奇襲作戦
一日遅れですが、明けましておめでとうございます!
本年も細々と頑張っていくので、よろしくお願いします
呼吸が乱れ、馬上で揺られ続けた体は平衡感覚を狂わせている。
僕だけでなく、危険な山道を全力で馬を走らせながら逃走してきた全員が同じような状況だ。
「全員、無事ですか?」
呼吸を整えながらの点呼で、全員の無事を確認する。
「各班、問題を報告してください」
「偵察班、問題はありません」
「戦闘班も問題なしだ。強いて言うなら、馬が疲れてる」
「支援班、速度上昇と危険低減のために物資の一部を放棄しました。糧食が減っています」
各班の行動は班長の指示に従うことになっている。班長の人選は、僕よりも遥かに隊員の情報を知っているバーツさんに任せた。偵察班には連携のとりやすいようにエリッツ君、戦闘班は純粋な実力でグレイさん、支援班は物資の記憶と咄嗟の判断力を評価されてエイト君がそれぞれ任命されいてる。
今回のエイト君の判断は正しい。というより、そうする他ない。ただでさえ危険な山道の行軍、支援班は物資を引きながらなのだから、他の班より危険度は大きい。少しでも負担を減らすために、物資の一部を放棄して軽くせざるを得なかったのだろう。
では、何を捨てるか? この問いの答えは、魔法道具と糧食という二択でしかなく、貴重な技術をむざむざ渡すことが出来ないことから、実質一択。糧食を減らすという結論になってしまう。
「支援班の判断は間違っていません。とはいえ、食糧が減ったのではグズグズしていられませんね。急ぐ必要があるでしょう。問題は――」
「進軍か、後退か、ですね」
いつもどおり的確な副官に頷く。
多少減ったとはいえ、糧食は元々多めに持ってきていた。このまま進軍して、戦場の側面を突くことも出来なくはない。
あるいは、後退して本隊と合流するか。そうすれば糧食の問題は考える必要が無くなるし、戦場での危険性も少なくなる。
「進軍であれば、我々が先行することによる混乱の誘発や誘導など、本来の役割が果たせます。が、継戦能力が低下している状況では、危険性は増します。
後退をするのならば、十分な兵力と食糧で万全の状態で戦場に赴けます。しかし、独立魔戦小隊としての意義を失い、合流できるという保証もありません」
難しいところではある。
無意味な魔法道具を持ってきたことや、進軍した結果天候の変化に苦しみ、敵と遭遇までしてしまった。今の所、僕の判断は間違ってばかり。
自由に動くために強引に隊長になったが、かといってその職務を疎かにしていいわけではない。
これ以上、間違うわけにはいかない。
「進もうぜ、隊長。アンタの魔法と俺らの強さがありゃあ、エルパーツァの連中を一撃離脱戦法でかき回してやれる」
「しかし、行軍中の食糧が持つかは微妙なところです。糧食を管理する身としては、その点を留意して決断をしていただきたいところです」
二人の班長から意見が出される。
偵察班からは意見が無いところを見ると、現状は中立の立場といったところか。
「……要は、糧食が減った問題を解決すれば、単独行動をする部隊としての役目を果たせるわけですよね?」
「そういうことになりますね。何か案があるのですか?」
「えぇ、まぁ」
思いつきだった考えを、頭の中でまとめる。
考え自体は間違っていないはず。あまりに単純な解決策だが、実行するとなると難しい。
予定通りであれば、現在の物資状況でも実行は可能だ。思考すべきは、成功の可否。
「……進軍しましょう。バーツさん、偵察班と周辺を調べて現在地を確認してください。地図と照らし合わせて、現在地が確定次第エルパーツァ軍後方を目指して進軍します」
「後方……?」
予定していた攻撃は、エルパーツァ軍の側面へのもの。本隊と離れて行動しているとはいえ、その点は変わらない。
しかし、僕はあえて後方へ回り込んでの攻撃を選択した。
「何狙ってんだ、隊長?」
「簡単なことです。糧食が無いから攻撃出来ない。なら、糧食の確保と攻撃を両立してしまえばいい」
建て前とはいえ、工作や遊撃戦法をより行いやすくするために結成されたのがこの部隊だ。
側面からの攻撃は本隊に任せる。僕達は、僕達に出来る方法で援護すればいい。
「――エルパーツァ軍後方の補給部隊を急襲、糧食を奪取します」
食糧の確保。備蓄・携行したものは「糧食」とも呼ばれるそれを失うということは、軍にとって「死」を意味する。
十分な量がなければ士気が下がり、敗北の確率が上がる。底をつけば、たとえ勝利しても餓死するしかない。
戦闘に直接関わらないものの、軍隊の規模が大きければ大きい程重要さを増す糧食は、隊にとっての生命線となる。当然、敵の糧食を奪う、あるいは破壊するのは作戦の常識である。
……と、ここまでは歴史書で読んだ大昔の戦術定石。
「問題ありません。認識そのものは間違っていませんので」
優秀な副官にお墨付きをもらった。これで、後は決行するだけ。
「とはいえ、問題が無いわけではありません」
「え?」
「戦場の状況や敵の陣形がわからないこと。それと、我々が補給部隊に攻撃を仕掛けた後、本隊が混乱の隙をうまく突くことが出来るかどうか」
確かに、その通りだ。
本隊との連携は、「通信水晶」と仮に呼称している例の魔法道具を使えばいいが、戦況がわからなければ奇襲のタイミングが掴めない。まして、陣形がわからなければ目標である補給部隊の位置もわからない。
自分のあまりの考えなしに、頬が引きつる。
「敵を調べるだけなら、隊長が魔法使えばいいんじゃねぇのか?」
背後からの何気ない一言に、二人して振り返る。
余程驚いた顔をしていたのか、グレイさんが馬上で怯む。
「なんだよ、二人して……昨日だって隊長が魔法で見つけたんじゃねぇのか?」
なるほど、そうだ。
せっかく『遠視』の魔法のように、遠距離も知覚する魔法を持っているんだ、それらを使って探せばいいだけの話だ。
抜けている。というより、難しく考え過ぎていたのだろうか。反応を見る限り、バーツさんも似たような気持ちのようだ。
「ちっ……しっかりしてくれよ隊長。アンタはその魔法で隊長の座を手に入れたんだろうが。俺ぁ、アンタのことを良く思っちゃいないが、魔法を使って帝国に貢献するっていう意思だけは認めてるんだぜ」
「……ありがとうございます、グレイさん」
鼻を鳴らすグレイさんの横顔に、自分が隊員の命を預かる隊長だという気持ちを締め直す。
「隊長、先行していた偵察班が戻ってきたようです」
視線を進行方向に戻し、近づいているはずの戦場へと先に向かわせていた偵察班の姿を確認する。
後ろに合図をして、部隊全体の足を止める。
「どうでした?」
「今日の夕暮れには戦場に着きますね。このまま直進して森を抜ければ、丁度エグリゴアとエルパーツァの衝突地点、その横に出ます」
夕暮れは近い。予定外の進路変更はあったものの、本来の計画通りの地点には予定通り辿りつけるようだ。
「戦場を見渡せるような場所はありましたか?」
「そうですね……森を抜けた後に、エグリゴア側に進路を変えると小高い丘があります。そこからなら戦場全体を見ることが出来ると思います」
「わかりました、ありがとうございます。まずはその地点を目指すことにしましょう」
明確になった目的地点に向けて進軍を再開する。と同時に、作戦の詳細を考える。
本隊の位置は、昨晩の連絡では半日遅れ程度。今日の夜には戦場の到着するだろう。
とはいえ、本隊ぐらいの規模であれば夜中の進軍は危険。まして、同士討ちの危険がある戦闘など行うわけにはいかない。
そう考えれば、帝国からの救援で本格的に巻き返しを図るのは明日だ。
「今日は戦況と敵陣形の偵察に終始し、明日本隊が到着した直後に作戦を決行しましょう」
「本隊より後で攻めるのか?」
「要は、敵を混乱させられればいいんです。部隊の食糧事情を考えれば、少しでも早く攻撃したいのは確かですが、本隊の攻撃後に攻めた方が隙が生まれているでしょう。後ろと横から同時に攻撃されれば、否応なしに混乱が起きます」
エルパーツァ補給部隊の戦力次第だが、こちらが少数である以上は少しでも戦闘を有利に進めたい。重要な糧食を守る部隊だけに、それなりの戦力が配備されている可能性もある。用心は必要だ。
今晩にでも、本隊には連絡して連携をとれるようにしておこう。
「では、ひとまず丘を目指して進みましょう」
戦況は、見事なまでに五分だった。
両軍共に騎馬部隊による突撃段階は過ぎ、弓兵による弓の斉射も終えている。現在は歩兵同士の乱戦になっており、完全な消耗戦だ。
「戦い方が杜撰過ぎる……」
グレイさんの苦々しい呟きが聞こえる。
確かに、『遠視』を使うまでもなくわかる。如何に物を考えずに兵力を投入し、ただただ武器を振り回すだけの戦い。
魔法や、奇をてらった作戦を求めたわけではないが、これは酷過ぎる。
「こんなものです。
この戦いはさすがに考えが無さ過ぎだとは感じますが、結局物を言うのは数。多少の練度や士気の高さ、武器の強度など、圧倒的な兵力の前では無力。貴方の初陣は、極めて特殊な例なのです」
あの戦いが特例であることは認識していたが、まさかここまで愚直に走り、ただ斬り合うだけの戦いが当たり前だとは思わなかった。
いや、グレイさんの反応を考えれば、普通以下――ようは、今戦っている二国は戦が下手なのだ。
「帝国の助けが欲しいわけだ……」
「エグリゴアとエルパーツァは国力もほぼ同等。また、共に貴族社会です。似通った機構、差の無い兵力となれば、この結果は当然と言えるでしょう」
帝国は、本当に北の国からの盾としてだけ同盟を組んでいるのかもしれない。戦っても勝てそうではあるが、仮にも一国との戦争ともなれば消耗は激しい。大方、適当に戦わせて弱った頃にでも併合しようと狙っているのだろう。
だからこそ、帝国とエグリゴアの間には信頼が無く、付け入る隙を窺っている。
「ともかく、これで本隊が到着さえすれば勝利は間違いないでしょう。敵補給部隊の位置も大まかにですが確認しました。あとは、本隊の攻撃が開始され次第攻め込めるように準備しましょう」
使えない魔法道具、変動の激しい気候、謎の道具。不安要素が多かっただけに、拍子抜けだ。
――結局、戦場を確認した後は大した問題も無く、次の日を迎えることとなった。
「隊長、確認してきました」
「ありがとうエリッツ君。どうでしたか?」
「昨日と同じですね。反省が無いのか、他に戦法を知らないのか、全く同じ布陣で構えています」
「両軍、ですか?」
「えぇ……」
頭を抱えたくなる。
エルパーツァが布陣を変えずにいてくれたのは、攻めやすいので構わないのだが、同盟軍であるエグリゴアまで消耗戦になってしまった時と同じ布陣を敷くとは……。
夜に警戒がてら各地を偵察してみたが、お互いに夜襲を仕掛けたり、工作活動を行った形跡は無かった。
兵站線は双方無事。兵数も変わらず。
「まさか、どちらかの兵がいなくなるまで同じことを繰り返すつもりなのでしょうか……?」
「というより、引き際を知らないのでしょう。おそらく、戦線を維持出来ない程度にお互い消耗した時点で軍を退くと思いますよ」
子供の喧嘩かと言いたい。
帝国も貴族と平民の身分差は激しいようだが、副将軍のように能力さえあれば身分に関わらず重用される仕組みはある。あの二つの国には、その仕組みが無いのだろうか。もしくは、人材がいないのか。
始めに出会い、従うことになったのが将軍で本当に良かったと思う。
「馬鹿馬鹿しいにも程があるぜ。
隊長、さっさとやっちまおう。時間かけるだけ無駄だぜ、こりゃ」
正直、同感だ。
警戒を解くつもりは無いが、どれだけ引き締めても緩んでしまう。さっさと終えてしまう方が、むしろ危険は少ない。
「――行きましょう。やることは変わりません」
全員が頷いて馬にまたがる。
昨日までの行軍で、股が限界に来ているのだが……まさか徒歩で奇襲をかけるわけにもいかないので我慢する。
……どうでもいいことだが、『性別転換』が視力に干渉して見た目を変えるだけの魔法である以上、僕の男としての、その、アレは大丈夫だろうか。女の姿になっているようにしか見えない上、感覚も女のものになっているので、わからない。余計な不安まで浮かんできてしまった。
「いや、他の皆は大丈夫なんだし、大丈夫大丈夫」
「我々は乗り慣れていますので。男女差による問題など、考えたこともありませんし」
「!?」
心を読まれたような科白。
大丈夫、なはず。
「ど、独立魔戦小隊、進軍!」
号令で、不安を誤魔化した。
「くそ、だりぃな」
「俺も、どうせなら前線が良かったぜ。凶悪犯の連中は戦えていいよなぁ」
「そこ、五月蠅いぞ! 黙って物資の護衛をしていろ!」
ブツクサ言いながら持ち場を守る兵士と、監視をしているかのような上官らしき兵。
エルパーツァの軍は、奴隷や犯罪者が中心らしい。口減らしや極刑の代わりなど、一石二鳥であり、貴族は直接危険に曝されない。さらに、貴族本位の政治にも、一般の国民を戦争に巻き込まないという理由から不満が出づらくなる意味もあるそうだ。
そんな兵員構成だからか、エルパーツァ軍の士気は低い。
「隊長、配置完了しました」
小声の報告に頷き、エルパーツァ軍補給部隊へと視線を戻す。
森の中にある開けた場所に、隠すように配置されていた補給部隊を『遠視』によって見つけ、現在は木々で身を隠しながら待機している。
支援班は物資を守りながら後方待機。偵察班には弓が得意な隊員が多かったので、突入時に隙を作るための援護射撃を任せた。
後は、本隊によるエグリゴア救援のタイミングに合わせ、戦闘班と共に突入。突入直前には、弓による攻撃で混乱状態に陥っている(はずの)敵に対して『意識喪失・改』を起動、敵を無力化し、余計な被害を出さぬように敵物資のみを奪取する。
「本来ならば、奪えぬ残りの物資には火を放って燃やしてしまうのが有効なのですが」
「やめましょう。帝国が直接敵対しているわけでもないですし、餓死なんて辛い死に方、敵にだってしてほしくない」
バーツさんも、強行にエルパーツァに打撃を与えたいわけでは無かったらしく、この言葉には頷いてくれた。
戦場における判断としては甘いかもしれないが、本隊が到着した時点が勝利がほぼ確定するとわかった以上、必要以上に相手を攻め立てれば、禍根を残し、後々厄介なことになりかねない。
「今回は僕達の必要分を確保し、敵を撤退させることで戦闘を終了させることを目的にしましょう」
確認の意味を込めた言葉の直後、戦場から大きな声が上がる。
「なんだぁ?」
「終わったんじゃねぇ?」
呑気な護衛兵とは裏腹に、監視の兵は不安そうだ。
命令されて動くだけの奴隷や犯罪者とは違い、正規の兵士はただ兵力を投入して消費するだけの戦いとその実情を理解しているはずだ。こんな風に、急に戦闘が終了したり、劇的に戦況が変わるころは無いとわかっているのだろう。
その考えは正しい。僕は控えているルイ君が確認できるよう、右手を上げて合図する。
目の良いルイ君は、木の上からでも問題なく合図を確認してくれたらしく、風切り音と共に敵補給部隊のいる広場へと矢が放たれる。
「うわ、なんだ!?」
「矢だ! 敵が来たぞ!」
突然降り注ぐ四方からの矢に、気を抜いていた護衛兵達は騒然となる。監視役の言葉も耳に入らず、ただ喚き立てて持ち場を離れる者も多い。
予定通り、広場の中央に『意識喪失・改』の発生点を設置。敵の視線が発生点から外れていることを確認して起動する。
「霧!? 馬鹿な、どうしてこんなところに突然……!」
混乱が増す。しかし、それも一時的なものだ。すぐに霧に包まれた者から意識を失っていく。
「突入!」
大半の護衛が意識を失った頃合いを見計らって、号令を出す。と同時に、『意識喪失・改』を不活性状態にして霧を晴らす。
茂みや木々の影から隊員達が飛び出し、霧から逃れていた兵士達も昏倒させていく。
予め、可能な限り殺さないように指示は出しておいたが、想像以上の手際の良さに舌を巻く。
「食糧を中心に、魔法道具などもあれば持って行ってください」
言ってみたものの、魔法道具は期待薄だろう。
帝国が――ランプなどの簡易なものならばともかく――あれほどの量を確保していること自体が異常であることは、さすがに僕でもわかる。まして、あれほど下手くそな戦闘しか出来ない国が、わざわざ戦場に魔法道具を持ってきているとは考え難い。
「お、狼煙用の機器があったぜ隊長」
「狼煙……」
なんとも古典的というか、なんというか……。
どう使えばいいのかすらわからないが、魔法が希少なこの世界では普通に利用されているものなのだろうか……?
いや、他の隊員の微妙な表情から思うに、この世界でも時代遅れではあるらしい。
「とりあえず、適当に煙を立たせとけば補給部隊が襲撃されたってわかるだろ。でないと、食い物がねぇってこともわからずに斬り合ってそうだから、連中は」
言葉は辛辣だが、確かにその通りだ。
グレイさんは言動が荒々しいが、戦闘に関しては良く気が付く。経験のなせる技か。
「全員、物資は十分奪いましたね?――では、撤退しましょう」
全員が背中に大きな袋を担いでいるのを見て、再び森へと走る。グレイさんなど、両肩に馬鹿でかい袋を担いで平然としている。
……現在の見た目はともかく、僕も男だ。周囲よりも二回り程も小さい袋に、気持ちばかりの食糧を追加してみた。
苦笑というか、生暖かい視線が向けられた気がしたが、無視することにした。
支援班の待機していた場所まで撤退し、奪った物資をエイト君に渡す。
思いの外大量になったので、エイト君は「また運搬が大変になります」と言いつつ嬉しそうだ。
戦場から聞こえる声も、怒号よりも歓喜のものが大きくなっている。エグリゴア・アーシュタット連合軍が勝利を確信した声だろう。
「お疲れ様です。ひとまず、作戦は成功しました。声を聞く限り、戦場の方も終わりが近いようですし、このまま本隊に合流しましょう」
小隊として初めての作戦は、拍子抜けするほど簡単に成功した。道中の方が苦労したくらいだ。
この程度では、まだまだ実績としては心もとない。今後は、もう少し隊の運用を考えるべきだろう。
「本隊の位置、確認しました。ここより南東に直線で向かえば合流できます」
通信水晶を手にしたバーツさんの言葉を聞き、全員が準備を始める。
一仕事終えた、というには些か緩い雰囲気だったが、それでも一つの仕事が終わったには違いない。帝国への帰り道は行きほど苦労はしないだろうと出発の号令を出して――瞬間、風切り音が耳を掠めた。
「え……!?」
「全員伏せろ、敵襲だ!」
グレイさんの怒号で、全員が馬上で身を伏せる。直後、頭の上を何本もの矢が通り過ぎていく。
微かな痛みを感じて首に手をやると、滲み出た血が手に張り付いた。
「――――!」
「走れ!」
外れたのは偶然だ。完全に油断していた。
副隊長の指示で、一斉に馬が走り出す。
敵は、待ち伏せていたのだろう。僕達の緊張が緩み、無防備な姿を晒すその瞬間を撃つために。
甘かった。ここはまだ、戦場なのに。
「っ……! 全員無事ですか!?」
「なんとかな!」
僕達が居るのは、森といっても枯れ木が多く、上から見れば丸見えの位置だ。
戦場を正面として時、森の背後には大きな絶壁がある。その上から狙われた。
「くそっ、戦下手だと思ったら、やってくれんじゃねぇかよ!」
「隊長、敵の位置を捕捉できますか?」
「え? あ、そうか……」
『自動索敵』のことを忘れていた。どこまで気を抜いていたのか。
「……映らない?」
「どういうことですか?」
「『自動索敵』の範囲には、敵がいません」
いや、待て。これはおかしい。
敵が矢を放ったのは、今は左手側にある絶壁の上からであるはずだ。矢の飛んできた方向や角度からも間違いない。
逃走しているとはいえ、まだそれほど距離は離れていない。先の狙撃位置は、十分に『自動索敵』の索敵範囲内だ。
「まさか……ルーンキラー!」
「んだと!?」
「本当ですか、レイネ様!?」
攻撃方法は弓だった。科学者の男じゃない。
初めてこの世界に来て、将軍の軍へと組み込まれた。その時に襲ってきた連中も、ルーンキラーであったはずだ。
まさか、まだ手下がいたのか。前回対峙した時には、単独で行動していたので部下はいなくなったのだと思い込んでいた。
「確かですか?」
「魔法がおかしいのでなければ、ルーンキラーの魔法無効化による妨害だとしか……」
科学者が見せた魔法無効化の力。どういう原理によるものかはわからなかったが、あの力を持っているなら、イグナシルで作られた術式は全て無効化されると思っていい。
対抗策はまだ無い。この世界での魔法は通じたのだから、そこから魔法を有効にするための方策を考えてはいたが、明確に何が違うのかわからなかった。
「くそぅ……」
「成す術はありませんね。高所からの弓による攻撃は反撃も出来ません」
確かに、圧倒的優位な立ち位置をとられている。
『雷撃一閃』や『爆裂火球』を使うことも出来るが、『雷撃一閃』は闇雲に撃っても、敵の姿が見えなければ当たらない。『爆裂火球』は――。
「くそっ! 連中、俺らに併走してやがる」
敵の姿を見つけたらしく、吐き捨てるように言う。
この状況では、『爆裂火球』を撃って壁を破壊しても、馬の速度に間に合わない。敵の進路の先に撃ったとしても、その後破壊された岩石に押しつぶされるのは僕達だ。
「全員、散開して的を絞らせないで! 走りながらではそれほど命中精度が高いとは思えませんが、特に支援班は緩急をつけて走ってください!」
森の中に走って突入しようにも、支援班の運搬車が邪魔で移動が制限される。そうなれば、この森では上からむざむざ狙撃されるだけだ。
「隊長、このまま進めば絶壁の端が見えます」
視線を正面に向けると、確かに途切れているように見える。
「――全員、全力であの地点より先に進んでください!」
僕が言うまでも無く、全員が馬を操って可能な限り不規則な動きで走っている。
しかし、最後尾の支援班は運搬車の動きに自由がきかない。このままでは、狙い打たれる。
「この――『雷撃一閃』!」
微かに見える黒い影に向けて雷撃を放つ。僕というルーンマスターの存在は秘匿しておいた方がいいと思ったから、魔法の使用時には気を逸らすなどして誤魔化していたが、敵がルーンキラーなら関係ない。とにかく、目眩ましにでもなればいい。
「隊長! 魔法の使い過ぎは――」
「今はそんなことを言っている場合ではないでしょう! 他に方法が無い以上、せめて迎撃の意思を示しておかないと――」
「危ない!!」
陽光の反射光が、絶壁の上で微かに光った。
僕が見たのは、向かってくる黒い点、そして覆いかぶさってきた誰かの体。
「――ルイ君!」
隣を走っていたルイ君が、僕の馬へと飛び移ってきた。その背中には、一本の矢が刺さっている。
「ルイ君、ルイ君!」
力無く鐙に倒れるルイ君の体は、少しずつずり落ちていく。
なんとか支えようと片手で腰のベルトを持ち上げるが、完全に脱力した人間の体はとてもではないが支えきれない。まして、相手は華奢な方とはいえれっきとした兵士だ。
鍛えられた筋肉の重みと、無理な操縦で前後左右に動く馬を御する手綱。どちらも、片手では……。
「馬鹿野郎! さっさとそいつを捨てろ!」
「だけど!」
「一緒に死ぬつもりかテメェ! せっかく守ってもらったんだ、ルイの意思を無駄にすんじゃねぇよ!」
無理だ。いくらなんでも、見捨てるなんてことは……。
「まだ生きてる。息があるんだ!」
呼吸は止まっていない。意識は失っているようだが、危機を脱してすぐに治療すれば助かる。
「そんな場合か! このままじゃ、落馬するか撃たれるかで――とぉ! 死ぬんだぞ、わかってんのかこの野郎!」
矢がグレイさんの頬を掠める。
誰もが必死だ。ルイ君の体を渡すことさえ出来ない程に。
「レイネ様、敵の速度が落ちています!」
「どうやら、絶壁の端に行く前に馬を止めて撃ち抜こうという魂胆のようですね」
もうすぐ、もうすぐ逃げられる。だから、まだ――。
「――いい加減にしろ! テメェは、この部隊の隊長だろうが!!」
鼓膜が震えるような怒号。
驚いた。限界だった手が震え、力が抜ける。
「……い、ちょう」
「ルイ君!」
「あり、がとう、ござい……た」
「え!?」
体を支える左手の感覚は無くなっている。そんな状態で、迷う僕の腕を払うようにルイ君が身を捩った。
「ル――」
「前を向け!」
すぐに馬を寄せてきたグレイさんに引っ叩かれて、無理矢理前を向かされた。
手綱を握る両手が、無くなったような妙な感覚。
自分が今、何をしているのか。一瞬わからなくなった。
僕の思考は真っ白のまま、矢の雨に晒された独立魔戦小隊は危険地帯である絶壁の横を駆け抜けた。――隊員一名を、失って。




