覧船は、海岸に近い市街地の上でスラスターを噴射させ、高度を安定させた。

 1Gの重力が蘇る。


「ここからは平行移動モードに移ります。

 皆様、シートベルト外してもろて、楽な格好で景色を楽しんでくださいね」


 ケーミンのアナウンスを聞くと、乗客たちは待っていましたと言わんばかりにシートベルトを外し、しゃがんだり、体育座りしたりしながら、眼下の風景を見下ろした。

 すると、地上の風景がぐんと近づいた。

 この船の床は全面が高精細なディスプレイになっているが、拡大率が上がったことで、道路を走る車はもちろん、歩行者の姿も見ることができるようになった。

 地球遊覧船は、そのまま海岸線をなめるように移動すると、市街地の上空で速度を緩めた。


「ここが、『ラブリーゲート・サンシャイン』の舞台になった沼津の街やで!」


「「「おおーっ!」」」


 ケーミンのアナウンスに、俺はずっこけた。

 よりによって、最初の目的地がそこ?


 確かに熱心なファンが多く訪れているらしいが、素朴というか地味というか、特別なものは何にもないところだぞ!?


 しかしそんな俺の落胆とは裏腹に、乗客たちは大満足の様子だ。

 アニメの思い出を語り合ったり、よく観ようと床にうつ伏せになったりしている。


 地球遊覧船は静岡県の上空でしばらく停止したあと、ゆっくりと加速してさらに東へと進んだ。


「この湖が、巨大ロボ『グルオン』でミシマ計画が行われた場所やで!」


「「「おおーっ!」」」


 芦ノ湖の上空でケーミンがアナウンスすると、乗客たちは再び大興奮。

 歓声と喝采が沸き起こった。


 ナイアガラにはいつ行くのだろう?

 ギザのピラミッドは?

 スイスのマッターホルンは?

 俺の中で疑問と不安が激しく渦を巻き始めた。


「これが、あの有名なバスケアニメ『トラベリング』のオープニングに登場した踏切やで!」


「「「おおーっ!」」」


 船が鎌倉を訪れたとき、さすがの俺も認めざるを得なかった。

 この船がナイアガラに向かう予定など、永久にないということを。


 客の要望を取り入れたのかもしれないが、いつのまにやらポータリアンの地球観光は、アニメの聖地巡りへと変貌していたのだ。

 俺は想像とのギャップに、がっくりと肩を落とした。


「さあて皆さん、いよいよお待ちかね!

 オタクカルチャー発祥の地にして伝説の聖地、秋葉原やで!」


「「「おおーっ!」」」


 総武線と山手線が交わる駅舎が見えてくると、乗客の興奮は最高潮に達した。


 てゆうか、俺の地元なんだけどな……。


「それでは恒例、テレボットのライブビュー、いってみましょか!

 皆様、シートにおかけになって、サイドスクリーンに注目してくださーい」


 そうアナウンスすると、ケーミンはゴーグルを装着した。

 同時に、船内の全方位ディスプレイが切り替わり、秋葉原の中央通りを行き交う人々の映像が表示された。

 まるで人の目で見ているかのような、地上1.5メートルぐらいからの主観視点(FPV)映像だ。


「な、なんだこれ……」


 しかも、実際に秋葉原の街を歩いているかのように、映像はゆっくりと移動を始めた。


 テレボット……地上の遠隔操縦ロボットと、ケーミンのゴーグルが連動したのだ。




=== 用語解説 ===


【テレボット】

 ゴーグルと無線で接続され、遠隔操作で動作するボット。旅行しなくても、その場にいるかのような感覚を得ることができるため、観光業で活用されている。


【ラブリーゲート・サンシャイン】

 アイドルものとタイムトラベルものを融合させた大ヒットアニメ『ラブリーゲート』の続編。静岡県沼津市を舞台に、残酷な運命に抗う美少女アイドルたちの姿を描く。


【新戦機グルオン】

 情動調律計画とは何か?反乱を起こしたAI「ディドロ」と巨大人型兵器「グルオン」の戦いを描いたカルト的な人気を誇る名作。


【トラベリング】

 人気漫画をアニメ化。神奈川県鎌倉市の少年院を舞台に、社会に馴染めない少年達がバスケを通じてまっとうな大人へと成長していく過程を描くバスケアニメの金字塔。

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