16-1 ひどい目に遭ったんだ
「ドッツォ、どうしたんだ?」
清掃事務所の朝、俺はテーブルに突っ伏しているドッツォの姿を見て、何か大きな事件が起きたことを悟った。
いつもなら、俺の顔を見るなり誰よりも大きな声で「おはよう!」とやるはずのドッツォが、今日はあらゆる精力を失ったようになっているのだ。
ボサッコ人のこいつは、感情がそっくりそのまま、全身の毛に出る。
毛が逆立っていれば興奮、ふわりとふくらんでいれば上機嫌――そして今みたいに、ぺったり垂れているときは、底なしに落ち込んでいるときだ。
弟分のこんな姿を見せられて、放っておけるわけがない。
「レンマ兄ちゃん……」
ドッツォは俺の顔を見上げると、今にも泣き出しそうな、か細い声を絞り出した。
「聞いてよ……。
僕、ひどい目に遭ったんだ」
俺は近くの椅子を引き寄せ、どっかりとその隣に腰を下ろした。
「ゆっくりでいいから、話してみろよ」
ドッツォは、ぽつり、ぽつりと、事情を語りはじめた。
「クロイツのフィギュアが今日、発売するって知ってるよね?
僕、どうしても欲しくて、ずっとお金を貯めてたんだ。
だって、レオンの隣に並べたいもん!」
クロイツ・ザルフリードというキャラクターは、アニメ『重星覇装ヴォルラック』の敵役だ。
ただ、敵と言っても主人公レオン・ザルフリードの兄なので憎悪の対象というわけではない。
クロイツにはクロイツなりの論理があって、単純に悪人とは言い切れず、複雑な関係なのだ。
ドッツォはそんなヴォルラックが大好きで、すでにレオンのフィギュアも持っているから、それと対となるクロイツのフィギュアが欲しいというファン心理は痛いほどよくわかる。
「だから、昨日の夜からオレンジサブウェイに、ずっと並んでたんだ」
「ずっと……って。
徹夜したのか!?」
ドッツォは力なく頷いた。
眠気と疲労と精神的なショックが同時に押し寄せているような表情だ。
「僕の他にも10人ぐらい並んでたよ。
期待しながら、開店時間になるのを今か今かって、ずっと待ってたんだ。
ようやく朝になって、シャッターが開いて、ついに買える……って思ったら……」
「思ったら?」
ドッツォは答えようとして一瞬、言い淀んだ。
辛い記憶が蘇ることを彼の脳が拒否しているかのようだ。
「店長のマルビンが、まるで当たり前のことみたいに言ったんだ。
完売したって……」
「は?
徹夜で並んでたのに、開店した瞬間に完売だぁ?」
思わず、声がひっくり返った。
そんな馬鹿な話があるか。
「みんなで抗議したよ。
でもマルビンは涼しい顔で、『お得意様に売っただけや』って、ぜんぜん取り合ってくれなくて……」
ドッツォの声が、だんだんと震えていく。
「結局、誰も買えなかったんだ……」
その悔しさが、まるで自分のことのように、ぐさりと胸に刺さった。
徹夜で並んだ末に、誰とも知らないやつに横から全部かっさらわれる。
そんな理不尽が、あっていいはずがない。
だが、店長は《《あの》》マルビンだ。
アニメは見ないしアニメファンの気持ちも理解せず、常に目先の金儲けだけを考えている男だ。
『お得意様』とやらがどんな条件を出したのかは知らないが、そっちのほうが利益が大きいと判断したら、奴は平気で純粋なファンたちの気持ちを踏みにじるだろう。
俺の中で、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「……やっぱり。
目的は転売ね」
それまで黙って話を聞いていたアリチェが、ふいにつぶやいた。
無言のままゴーグルを操作し、俺たちにブラウザの画面を共有する。
俺の視界の真ん中に表示されたのは「ルナオク」の商品ページ。
月面基地内で運営されているオークションサイトだ。
俺自身は使ったことはないが、店頭で販売されていないものを入手する手段として、アリチェやドッツォは愛用しているらしい。
ページ内の写真を見ると、確かにそれはクロイツのフィギュアであり、「新品・未開封」とも書いてある。
オークションの開始価格は900セル……日本円だと10万円弱。
定価は4万円ぐらいだから、法外な価格設定だ。
それも、ひとつやふたつじゃない。
同じ写真がずらりと並んでいる。
そして――出品者はどれも同じ人物だ。
「ビンキ……」
聞き覚えのあるグレーネ人の名前を思い出し、俺は思わず舌打ちした。
大量の『ガジェモンウエハース』を購入し、カードだけ抜き取ってウエハースを捨てた男。
貧乏そうな俺たちを見て、限定フィギュアの代理購入を依頼してきた男。
そしてボットレースの優勝賞品を手に入れるために、プロのパイロットを雇ってこき使った男。
嫌悪感を覚える記憶が次々と蘇る。
強欲でコレクターの風上にも置けない奴だと思っていたが、転売にまで手を出していたとは……。
「ぐ……ぐおおおおおッ!」
俺の右隣から、猛獣の雄叫びのような声が響き渡った。
ドッツォだ。
天を仰ぎ、全身の毛が逆立っている!
止める間もなかった。
狭い室内にも関わらず、ドッツォは全速でダッシュすると、そのまま壁に激突した。
ゴッ、と、嫌な鈍い音。
そのまま、ぱたんと仰向けに倒れる。
「ドッツォォ!?」
ボサッコ人ってのは、こみ上げた感情を抑えるってことが、生まれつき、まるでできないのだ。
俺が慌てて駆け寄ると、ドッツォは目をぐるぐると回しながら、それでも、親指をぴっと立ててみせた。
「へーき……」
全然へーきじゃないだろ。
痛々しいやら、間が抜けているやらで、俺は笑っていいのか泣いていいのか、分からなくなってしまった。
そのとき、アリチェが突然「あっ」と小さく声を上げた。
「やっぱり!
あのときの出品者だわ!」
彼女にしては珍しく、荒げた声は少し震えていた。
ゴーグル越しにオークション画面を見つめながら、口元がぴりっと強張っている。
「あのとき?」
「何か月か前だけど、どうしても欲しいトイボットがあったの。
小鳥型で、肩の上に乗せたりできるぐらい小さいのだけど、とっても賢くて高機能で今までにないタイプ。
でも発売日に買おうとしたら既に売り切れで……しかたなくルナオクで探したら2倍の値段で売ってた。
結局諦めたんだけど、今、出品者を調べたらビンキだったわ」
アリチェはこみ上げる怒りを押さえきれないようで、小さな両手をプルプルと震わせていた。
どうやらビンキは転売の常習犯らしい。
ウエハースを大人買いするような資金がいったいどこから来るのかと思っていたが、恐らくオークションで荒稼ぎしているのだろう。
そうなると、コレクターとしての奴の気質についても疑問が湧いてくる。
その商品が欲しいから集めているのではなく、将来価値が上がったときに売って利益を得ることを目的に集めているのではないだろうか。
俺自身は実害があったわけではないが、純粋にその商品を欲しいと思っている者にしてみれば、転売目的で買い占められるのは腹立たしいことだろう。
「やっつけるしかないようね」
「やっつける!?」
アリチェの物騒なつぶやきに、俺は思わず聞き返した。
彼女の表情はいつもとさほど変わらなかったが、なんというか微妙に凄みを帯びている。
「暴力は良くないぞ。
それに奴は、法を犯したわけじゃない」
「ばか言わないで。
乱暴するわけじゃないわ。
あいつが不当に利益を得ているなら、大損させてやればいいのよ」
「大損ねぇ……。
どうするんだ?
価値のないものを高値で買わせるとか?
だとしても、いったい何を買わせるんだよ」
ビンキに損をさせるとしても、肝心の「獲物」がなけりゃ、そもそも話が始まらない。
俺の質問にアリチェが何かを言いかけたとき、代わりに口を開いたのはロニャだった。
「それなら、いいネタがあるよ」
彼女はにんまりと、不敵に口の端を吊り上げた。
=== 登場人物 ===
【マルビン・ドラックス】
30歳。男性。ドイツ人。玩具店、フィギュア店の店長。でっぷりとした体型。金儲けに徹している根っからの商売人。
【ビンキ】
38歳。男性。グレーネ人。
ホテルに滞在している金持ちコレクター。欲しいものを手に入れるためなら手段を問わない。
=== 用語解説 ===
【オレンジサブウェイ】
フィギュアショップ。店長はマルビン・ドラックス。
【重星覇装ヴォルラック】
地球征服を企む宇宙帝国ザルグラードと戦う巨大ロボットの物語。ザルグラードの皇子が、地球を守るために兄が率いる母星の帝国と戦う。
【ガジェットモンスター(ガジェモン)】
文房具などの道具の能力を持ったモンスターを戦わせるバトル系アニメ。腰のベルト(ガジェモンベルト)に宿らせたガジェモンを召喚ポーズをとることで呼び出すことができる。




