外伝:残された者、残していた物
「――では次の執行官、前へ」
「はっ」
担当の先輩執行官に促され、上官となる女性の前に一歩踏み出す。予め決められた、練習で体に覚え込ませた一連の動き。こんなところは、学院の卒業式と変わらない。
「これから、よろしく頼む」
「ご指導のほど、よろしくお願いします」
敬礼をした後、上官に執行官の証であるローブような形式の執行官服と、術式の元となった模様が刻まれたバッジが手渡される。執行官服には、上官ごとに違う紋章が胸に意匠されており、どこの所属かを示している。
――俺が持つはずじゃなかったもの。本来これを受け取るべき人間は、他に居た。
そんな俺の意識を感じてか、列に戻った俺達に上官が予定に無い話を始めた。
「――君たちは、私が受け持つことになった新人の、二組目となる。だが、実質的には一組目だ」
先輩執行官が、やや慌てた様子で目配せしている。当然だ、俺達に話すべきことじゃない。少なくとも、世間的には。
だがそんなことは百も承知のはずの上官は、話すことを止めようとはしない。
「本来、私が受け持つはずだった一組目は、班の一人が『予言罪』にあたると判断されたため流刑にあった。他の班員も、念のため再試験となったために結局は私の所に配属とはならなかった」
残念だとでも言いたげな顔。
「胸糞悪い!」と言ってやりたかったが、もちろんそんなことはしない。アイツの意志を継ごうと決意した時から、そんな馬鹿な真似はしないと決めた。
「君たちには、あの時以上に期待しているよ――これから、よろしく」
思わぬ期待の言葉に感激したのか、他の連中はこぞって首を垂れる。しゃくではあるが、目立たないように俺も周りに合わせておいた。
「おほん……では、これより君達はフィランツェ・ロンギア上級執行官の下で魔導政府直属の魔導執行官として働くこととなる。初心を忘れず研鑽を続けたまえ
――エルド・アルドゥーク」
「はっ」
「今期の最優秀者である君には、班のリーダーを任せる。しっかりと励みたまえ」
「了解いたしました」
もっと喜んでほしかったのか、先輩執行官は僅かばかり不満げな顔でその場を辞した。
言われなくとも、内心を隠しきれないような無能くらいはすぐに追い抜いてやる。俺は、政府の上に行く必要がある。それが、あいつとの約束だ。
「では、今日は解散にしよう」
上官の言葉で散っていく同期。弛緩しきった表情を見るに、祝いの酒でも飲みに行くのだろう。
そんな連中とは反対の方向へ、俺は歩いていく。喜ぶのはまだ早い。ここはあくまで最初の一歩だ。
「待ってろよ、レイ。俺が約束通り、助けてやるからな」
理不尽な奴等から助けてやると、そう約束した友人の顔を思い出す。
アイツが居なくなってから二年。約束を果たすために、俺は執行官になった。
あの時は何も出来なかった。学院を留年し、力を持たないままでは助けることなど出来なかった。だから――今度こそ、俺が政府を変えて助けてやる。
「そのために、まずは実績。のし上がるためなら、胸糞悪い連中にも頭くらい下げてやる」
これはケジメだ。守れなかった約束の。
「どけ!」
「下がりなさい!」
魔力で強化された杖で押し返されて、尻餅をつく。
新人執行官の中でも、次席の成績を修めた人間が罪に問われたことで政府全体が混乱しているらしい。同期で主席だった新人執行官までが混乱の鎮圧に駆り出されている。
「受け入れなさい、アルドゥーク! ネート君は、もう……!」
「ふざけんなアイラ! アイツが将来イグナシルに災いをもたらすなんて、お前は信じてんのかよ!」
決定したばかりのこの世界の名前。まだ呼び慣れない名前は、自分達の居る場所だと意識できない。そんな曖昧なものを守るために、友人が一人いなくなろうとしている。
俺がそれを聞いたのはつい数時間前。『予言者』の力を魔導政府が認め、「政府顧問」という立場を与えて迎え入れて二ヶ月と少し。「予言罪」という名が世間に広まり始めて間もない今日のこと。
「アイツは、ずっと魔導執行官として政府のために働くことを考えて努力してきたんだぞ。喧嘩だって俺の知る限りしたことがない。
そんなアイツが! 何をどうやったら『イグナシルに大きな災いをもたらす』なんて予言されんだよ!」
「そんなこと知らないわよ! 私だって……信じたくないに決まってる!」
ヒステリー気味なのは、本当に認めたくないと思っているからか。
俺とアイラは、正直仲が良いとは言えない。学院に入った頃から主席の成績だったアイラと、お世辞にも良い学生とは言えなかった俺は、顔を合わせるたびに喧嘩ばかりしていた。
そんな俺達の仲介に入っていたのが、他でもないレイだ。
フィランツェ様の魔力壁を崩壊させたことで妙に目立っていたレイを、アイラは始め嫌っていた。だが努力を続けて自分に次ぐ実力を身に着け、術式構築に至っては現役の執行官すら凌ぎ、そしてそれを驕らないレイを、次第に認めていった。
顔を見てわかった。
「お前も、キツイのか」
「……当たり前、でしょう?」
唇を噛み締めて、必死に理性を働かせている顔。
「諦めて。彼はもう、ここには居られない……!」
「――くっそがぁ!!」
怒りのままに、渾身の力で床を殴りつける。
俺の鍛え続けた拳は、床を多少へこませることしかできない。
「もう、これは決定事項なのよ。彼は流刑に処される。……二度と会うことは出来ないわ」
わかりきっていることを、念を押すように告げられる。
納得はしていない。できるはずもない。だから、早く受け入れろと言わんばかりに。
「約束、したんだぞ……」
守ってやると、そう言った。
アイツは――レイは本気にしていたかわからない。だが、俺は本当に本気で、努力と才能を認めたアイツを理不尽から守ってやるつもりでいた。
頭じゃ、助けになってやれない。必要もないだろう。
だからせめて、アイツの苦手な戦いを、唯一の取り柄であるこの拳で払ってやろうと思っていた。
「こんな理不尽から、守ってやるって、俺は……!」
ただの友人に、そこまでやってやる必要はあるのかと、聞かれたことがある。酒を飲んで、酔った勢いでうっかりレイを守るって話を別の友人にした時だ。
恋人のようだと、茶化された。
『カッコイイね。そういう動きが出来るのって、憧れるよ』
戦争は終わり、魔法技術が全てといってもいいこの世界で、何の役にも立たない古文書の体術。それを褒めてくれたのは、後にも先にもレイだけだ。
学院の入学式で妙な注目を集めてしまったアイツは、その後もやっかみやら嫉妬やらで嫌がらせを受けることが多かった。
ある日、偶然見かけた私刑の現場へ衝動的に飛び込み、結果的に助ける形になった。抵抗もせずに殴られるままだった才能ある同期に苛立っていた俺は、痛みで歪んだ笑いを浮かべる腫れあがった顔に毒気を抜かれてしまった。
助けられた礼より、恨み言より泣き言より、最初に出てきた言葉が賛辞かとつい笑ってしまったのを覚えている。
それ以来、我ながら広いと自負する交友関係の中でも、レイは特別な友人になった。
「…………」
立ち上がり、目の前にある扉を睨む。
あれ以来、荒事は俺が引き受けてきた。助けを求めることもせず、反撃もせずに避けて、逃げて、耐える姿に声を荒げたこともある。
それでもレイは、「最悪のその時まで、力は使いたくない」と言って耐えることを選んだ。始めはともかく、学院も半ばの頃には魔法の技術でいじめをしていた連中程度、簡単にやり返せたのに、だ。
「――レイ!」
立ち上がった俺に、改めて警戒する執行官達は無視して、固く閉ざされた裁判所の扉に向かって叫ぶ。
顔もロクに知らない『予言者』など信じるものか。俺が信じるのは、この目で見てきた友だけだ。
「諦めるなよ! 死ぬなよ! いつか絶対に、俺が約束通り助けてやる! こんな理不尽から、お前を助けてやるから!」
今はこんなところで喚き立てることしか出来ない。頭も悪く、魔法の技術も無い俺ではこれ以上のことは何も出来ない。
拳を握りしめて、刑を執行されるレイを置いてその場を離れた。
――その日の夜、「レイジ・ネート流刑」の報が学院にも届いた。
休日明け、学院は「新人執行官流刑」の話題で持ちきりだった。
「お、アルドゥーク」
クラスの一人が声をかけてくる。
魔導学院は単位制で、各授業の試験に合格して単位を必要数取得しなければならない。その上で、卒業後の職を探して合格、ようやく卒業となる。なお、学院の学生はほとんどが魔導政府への就職希望。執行官こそ多くはないが、その試験は難しく規定年数で卒業できる人間は半数程度。
早い話、クラスの連中は見知った顔ばかりで、留年という形で学院に残っている人間は多いということだ。……俺のように、単純に講義の単位数が足りずに、という人間は少数派だが。
「知ってるか。例の事件があった影響で、来年に予定されてた次期学院生の受け入れが見送られるらしいぜ?」
留年が多いということは、一定の周期で学生の入れ替わりが行われないということ。つまり、学年もクラスもあるが、それはあくまで形式上のこと。通常の学校制度に合わせているだけに過ぎない。
魔導学院の新たな学生は、講師陣が全体の卒業数などを鑑みて政府と相談の上決める。よって、入学の機会も毎年あるわけではなく、正式発表されるまで適正者はその時を待つしかない。
言うまでも無く、術師になるための学習は若い時からやっておいた方がいい。今まで五年以上入学間隔は無いが、前代未聞の事件の後ではそれも参考にはならない。
「かわいそうになぁ。今後も入学資格も厳しくなるだろうし、いい迷惑だろ」
ピクリ、と頭で考えるより先に拳が揺れる。自分が無意識の内に拳を握りしめていたことに気付いて、意識してゆっくりと手を開く。
「式の後もそうだし、大人しそうなフリしてやたらと注目浴びたがる――」
「黙れ!」
開いた掌で、思い切りクラスメイトの胸倉を掴む。
俺が武術を使えることは、同じクラスなら全員が知っている。
怯えたような顔と、背後に感じる視線。
「レイは何も悪くねぇ。『予言罪』なんて、現在の俺達には関係の無い話だろうが」
「で、でも現に影響が出てるだろ」
「それがどうした。政府と世間が大げさに騒いでるだけだ。今までだって、『予言罪』を申告されて流刑にあったヤツはいただろう」
まだ何か言いたそうにしていたクラスメイトの胸倉を強引に離し、咳き込む姿を一瞥して教室を出た。
内向的だったアイツの数少ない友人で、かつ未だに学院にいるのは俺だけだ。おそらく不確かなことしか知らされない現状に焦れて、新しい情報でも聞こうと俺に話かけてきたんだろう。
『予言罪』は現行の法では裁けない。『予言者』以外には、その真偽を確かめることも出来ない。だからこその異世界への流刑という特殊な措置。今でも賛否両論の議論が交わされているし、流刑にあった人間のことは詳しく知らされない。今回はむしろ知られている方だ。
それだけ、学院の次席が流刑にあったという事実は大きい。
「何も知らねぇなら、知ってから好き放題言えよ、クソが」
知ろうとすることが悪いことだとは思わない。それは人として重要なことだ。
だが、知りもしないことを物知り顔で話し、不確かなものを間違った方向へ確定させていくのは我慢ならない。ましてそれが、他人の名誉を傷つけるようなもので、傷つけられたのが友人だとすれば。
「……帰るか」
気分が悪いまま教室に戻る気にもなれず、学院棟を出て寮へと戻った。
「早い帰りだね。サボりかい?」
玄関前で掃除をしていた寮母のばあさんと鉢合わせする。
「悪いかよ」
「学生としてはね。ま、帰りたくなる気持ちもわからないではないよ」
口は悪いが(俺が言えたことじゃないが)このばあさんは寮生のことは良く見ている。同じ寮生だったレイのことも、俺と同様納得はしていないだろう。
「志のある子だったね。才能もあったし、努力もしてた。……こんなことになったのは、残念だよ」
「随分簡単に受け入れてやがんな」
「噛みつくんじゃないよ。年をとれば、大概のことは受け入れられちまうもんさ」
それが納得できない。政府の連中も、世間も、たった一人の言葉を当たり前のように受け入れている。真偽なんて確かめることも出来ないことのはずなのに。
『予言』の魔法は、確かにすごいと思った。未来のことが知れるなら、多少の条件や制限があっても恩恵は大きいだろう。災害などの危険へも対応しやすくなる。
問題は、その力がたった一人の術師、それも政府が把握していなかった流れの術師が持っていたことだ。
「あんな得体の知れない奴を、なんで信用できるんだよ」
「仕方ないさね。魔導政府は国の内政までイチイチ干渉できない。そのせいで、内乱や危険な魔法の開発なんかも後手に回ってた。『予言』があれば、政府直属の執行官が事前に食い止められる」
「だから、『予言』は絶対だってことにするのかよ……!」
魔導政府は、あくまで調停役だ。世界各国に対して強大な影響力を持ち、国家間の問題にも口出しできる。その存在は、今は歴史になったかつての戦争時代から見れば十分に「世界統一」といえる。
だが人間の集団はまだ「国」という単位が最大だ。世界の全てが魔導政府という組織に属したというわけではない。当然、魔導政府に好意的な国もあればそうでない国もある。
仮に『予言』の力が絶対的なものだとすれば、魔法技術によって各国が従わざるをえなくなった魔導政府の権力はさらに増す。現状では不可能な、国の内政に関しても口出しを出来るようになるかもしれない。ひいては、世界で起こる諸問題の解決と抑止が容易になる。
「理屈ではわかってるんだろ? 政治ってのは、そういうもんさ。いい加減あきらめな」
「ふざけんな。他のことならともかく、親友が犯しても無い罪で処罰されたんだ。黙ってられるかよ」
理屈では理解している。それはそうだ。だが、感情で納得が出来ない。
政治。大事なことだろう。だがそれは、将来間違いなく魔導政府に、そして世界に貢献できるはずだった人間の未来を奪うほどのものか?
頭の悪い俺には、到底納得のできる話しじゃなかった。
「そういや、アンタはあの子と仲が良かったね。――丁度いい、これを持って行きな」
そう言って渡されたのは、端が擦り切れた数冊のノート。劣化の度合いに差はあるが、どれもボロボロだ。
「なんだ?」
「あの子の部屋から見つかった。部隊所属と同時に引き上げるはずだった荷物なんだがね、家族に返すから集めておいて欲しいと言われたのさ。
自学用のノートだろうね。アンタが持っときな」
レイが残したノート。そんなものがあったのかと、驚く。と同時に、踏みにじられた努力のアトを知って怒りが再び湧き上がってくる。
「良いのかよ、家族に返さなくて」
「問題ないよ。どうせ気付きやしない」
それだけ言うと、ため息をついてさっさと部屋へ戻れと手を振られる。
多少の感謝を込めて小さく頭を下げた後、自室に戻った。
レイが残していたノートは、魔法の勉強と同時に不定期の日記代わりに使われていたものだった。
学院に入る以前の、初めて術師を目指すことを決めた時点のものが一番古い。
「魔法の術式構成から使用法、改善点まで書いてら。一個一個細かいのは、アイツらしいな」
始めの方は初歩的なものばかりが占めていたページは、枚数を重ねるごとに高度になっていく。特に、最後の三冊は学院の講義で習う次元を超えていた。それまでは理想論に近い、改善点だけが書かれていたものが、具体的な方策や、ものによっては術式構成の変更点まで書かれている。
中でも圧巻なのは、最も新しい一冊の後半。そこには、理論から術式まで全てをレイ本人が考えた独自の魔法が書き記されていた。
「すげぇ……」
内容そのものは、俺じゃ理解し切れないものだったが、ここに書かれていることがどれだけの知識と技能を必要とするものなのかぐらいはわかる。この次元に到達するまでに必要な、途方も無い努力の量も。
不意に視界が滲んで、ノートに滴が落ちた。
「やべっ」
慌ててふき取るが、後から後から零れ落ちてくる滴は瞬く間にノートを湿らせていく。
『今日、はじめて かぞく いがいの魔法をじゅつしを見た。
すごい! あんなにキレイな魔法は、見たことない。ぼくも、あんなふうになりたい』
『魔導学院に入る事を決めた。いずれは、執行官として憧れのあの人のそばで働きたい』
『術師の適正試験に合格した。だけど、魔法の発動に関する実技はギリギリだ。前途多難』
『友人が出来た。少しガサツで荒っぽいけど、心根は優しい、いいやつだ。あの体術には、ちょっと憧れる』
『今日の試験結果で次席の成績になった! 最近は実技も難しくなくなってきたし、新しい術式を考えるのが楽しい。このまま執行官になれるといいな……』
魔法に関するメモや考察と共に、ついでのように書かれている当時の日記。苦労や不安を感じながらも、努力してきたことがわかるそれに、押さえきれない感情が涙になって溢れてくる。
「レイ……!」
恵まれていたはずだ。術師でも名門にあたる家に生まれ、夢に至るだけの才能と適正があった。
積み上げてきたはずだ。知識も技術も、自身の目標に少しでも近づけるようにと、人並み外れた努力を続けて。
それも全て、無に帰した。どんな世界に放り込まれたのか知らないが、この世界における努力は実を結ぶことは無い。
「くっそぉ!!」
拳を机に叩き付ける。衝撃で右半分が木片寸前になったが、気持ちは収まることが無かった。
何冊もあるノート。その中には、自分以外の人間が魔法を学ぶための助言や解説も書いてある。そして俺と出会った頃からは、いつか教えてくれようとしていたのか、俺用だと思われる内容もあった。
講義でわかった俺の魔法における問題点、武術を始めとする俺の特性を生かす術式展開法やその練習方法。自分が執行官になるために忙しい中でも、他人のことを考えてくれていた。
「……決めた」
いつまでも泣いている情けない顔を、思い切り引っ叩く。さっきと違って、痛みで出そうになる涙は根性で耐えた。
「俺がお前の後を継いでやるよ、レイ。いずれはフィランツェ様も追い抜いて、俺が政府の主導権を握ってやる」
そうすれば、異世界に流刑にあったレイも連れ戻せる。
異世界転位術式は、執行官の中でも特に優秀な術師複数人でようやく起動できる。政府でも、それだけの人数を動員できる高官は極一部だ。
「そうと決まれば……」
自分用の、ほとんど何も書かれていない新品用のノートを取り出す。我ながら、よくこんな真っ白なノートで平気だったなと今では思う。
これから、これを真っ黒になるまで埋め尽くす。
レイのノートから、俺に関して書かれたところだけを抜粋して書き写していく。全て書き写したら、すぐにでも実践する。
「時間が足りねぇ」
これまで無駄にしてきた分、取り戻すのは難しい。それでも何とかするしかない。
気が焦るが、理性で落ち着かせる。
「待ってろよ、レイ……」
何度も開き、ページを手繰る手が触った部分が黒ずみ始めたノート。執行官になると決めてから、幾度となく助けられた。
――そして今日、俺は正式に執行官になった。
「帰ってきたら、驚くだろうな。なんせ、あの頃の俺からすれば、学年主席なんてありえねぇからな」
まだまだ遠い目的。ようやく立てたスタート地点。
とはいえ見えてきた。ここから、駆け上がってやる。
「あの女の下に配属ってのも、何かの因果かもな」
自嘲気味になるのを自覚しながら、ノートを閉じた。
悔しいが、あの女の下で働くことが、出世への最短距離だ。
フィランツェ・ロンギア。魔導政府の上級執行官にして、次代の魔導政府長を目される女。……レイを流刑にすることに、一番始めに賛成し、実行した女。
「…………」
沸々と湧き上がってきた怒りを消すように、椅子の背もたれに体重を預ける。
ひとまず、日課の復習は終わった。今や俺が書いたノートもレイが残した物と同程度の冊数になっている。だからといって、同じだけの努力や実力だとは思わないが、追いついて来たはずだ。
「……よし」
椅子から立ち上がり、部屋の荷物をまとめ始める。明日には寮を出なければならない。
部屋を見渡して、多少の感慨に浸ろうと思ったその瞬間――爆発音のような音が聞こえた。
「なんだ!?」
慌てて窓から外を見る。
学生寮から見える学院棟。その先にあるのは馬鹿でかい中央庁の一部。その一部が、火を上げて崩落していた。
「アルドゥーク、居る!?」
激しく扉を叩く音に、急いで開く。
「アイラ?」
部屋の前に居たのは、偶然寮の後輩に会いに来ていたらしい(配属年敵には)先輩執行官のアイラ・シェアド。
「何があったんだ?」
「わからない。私のところには、襲撃があったらしいとしか……」
「襲撃? 中央庁に直接か?」
その名の通り、魔導政府の中心となる中央庁は、外見からはそうとわからない防衛機能が多々存在している。並の術師では、襲撃どころか侵入も容易では無い。その証拠に、中央庁の設立以来襲撃を受けたという記録は無い。
「どうやってんなこと……」
「理由は後よ! 突然のことで皆混乱してるわ。特に、現場に出ない研究畑の術師は身を守るので精一杯の状況だと思う」
「出番ってわけか」
配属してすぐだが、そんなことは襲撃者に関係ない。もちろん、俺にも気後れなんものは無い。
「偶には、その無駄な武力を役立てなさい」
「はっ、お前に言われるまでもねぇよ」
術師の大半は、荒事には不向きだ。戦争の時代が終わって以来、魔法が攻撃能力を持つ理由は無かったからだ。
魔法の多くには安全機能がついており、意図して改変しない限り人を傷つけることは出来ない。それでも違法に術式を変えたり、法で禁止されているような魔法を開発する連中のために執行官がいる。
俺が主席をとれたのは、レイのノートから得た知識もあるが、それを自分が培ってきた武術と合わせたことで、荒事に関しては術師でも屈指の能力を手に入れたからだ。
魔法技術が安定期に入った現代では、魔法の爆発的な発展は少ない。それよりも、もしもの事態に対処できる人員が必要とされ始めててきた。科学者が不穏な動きをしているという噂や、禁呪を復活させて利用しようとする集団もいると言われている。
俺の能力は、そんな時代に合っていた。
「行くぞ。ここでポイント稼いでやる」
「邪な考えは捨てなさい! ――行くわよ」
アイラに先導されて部屋を出る。
寮生も異変に気付いて騒ぎ始めている。
「しかし、ほんとによく突破出来たよな。どうやったんだ?」
「同じ班の人から連絡が来たわ。どうも、中央庁を覆っていた魔力壁の一部が崩壊していたようね」
手元に最近開発された連絡用の小型通信術式を展開しつつ言うアイラ。その言葉を聞いて、俺はつい足を止めてしまった。
「ちょっと! 急いでるんだから、立ち止まらないで!」
「あ、ああ、すまん」
再び走り出した後は、アイラの言葉は耳を通り抜けて行った。
「魔力壁の一部崩壊」。その説明に、一瞬何かを感じてしまった。
「……なわけねぇ」
頭を振って、思いつきによる疑念を振り払う。
偶然、同じことを出来る人間がいただけだ。爆発的な発展こそ無くなったが、今でも魔法は日々進歩している。いくらでもやりようはある、はず。
「それにしても、フィランツェ様も監修している魔力壁を崩壊させるなんて……この仕事は手間取りそうね」
誰にともなく呟いたアイラの独白が、不意に耳に滑り込んでくる。
「え、ちょっとアルドゥーク!?」
「先に行く!」
足に脚力強化を付与して全力疾走する。
間違ってくれと。俺の考えなど、帰ってきて欲しいという希望からくる妄想であってくれと。そう願いながら、心の奥底ではある種の確信を持って、特定の場所へ向かっていた。
中央庁の中心。特別に増築された、たった一人の術師だけが居る時計塔の中にある居住部。
『予言者』の下へと、俺は向かった――。
前回の話で、一区切り。
次の話から、最終章に入る予定です。




