帰還
――頬に、冷たい何かが当たったのを感じる。
瞼が重い。人生二度目の、脳を直接揺らしたような気持ち悪さ。
朦朧とする意識の中で、何とか指を動かして感触を確かめる。そこでようやく、指先に触れるのが固い金属の床で、自分が地面に突っ伏しているということが理解できた。
「……っう」
指に力を籠めて、起き上がろうと足掻いてはみるものの、発揮できる力は微々たるもの。自信の体重すら持ち上げられない。
結局、地面に倒れたまま目を開けて、視界を確保する方を優先した。
「どこ……だ、ここ……?」
周囲は暗闇に包まれている。かろうじて、申し訳程度の灯りがボンヤリと自分の居る場所を照らしている。蝋燭にすら劣る灯りでは、建物らしきものの中に居るということしかわからない。
だが、たった一つだけ確信できるものはある。
「帰って、きたんだ」
継ぎ目のない完璧な平面の、精錬された金属の床。あちらの世界では、ここまで完全な平面も、巨大な金属板も見かけることは無かった。
イグナシルでも主流という程では無いが、近年はこういった金属を住居に用いることも多くなっていると聞いた。とはいえ、政府公認の大商人や政府役人などの一部がこういった技術を使っているに過ぎないはず。となれば、そういった資産家の集まる区域に送られたということ。
「くそっ……!」
少しずつ戻ってきた力を、四肢に籠めて起き上がる。頭が再び揺らされるような感覚に襲われたが、構わず上半身を持ち上げる。
何とか頭を地面と垂直にしたところで、たまらず座り込んだ。まだ力の戻りきっていない体と、視界と共に揺れ続ける頭ではソコが限界だった。
「ここが資産家の集まる居住区にあるなら、政府庁舎からはそう遠くないはず。なら――」
「『なら』、どうするよ」
「!?」
誰の気配もしなかったはずの暗闇から、黒いフードで顔を覆い隠した人物が現れる。
「『予言者』!」
「ふはは。お帰り、レイジ君」
目深にかぶったフードからは、口元しか見えない。これは以前の、僕が知る『予言者』の姿と同じ。違うのは、そこから発せられる言葉と口調。
「殺し合いが大好きな野蛮人の中にいて、怖かっただろう? 良かったねぇ、帰ってこれて」
僕があちらの世界に行く原因そのものにも関わらず、ぬけぬけと言ってのける。その態度も、言葉も、言い様の無い嫌悪感を湧き上がらせる。
ガルドと対峙した時、似たような感覚があった。だが、この男に感じるソレは、ガルドに感じた嫌悪を遥かに超えた、根源的なもの。
「勝手な言い分で流刑にしておいて、今度は勝手に呼び戻して――」
嫌悪は怒りに。そして、力へと変わる。
「――何がしたいんだ、お前は!」
弾かれるように飛び起きて、『予言者』目がけて走り込む。拳を握りしめて、フードに隠れたにやけ顔を崩してやろうと。
「何がしたいって? そりゃあ……」
目標まであと一歩。踏み込んで、腰を回転させて、握りしめた拳を打ち出そうとして――全身から、力が抜けてへたり込んだ。
「お前らをからかって遊びたいのさぁ!」
金属で出来ているらしい壁に、嘲笑が反響する。
「何で……?」
毒素のように精神を蝕む嘲りを聞きながら、宙を見つめて疑問を投げかける。
直前まで、問題なく動けていた。確かな力を籠めて、踏み込んで拳を振り抜いたはずだった。だというのに、拳は途中で推進力を失って不自然に止まり、足は体重を支えきれずに崩れ落ちた。
『予言者』に接近した直後に、全身の力が抜け落ちたように感じた。
「ほんっっっっとに、馬鹿だよねぇ! お前らみたいな出来損ないが、俺に手を出せるわけがないだろうがよ!」
「お前……何をしたんだ」
「自分で考えなよ、レイジ・ネート。そういうのは得意だろう?」
その場に応じて、必要な術式を作ってきたことを指しているのだろう。聞きようによっては褒められているともとれなくもない言葉でも、この男が言うと努力を貶める蔑みだ。
「魔法……」
それしかありえない。
今まで、『予言者』が『予言』以外の魔法を使ったとは聞いたことが無いが、『予言』という規格外の魔法を使えるのであれば、その他の術式を起動することも十分可能であるはず。ならば、術師として何らかの魔法を行使したと考えるのが自然だ。
「ふっ……まぁ、正解にしといてあげるよ」
黒いローブを身に纏う姿は、どこかルーンキラーの風貌にも似ている。
口角を吊り上げて、邪悪に笑う。
「さて、そろそろ仕事に移ろうか」
「仕事?」
「そ、仕事。お前が面倒なことしてくれたからさ、その後始末さ」
「なにを――うぐっ!」
腹を蹴り上げられ、問いかけを中断してしまう。
あまりに自然な動作で放たれる蹴り。殺意も敵意も前触れも無く、当然であるかのような行動に、咄嗟に反応が出来なかった。
「げほっげうっ」
「お前はここで待ってなよ。一週間もすれば終わるだろうからさ」
「な、にを……」
「知っても無駄だろ?」
それだけを言うと、再び暗闇の中に去っていく。見えないどこかで扉が開くような、重厚な音がした。
部屋に静寂が戻る。人の気配が無くなり、自分だけが取り残されたとわかる。
「大人しく、待ってるわけにいかない……!」
『暗視』を起動して、まずは視界を確保する。
周囲を見渡しても、何もない。ただ金属の板が壁、床、天井を形成しているだけの空間。僅かにあった灯りは魔法によるもだったらしく、本当に何も無い。扉らしきものさえも。
「アイツ、どこから出て行ったんだ?」
出口などどこにもない。扉どころか、四方八方全てが金属板に囲まれているのだ。
だが、どこかに出口はあるはずだ。音が聞こえた以上、隠し扉のようなものがあるのかもしれない。
「探そう」
とにかく、体を動かすことにする。考えるばかりでは何もできないことは、あちらの世界でわかった。まだまだ混乱している最中だ、座り込んで考えていても仕方が無い。
まずは、壁から捜索する。通常、出入り口があるなら壁だ。アイツが歩いて行った方向――向かっての右奥にある角から、順に調べていく。見落としが無いように、背伸びして届く範囲まで手で触れて確認する。
すべすべとした感触。この壁に使われている金属の精製技術は、相当に優れている。ここまで綺麗な平面の金属は、触れたことが無い。
「これだけのものが使えるんだ、間違いなく資産に余裕のある人物が所有する物件。だとしたら、別荘地か高級住宅地の一角……少なくとも、政府直轄地域であるはず」
魔導政府がイグナシルにおける最上位の政府機関であることは間違いないが、まだまだ魔導政府からは独立した自治を行っている国は多い。とはいえ、魔法技術の更新速度や人口の関係から、魔導政府直轄の地域の方が裕福な傾向にある。
これだけの量の金属版を、治安も(直轄地に比べて)悪い独立国家に置いておくとは思えない。
「にしても……っと、ちょっと天井高いな……こんな何も無い建物を金属板で建てて……表面が滑る……何をするつもりなんだろう?」
出口の捜索を続けつつ、頭に浮かんだ疑問を口に出す。
これだけ綺麗に作られた金属だ、高価かつ希少なものであるはず。無意味な建物にこれほど大量に用いるとは思えない。かといって、重要施設という風にも見えない。
予想としては、新たに建設途中の建物内に送り込まれた、といったところだろうか。
「それにしても……どこに仕掛けがあるんだ?」
どれだけ調べても、触れるのはツルツルとした表面ばかりで、仕掛けらしきものは見つけられない。魔法による仕掛けであっても、術師である僕が触れれば何等かの反応は示すはずだ。全く気付かないということはない。
まさか、ルーンキラーの隠れ家のように科学で仕掛けがされているということもないだろう。
「床の方かな」
四方の壁を調べ終わってしまい、床の調査へと移る。
壁と同じように、隅の方から順に手さぐりで調べていく。しかし、仕掛けのようなものがある様子も無く、魔法の痕跡も見当たらない。
まさか天井かとも思ったが、わざわざそんなところに出入り口を作る意味がわからない上、あの一瞬であの高さまで到達するためには、魔法の補助がないと不可能だ。床には魔法の痕跡が無かった以上、天井に出入り口というのは考え難い。
「じゃあ、一体どこから……」
音がして、『予言者』がこの部屋から居なくなった。どこかに出入り口があるはずなのだが……。
「まさか、魔法で……?」
ただの思いつきだったが、それしかないようにも思える。
僕がここに居るのは、異世界であるあちら側から転送されたからだ。皇帝が用意していたという術式のことはよくわからないが、イグナシルで流刑に使われるものは魔導執行官が何人も集まってようやく起動できる大規模なもの。そう簡単に利用できるものじゃない。
しかし、アイツは『予言者』だ。世界で唯一純粋な未来系統の魔法、『予言』を操る術師。魔法を使っているところこそ見たことが無いが、小規模な転送魔法――例えば、たった一人に限って短距離を移動するような――を使えてもおかしくはない。「おかしくはない」、という程度だが。
「でも、金属の壁自体に仕掛けが無いのなら、それしかない……のか?」
考えても答えは出ない。アイツについて僕が知っていることが少なすぎる。
「だとしたら、僕はここから出られない……」
アイツが何かを始めようとしている。それなのに、僕はこんなところで足止めを喰らっている。
もどかしさに歯噛みする。
「痕跡が残っていないのは、アイツ自身が魔法領域で魔法を起動したからだ。それなら、外部に魔力が漏れることは少ない。どんな術式がわからなければ、零から構築しないといけない」
さすがに、そんなことはできない。僕がこれまで構築してきた術式は、周りから糸口を得て実現できたものばかり。結果だけを見て、参考にしようのない術式をこの場で構築するのはいくらなんでも僕の技量を越えている。
そもそも、短距離移動の魔法というのも推測でしかない。実現したところで、転送先で僕の体が無事でいられる保証は無い。
「見返りに危険性が見合わない。くそっ、意地でも逃がさなければ良かった」
意味の無い後悔。時間が刻一刻と過ぎていく。気が焦って、思考がまとまらない。頭の中で、転送術式を参考にしようとしては止める。それの繰り返し。
僕が原因で、イグナシルやあちらの世界に迷惑はかけたくない。何とかしたい。
「くそっ、焦っちゃダメだ。落ち着いて、対処法を考えないと」
深呼吸をする。一回、二回……呼吸だけに意識を集中して、無限に繰り返す無意味な思考を破棄する。呼吸を整えて、規則的なリズムを取り戻す。
気持ちが落ち着いてきたのを確認して、改めて状況を確認する。
出入り口の用意されていない部屋。道具も何もなく、居るのは自分一人だけ。頼りに出来るものは、自分の体一つ。
「――あ」
不意に、思い出した。次いで、やや自嘲気味の笑いが込み上げてきた。
「何を考えてるんだ、僕は。出入り口が無いなら、|作ってしまえばいいじゃないか(・・・・・・・・・・・・・・)」
向こうに居た時も、障害があれば魔法で無理矢理押し通した。確かに、あちらの世界に行ってからの考えではある。実感は無かったが、無意識の内に元の感覚に戻ってしまっているのか。
「今更だ。帰って来たからって、何もかもが元通りになるわけじゃない」
僕がこの世界で犯罪者であることは、取り消せない。両親にも、迷惑をかけてしまった。数少ない友人にも心配をさせてしまっただろう。異世界に行って、身を守るためとはいえ、魔法を使って人を殺しさえした。
そんな僕に、この世界での居場所はもう無い。
「だったら、最後まで好き勝手に足掻いてやる」
自分に向けての独り言で、自己暗示をかける。他人が見れば、自暴自棄に等しいと言われるかもしれないが、そうでもしないとやっていられない。
「術式展開――『爆裂火球』!」
単純な破壊力だけなら、僕の使える魔法の中でも随一の魔法。それを、目の前にある壁目がけて放つ。
ゆっくりと、歩くような速度で壁に近づいた魔力の球体は、着弾と同時に大爆発を引き起こした。
「『覆い包む、城壁』!」
衝撃と爆風から身を守るため、着弾点とは反対の壁に背中を付けながら『覆い包む城壁』を起動する。起動時、突然の眩暈に襲われて、あやうく起動が間に合わないところだった。
間一髪で僕の周囲に展開された魔力壁は、衝撃を受けて軋みながらも役割を果たしてくれる。
「げほっげほっ。耳痛ぁ」
轟音までは防げず、少し耳鳴りがする。『覆い包む城壁』を解除してすぐに煙に襲われ、鼻をつく臭いと喉への刺激を受ける。煙が収まってからにすれば良かったと、ちょっと後悔。
「うっ、クラクラする。これって、魔力切れの症状……?」
足元がふらつき、眩暈がする。大量の魔力を消費した時に似ているが、皇帝戦の疲れが残っていたのだろうか。
もう一つ、気になったことがある。『覆い包む城壁』の耐久力だ。
僕は始め、衝撃を防ぐために『前方特化』で起動するつもりだった。煙と熱を完全には防げないが、全面に密集させた影に隠れれば、それほど大きな被害は受けないと思ったのだ。だが実際に起動する時には、眩暈のせいで魔法の起動が間に合わず、通常時の自身を囲う形での起動になった。それでも衝撃を受けきれたのは、僕の予想が間違っていただけなのだろうか。
「違う、か。ここが、イグナシルだからだ」
『爆裂火球』は、あちらの世界のルーンマスターが使っていたものを真似て作った魔法だ。本来マナが使用されるところを、突貫で僕自身の魔力を消費するように設定した。あちらの世界では実感がなかったが、実際にはマナも同時に消費されていたのかもしれない。そうすれば、予想外の魔力消費に眩暈を覚えたのも頷ける。
『覆い包む城壁』が想定より強くなっていたことはよくわからないが、イグナシルの方式で作った魔法はあちらの世界よりも強化されるのかもしれない。実は発見されていないだけで、マナのような不可視の力がイグナシルにもあって、それが影響しているとも考えられる。
「あるいは、魔法領域に行ったことが関係しているのかな」
一度瀕死の状態になり、フィランツェ様に蘇生してもらった時のこと。未だに説明のつかない経験ではあるが、あれ以来魔力の総量は増え、保有していた術式も強化された。あれが、イグナシルに帰ってきたことでより強い力になっている、とか。
「う~ん……」
考えても全くわからない。
今言えることは、イグナシルではあちらの世界の魔法を参考にした術式の起動や、マナの使用を前提とした魔法は使えない、あるいは大量の魔力を消費するということ。
これは大きな問題だ。『爆裂火球』や『雷撃一閃』に加え、切り札の『融合術式』も使えない。『融合術式』がイグナシルで使えないのはわかっていたこととはいえ、今後戦闘になってしまう可能性が高いことを考えると、少々心もとない。なにせ、イグナシルには本来戦闘用の魔法はないのだから。
「相手にも戦闘用の魔法は無いと考えるべきかな……。でも、上級執行官の『意識喪失』は強力だし、単純に肉弾戦になると勝てる気がしない」
自衛の方法は多い方がいい。あちらの世界で培った戦闘用の魔法が軒並み使えなくなったのは痛手だ。イグナシルの方式で術式を構築していたおかげで、防御用の『覆い包む城壁』は問題無く使えるのがせめてもの救いか。
「新しい防御用術式でも――え?」
強引に開けた壁の穴から外に出て、背伸びをする。その直後に見た光景は、想定していたものとは大きく違っていた。
「どこだ、ここ……?」
質の高い金属板を多く用いた建物。そんなものを所有している人間は、魔導政府の直轄地に住む上流階級や資産家。それが僕の予想だった。
予想の通りであるならば、目の前に広がるのは公共施設や住居が並ぶ光景であるはずだった。しかし実際は、脱出した建物が小さな丘の上にあるだけで、点在する古い民家と魔法植物が生い茂る田舎町。どう見ても直轄地ではない。
「どこの国だろう?」
周囲を見渡しても、ここがどこかを示すものは何もない。
魔導政府はイグナシルで最も権力のある政府である。それは事実だが、反発する国が水面下に存在しているのもまた事実。魔法という技術を受け入れることをよしとしない人達も多いそういった国の多くは、発展が遅れる傾向にある。
僕が術師であるとバレた時、この地域の人は受け入れてくれるだろうか。
「それも計算していたのか、『予言者』」
十分にあり得る話だ。でなければ、わざわざこんな辺境に僕を転送した理由がわからない。
「くそっ……! 絶対に戻ってやる」
政府直轄地、その学院や政府庁舎がある中央都市までどれだけの距離があるのか。下手に魔法を使うことも、目立つことも避けなければならない状況。大きく制限された行動。
それでも、何とかして戻らなければならない。こうして帰って来た以上、アイツの好きなようにはさせない。企みを暴いて、あちらの世界で生まれた疑問に答えさせてみせる。




