4 打ち明けた問題*
次由と三人で弥由のアルバイト先を偵察した数日後、利輝が何心なく夕飯に誘ってみたら、影正にあっさりと承諾された。
誘っておきながら無責任にも予定外のことで、実はまるで準備をしていなかった。慌てて買い出しに走れば敬遠されるかと、あり合わせの材料で賄った。
買い置きのパスタを茹でてアンチョビと鷹の爪とにんにくと和え、インスタントのマッシュポテトを牛乳で溶き、ミックスベジタブルと混ぜてサラダを作り、作り置きのハンバーグを焼いた。
食後にはコーヒーをいれ、これも缶詰とヨーグルトを和えただけというあり合わせのデザートを作って並べた。
急ごしらえにしては、よくできた。影正は一つ一つの料理について褒めてはくれたものの、後は言葉少なであった。
それはいつもと同じであるが、利輝も同様であったので、始めから終わりまで、沈黙が食卓を支配した。コーヒーが半分ほどになった頃を見計らい、利輝は用心深く切り出した。
「気付いていると思うけれど」
「はい」
影正は、利輝を見ないで返事をした。気遣いなのか、単なる回避なのか、いずれにせよ話の内容を読み切った態度であった。利輝は思い切って言った。
「僕は、影正に恋をしていると思う」
「はい」
「少なくとも、藤野家の当主に対する期待にそぐわない感情だということは、わかっている。この感情を押し通すことが、守護人に恋着する忌みだけでなく、跡継ぎを作る役目の放棄と考えれば、青柳家や向坂家にも影響を及ぼす問題であることも承知している。せめて、君が女だったらよかったのに。僕はこの感情を単なる同性愛とは考えていない。僕の感情は君だけに向けられている。わかるだろうか」
「はい」
「それで、藤野家の当主の問題は別にして、君には、僕に応えてくれる気持ちがあるのか、知りたい」
そこで初めて、影正が顔を上げた。さんざん見慣れた顔であるのに、利輝は改めてその美しさに打たれた。いつか触れた唇が、躊躇いがちに開いた。
「試してみても、よろしいですか」
「え。う、うん」
心の準備が整わないうちに、影正が近付き、目の前で跪く。それだけで乙女よろしく胸がときめくのに、影正がその美しい顔でじっと上目遣いに見つめたので、利輝はときめきを通り越して激しい動悸に襲われた。
何か言わねばと焦る気持ちばかりが先走り、呼吸が難しくなる。利輝を見上げる影正も、無言のままである。それどころか、腕を背もたれに伸ばし、すっと腰を上げると、目を合わせたまま、顔を近付けてきた。完璧なまでに整った美貌は、距離を縮めても美しいままである。
これまで渇望していたことが、いざ実現する段になって、利輝は畏れをなした。とても最後まで目を開けてはいられなかった。
暗幕を引き下ろした内側で、ひたすら至福の瞬間を待つ。ひどく長い間に感じられた。
満更気のせいばかりでなく、いつまで経っても待ち望んだ瞬間は訪れない。瞼を持ち上げようとした時、風が通り過ぎるように唇を掠めたものがあった。続いてふわり、と首筋が髪の毛でくすぐられた。耳元に抑えた吐息がかかる。
「申し訳ございません利輝様。私には、できません」
ぱっと気配が失せた。
利輝が目を開けると、影正は背を向けて俯いていた。後ろ姿に苦悩が滲み出ていた。
主の要求に応えられなかったことで、守護人の誇りが傷ついたのであろうか。
如何に影正とて、主が近親相姦の被害者になることや、同性愛嗜好に走ること、しかも自らが唯一の対象になることまで想定して守護を務めるよう求めるのは、無理な話であった。
影正に恋をしたと自覚した利輝も、その程度の判断力は持ち合わせていた。こうなったのは、影正の責任ではない。もし、影正あるいは利輝が女性であったとしても、恋人のように交際できるとは限らない。影正が利輝に仕えるのは、あくまでも仕事である。とすれば影正が利輝の気持ちに応じられないのは、むしろ当然の結果である。
利輝とて、無理に影正を自分の嗜好に従わせるつもりはなかった。
それなのに、ひどく疲れた様子の影正に、利輝は端的に振られたこともたちまち棚に上げた。
「無理しなくていいよ。あり得ないという事ぐらい、分かっていたから。今まで通りにしてもらえるなら、それで充分だし、その、生理的に受け付けないとか、距離を置きたくなっても仕方ないと思う」
「お心遣い、ありがとうございます」
影正はゆるゆると向き直った。苦悩すらも、その整った顔立ちを醜く崩すことはできなかった。利輝は守護人の表情に新鮮な美しさを見出した。
堪能しようとする本能に逆らい、無理矢理頭を切り替える。
「利輝様がお心を開いてくださったことで、事態がはっきりしました。今後、これを踏まえて私がどのように守護をなすべきか、お話し願いたいことが幾つもあります」
「しかし、余りにも問題が重大に過ぎて、今ここでお尋ねすべき事柄なのか、明確に判断しかねます。利輝様の傷口に、塩を塗ることになるかもしれません」
「話してみなければ、わからないよ。まずは、言ってごらん」
利輝は主らしく敢えて鷹揚に言った。主の心情を知ってか知らずか、影正はなおも考えをまとめる風に口を噤み、それから目を上げた。
「では申し上げます。様々な問題が考えられますが結局のところ、次の当主をどうなさるおつもりか、という一点に集約されます。すぐにお答えいただかなくとも結構です。最前申し上げたように、事は重大ですから、熟慮を重ねるべきです」
「そうだね。まだ答えられない。よく検討して、影正に話せるようにしよう」
利輝が一生影正だけを愛するとして、次期当主を如何ようにするかという問題は当然出来する。愛情はともかく結婚して子をなすか、花鈴に譲るか、それとも養子を取るか。
利輝が結婚せずに当主を譲る場合は、儀式の開催時期も問題になる。次期当主につける守護人は通常、生まれ落ちてから十歳の儀式までの間に訓練を終える。急に決められても困るだろう。
ただでさえややこしいのに、自分だけの問題で終わらないところが厄介であった。即答できる問題でもない。
影正も、そうした事情を汲んだ上で、細々と質問することを避けたものであろう。苦悩の中にも、影正はまだ主を慮る余裕を持っていた。これで同じ年齢である。
自分よりも影正の方が主にふさわしい、と利輝は思った。
花鈴が学校帰りにコンビニエンスストアへ立ち寄ると、宇宿の他に、楠根寂凛が一緒にいた。楠根は同じコンビニの制服を着込み、来客の姿が見えない店の中で、宇宿と二人してお喋りに興じていた。
「やあ、藤野」
「いらっしゃいませ」
宇宿が花鈴に目を留めて声をかけると、楠根も業務用の挨拶を投げかけた。そのまま他の仕事を始めるでもなく、レジスター台の内側に立ち、話を続ける様子である。
花鈴はゆっくりと店内を一周した。店員は宇宿と楠根の二人だけのようであった。新発売のサプリメントをぶらさげてレジ台に置くまでの間、楠根の笑い声と嬌声が途切れることはなかった。
「一緒に働いているの?」
花鈴はなるべくお釣りがないように、財布の中から小銭を漁った。楠根が商品を収めた袋の把手を、これでもかとねじ上げる。
「うん。そうなんだ」
「シフトが全部一緒なのよ」
楠根が自慢げに言い添えた。花鈴が受け取った側から、袋がくるくると回転した。
「お兄さんと一緒なら、夜働いていても安心ね」
にっこり笑って花鈴は言った。自分でもよく出来た表情だと密かに思った。
「本当。叙恩と一緒になれて、よかった」
楠根は声を高くすると、宇宿に抱きついた。宇宿の困惑した顔つきを見ながら、なおも花鈴は笑みを保ち、二人に手を振って外へ出た。
自転車に荷物を載せ、道路へ出るまで表情を変えなかった。自転車を漕ぎながら考える。
この漠然とした感情は何だろう。二人は兄妹で、仲がよいのは結構なことである。向坂の三兄妹も青柳兄弟も、あまりよく知らないが、それなりに仲はよいだろう。
花鈴と利輝の方が例外だ、ということぐらいは分かっていた。それでも釈然としない。つまり、宇宿と楠根が仲良くしている様子を見るのが、面白くない。花鈴が兄と不仲であることを思い出させるからであろうか。それとも、宇宿に同級生として以上の好意を抱いているからであろうか。
「まさか」
花鈴は呟き、頭を振った。その後も間をおいては同じ疑問が頭の中を巡り、一向に結論が出ない。それで週末に、宇宿からの電話を受けた時には、花鈴はどちらかというと無愛想に応対した。
「よかったら、今から花見に行かない?」
「花見? 今から?」
「八重桜がきれいな場所があるんだ。お菓子を持って行くから」
「他に誰が行くの」
「え。俺と藤野」
途端に、花鈴は行く気になった。
「じゃあ、お弁当持っていくから、そっちで飲み物を用意して。どこで待ち合わせ?」
母と祖母の手を煩わせ、大慌てでおにぎりを作ってもらう合間に身支度を整えた。
母たちは花鈴が宇宿と二人きりで花見に行くことを知らない。急に友人とお花見することになったから、おにぎりを適当な数だけ作って欲しいと頼んだのであった。
急いで着替え、鏡で服装と髪型を点検する。ロングスカートを履きたかったが、自転車でどこまで連れ出されるものか見当もつかず、細身のパンツにフェミニンなブラウスを合わせて我慢した。
髪型も同様である。凝っても崩れる心配があるし、万全の態勢を整えるには時間が足りない。
妥協の産物となった格好は、母たちから妙な疑いを招かぬための煙幕となった。幾つ作ったのか、ずっしりと重みのある弁当箱を持ち、花鈴は自転車で待ち合わせ場所へ行った。
宇宿は先に来て待っていた。楠根も一緒かもしれない、との予想は外れた。




