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02:モンテルタウン

「おいニカ。こっちに来て、外を見てごらん」

 父さんが興奮気味に手招きしている。


 シーニースク(帝国首都)マーズポリス(連邦首都)行き、シャトル235便。

 三日間の旅も終わりに近づき、もう最後だから、とぼくと父さんは展望デッキに上がってきたところだった。

 到着まであと数時間。ふたりともちょっと早めに寝床から抜け出して、ポロシャツに半ズボンという出で立ち。


「まだ眠たいよ」


 ぼくがあくびをしながら無重力の展望室を泳いでくると、父さんはガラス張りの足元——正確にはシャトルの上部だが——を指差してにこにこしていた。

「どうだ、でっかいだろ?綺麗だろ?」

 そこにあったのはガラス窓に収まりきらない緑、青、白、そして赤。

 この惑星が今回の引越し先である。

 初めてみる火星は確かにでっかくて、綺麗な星だった。

 けれどぼくは父みたいに、新しい生活への期待とか、希望とか、そういった類の何か明るいものを喜ぶ気持ちにはなれなかった。

 父さんが転勤を告げるのはいつも突然なのだ。


 小さい頃からぼくは生まれ故郷のエウロパを離れ、父さんと共に色々な地を転々としてきた。小学生の時など1年以上同じ学校で過ごしたことはない。

 どんな子供でも家の事情というものに巻き込まれるけど、ぼくの場合それが少しばかり特殊らしい。


 遠い昔にロシア貴族だったという薄い血筋を元に、ブルシーロフ家(うち)は20年前の帝政移行期に下級貴族として新皇帝から爵位を賜ることになったのだが、これがすべての始まりだった。


 爵位とは鎖のことなんだ、と父さんはよくこぼす。

 いち貴族として国家奉仕を義務付けられた父さんは、夢だった惑星間郵便船のパイロットを辞めなければならなかった。

 ならば、と爵位を使って入社した国営のリゾート開発事業団では、国外のリゾート開発交渉にあたる部署に配属され、新規事業の度に太陽系じゅうを飛び回る生活が始まった。ぼくが生まれてすぐ、母さんは耐えきれずに家を出ていったらしい。


 仕方のないことなんだ、そういうものなんだ、と心に折り合いを付けていく前に、ぼくはこの生活に慣れてしまった。

 慣れてしまえば楽なものである。小学生のぼくは、他の子供よりちょっぴり大人だったのだ。


 けれど今回は父が現場責任者として赴任するらしく、それゆえかなり長い滞在になるという。長期滞在用の人間関係を作り上げるのはちょっとめんどくさい。

 たぶん、簡単な人間関係のぬるま湯に長く浸かり過ぎてしまったのだ。



 シャトルがマーズポリスの宇宙港に入港し、入国手続きを終え、首都でいちばん人気という自慢の冷麺をすすっても、ぼくはなんだかぼんやりしていた。

 やたら街中が暑かったせい、というのもあるはずだ。父さんが言うには、


「密閉された都市ドームの中で暮らすような連中は地球の過酷な気候に憧れるそうだ。この都市の奴らは“それ”がひどくて、真夏の暑さを再現して常夏を楽しむ変な流儀があるらしい。俺には理解できんがな」


 まあ父さんといえば、冷麺を三杯もおかわりして太鼓腹をさらに膨らませて、デザートに注文した甘そうなチョコレート・シェークを満足気にがぶがぶ飲んでいたけれど。



 それからぼく達は昼過ぎにターミナル駅で高速鉄道の切符を買って、終着地たるモンテルタウンという辺境の町を目指した。

 列車はすぐに亜音速に達して巨大な首都のドームを抜け、郊外をひた走った。

 途中、生まれて初めて降雪現象に遭遇した。エウロパに氷はあれど雪は降らないので、ちょっとだけ面白かった。けれど列車がモンテルタウンに近づくに連れて憂鬱になってくる。ぼくは隣の座席でいびきをかいて眠る父さんを恨んだ。でもいつのまにかぼくも寝てしまっていたらしく、気づけば列車は町に着いていた。


 それからの日々は、住むことになった空き家の掃除やら、ぼくの学校の転入手続きやらでとにかく忙しかった。父さんは仕事のカンケイもあって、朝から晩まできりきり舞いだった。おまけにエウロパや月での生活とは何から何まで違うのだ。

 新しい家には虫が出るし、外は首都の都市ドームの中とは打って変わって凍えるような寒さだし、1日が40分長い火星時間のせいで頭がこんがらがるしで、いつもの引越しの倍は疲れたと思う。

 でも、いよいよ新しい学校に通う段になってぼくは頭をすっと切り替えた。


 転校先で上手くやっていくには第一印象が肝心。

 ぼくは誰からも好かれる存在でいなければならない。ぼくにはそれができる。

 今まで何度もそうしてきたし、そうあろうと努力を重ねてきたからだ。

 自慢じゃないけれど、ぼくは自分のルックスに結構自信がある。これも低重力にあぐらをかかずにしっかりトレーニングしてきたおかげ。そして勉強もサボらずに、成績も常に上位を維持してきた。けれど学年一位になるようでは一定数から妬まれるということも知っているから、少し手を抜くことが肝心。


 こんなことをして今までぼくは生きてきた。女の子たちからはモテて、男の子たちからは尊敬され頼られる。そしてみんなの涙に送られて、次の町へ移る。

 めんどくさがってはいられない。これがぼくの生存戦略なのだから。



「はじめまして、僕の名前は——」


 初めて新しい中学校に登校したとき、ぼくはちょっとした有名人みたいだった。

 最初に会った担任のジョイ先生が言うには、この学校に転入生が来るのは30年ぶりのことだという。


「鉱山が閉まってから、この町はすっかり寂しくなってしまったの。出て行くひとはいても、入って来る人は珍しいのよ」


 ジョイ先生はにこにこしていて、優しそうな貴婦人だった。

 学校中の生徒たちがぼくの姿を見ると珍しげに振り返ったり、ぼくと握手したがったり、話を聞きたがったりした。

 ぼくのために開いてくれた歓迎会では、みんながぼくのことを根掘り葉掘り聞いてくるおかげで、クラスのひとりひとりとすぐに打ち解けることが出来た。思ったより簡単にことが進みそうだった。

 でも30人のクラスメートの中でひとりだけ、ちゃんと喋れなかった子がいた。

 黒いパーカーを着て頭をフードですっぽり隠し、だぶだぶのズボンを履いてずっと俯いていた男の子。ちらっと見えた目は深い青色。彼はパーティの輪に加わらずに、ぽつんと会場の端っこにひとりで座っていた。

 彼だけはぼくの顔を見ようともしなかった。



 ぼくは次の日の帰りに、彼にまた話しかけた。

「——昨日はもっと喋りたかったよ。君の名前はなんていうの?」

 彼は教科書——驚くべきことにこの国ではまだ紙の本を使っている!——を大きなリュックサックに詰め込みながら顔もあげずに、”リル“と答えた。男子にしては少し高い、澄んだ声だった。

「リル。良かったらぼくと一緒に帰らない?この町のことを教えて欲しいんだ」

 リルは席から立ち上がって、リュックサックを背負う。

「そういうことはレイチェルとかに頼めば?俺に話しかけるなよ」

 そう言ってさっさと教室を出て行ってしまった。

 ぼくは呆然と教室に残されて、彼が出て行った教室の扉の輪郭をしばらく目でなぞっていた。あれ、ぼく何かやったっけ?

 きっとぼくに話しかけられたのが恥ずかしかったんだな、とぼくの混乱した思考回路はそう独り合点する。だって理屈に合わないもの。

 このぼくが、ニカ・ブルシーロフが話しかけているんだぞ。


 でも、人に拒絶されたのはいつぶりだろうか。


 そんなことを考えていると、後ろから名前を呼ぶ声がして、振り返った。

「俺たちと一緒に帰ろうぜ。町の案内をしてやるよ」

 歓迎パーティで仲良くなった気の強そうな女の子と、背の低い男の子がぼくの方にやってくる。レイチェルと、もうひとりは確かジョンって言ったっけ。

 ぼくはにっこりと笑ってふたりの方へ向かって行った。

 学校を出て、役場とか雑貨屋とか森だとか、町のいろいろなところを彼らに案内されながら、一方で頭の中はリルという特異点の対処法について忙しく考えを巡らせていた。


 久しく忘れていた感覚が戻ってきた気がした。

 これまで、ぼくは当たり前のように尊重されてきたし、そうされるように自分で動いてきた。そのうちぼくの頭の中から、他人への興味とか「友達になりたい」なんて気持ちが消えていて、たった今そいつらと何年振りかの再会をしつつあった。

 ぼくのやり方はこの新しい町でもまあまあ成功しそうだけど、このままじゃあつまらない。でもリルのおかげで少しわくわくすることができた。


 彼はぼくを退屈させないかもしれない。



「ニカくん、見て、日が沈んでいくよ」

 ぼくらは町が見渡せる丘の上に立っていた。

 レイチェルがどうしてもぼくに見せたいと言って最後にやって来たのだ。遠くの畑の遥か向こうの地平線に太陽が隠れていく。

 燃えるような赤いちぎれ雲、そして蒼い夕闇に覆われていく空。その青さは、先刻見たリルの目の色を思い出させた。

 彼と友達になろう。ぼくはそう決意したんだ。


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