「僕の答えは――」
「――――」
まるで、陳腐なノンフィクション映画のようだ。
開いているはずの目は眼前の景色ではなく、ここには無いかつての記憶を映し出していた。
目の前を通り過ぎていく過去は、もう二度と戻ることのない希望に満ちた日々。
「未練なんて、捨てたはずなのに……!」
この世界で生きるしかないと悟って、自分を偽ることもやめて、これが僕の人生なんだと受け入れたつもりだった。
それなのに、事あるごとに思い出すのは、イグナシルに居た頃の自分の姿。未練がましいにも程がある。
将軍の言葉によって、記憶が呼びさまされた。そのことに、理性では理不尽とわかっている怒りを覚えつつも、昔の自分を引きずっていることを認識させられる。
『優秀だったのではないか』。その言葉を確かめるためだけの回顧だっただろうか。――いや、僕はたぶん、優秀であったと思っているのだ。だからこそ、それが惜しくて捨てられない。
集合住宅の広い玄関を出ても、中途半端に過去へと引っ張られた心は戻らない。元気にはしゃぐ子供の声は耳をすり抜けて、近くにある市場の喧噪は届かない。
――自分で自分が嫌になる。
何度も、何度も、覚悟をしたはずだ。過去を捨てて生きていくと、そう決めたはずだった。
それでも、僕の卑しい心は、過去の片鱗に触れるたびに後ろを振り返る。
「こんな……こんな僕だから、失うんだ……!」
拳を力一杯握りしめ、唇を噛み締める。
唇は切れ、掌には爪が食い込んで血が滲んでも、今出てきたばかりの玄関の前から動けなかった。
『あなたはこの先の未来に災厄をもたらす』
違う。僕はそんこことはしない。
『あなたが望んでいるかは問題では無い。これは、すでに決定されたことなのだから』
そんなこと……どうしてわかるんだ!?
『簡単なこと……それが、私に与えられた力であり使命』
無茶苦茶だ……。僕は、これからが――。
『あなたに「これから」など無い。ここが、あなたの「終わり」だ』
嫌だ……僕は、まだ……!
『――さようなら』
「嫌だあ!!」
木製のベッドから跳び起きて、助けを求めるように右手を突き出す。
小さな丸テーブルとイスのセットが一つと、一度も使ったことの無い台所と空っぽの本棚。あとは、僕の今いるベッドだけの部屋。
それを確認して、少しずつ正気に戻る。
「夢、か……」
酷い夢だった。
全てを奪い去る冷たい声。もう少しで、あの人に会える所まで進んでいた道を、たった一言で壊した声。
心臓は不快で大きなリズムを刻み、嫌な汗が全身を濡らす。
「……着替えよう」
ベッドから出て、家の裏へと出る。そこに置かれている桶に、溜めておいた水を入れて温める。
水が腐らないように保存していたのも、火を使わずに温めるのも、生活必需の魔法としてあちらでは一般的だったもの。――こんなところにも、過去の残滓は存在している。
夢と、昨日の回顧が気持ちを落ち込ませる。最低の朝だと思った。
お湯で体を洗い、体に纏わりついていた汗を流す。それだけでも、多少は気分が上向いた。
着替えは、この家と一緒に帝都で一般的な若者向けのものが用意されたものを着る。
玄関を出て、庭とも呼べない外に放置されている木の椅子へと腰を下ろした。
「僕は、どうしたいんだろう……」
誰にもわからない疑問を空に向かって投げかける。
わかるとしたら、それは僕以外にはありえない。だけど――今は、思考がグチャグチャで答えは出ない。
帝都から離れた郊外の、小さな家の前。鳥のさえずりさえ無い中で、目を閉じる。
――唐突に、全てを投げ出したくなった。
「……まるで、自害を考えているような姿ですね」
「っ!? だ――いったぁ……!」
突然かけられた声に、慌てて上を向いてた上半身を起こし、バランスを崩して地面に落ちた。
運悪く顔から落ちて、ぶつけた鼻をさする。
日の光を遮って、大きな影が僕に覆いかぶさっている。
「バーツさん……」
「失礼。声をかけたのですが、気付いておられないようでしたので」
「すいません、考え事をしてて」
「自殺の方法でも考えていましたか?」
普段通りの淡々とした口調。なのに、その質問は責められているように感じた。
「自殺なんて、そんなこと……」
「そうですか。ですが、ずいぶんと沈鬱な表情でしたので」
感情を隠すのは苦手だ。ついつい表に出てしまう。
自殺を考えていたつもりは、無い。だけど、そう見えてしまうほどに暗い表情だったのはなんとなくわかっている。
「……昔の事を、思い出してしまって。それで、決意が揺らいでいるんです」
「この世界では無い、異世界に居た頃のことですか」
頷いて、将軍達にも話していない昔の自分のことや、今朝の夢を話した。体内に溜まった膿を絞り出すように、相手の反応も見ずに全部を吐き出した。
話している内に、情けなさや郷愁に近い感情で泣きそうになってくる。
「……私には、貴方の生まれた世界のことはわかりません。当然、異世界に行ったことなどありません」
「…………」
「ですが、貴方が優秀な人間であり、不当な扱いを受けたことはわかります」
「違うんです……」
僕は、優秀な人間なんかじゃない。ただそう思いたかっただけだ。
本当に優秀な人間は、こんなにいつまでも悩んで、悔やんで、自分の立ち位置を見失ったりしない。
そのくせ、自分を含めて、周囲には優秀な人間なんだと主張したがる。今話した内容も、どこか自慢のようなニュアンスがあった。だからこそ、バーツさんは僕を優秀だと誤認してしまう。
「いいえ、私は貴方の話に影響などされておりません。
私は、諜報・工作が専門の兵士です。ゆえに、簡単に他者からの情報を信じることはいたしません。何かを判断するとき、最後に重要なのは己が直接聞き、見たものだけです」
「でも……」
「貴方は、理想が高すぎるのでしょう。話に聞いた憧れの女性がその根幹にあるのかもしれません。
しかし、お忘れなきよう。私やエリッツ、バロン将軍にバルディオ副将軍。皆が貴方を評価し、信頼するのは、ひとえに貴方自身の活躍と実績の結果です。誰の言葉に踊らされたわけでもありません」
正当な評価と、そう言ってくれているのだろうか。
僕は、それを信じてもいいのだろうか……?
「不安であれば、まずは動いてみればよろしい」
「動く?」
「考えてもわからぬならば、まずは行動を起こす。そうしてこそ見えてくるものもあるでしょう。折しも私は今日、貴方に次の行動を求めて来たのです」
「司令官補佐――じゃなかった……レイネ様!」
「エリッツ君」
兵士達が集められた城の庭で、見覚えのある顔に混じって手を振る青年。見た目の若さ(というより幼さ)と相まって、少年のようにも見える。
どうしようか迷ったが、雑談をしながら戯れる周囲の兵士達に頼れる相手がいるわけでも無いので、呼ばれるままに走り寄っていく。
「こんにちは。前回の任務ぶりですね」
「あ、えっと、そうですね」
向けられる視線を気にしながら、適当な返事を返しておく。
僕は今、『性別転換』を使って以前のレイネの姿でいる。でなければ、レイネートが生きていたことが知れてしまうからだ。
科学者とすでに接触し、戦った今となっては無意味かもしれないが、「連合との戦いにおける戦功者でありルーンマスター」という士気高揚のための札を残すことと、帝国内に潜む裏切り者への一応の用心もある。
とはいえ、『性別転換』が視覚に作用しているだけと知ってしまった以上は女物の服を着る気にもなれず、女性が着ても不自然ではない程度の男物を着ている。そのせいか、周囲にいる兵士の視線がかなり気になる。
薄手にシャツに上着を羽織り、下は作業者が穿く厚手の布が使われたパンツルックなのだが、おかしかっただろうか。将軍が同じような服装でいることが多いので問題ないだろうと思ったのだが、甘かったかもしれない。
「おいエリッツ。誰だよこの美少女」
「まさか彼女か!? 許さんぞお前!」
「ほぅ、上司を差し置いて彼女持ちか。査定は覚悟しておけ」
言いたい放題である。あと、「美少女」はなんとも言えない気恥ずかしさがあるので止めて欲しい。
「違いますよ! 彼女は、以前の任務でお世話になったルー――」
「エ、エリッツ君!」
危うくルーンマスターだと口走りかけたところを、何とか止める。せっかくレイネートということは隠してくれているのに、重要なところが抜けている。
だが、それが周囲の疑惑をより深いものにしてしまったらしい。
「ん~~? なんっか怪しいな」
「そもそも、バロン将軍の招集を受けた兵士が集められているはずのこの場に、なぜこんな少女が?」
疑いの視線が集中する。中には連合との戦いで見たことのある相手だけに、「もしや見破られるのではないか!?」と気が気でない。
少しでも気付かれる危険を避けようと、ジリジリと後退って、紐でもついているかのような動きで距離を詰めてくる兵士に愛想笑いを浮かべながら間合いを取り合う。
下がり続けて壁にまで追いつめられた時、周囲にいた他の兵士が一斉に雑談を止めた。
「皆、突然呼び出してしまってすまない」
庭に響く声に、その場にいた全員が一点を見る。
帝都の中央に大きくそびえ立つ城の中から、将軍が出てくる。その横には、副将軍もいる。
「全員整列! これより、新しい部隊編成について将軍より話がある!」
号令に従い、先程までバラバラに散っていた兵士が瞬時に整列しだす。
まるで初めから並び順が決まっているとしか思えない動きをしているが、この場にいる兵士の人数はせいぜいが百名程度。さっきまで形成されていた集団も、一つ一つは五、六人程度で、別に部隊として決まっていたというわけではないはずだ。なのにこれほど迅速に整列できるとは、行為自体は大したことではないのに感心してしまう。
「レイネ様、こっちに」
「あ、はい」
次々と並んでいく兵士の波に圧倒されていると、エリッツ君に手を引かれる。そのまま丁度中央の列に連れて行かれ、屈強な兵士に囲まれて並ぶ。
「なんだコイツは」という視線が遠慮なく向けられているが、可能な限り無視した。
「うむ。無駄の無い迅速な動き、さすがだな。今日集まってもらったのは、ある部隊についてだ。
皆、まもなく編成されるエグリゴアへの救援部隊のことは知っているな?」
知らなかった。が、当然それを口に出すことはしない。
「エグリゴアは北部諸国との小競り合いを続けており、戦況も芳しくない。よって帝国から増援を送ることになったわけだ。そして、三日後正式に編成が発表される増援部隊は、東方征伐軍と同様に私とバルディオが指揮する」
軽いざわめきが起こる。その大半は、前回の遠征で見事な戦果を挙げた二人に対する期待の声だ。予想していた通り、二人に対する下級兵士からの評価は相当高いらしい。
部隊が勝てるかどうかは、戦力によって概ね決定される。だが、兵の損耗率は指揮官の作戦と指揮能力によって増減する。
そういう意味では、前回の遠征軍を指揮した二人が持ち帰った兵の数と、連合軍壊滅の戦果は大きな意味をもつ。なにしろ、前回と同じ程度の戦果だと仮定するならば、他の部隊や指揮官の下につくよりも遥かに死ぬ可能性が低い。
「我々も最善を尽くし、可能な限り最少の被害で最大の戦果をあげられるように努める。
しかし、だ。エグリゴアはつい最近まで我が帝国とも交戦状態であり、現在の同盟も一時しのぎ。停戦と同義だということは皆もわかっていると思う」
先刻よりもやや大きいざわめき。今度は、非難の色合いが強い。
帝国北部に隣接する同盟国エグリゴアについては、聞く機会が無かったため、あまり詳しくない。周囲の反応と将軍の言葉から判断するに、随分と狡猾で好戦的な国、だろうか。
「同盟国である以上、救援部隊の派遣はやむを得ないが、変動が激しく厳しい気候に、友軍すら信用出来ないという状況がどう作用するかわからない。少なくとも、良い影響は無いだろう。
よって、不測の事態が起こった際、瞬時に判断して単独で動ける部隊を用意しておきたい」
「この新部隊に関しては、すでに皇帝陛下も承認済みだ。
新たに設立される部隊の名は、『独立魔戦部隊』。通常であれば将軍以上が陛下より兵を借り受け、部隊を編成・指揮するが、この部隊に関しては軍との直接的なつながりは排除。所属する兵士がそれぞれの意思で動いてもらうことになる」
今度こそ、ざわめきは庭全体に広がり、そこかしこから驚きの声が上がる。
軍の指揮系統から独立した部隊。確かに、完全な縦型社会が当然であるこの世界――あるいは、帝国――において、このような特殊な部隊は異例中の異例だろう。驚くのも無理は無い。
「個人の判断で動くってことは、攻めるか退くかも自分達で決めるってことか……?」
「部隊内部で意見が割れた時はどうするんだ? 個別に動くのか?」
「部隊責任者はどうなるんだろうな。階級もあるし、意思決定を最終的には誰に任せるべきなのか……」
完璧に整えられていた列が乱れるほどに、不安や疑問が噴出する。
放置すれば収拾がつかなくなりそうなほどに波紋が広がった頃、将軍が手を上げた。途端、静まり返る庭。このあたりは、人気というより仁徳というか、本人のカリスマ性か。
「疑問は尽きないだろうが、ひとまずは抑えてくれ。この独立魔戦部隊だが、所属する権利があるのはこの場に居る者のみ。また、希望者だけとする」
「私達が選別した、信用出来る優秀な兵士達がお前達だ。独立性を維持するためにも、独立魔戦部隊の情報が外部の人間には一切しらされない。私も、部隊設立後は手を引き、直接の指揮などの責任者はその後に決められる」
つまり、現状では開示出来る情報そのものが無いということか。
おそらく、考案だけがされていた部隊を前倒しで設立するのだろう。でなければ、ここまで説明が抽象的にはならない。
具体的な部隊の活動内容や、部隊構成なども設立後に内部で決めるということだ。
優秀な人間を集め、複雑化する命令系統から外して能力を最大限発揮させる。発想はいいが、綻びが多いように感じられるのは気のせいではないはず。
「あの、質問があります!」
隣でエリッツ君が手を上げる。若干声が上ずっているのは、将軍を目の前にして質問をすることの緊張か。
「どうした、言ってみろ」
「はい。先ほど部隊の責任者は部隊設立後に決めるとおっしゃっていましたが、独立部隊である以上お二人ではありませんよね? では、他に誰が適任なのでしょう?」
奇妙な質問だと思う。
「他の誰が担当するのか」では無く、「他の誰が適任なのか」。
自分なりに思う人物でもいるのだろうか。そういえば、一緒に作戦行動をしていたバーツさんは適任だろうし、そういった考えもあっての質問か。
「うむ。どうやら目星はついているようだな。
新部隊の隊長に就任する人物についてだが、ここにいる全員が納得できる人選をしてもらいたいと考えた。とはいえ、部隊の情報は可能な限り隠匿したい。暗殺などの危険を防ぐためだ。
そのため、部隊が設立された後に決めてもらおうと思っている。しかし、こちらでも予想はしている。正直、この人間以外にはありえないだろうとも思っている」
「誰なのでしょう?」
「言っても意味があるまい。最終的に決定するのは、部隊に加入したものだけだ」
結局は、部隊に加入することを決めてから、ということか。どうやら、この場での質問があまり意味が無いらしい。
それにしても、バーツさんの言葉の真意が未だによくわからない。この部隊に参加しろということだろうか。
確かに、戦闘を繰り返していれば余計な考えなど入り込む余地はないかもしれない。独立部隊ともなれば、戦闘の頻度も多くなる可能性は高い。しかし、「戦い続けて悩みを有耶無耶にしろ」。そんなことを彼は言わないと思うのだが……。
「ともかく、今日の要件はそれだけだ。独立魔戦部隊に入れば、戦闘の回数は多くなるし仕事も増えるだろう。一度帰り、よく考えてから返事をして欲しい」
やや急いだ様子の将軍が言葉を締めくくると、それが合図だったかのように並んだ兵士が一斉に敬礼を返す。慌てて追従したものの、軽い失笑が隣の兵士から向けられた。
そのせいだろうか。ほんの少し頭に引っかかっていた疑問が、場違い感に押しつぶされてしまった。
「どうですか。帝国初の総合任務独立部隊。加入する意思は、ありますか?」
将軍達が去った後流れ解散となり、エリッツ君は同僚に引きずられて行ってしまった。「彼女について詳しく教えてもらおうか」などと不穏な言葉が聞こえたが、どうしようもないので見送った。
一人になって、どうしようかと立ち尽くしていた僕に、今朝と同じ声が話しかけてきた。
「このまま燻っていても仕方ありませんから、いずれはどこかに所属する必要があるのでしょうけれど……秘密を知られないようにしなければいけませんし、僕は剣や槍で戦うことなんて出来ません。ならば、独立部隊よりも将軍に仕えていた方が――」
「それは難しいでしょう」
顔を上げて説明を求めた僕に、目で移動を促すバーツさん。
お互い声は控えているが、それでも人目がある場所だ。それでなくても、僕はこの場で浮いている。聞き耳を立てている人間がいないとは言い切れない。
「何か事情があるんですか?」
「将軍は、ある日突然将軍位に就任された方です。大貴族の人間であればありえなくもない話ですが、帝国では貴族制度そのものが風化している上、『バロン』などという貴族は存在しません。今でこそ将軍の評価は高いですが、将軍就任直後は非難も多く、庶民派であることを理由に人気取りの人形だと揶揄されていたことすらあります。
結局、一年間は直属の兵を持たないということを条件に反対派を押し切って将軍に任命されたと聞いています」
そんな状況で僕という私兵がいることがばれれば、将軍位を追われることにもなりうるということか。
いや、それ以上の処罰を受けたり、裏切り者の標的にされる可能性も捨てきれない。確かに、弊害の方が大きい。これでは、将軍の部下になるのは避けた方が良いだろう。
「あれ……。もしかして、今回の独立部隊設立って……?」
「おそらくは、貴方のためでしょう。そういった事情から将軍自身の兵としては貴方を軍属には出来ません。だからこそ、皇帝陛下に事前の根回しをした上で貴方の力を有効活用するという考えなのではと」
存在を秘匿して科学者から守りつつ、戦場における戦意高揚の手段として僕を利用するという策。それを実行するために考えてくれた結果が、『独立魔戦部隊』。
おそらく、すでに皇帝には僕がルーンマスターだということは伝わっている。その上で、魔法の力を軍事利用しつつ失わない方法として認可されたと考えるのが妥当だ。執拗に独立性と情報隠匿を強調していたのは、そういう意味も含んでのことだろう。
「僕が迷っている間にも、僕のことを考えてくれているんですね……」
「もちろん、その方が帝国のためになると考えてのことでしょうが」
部隊名の「魔」戦とは、僕の魔法を指していると今更ながら気付いた。我ながら、抜けている。
「あれ……?」
そういえば、部隊の責任者については予想がついているとかなんとか。
部隊名の「魔」戦。微かに感じた嫌な予感。
「いや、でもまさか……」
「私が今朝申し上げたのは、貴方に関わった人は確かに貴方のことを評価し、行動を起こしているということです。にもかかわらず、他ならぬ貴方自身が停滞しているという事実は承服し難いと個人的に思いましたので」
言葉に含まれた僅かばかりの非難の色は、気のせいでは無かった。
この世界は戦乱の中にある。そんな渦中にいる人達は、僕のように呑気な悩みで立ち止まっている暇などないのだ。
わかってはいたが、僕の悩みは結局のところ「甘え」なのだ。
「どうしても悩みが解決しないのではあれば、一時的にであれ棚上げしてしまうのも一つの手です。
将軍と話してみてはいかがですか? あの方は、相当の悩みを抱えながらも歩みを止めない方です。あるいは、参考になるかもしれません」
「……バーツさんは、けっこう将軍のことに詳しいんですね」
「少々、知る機会がありまして」
それだけを言うと、城を出てすぐの街路で頭を下げて去って行った。話を切られたような気もしたが、お世話になっている以上、見て見ぬふりをした。
将軍の秘密。生活も含め、あの人には不可思議なところが多すぎる。
とはいえ、これだけ助けてもらっている自分がそれを詮索するのは間違っている。
「少し、話でも聞いてもらおうかな」
帝都を離れる自宅(仮)への道を外れ、集合住宅へと足を向けた。
一度目は、戸惑いながら足を踏み入れ、他愛も無い感想を持って出た。
二度目は、疲れた足で入り、過去を引きずって帰宅した。
今回は三度目。のどか、としか言い様の無い光景や喧噪にもすっかり慣れ、住民に軽く挨拶をして中に入る。
長い一階廊下。支給された小さめの軍靴で足音を響かせながら一番端まで歩いていく。
すぐ隣と同じ、大した飾りも無い無骨な扉をノックする。
「――はい」
「僕です、将軍」
部屋の奥から近づいてくる足音と気配。意識を落とせば、魔法領域で起動している『自動索敵』上でも緑の光点が動いている。
「ネイネート。どうしたんだ?」
「すいません、お忙しいのに。少し、話を聞いていただきたくて」
戸惑っている様子だったが、少し考えた後招き入れてくれる。
「エグリゴアへ派兵する増援部隊の準備はどうですか?」
部屋に入る途中、歩きながら聞いてみる。急に相談する勇気は無いので、軽く話の土台を作っておくことにする。
「今回に関しては、軍の編成に私は関係が無いんだ。お前と出会った遠征軍の時は、私が司令官に初めから決まっていたのである程度は関わったが、今回は指揮官に決まっていた将軍が療養のために一線を退くことになってな。急遽帝都に駐留している私達に役割が回って来たんだ」
事も無げに言っているが、実際は療養のために云々という将軍の話は怪しいものだ。個人的には、験担ぎの意味も込めて二人の力を試す意味合いがあるのではないかと思う。
この世界でルーンマスターの力は絶大だ。僕の力を使っての戦果を、果たして二人が再び得ることが出来るのか。軍上層部の評価、その瀬戸際といったところか。
「……遠征軍の時、将軍は始めての指揮官だったんですよね?」
「指揮官どころか、戦場に出たこと自体が初めてだったよ」
ソファに座りながら、笑い話のように言っているが、内容自体は中々ハードだ。
「それであれだけ戦えることに驚きですが……恐ろしくは無かったのですか?」
「恐ろしかったさ。目的も果たせぬまま死ぬかもしれないと思った」
「なら、どうして――」
「バルディオもいたし、まだまだ信頼されていなかったとはいえ部下もいた。それになにより――お前がいただろう?」
立ったままの僕を見上げながら、仄かな笑みと共に放たれる言葉に勘違いしてはいけない。あくまで、ルーンマスターとしての魔法の力と、それを用いた作戦のことを指しているのだから。
「どうした。今日の独立部隊の話で恐怖が蘇ったか?」
弟にでも話しかけるような、優しい声音。軍属として部下に対するものとは違うもの。
つい、甘えてしまいそうになる。そんな弱さを、頭を振って振り払う。
「気付いているのだろう? 独立魔戦部隊。これは、お前のための、お前の部隊だ」
「ルーンマスターとしての能力を使い、初陣で得た戦果を利用して仲間の戦意を煽り、新たな戦果を手に入れる……それを続けることで、軍内部での確固たる地位を手に入れる」
「よくわかっているじゃないか。私としては、うまく考えたと思っているのだが。
もちろん、現実はそううまくいかんかもしれん。それでも、お前がこの世界で生きるための場所は用意出来るだろう?」
僕に座るよう促しながら、カップを出して暖かいお茶を注いでくれる。
向けられている信頼は納得出来る。素直に受け入れたい。
だけど、これはいきすぎだ。
今、将軍が僕に向けているものは、家族に対するそれにすら近いもの。すでに「愛情」の域に達している。
自分の立場を危うくしかねないであろう皇帝への提言。生活の全てを保障しようとする姿勢は、単なる責任感では説明がつかない。
「将軍は、どうして――どうして、ここまで僕にしてくれるんですか……?」
「迷惑だったか?」
「まさか! すごく助かっていて、感謝の言葉もありません。しかし……」
「納得が出来ない、か?」
「……はい」
将軍自身もわかっている。僕に対する厚意が、いきすぎだということに。
それでも、ここまで僕を助けてくれる理由はなんなのか。ルーンマスターというだけなら、将軍個人がここまで自分を犠牲にする理由は無いはずだ。
「……少し、昔話をしよう」
「は……?」
「まぁ、聞け。他愛も無い話だ」
笑みを浮かべたまま、目の前にあるお茶を飲み干して僕に向き直る。
何度も見た、真っ直ぐな視線。正面から受けることは躊躇われ、かといって逸らすことも出来ない不可視の力が込められた視線。
「昔、ある少女がいた」
「…………」
「少女はスラム出身で、子供の頃は母親と慎ましく生きていた。ただ、自分のために身を切る母親を助けたい一心で武を鍛えていた。とくあるスラムの家庭だ。
だがある日、母親が死んでしまった。その時から少女の人生は一変した。
少女は王族だったのだ。スラムには迎えが来た。優しい、叔父にあたる人物で、父のように感じた。
王宮での視線は痛かった。母親を失ったショックは大きかった。それでも、優しい叔父と、与えられた第二の人生を母親の分まで生きるという意思だけで日々を過ごした。
やがて、少女は叔父に対して恋慕にも近い感情を抱くようになったが、後ろ盾の無い王女など政略結婚の道具にしかならん。結局は、父の決めた相手との結婚が決まった。
だが、それも無くなってしまってな。またも針のむしろに逆戻り――どころか、立場はさらに悪くなった。
追い打ちのように叔父は戦場に行き、母を失った悲しみも年月が風化させ、少女は拠り所を失ってしまった」
けっして早口ではないのに、口を挟む余地の無い話し方。聞き手に、清聴を強要する意志の力が働いている。
「……結局な、少女には何も無かった。母を失った時点で、存在理由が無くなっていたんだ。
死ぬことも出来ず、かといって生きる意味も無い。どうしていいかわからず、少女は結局……死に場所と、最後の拠り所を求めて戦場に出た。名も、地位も捨ててな」
あれが、最初で最後の我儘だった、と。遠い目で将軍は語った。
誰の話かは明白だった。何のために、この話をしたのかも。
「お前はな、ある意味で私に似ている」
「将軍に、ですか?」
「そうだ。突然、生まれた場所と違う環境に放り出されて、何も出来ないと喘ぎながら生きている。そんな姿をな、見ていられないんだ」
将軍の人並み外れた強さも、僕の多彩な魔法技術も、始まりは生活を守るためだけのものだった。
だが今は、その両方共が人を殺し、自分を生き永らえさせるためだけに行使されている。
我慢ならない。だけど、我慢するしかない。――他に方法が無いから。
「……悩むのはいいさ。好きなだけ悩めばいい。だがな、歩みだけは止めるな。そのためならば、いくらでも手を貸してやる」
「バーツさんにも、同じことを言われました」
「ふふ、そうか。ならば、そういうことだ」
二つのカップにお茶が注がれ、空になったポットをテーブルに置く。
立ち昇る湯気は頼りなげで、二人の間には何も無いも同然だ。
「レイネート。お前が今『したいこと』と、『しなければならないこと』を言ってみろ。正直にな」
「……科学者は、僕の世界に責任のあることです。あちらの世界で警邏組織の一員として歩み始めていた僕は、その責任を取らねばなりません」
「お前の『しなければならないこと』、だな」
「僕の、今『したいこと』、は……――」
言葉に詰まる。
言おうとする言葉は、二つある。その両方が、口から出る寸前で足踏みをしている。
どちらが正しいのか、判断がつかない。どちらを言えばいいのかわからなくて混乱する。
「僕、は――」
「正しいことなど誰にもわからないよ、レイネート。ただ、お前の言いたいことを言えばいい」
伏せた頭の上から降り注ぐ優しい声は、確かに僕を向いていた。
「僕は――僕は、あの世界に帰りたい!
両親に会いたい! 友人に会いたい! 敬愛する人に会いたい! 自分自身で掴んだ栄光、その続きを歩みたい!
僕は! イグナシルに帰りたいんです!!」
泣きながら、みっともない声で喚き立てた。
用意されていた答えは二つ。「帰りたい」か、「帰らない」か。
結局は、これが僕の本音なんだと、ただ受け入れるしかない。
僕は、帰りたかったんだ。
どんな御託を並べても、どんな理由をつけてみても、どんな覚悟をした気になっても、所詮はこの気持ちを諦めて、納得させるためだけの足掻き。
だから僕は……帰りたい。なんとしてでも。
「それが本音なら、お前のすべきことは一つだ。
――生きろ、レイネート。生きて、帰る方法を見つけろ。そのためならば、全てを犠牲にしてもかまわない。誰に許されるわけでも無い、お前自身がそう決めろ」
優しく、厳しい言葉。
僕はただ、頷くことしかできなかった。




