15-2 何寝ぼけたこと言ってるの?
「見ちゃった……」
ドリーンはそれだけ言うと、ガクガクと膝を震わせ、ぺたりとその場に座り込んでしまった。
貸衣装屋と本屋の店長を務めるドリーンは25歳。
この場にいる誰よりも年上だし、俺たちから見たら、精神年齢的にも大人の女性だ。
そのドリーンが今、ロニャにもたれかかり、小刻みに体を震わせている。
よほど恐ろしい目に遭ったのだろう。
「いったい、何見たの?」
ドリーンの肩を優しく抱きながら、ロニャが尋ねる。
「よくわかんないの。
一瞬だったし、眩しくてよく見えなくて……。
でもガンガン頭痛がして、目眩がして、頭がおかしくなりそうだった……」
ドリーンは何とか言葉にしようとするのだが、うまく表現することができないらしい。
だが――眩いほど光っていたという話は、キリアンが最後に残した言葉……『光があふれてる』……と、共通しているように思えた。
「大変だったね。
お茶入れるね」
ロニャはドリーンをラウンジの椅子に座らせると、水道のある奥の洗面台のほうへと歩いて行った。
彼女にもこんな優しい一面があるのだなと俺は驚いた。
いつもの俺に対するぞんざいな態度とは大違いだ。
「どこなの?
その光を見た場所は」
いっぽうアリチェは気落ちしたドリーンを気遣う様子もなく、問い詰めた。
確固たる証拠がない限り、何も信じないことが彼女の主義なのだ。
「……今日は聖キリアンの日だから、中央ドームに行って、彼が亡くなったキリアンクレーターに向かって祈ってたんだ。
もう二度と、不幸な事故が起きませんようにって。
そしたら突然、頭を殴られたみたいな衝撃があって、心臓がバクバク鳴って、何か光るものが見えたんだ」
中央ドームというのは、月面基地の各ドームをつないでいるハブのような場所だ。
居住区と商業区を行き来する際には必ず通る場所なので俺も良く知っているが、あそこには調光機能つきの大きな窓があって、月面を肉眼で眺めることができるのだ。
「何かの見間違いじゃないの?」
アリチェはまだ信じられないという口ぶりで尋問を続ける。
「あたしだけじゃないもの。
周りにいた人たち、みんな気分が悪くなって、同じような体験をしてた。
それで保安部に通報したんだけど、集団ヒステリーだろうって言われて、ぜんぜん取り合ってもらえなくて……」
俺の脳裏に、アレシオの高慢な表情が浮かんだ。
確かに死傷者がでたわけでも、実害があったわけでもない。
保安部職員として他に重要な仕事があったのかもしれない。
だが、調べることすらしないとは――いかにも、あの男らしい対応だ。
「ほら、これ飲んで」
「うん。
ありがと」
ロニャが入れてきたホットティーのカップを両手で抱えながら、ドリーンは少女のように小さく頷いた。
「これは、調査する必要がありそうね」
「はぁ!?」
アリチェの突然の言葉に、ロニャの表情が凍りついた。
「調査って、何するつもり?」
「決まってるでしょ。
キリアンクレーターを調べるのよ」
「えーっ!?」
ロニャが悲鳴を上げた。
ドリーンも、驚きのあまり目を見開いている。
「だ、だめだって!
《《大いなる存在》》を刺激するようなことをしたら!
今日は静かに安静にする日なんだから!
みんなそうしてるし!」
ロニャは悲痛に訴えるが、アリチェに動じる様子はない。
いつも受動的なアリチェがこれほどの積極性を見せたことには俺も驚いた。
だが、よくよく思い返してみると彼女らしい行動とも言える。
ドッツォのアカウントを使ってポータリアン専用のSNSを覗いたり、犯罪者御用達の匿名掲示板で違法取引を探ったり……。
アリチェは世間から隠蔽されているものに対して、異常なほど好奇心を抱く傾向があるのだ。
「アリチェ姉ちゃん、やめたほうがいいよ!
アリチェ姉ちゃんの身に何かあったらやだよぉ!」
ドッツォも感情をむき出しにして反対している。
彼は俺よりもアリチェとの付き合いが長い。
彼女の頑固な性格をよく知っているからこそ、必死で止めようとしているのだろう。
だがアリチェの感情が揺さぶられることはないようだ。
「あなたたちはここで大人しくしていればいいわ。
そのほうが安全でしょう。
でも私は嫌。
分からないことを分からないままに放置しておくほうが、私にとっては拷問のように苦しいことなの。
レンマ、あなたはどうするの?」
いきなり話を振られて、俺は心臓が止まりそうになった。
全員が、俺のことをじっと見ている。
ロニャとドリーンは心配そうだし、ドッツォは涙をためた目を、ウルウルとさせている。
いっぽう、アリチェは対照的だ。
「どうせあんたもビビッてんでしょ」と言わんばかりの目で俺を見ている。
だが――自分でも意外なことに、俺の気持ちはむしろアリチェに近かった。
「わかったよ。
俺も協力する」
「「「えーっ!!」」」
ロニャとドリーンとドッツォが、同時に叫んだ。
「レンマ兄ちゃん、死んじゃやだぁっ!」
ドッツォが俺の腰に抱きついて、泣き出した。
おぃおぃ、勝手に俺を殺すなよ。
とはいえ、いつも俺を気遣ってくれる気持ちはマジで嬉しい。
「心配してくれてありがとな。
だが、アリチェは諦めそうにないし、かといってひとりで行かせるわけにもいかねぇだろ。
それに、俺はまだここに来て日が浅いからな。
キリアンとやらには思い入れもなくて、正直、それほど怖くはねぇんだ」
俺はドッツォの頭の毛をポンポンと叩きながら、アリチェに向かって頷いて見せた。
「ヴィジェ、聞いてた?」
アリチェが天を仰いで呼びかけると、俺たちのゴーグルに、幾何学的に描かれた顔が表示された。
「ピッ。
はい。
お話はうかがっておりました。
本来でしたら通常通り、ツキハバラの清掃をお願いしたいところですが、メルツェルさんがおっしゃるように複数の目撃談があることは事実ですし、保安部も動かないとのこと。
今回は特別に許可しましょう」
「ありがとう。
レンマのぶんの宇宙服も用意しておいてね」
「了解しました」
「さ、いくわよレンマ」
アリチェは早くも出かけようとしていたが、俺の脳はまだ状況を理解できずにいた。
「あのな、アリチェ。
素朴な疑問なんだが……なぜ俺の宇宙服が必要なんだ?」
俺が聞くと、アリチェは呆れたような表情を浮かべた。
「何寝ぼけたこと言ってるの?
月面を調査するんだから、宇宙服が必要に決まってるでしょ?」
想定外の状況に直面し、俺は叫び声を上げることさえできなかった。
=== 登場人物 ===
【ドリーン・メルツェル】
25歳。女性。ドイツ人。貸衣装屋と書店「レモンブックス」の店員。毎日違う服を着る美しき広告塔。基本的に肌の露出が多い。




