5 花見ピクニック
「本当に二人で行くんだ」
「そう言っただろ? あんまり大勢で見るものじゃないからな。藤野、お前随分弁当持ってきたみたいだけれど、全部食べるつもりか」
母と祖母は、重箱二段を花鈴に持たせていた。花鈴も改めて多すぎると感じたが、表情には出さなかった。
「食べてくれないと困るわ」
「せいぜい腹を空かせないといけないな。荷物、交換しようか。重そうだから」
宇宿は菓子を入れた袋を自分の自転車から出して、代わりに花鈴の弁当を籠に入れた。これまでと変わらぬ態度に、花鈴の気持ちが緩んだ。
目指す八重桜の名所までは、かなりな距離がある上に坂道の連続で、花鈴は自転車を漕ぐだけで精一杯であった。
父や母に連れられて自動車で通った道も、自転車で行くとまるで違った印象を受ける。景色はただ後ろへ流れ去るものではなく、一つ一つがしっかりと存在するものであった。
途中の牛小屋には子牛がおり、母牛に甘える様子が可愛らしかった。道端に生える雑草もそれぞれ違った色形の花を咲かせていた。息を弾ませる花鈴の目には、周囲の景色がくっきりと鮮やかに見えた。
反動か、到着してすぐには桜の花が目に入らなかった。上り坂を漕ぎ続けて疲れたこともある。
宇宿が持参したペットボトルのお茶を分けてもらった。宇宿はちゃんと紙コップも用意していた。水分が染み入るにつれて、花鈴にも桜の美しさがじわじわと感じられた。
もう盛りを過ぎており、散った花びらが地面に落ち広がる景色が、上にも下にも桜があるような絵画的風情を醸し出していた。
ぼてぼてと重たげな八重桜も、こうして見ると愛嬌があった。
「八重桜も結構きれいだね」
「そうだろ。あんまり人が来ないから、散った花びらもきれいなままなんだ」
渇きを満たし落ち着いたところで、二人は都合よく埋まる平らな石に、並んで腰掛けた。石の大きさのせいで、くっついて座ることになり、花鈴はどきどきした。
「うわ、豪勢な弁当」
宇宿が声を上げた。二段のうち、一段にはおかずがぎっしり詰まっていた。いつの間に作ったのか、卵焼きにソーセージ、ブロッコリーのソテーにちくわのチーズ詰め、ミニコロッケに唐揚げまで入っている。ただしコロッケと唐揚げは冷凍食品である。夕べ食べた煮物もあった。残る一段に入るおにぎりは八個もあった。
海苔の間から中身が見える作りである。梅干しに佃煮昆布、しらすわかめ、ゆかりとちょうど四種類あった。
頑張ったら全部食べられるかもしれない。二人は膝に一つずつ重箱を乗せ、互いに手を伸ばし合って食べ始めた。
「美味いな。お母さんに作ってもらったの?」
「うん」
「やっぱり手作りはいいな。コンビニ弁当もおいしいけれど、飽きちゃうんだよな」
「コンビニで夕飯食べているの?」
花鈴は訊いた。一旦落ち着いた脈拍が、再び早くなった。
「バイトがある時はね。家で食べてから出勤すると途中で腹が減るし、終わってから家で食べるとなると、遅すぎるから」
宇宿の母親は、昼も夜も働いている。互いに忙しく、一緒にご飯を食べることも少ないと言う。宇宿は、いかにも美味そうにおにぎりをどんどん平らげた。
花鈴もつられて食べた。さほど空腹を感じていなかったのに、食べ始めると止まらない。
「楠根寂凛のことだけれど」
「同じ年の妹さんね」
間に食べ物があるせいか、さりげなく応じることができた。宇宿が持ち出さなければ、花鈴から尋ねるつもりであった。本人を前にして訊けない以上、コンビニで話すことができなければ、他に会う機会は皆無である。
「お袋は違うんだけれど、親父の娘なんだ」
つまり、寂凛は宇宿父と楠根母の娘で、宇宿父と侭田の息子である叙恩とは異母兄妹に当たる。
宇宿は父親の姓を名乗り、楠根は母親の姓を名乗っているので名字が異なるのである。
楠根の話によると、物心ついた頃から宇宿父と楠根母は夫婦として暮らしていたのが、楠根が小学校を卒業する頃から宇宿父は家を空けがちになり、中学校三年生の時に離婚が成立したそうである。
宇宿父がどこでどうしているのか、楠根は知らない。進学した高校に宇宿がいることは、入学して半年ぐらいするまで気がつかなかった。
珍しい名字なので気になって、自力で少しずつ調べていくうちに親近感を覚えたそうである。
「時期から考えると、楠根のお袋さんが親父を俺のお袋から奪った形になるみたいで」
後に、楠根母も誰かに宇宿父を奪われたらしい。宇宿父を奪われた、という点においては侭田と楠根母は同類で、その子である叙恩と寂凛は仲間、と寂凛は考えたようだ。
花鈴には少々理解を超える話であった。少なくとも宇宿の母である侭田には受け入れられないのではないか、と想像する。しかし、宇宿はそんな異母妹を受け入れていた。宇宿らしいといえば、そうである。
「兄貴ができて嬉しいって言うんだ。今でもそれぞれのお袋と住んでいるし、妹ができた実感も正直なところ湧かないんだけれど、普通兄貴ってどんな感じなんだろう。藤野のところには兄貴がいるだろ? やっぱり、二人で遊びに行ったりするのか」
「二人で遊びに行ったの?」
質問に直接答えたくないこともあって、花鈴は問い返した。
宇宿父も侭田もその代になって移住してきた組で、所謂地元の民ではない。当然、藤野家の由来など知らない。自分の家の特異さを宇宿に対してどのように説明したものか、花鈴には迷いがあった。
その奥には、二年前に自らが引き起こした事件の記憶を封じ込めておきたい願望があることも微かながら意識していた。
「いや、まだ。行こうって誘われていて、俺バイト休むと生活に直結するからあまり遠くへ行くのは困るなあって思っているんだけれど、そんなこと言ったら、折角慕ってくれる妹に悪いし、兄貴らしくないんじゃないかって」
宇宿は花鈴の心の内も知らず、素直に答えた。それで花鈴も、公平な答えになるよう努力した。
「同じ性別ならともかく、高校生ぐらいになってから一緒に遊びに行くのはあんまり聞いたことないけれど、兄妹の関係ってその家によっていろいろあるだろうから、宇宿がいいと思うなら、できる範囲でしてあげたらどうかな。今日みたいな感じで近くの公園に行くとか」
と例えを出してみたが、花鈴の通学路沿いに公園は皆無であった。宇宿は感心したように頷く。
「そうかあ。何か考えてみるよ。そういえば、藤野。電話持っていたら、番号教えてもらえないかな。やっぱり家にかけるのは、緊張するから」
花鈴は高校入学のお祝いに、スマートフォンを買ってもらっていた。慣れるまでに、メールや通信アプリのやりとりで指の筋肉痛になったが、今では必須アイテムとして常に持ち歩いている。今日は出かける前に電源を切っていた。
電源を入れると、着信が溜まっていることがわかる。帰ったら、速攻で返信せねばなるまい。正直なところ、面倒臭いと思うことがあっても、これも付き合いの大事な一環であった。
「宇宿はスマホ持っているの?」
番号を交換するつもりで尋ねると、宇宿はバツの悪そうな顔をした。
「それがさあ、持っていないんだ。だから悪いけど、家の電話しか教えられない。うち、パソコンもないんだよね。今時、信じられないだろう?」
茶化した言い方をしているが、引け目を感じているのは明らかであった。生活のためにアルバイトをしているくらいである。花鈴は詳しく知らないが、スマホもパソコンも買う時ばかりでなく、毎月通話料や電気代などを支払わねばならない訳だから、どちらも持たない、という選択は理解できた。
「スマホやパソコンから出る電磁波って体に悪いみたいだし、その方が健康でいいかも」
電話番号を教え合ううちに、風が強まってきた。
風に煽られて、桜の花びらがいちどきに枝を離れ、宙に舞った。はらはらと落ちる花びらは、ほとんど空になった重箱にも落ちた。朱塗りの地に貼り付いた花びらは、白抜きの模様とも見えた。
花鈴はそっと蓋を閉め、花びらをしまい込んだ。




