アーシェ・バロンの奮闘――『魔力妨害《マジックジャミング》』
「そうか、わかった」
通信水晶から聞こえる申し訳なさそうな声に返答し、通信を切った。
「将軍、参謀長は……」
「あと半日はかかるそうだ。間に合わんだろうな」
それを聞いた副官代理は、なんとか失望を表に出すまいとしていた。
気持ちはわかる。レイネートの力があるのと無いのとでは雲泥の差だ。
「将軍……!」
「戻ったか! どうだった?」
馬から降りた斥候の姿は砂にまみれている。疲労の滲む表情からも、ここまで戻ってくるのに相当の苦労をしたことがわかる。
「帝国軍の数はおよそ一万五千。指揮官級の兵士が数名いるらしく、中規模の部隊を広範囲に散開して我々を探しています」
「たかだか二百の敵に一万五千か。それだけ我々が脅威なのか、それとも……」
くしくも、自身が初めて経験した大規模戦闘、あの連合との遠征戦と同じような数を相手どることになるとは、皮肉なものだ。
帝国からすれば、二度と我々のような裏切り者が出ないように「見せしめ」としての意味合いもあるのだろが、それにしても数が多すぎる。一応は解決したとはいえ、周辺国との緊張はまだ無くなったわけでもなく、むしろ実質的に吸収した直後の今が大事な時期だ。首都を手薄にするのは危険を伴う。
それでもなお、これだけの数を差し向けてきた。皇帝は、今回の裏切りとレイネートに対する意識の高さはそれ程のものだと暗に教えてきているのだろう。
「あとどれだけ攪乱できる?」
「なんとか引き延ばしてはいますが、すでに限界が来ています。そもそもの兵力差が、ここ数日の疲労に拍車をかけています。すでに半日と持ちません」
少数の部隊に分けて、わざと発見されては姿をくらませる。それを、潜伏場所から離れた位置で断続的に繰り返してきた。
今までは数が少ないことが優位に働いてうまくいっていたが、とうとう数の差を誤魔化しきれなくなってしまった。
「将軍……」
「情けない声を出すな。
大丈夫だ、レイネートも今日中には駆けつけてくれるそうだ。それまで持たせるぞ」
徐々に絶望に絡め取られていく。そんな悲壮感に彩られた部下を叱咤するも、もはや部隊全体が同じような状況だ。脱走者が出ていないのは奇跡と言える。
「攪乱部隊を全て呼び戻せ」
「では、本格的に戦うつもりですか?」
「場合によっては……だが、まだその時では無い。ギリギリまで耐えるために、全軍で相対する」
すでに奇策で誤魔化しきれる段階は過ぎている。ここまでくれば、本来なら全軍での討ち死にか、捜し出されて駆逐されるかのどちらかだ。
それをどうにかしようというのは、些か自分には荷が重いとも思う。
「それでも何とかするのが、指揮官としての私の役目か」
弱気になりそうな精神を、頬を叩いて持ち直す。
悲観や後悔は、本当にどうにもならなくなった時でいい。
部隊の再集結に手間取ることは無かった。通信水晶ほどではないが、指揮官用の道具を操作することで端末の色を変化させることの出来る魔法道具を利用することで、各地に散っていた各部隊を呼び戻すことが出来たからだ。
レイネートが作った魔法道具は、攪乱のためにも大いに利用され結果を残しているが、圧倒的な兵力差を覆すには足りない。それがわかっているから、部隊の士気は下がり続けている。覚悟があって出て来たとはいえ、実際に死が目前に迫ってくれば恐れが勝ってしまうのは仕方ない。
希望が無いわけでは無い。今も此方に向かっているはずのレイネート達、彼等が持ち帰るはずの情報と魔法は、皆の心が折れる直前のところで踏みとどまらせている。
逆に言えば、それが無くなれば希望は潰える。ささやかな抵抗の後に死んでいくだけだ。
「昨晩、レイネートから連絡があった」
小さく歓声が上がる。沈んでいた顔にも希望の色が灯っていく。
「帰還には、まだ暫くかかるそうだ。おそらく本日の日が暮れる頃になるだろう」
今はまだ朝。最速で到着すると考えても、半日は自分達だけで帝国軍の猛攻を凌ぐ必要がある。
「レイネートが来たからと言ってすぐに状況が好転するわけでは無いが、可能性が生まれる。それまではここにいる皆だけで抗するぞ!」
『おおおおーーー!』
微かなものとはいえ、希望が見えたことで少しは士気が上がったようだ。
「各小隊は、隊長の指示に従って装備と合図の確認を行え。終わった隊から、順次出立する」
希望的観測ばかりをアテにしたものだが、各小隊長に作戦は授けてある。
帝国からの討伐軍はすでに潜伏中であるこの部隊をほぼ捕捉しているだろう。いくら攪乱していたといっても、各部隊の出現位置や、こちらが意図的に配置したなかった空白地帯を合わせて考えれば、この場所を見つけるのは容易い。そして、そんな容易いことを出来ない程帝国軍はヌルくない。
「中々にキツいものだな、自分が振りかざしてきた強さを相手にするというのは」
大陸南部の諸王国でも屈指の強国、アーシュタット帝国。
その強大さも、容赦の無さも知った上で戦わなければならない現実。自分が決めたことだというのに、情けない弱音が口をついて出てくる。
いくら抑え込んでも抑えきれない弱気。指揮官としてあるまじき現状に、奥歯を噛み締める。
「全く、情けない限りだ。こうも自身の無力さを知らされるとは」
わかっていたつもりでも、はっきりと実感するまで人は自分の本性を本当の意味で知る事は出来ない。
幼子のように守られていた。それに気付けずに、驕りから判断を間違えたことが何度あったか。
結局、環境が変わっても何も変わってなどいなかった。私はまだ、あの時の子供のままだ。
「ふぅー……」
大きく吐いた息に弱気を乗せる。ここからは戦場だ、いつまでも引きずっていられない。
ここに来たのは自分自身の意思だ。それそのものには後悔など無い。世間から、どれだけ愚かだと言われようとも、納得できないことを受け入れることは出来なかった。
「あぁ、なんだ。それがすでに子供だったのではないか」
ならば思い悩むこともない。散々、他人を振り回してきたのだ、反省は全てが終わってからでいい。環境や状況どころか世界が変わって、悩み続けながらも努力している人間を知っているじゃないか。
母のおかげで、叔父を追って、彼のために。私は今、ここに居る。
「悩んでもいい。だが、それを部下に悟らせるな」
槍を抱え、愛馬に跨って独白する。
多くの部隊が準備を整えて出撃した。先行した彼等は、作戦のために動いた後合流する。その根幹を担うのが自分だ。
頭を切り替える。泣きごとばかりの情けない女ではなく、部下の信頼を背負って立つ将軍アーシェ・バロンへ。
「――いくぞ、出撃!」
背中について来てくれる部下達を感じながら、号令と同時に走った。
帝国軍より派兵された一万五千の軍勢は、完全な統率の下に陣を張っていた。
敵であるはずの自分でさえ惚れ惚れするような、一糸乱れぬ整列。僅かの綻びすらも許さない、徹底された規律を順守する部隊のなんと美しいことか。
帝国の目指す軍隊の完成形が、そこにはあった。
「星の散りばめられた盾が描かれた軍旗。あれは……」
「指揮官はヘイルザード大将軍か。いよいよもって帝国の本気度が窺えるな」
大将軍ヘイルザード。帝国の建国当初より皇帝の臣下として仕え続けた、帝国の「生ける伝説」。
貴族の身分でありながら、本人の希望で一兵卒から始めた彼は、「王国」が「帝国」へと変わる変革期に乗って僅か数年で将軍の地位まで登り詰めた。
一個の軍隊にとって何が必要か、それがわかっている叩き上げの軍人。
「手強い、なんてものではありませんね……」
悲痛な副官代理の声。
言わんとする事はわかる。あの軍は、実質的には帝国最強の軍といっても差し支えない。二百程度の離反軍が対抗できるような相手では無い。
「これは、参謀長が到着したところで――げっほ!」
つらつらと悲観的な事を並べようとする副官代理の背中を力一杯叩いてやる。
「そう悲観的になるな。相手が誰であれ、やることは変わらんのだからな」
「げほ、それはそうですが……げほ」
少し強く叩き過ぎたかもしれない。咳き込む姿に、心の中で謝っておく。
すでに作戦のための仕込みは終わっている。各部隊は潜伏し、此方の動きに気付いて平地に布陣してきた帝国軍に相対しているのは私と手勢が五十だけ。
帝国の陣より少し離れたところにある高地から眺めた陣容は、まさに圧巻。気圧されている部下も少なくない。
「しかし、あれだな」
「なんでしょう」
「こんな景色を今まで他国が見ていたのだと思うと、多少は同情してやれば良かったと今更ながら思うな」
「は?」
笑いながら敵軍を眺める私を、周囲は訝しむように見る。気が触れたとでも思われただろうか。
「いやなに。その立場になって初めて、気持ちというか、実感は沸くものなのだと思ってな。逃げ去る敵の背中に、卑怯者の謗りを浴びせて槍で突いたのはやりすぎだったかと反省した」
これだけの戦力差を見れば、逃げたくもなるというもの。かつての敵が、ここまで絶望的な差では無かったにせよ、気分的にはさしたる違いはないだろう。手心を加えてやれば良かったとまで思わないが、気遣いをもって接してやれば良かったなどと考えてしまう。
「将軍……」
「ははは、勘違いはするなよ。私は逃げ出す気も、特攻して犬死する気もない。むしろ、ここまで圧倒的な差を見せつけられて、意地でも生き残ってやろうと開き直れたくらいだ」
「私は、まだそこまでの覚悟には至れませんが」
「それでいい。お前は、私が暴走しそうになった時に止める役だ。無茶をするのは、私だけでいい」
振り返って、これから共に突撃する部下の顔を見る。
覚悟を決めたようなスッキリとした顔の者、怯えたように落ち着かない者、普段通りの自然な姿である者など、種々様々な表情を見ると、不思議と恐怖は感じなかった。
「今から、我々はあの軍へと突撃をかける。逃げるなら今の内だぞ」
敵を目の前にして逃亡をちらつかせるなど、士気の低下を招きかねない指揮官にあるまじき行為だが、そんなことを気にはしなかった。
帝国を離れた全員が、私のように命を捨てても信念を貫こうとする者ばかりではない。中には、十年来の友人を追って出奔したような者もいる。
「この場にいる全員が生き残ることは不可能だろう。私は、お前達は死なずともいいと思っている」
レイネートの影響は大きいとはいえ、誰もが命を懸けられるだけの思いを持っているわけではない。これくらいの逃げ道は、用意してやってもいいだろう。
「……それでも、誰かがやらなければ作戦は失敗するでしょう?」
「そうなれば、それこそ部隊が全滅しますよ」
覚悟を決めたような表情をしていた二人が言った。
「将軍は何か勘違いしておられるようですが、我々は何もレイネート様のためだけに此処にいるわけではありません」
普段通りの淡々とした表情で言う。
「私は、友人を追って帝国を抜けました。正直、レイネート様のため、と言われてもピンときません」
怯えたような表情のまま言う。
「将軍。少なくとも、この場にいる者は貴女について行こうと考えた者ばかりです。そのようなことを言わないで、最後まで共に戦わせてください」
「お前達……」
見渡して、全員と目が合った。誰も視線を逸らすことはせず、しっかりと見返してきた。その目は、表情とは裏腹に、全員が同じ意思を宿していた。
「……すまなかった。やはり、私は指揮官失格だな。
とはいえ、今はまだ辞めるわけにはいかん」
「その通りです」
「ここで辞めるなど言われてしまっては、我々の立場がありませんよ」
軽い笑いが起きる。
自分の戦果は、レイネートという切り札を手に入れたからだとばかり思っていた。この時代に魔法という絶大な力を使う者に、協力をとりつけたからだと。帝国を抜けたのは、皇帝の決定に反発した以外にそういった後ろめたさもあった。
逃げ出したと、そう思っていた私には、これだけの素晴らしい部下がいてくれたらしい。
「では、皆の力を借りるとしよう」
『はっ!』
馬首を巡らせて、眼下の敵へと向ける。
「行くぞ! 突撃いぃーーーー!!」
込み上げるものを抑えるように声を張り上げる。
たった五十騎の突撃。敵からすれば豆粒のようなものだろうが、負けるという気は全くしない。
狙うは威圧するように平野に広がっている、敵陣営の左翼。大将軍とは違う旗印は、確か自分と同じ将軍位のアダル将軍のものだったはず。作戦のためには、まずは敵を陣営から引き剥がすようにして誘い出す必要がある。典型的な貴族出身の軍人であるアダル将軍なら、プライドを刺激してやるだけで誘いに乗ってくる公算は高い。
「ヘイルザード大将軍が一部隊の独断を見逃すかは賭けだが、試す他あるまい」
「将軍、敵が此方に気付きました!」
正確には、高地から様子を窺っている最中に存在はバレていただろう。今の今まで動かなかったのは――。
「弓が来るぞ、備えろ!」
弓の射程。弓兵隊はそれを把握しており、入ったと見るや瞬時に矢を番えて放ってくる。特に。ヘイルザード大将軍の部隊では弓兵が重用されており、その練度も高い。
馬の速度を目算で考慮した上で放ってくる矢の雨を躱すのは並大抵のことではないが、今回のような指揮官が複数人いる大部隊相手だからこその隙はある。
「左だ!」
右手で手綱を握り、左手で後方に指示を出す。
陣の中央に鎮座する大将軍直轄の部隊は、さすがに質の高い狙撃だった。隙間なく宙を駆けてくる矢には逃げ場が無い。
だが、対応が早過ぎた。優秀過ぎる弓兵隊の射撃速度に、両翼の将軍が指揮していると思われる部隊がついていけていない。事前に予想した通り、中央からのものよりかなり遅れている。
左に進路を逸らし、矢の雨を抜ける。平野とはいえ、高地からの距離は無い。逆にいえば逃げる際に真後ろへ逃げては速度が落ち、捕捉されやすいとも言える。
「武器を取れ、突っ切るぞ!」
槍を握り、突撃体勢をとる。
大将軍指揮下の弓兵隊に合わせようとした両翼からの矢は目算が甘く、慌てていたのが良くわかる。とはいえ、全員が無傷というわけにはいかなかっただろう。おそらく、背後では落馬とまではいかずとも負傷した兵士が幾人がいるはずだ。
「怯むなよ、少数で勢いを殺さずに敵軍へと楔を打ち込む!」
負傷した兵士をいちいち労わるような真似はしない。
ただ前を見て、己の武勇を持って部隊を鼓舞する。私が出来ることは、初めからこれだけだ。
「我が名はアーシェ・バロン! 名を上げたい者は前へ出ろ、相手をしてやる!」
これでも、父である皇帝の口利きだけで将軍位にいるわけでは無いという自負はある。指揮能力では他の将軍に一歩譲っても、一兵卒としての武勇は負けない。
「裏切り者が、偉そうに名乗りを上げるなぁ!」
「ならば黙らせてみろ!」
最前線に構えていた歩兵部隊が走り込んでくる。
群がるようにして騎馬の勢いを止めにかかる歩兵達を、自慢の槍で薙ぎ払う。
「くそ、女なぞに……!」
「悔しければ腕を上げるべきだったな。もはやそれも叶わんがな!」
小隊長級らしき者から優先して倒していく。そうすれば、細かな指示は出せなくなる。
今の所は大した苦労も無い。ただいつも通りに槍を振るうだけでいい。
問題はこのままの勢いが維持できるかどうかだ。
「右へ抜けるぞ、続け!」
「おお!」
奮戦する部下を伴って進路を右へと曲げる。敵の増援が向かっている可能性が高いが、敵左翼だけを攻撃しているわけにもいかない。
歩兵相手であれば、騎馬の突進力は優位に立てる。数に押されて勢いを失う前に、一度退いて助走をつければ速度を取り戻せる。
「逃がすものか!」
「甘いぞ!」
「うぐっ」
先頭を走り、指揮官であることが明白な私を集中的に狙っているらしい。おかげで、突進時に最も脅威になる槍衾は私が力ずくで払い除けられる。
「第二射、用意!」
歩兵達の壁を切り抜け、再度平野に出たところで敵陣営から号令が聞こえる。同時に、戦場に響く太鼓の重い音。
大将軍は、攻め込まれている左翼に増援を送るのではなく、突進力を取り戻すための助走を狙って弓を射かける戦法を選んだらしい。
「さすがとしか言えんな。こうも此方がやってほしくない戦法をとってくるとは……!」
「将軍、どうしますか?」
「仕方ない。脱出用のつもりだったが、例の道具を使う!」
歩兵を置き去りにして離れる私達を狙う弓兵。二度目の今度は、より正確に狙いを付けてくる。
ただでさえ帝国最高の弓兵隊に側面を見せた状態だ、ただ馬を急がせただけでは躱せまい。
「放てー!」
太鼓の音ともに前線の指揮を任されたらしい男が声を張り上げる。
再び降り注ぐ矢の雨。反転行動に移り、速度が一瞬だけ落ちる瞬間を見事に狙われた。
「今だ、起動しろ!」
鐙に備えられた突起状の部分を押し込む。本来ならば存在しないそれは、レイネートが出立前に残してくれた魔法道具の一つ。
起動してすぐに、馬たちに変化が訪れる。
鐙から光が溢れ出し、馬を包み込むようにして覆う。全身を包まれた馬たちは、まるで疲れがなくなったかのように大きく嘶き、本来の最大速力を上回る速度に加速する。
「なんだと!」
反転直後に急加速し、肉薄する騎馬に驚く敵歩兵。此方を狙った矢も、目算を狂わせる速度に見当外れの地面へ突き刺さる。
「我が陣営のルーンマスターを甘く見たな! 幾度となく所属した部隊に勝利をもたらせた力を、我等は信じているのだ!」
動揺する敵軍に、再度突撃する。矢でトドメを刺せたと思っていたのか、動きが先程よりも鈍い。おかげで、一度目よりも簡単に突破できる。
「将軍、このままアダル将軍の場所まで行きますか?」
「いや、事前の打ち合わせ通りだ。アダル将軍には罠にハマってもらう」
「了解――聞いたか、無能なアダル配下の者どもよ! 臆病者の彼奴の部下らしく、後方に下がって我等の思惑にやられぬようにするがいい!」
この暴言は餌だ。兵士に向けたものというよりも、アダル将軍を逃げられないようにする意図がある。
馬鹿馬鹿しいことだが、貴族の世界において最も重視されるのが「面子」だ。大将軍に随伴する形で僅か二百足らずの離反者を粛清に来た。数を見ても、自身の直属軍を全て引き連れていると考えて相違ないはず。
勝って当然の戦。さらに言えば、前回のエグリゴア救援の際には、以前から快く思っていないであろう私に指揮官の座を譲る形になっている。内心穏やかでは無いはずだ。
「誘いに乗ってくるでしょうか」
「乗ってもらわねば困るさ。そのためならば、慣れない悪口も言ってみせよう。
アダル将軍よ、やはり私が怖いか! それとも、戦場が怖いか? 以前は私のような新参の将軍位に遠征軍の指揮を任せるくらいだ、恐ろしい戦場などに来たくはなかっただろう。大将軍のご命令ともなれば、さすがに断りきれなかったか!?」
「随分、楽しそうですね……」
「存外、悪くない。市民が国に対しての不平不満を口汚く話すのも、わからないではないな」
呆れたような部下にそう答えながら、向かってくる敵兵の武器を槍で弾き落して側頭部を柄で殴りつける。
今回の戦いで一番重要なのは、生き残ることを除けば「可能な限り敵を殺さないこと」だ。
我々は、何も独立を目指しているわけではない。些か短絡的だったとはいえ、離反は帝国の理不尽な決定に対する異議申し立ての意味合いが強い。つまり、最終的には帝国に戻らなければならない。
ここで目の前の敵を一人でも多く殺し、戦果を上げて怯ませることは簡単だ。少なくとも、そこらの雑兵に負ける気はしない。だが、そんなことをすれば恨みを買う。帝国に戻ることが出来たとしても、元のような生活は出来ないだろう。
そのために、向かってくる敵は薙ぎ払う。全て生かすことは出来ないが、できるだけ戦闘不能で留めておくことが肝要なのだ。
「そろそろ時間だ、敵後方の様子はどうだ?」
「……動き出しています! まだ動きは鈍いですが、増援を出す気配があります!」
レイネートより預かった『遠方可視』の魔法道具。以前にエルパーツァがルーンキラーから預かったらしき筒状の道具を参考にしたと言っていた。
戦場で遠くを確認できるのは有用だ。おかげで、遠距離から指示を出す人間がいなくとも作戦行動が可能になっている。
「全員、撤退だ! このままでは敵増援に数で押しつぶされるぞ!」
「はっ!」
指示を出して、今度は左側へ抜けるべく進路を変える。高速で陣内を動き回る此方の動きに、機動力の低い歩兵では対処しきれないはずだ。
「敵が逃げるぞ、追え!」
「口先だけか、バロン将軍!」
「言いたいことがあれば剣で語るがいい! いつまでも相手をしてやるつもりは無いぞ!」
適当に周辺の兵を挑発しつつ離脱する。後はこのまま突きぬけて、所定の位置まで敵を誘い込むだけのはずだった。
「待て、将軍!」
「!?」
歩兵の間を抜けて走り込んできた一騎の騎馬、その上にいる人物に、つい馬の前進を止めてしまう。
「しまった……!」
「将軍!?」
「くっ……私は置いて逃げろ!」
後続の味方は迷っていたようだが、代わりに先頭に躍り出た副官代理が先導して脱出する。
突き出される槍を払いながらそれを見届け、誰何の声を上げた男に視線を戻した。
「バルディオ! なぜ副将軍の立場であるお前が、こんな前線にいる!?」
「貴女の真意を確かめるためだ、アーシェ・バロン将軍!」
「真意だと?」
「そうだ! あのルーンマスターは、確かに我々に大きな利をもたらした。だが、それは祖国を捨ててまで助ける程のことか!?」
帝国を抜ける時、私はバルディオに声をかけることはしなかった。バーツやエリッツなど、一部のレイネートに友好的な兵には伝え、結果的に二百という人数にはなったものの、初めは一人で帝国を出るつもりだった。
「帝国の決定に、お前はおかしいと思わないのか?」
「おかしいという思いは私にもある。だが、祖国を裏切ってまですることではない!」
「そうか、見解の相違だなバルディオ。私は納得などできん」
「それは私も同じだ!」
いつになく感情的なバルディオの様子に、周囲の兵も私に手を出していいものか迷っているらしい。おかげで、動きを止めて話をすることが出来ている。
「将軍位でありながら、貴族でありながら、それでもあの男一人に国を捨てた理由を答えろ!」
「簡単なことだ。
帝国の決定に納得ができない。レイネートを、元の世界に反してやるとも約束した。そのどちらも果たせなくなることを、他の誰でも無い、私自身が承服できないからだ!」
「ふざけたことを……! このまま帝国と戦えば二度と帰ることは出来んぞ。出来るだけ兵を殺さぬようにしているようだが、そんなものは焼石に水だ」
「……わかっているさ。だが、何を言ったところで今更間に合わんのも事実だろう?」
ここに至って、バルディオの言いたいことがわかった。
この男は、私の後を追うのでは無く、またレイネートに味方するわけでもなく、ただ仲間だった人間を少しでも多く救おうとしているのだ。
「降伏しろ、アーシェ・バロン。今なら、あるいは命は助かるかもしれん」
「断る。すでにその段階は過ぎた」
「ならばお前を信じてついて行った部下諸共死ぬつもりか!?」
「死なないさ。そのために、私達は動いている。そして、お前達も殺しはしない」
「そんなことが出来るものか!」
「そう思うなら追って来い。レイネートの意思を見せてやる!」
言下に手綱を引き絞る。
突如後ろ脚で立ち上がった馬に驚き、空間ができる。そこを見逃さずに再び疾走する。
「くそ、馬鹿なことを……追え! 逃がすな!」
私の言葉を信じてレイネートの意思を確認するためか、あるいは単純に説得は無意味と感じて殲滅のためか、副将軍として追撃の指示を出す。
元より追撃に動いていたアダル将軍の部隊は全軍で逃げた我々を追うために動き出す。振り返って確認したが、大将軍の部隊は動かない。どうやら静止の指示を出しているようだが、アダル将軍にそれを聞き入れる様子は無い。
「ヘイルザード大将軍、貴方ならその指示が無意味なことは理解しているはず。一度自己の利益を守るために暴走した貴族は止まらない」
予定通り。味方を追って全速力で平地を駆ける。
背後で嫌な風切り音がしている。魔法道具による加速を再度使用して部隊を引き離した私を狙っているのだろうが、短時間とはいえ通常では考えられない加速だ。そうそう捉えられるものでもない。
およそ三千の兵を引き連れたまま、平野に点在する小さな森の一つへと突入した。
森の中では、木にぶつかってしまわないように速度を落とさざるをえない。必然的に敵との距離は縮まるが、それを好機として追って来てくれるのはむしろ好都合だ。
他の味方も、それぞれが分散して敵兵達を森へと誘い込んでいるはず。
「森に逃げ込むとは、馬鹿め」
「すぐに追いついて、大口を叩いた報いを受けさせてやる」
逃走する姿に気を良くしたのか、良い具合に増長してくれている。おかげで、此方は作戦に気付かれるかもしれないと不安になることが無い。
「いつまで逃げるつもりだ!?」
追ってくる敵の声が徐々に大きくなる。追撃の部隊には騎馬も居た。二度にわたる突撃戦術に疲れが見えてきた此方の馬と違い、ここまで温存されてきた向こうは足を残している。速度を落とさざるをえない地形からしても、追いつかれるのは時間の問題だ。
そんな中、前方に馬に乗った兵が見える。その手には、引き絞られた弓。
「ははは、味方が先回りしていたようだな」
「愚かだな。お前達は忘れているぞ」
「何か言ったか? 此方を向いて話せ、聞こえないぞ」
「忘れていると言ったのだ、残りの百五十騎をな!」
森に放たれる矢。木々の間を抜けて走るそれは、私に追いすがる帝国兵の馬を見事に射抜いた。
「よくやった!」
「朝到着してからこればかり練習していましたからね。自信が持てるようになるまで、三十本近く矢を無駄にしましたよ」
「勝てば問題ないさ。走るぞ!」
予め配置しておいた味方と共に出口を目指して走る。後ろでは伏兵に対する悪態をついているようだ。
「何かと思えば伏兵か……。こんなものが、貴方が見せたかったレイネートの意思とやらか!?」
「まさか。そんなはずがないだろう?」
光が見える。出口が見えてきた。
伏兵のせいで足を止めた敵は遅れている。光は微かに見えていても、その先まではわかっていない。
「これがレイネートの意思、『誰も殺さないための魔法』だ! その目で確認しろバルディオ!」
出口となる光を味方と共に走り抜ける。
全員が森を抜けたことを確認したところで、木に張り付けてあった糸を切り落とす。
「なっ!?」
馬を止め、振り返った先に居たバルディオ達の姿が消えていく。代わりに目に映ったのは、位置が変わった木々だけだ。
「そこで大人しくしていてもらうぞ」
他の森でも、同様の作戦を完遂していた。
レイネートが作っていた魔法道具。そのどれもが、直接的に人を殺傷するものではなかった。攻撃用の物も、『簡易雷撃鞭』のように「無力化」を前提とした物ばかりだ。
今回使ったのは、四方を囲むように道具を設置し、起動のための糸を引き千切ることで効果範囲内を実際とは物質などの配置がズレた幻影で包む魔法道具だ。イシュタットには「蜃気楼」と呼ばれる現象があるらしいが、それに似た現象を引き起こす道具と考えていいただろう。
実際の物質とは異なる映像というだけではあるが、小さいとはいえ木々が密集した森の中だ。簡単には本当の位置を知る事は出来ない。足止めとしては十分だ。
「これでアダル将軍の部隊は無力化した。大将軍は追撃を止めていたようだし、一旦再集合しよう」
連絡ようの魔法道具で作戦成功と、決めておいた場所での集合を伝える。
指定しておいた場所に行くと、ほどなくして生き残った味方が戻ってきた。
「突撃部隊で戻ってこれたのは三十騎といったところか。あれだけの無茶をしたんだ、上々と言うべきなのかもしれんが……」
「後悔なんてしないでくださいよ、将軍。最期まで貴女についてきたアイツ等が浮かばれません」
「……そうだな、すまない」
落ち込んでいる場合では無い。ひとまず作戦は成功した。後は、追撃したっきり帰ってこないアダル将軍の部隊を確認するために追ってくる敵を以前と同じように攪乱しなければならない。
ここからは魔法道具に頼るのは難しい。幻影を作り出すものは事前の準備が必要で、数もあまり無かったせいで使い切ってしまった。断続的に幻影の内容が変わるらしいので、そうそう突破されることは無いだろうが、同じ手は使えない。
「とにかく、まずは馬を休ませましょう。さすがに走りっぱなしじゃ持ちません」
「そうだな。水分なども補給しておこう」
「了解です、将ぐ――」
馬の背中に乗せていた最低限の物資から、水を取り出そうとした兵士の上半身が突如吹き飛んだ。
咄嗟のことで反応出来ないまま立ち尽くしていた近くの兵士も、同様に左肩から腹までが抉り取られるようにして消し飛んだ。
「なっ――!」
「全員、騎乗しろ! すぐにこの場を離脱するぞ!」
正体不明の攻撃に固まりかけた味方に声をかける。だが、それを阻止するかのように今度は馬が次々と謎の風穴を開けられて消えていく。
「くそ、なんだあれは!」
「どうした、何が見える?」
「わかりません。巨大な筒……あれは――」
『遠方可視』の道具を持ったまま、何かを言おうとした副官代理は胴体を丸ごと吹き飛ばされて事切れた。
「なんだ、何に攻撃されているんだ、私達は!?」
慌てて落ちた『遠方可視』を拾い、副官代理が見ていた方向を見る。
予想よりも遥かに早く向かっていたらしい帝国軍が、肉眼でも見える位置に来ていた。その部隊が馬に牽かせているのは、台車に乗った巨大な筒。
黒光りするその筒の先はぽっかりと空洞になっており、その先に不気味な青白い光が集まっている。
「まずい、次が来るぞ。この場を離れろ!」
指示と同時に全員が飛び退いて身を伏せるが、間に合わなかった数人が体の一部を失って崩れ落ちる。
「あれは……!」
「将軍、まさか向こうが使ってきているのは……」
「魔法、道具だ……!」
レイネートの意思を嘲笑うかのような、完全な破壊・殺傷を目的とした兵器。攻城兵器のような巨大さは小回りや細かな射撃が出来ないのだろう。先の動きながらの戦闘では使用されなかった。
間違いなく帝国の隠し玉である凶悪極まり無い魔法道具。いや、魔法兵器は、その先端を此方に向けたまま狙いを定めている。
「射程が長すぎる……あれでは、馬で近づくことも出来ない」
あと数頭だけしかいない馬も、順次消されていっている。威力もさることながら、一番の脅威は魔法道具を使ってしか視認できない距離から撃つことの出来る超長距離射程。
今の私達では成す術も無い。
「くそ、ここまで来て……!」
「将軍、どうしますか?」
「あれでは、玉砕覚悟で突進しても辿り着く前に消し飛ばされる。迂回して側面から叩きたいところだが、それを見越しているのか正面には兵を置かず、代わりに左右の戦力はかなりの厚みがある」
あれだけの兵器を持ち出して来ているということは、大将軍直属の部隊に違いない。最初に突撃をかけた時と違って、兵の一人一人の練度が桁違いだろう。遮二無二突撃したところで、長槍に阻まれて足の止まったところをあの兵器で撃たれるだけだ。
「万事休すか……」
「くそ、諦めるわけにはいかん。諦めるわけにはいかないというのに……!
レイネート……すまん……!」
唇を噛み、諦めの言葉を口にした。それをしてしまえば終わりだとわかっていたのに。
――そんな、絶望が身も心も支配した時、聞こえるはずの無い声が聞こえた。
「――くらえ、『魔力妨害』!!」
敵と、自分達との丁度中間点。そこに突然姿を現したのは、髪を汗に濡らしながら、戦場の風を受けるレイネートの姿だった。




