第77話 どうやら父はお疲れのようです。
前回までのあらすじ
業物の短剣がペーパーナイフとか、兄が不憫すぎるw
応接室へ場所を移してからしばらく。
ジョルジュは相変わらず無言のまま食後の茶を飲んでいた。やはり彼は、この沈黙を何とも思っていないらしい。
その姿を横目に、レティシアは傍らに置かれた三つの箱へ目を向けた。
兄から贈られた短剣は、ひとまず使い道が見つかった。
父からもらった筆記具は、もちろん執務で存分に活躍してもらう。
となると、残された問題は――
「……これですわね」
レティシアは、シモンヌから贈られた巨大な箱を眺めた。
〈でっかw〉
〈ラスボス感がハンパないwww〉
〈ママ上の愛が大きすぎる。物理的に〉
〈母上、加減してw〉
中には何着ものドレスとともに、それぞれに合わせた靴や装飾品まで詰め込まれている。
ありがたい。実にありがたいのだが、さすがの私も、これを着て領民の前を練り歩くほど空気の読めない女ではない。
以前より活気を取り戻しつつあるとはいえ、ヴァレーヌはまだ豊かな領地とは言い難い。
その領主が、見るからに一財産ありそうなドレスを着て歩くのは、さすがにどうかと思うのだ。
とはいえ、せっかく母が選んでくれたのだから、一度も袖を通さないというのも、それはそれで申し訳なかった。
「派手なものは、年始の王宮挨拶にでも着ていけばいいわね」
レティシアがそう言うと、横に控えていたアリスが頷いた。
「はい。とてもよくお似合いになると思います」
「問題は、比較的おとなしいものですけれど……」
言いながら、再び箱を見つめる。
派手なドレスに目を奪われがちだが、すべてが夜会用というわけではない。中には装飾を抑えたものや、昼間の訪問にも使えそうなものも混じっていた。
「さすがはお母さま。派手過ぎず、地味すぎず。これなんかは次のリューベル辺境伯との協議に着ていけそうですわ」
「はい。よろしいかと存じます」
アリスが何気なく答える。
すると。
「……リューベル辺境伯……だと?」
それまで黙っていたジョルジュが、不意に口を開いた。
「はい?」
「オルトラントのリューベル辺境伯か」
「ええ、そうですわ」
レティシアは特に疑問も抱かず頷いた。
「現在、彼とは国境警備について定期的に協議をしておりますの」
その言葉に、ジョルジュの目が細くなる。
「辺境伯本人とか」
「はい」
「……聞いていないぞ」
レティシアはきょとんとした。
「ええ。お父様へ逐一お知らせするほどのことではございませんもの。国家間の正式な外交交渉ではなく、同じ国境を預かる領主同士で現場の運用を擦り合わせているだけですから」
「それは分かっている。協議そのものを問題にしているのではない」
「では、何を?」
「……」
ジョルジュが黙り込む。
ますます意味がわからない。
隣国の貴族と定期的に会うなど、外交すれすれではないか。と、てっきり注意されるのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
〈パパセンサー起動〉
〈父上www〉
〈いや父上が聞きたいのはそこじゃないし〉
〈この娘、まったく分かってないw〉
「リューベル辺境伯といえば、確か前当主を亡くしてまだ数年だったな。まだ若いと思ったが……」
ジョルジュが記憶を辿るように呟く。すると背後に控えていたロランが一歩近づき、小さく耳打ちした。
「28歳にございます。現在独身。婚約者もいないと伺っております」
「……28か」
「ええ。確か、そのくらいだったかと」
レティシアは何気なく答えた。
28歳。
前世で言うなら、大学を卒業し、社会へ出て数年といったところだろうか。まだまだ若い。
前世と今世で、合わせて46年生きてきた身としては、28歳などまだ若造に過ぎない。どうして父がそこまで年齢を気にするのか、いまひとつ理解できなかった。
「その協議には、辺境伯本人が毎回出ているのか」
ジョルジュが続ける。
「まだ数回ですけれど、今のところは毎回いらしていますわね」
「代理を立てて済む案件もあるだろう」
「もちろんございますけれど、リューベル辺境伯は責任感の強い方ですから」
「……そうか」
「先日など、協議が昼時までかかりましたのよ。そのまま昼食もご一緒しましたわ」
「……昼食?」
父の声が、ほんの少し低くなった気がした。
同時に、横にいたアリスの肩がぴくりと動き、オスカーもなぜか一瞬だけ目を伏せた。
全員どうした? なんだ、その反応は。
「ええ。ちょうど昼時でしたので」
「二人でか?」
「いいえ。あちらは副官のプラーム卿、こちらはオスカーたちもおりましたわ」
そう答えると、ジョルジュの表情がほんの少しだけ緩んだような気がした。
……気のせいだろうか。
〈二人で。そこ大事www〉
〈全然二人きりじゃありません〉
〈パパちょっと安心〉
〈分かりやすいw〉
〈腹芸はどうしたw〉
〈父性漏れすぎ問題〉
「それで」
ジョルジュが改めてレティシアを見る。
「お前はリューベル辺境伯をどう見ている?」
「どう、と申しますと?」
「領主としてだ」
「ああ」
それなら話は早い。
レティシアは少し考えてから答えた。
「非常に優秀なお方だと思いますわ」
ジョルジュが黙って続きを待つ。
「特に判断が早いです。何か問題が起きた際、必要な情報を短時間で整理し、すぐに決断されます。危険を察知するのも早いですし、一度方針を決めれば迷いもありません」
「随分と高く評価しているな」
「実際に優秀ですもの」
これは世辞ではない。ベルンハルトの判断力については、レティシアも素直に感心している。
「ただ、ご本人が優秀すぎるところが欠点でもありますけれど」
「どういう意味だ」
「判断が早すぎるのです。辺境伯ご本人の中では話が終わっているのに、周囲にはそこへ至るまでの説明が足りないところがございますわね」
「なるほど」
「その点は、副官のプラーム卿が実にうまく補っておられますわ。辺境伯のお考えを現場の者へ伝えるのがお上手で。お二人でひとつのような――」
そこまで言って、レティシアは口を閉じた。
危ない。
今、余計なことまで口から出そうになった。
〈お二人でひとつw〉
〈腐女子出かけてるぞ〉
〈抑えろwww〉
〈レティシア様の評価、解像度高い〉
〈実際有能だから仕方ない〉
〈世辞じゃないのがまた刺さる〉
〈やめたれwww〉
分かっている、今は父親が相手だ。不用意な発言は厳に慎みたい。
「ともかく、国境を預かる領主としては信頼できるお方ですわ。わたくし自身、学ぶところも多いと思っております」
「……そうか」
ジョルジュは短く答えた。けれど、その顔はどこか考え込んでいるようにも見える。
何か気になる点でもあったのだろうか。
「他に何か?」
「いや」
ジョルジュは一度言葉を切った。
「……ならば」
「?」
「辺境伯個人はどうなのだ」
「個人?」
「一人の人間として、だ」
ずいぶん回りくどい聞き方をする。
仕事ぶりではなく、人柄を聞きたいということだろうか。
レティシアは少し考え――。
「ああ」
なるほど、と頷いた。
〈きたああああ〉
〈パパ、踏み込んだ〉
〈娘、理解した?〉
〈理解してない予感〉
「それでしたら、それはもう見目麗しい方ですわ」
「……なに?」
その言葉にジョルジュが固まるが、レティシアは気づかず続ける。
「背も高く、軍装も非常によくお似合いになりますの。顔立ちも整っておりますし、普段は少し近寄りがたい雰囲気なのですが、笑われると印象が随分と変わるのです」
「……笑ったのか。あの猛禽と言われる男が」
「もちろんですわ」
何を当然のことを聞いているのか。何度も会っているのだから、笑顔くらい見ることもあるだろう。
「先日の昼食でも、思っていたよりよくお話しになりまして。ああいう方でも昔は――」
そこでレティシアの脳裏に、ベルンハルトとマティアスの幼少期の話が蘇る。
主従。幼馴染。軍装。しかも二人揃って顔がいい。
……強い。強すぎる。属性が多すぎて、思わず口が止まらなくなる。
「それに、プラーム卿もまた大変整ったお顔立ちをしておられまして」
「……なぜ副官の話になる」
「いえ、お二人が並ばれると、それはもう大変絵になりますもの」
〈始まったwww〉
〈スイッチ入ったぞ〉
〈限界オタクの推し語り再びw〉
〈パパ聞く相手間違えたな〉
〈地雷踏み抜いたwww〉
〈ベルンハルトだけじゃなくなってて草〉
マティアスの名が出た途端、なぜかアリスの背筋がぴんと伸びた。しかし、推し語りに夢中なレティシアはまったく気づかない。
「幼馴染でありながら、主従でもあるという関係も実に――」
「レティシア」
「はい?」
ジョルジュに呼ばれ、レティシアは口を止めた。父は、何とも言えない顔でこちらを見ている。
随分とベルンハルトへの評価が高い。多少のリップサービスはあるにせよ、それにしては褒めすぎだ。そこに他意があるのではないかと勘ぐってしまうほどに。
さらに定期的に会い、食事を共にし、笑った顔まで覚えていると言う。ただの仕事相手にしては踏み込み過ぎだろう。
ジョルジュの中で、ひとつの疑念が形になり始めていた。
「それで、お前はその男を……」
「?」
レティシアが小首を傾げる。
「……」
言いかけて、ジョルジュの口が閉じた。
〈言え!〉
〈いや言うな!〉
〈父上の勇気が試される〉
この先を聞いてもいいものか。もし、万が一にでも娘が頬を染めて、『実は――』などと口にしたら。
その先にいるのは、これまで自分が見たことのないレティシアかもしれない。
ジョルジュには、まだそれを見る心の準備ができていなかった。
「……いや。何でもない」
〈逃げたwww〉
〈父上、戦略的撤退〉
「そうですか?」
レティシアは不思議そうにしながらも、すぐに話を戻そうとする。
「そうそう。先日の昼食では――」
「ごほんっ」
突然、オスカーが大きく咳払いした。
「失礼いたしました。――領主様」
「なにかしら?」
「公爵閣下も長旅の後でございます。今晩はこの辺りにされてはいかがでしょう」
言われてレティシアは目を瞬いた。
「あら」
そうだった。父は今日、グランシエール領から馬車でやって来たばかりなのだ。
平気な顔をしているが、疲れていないわけがない。
「申し訳ありません、お父様。つい話し込んでしまって」
「……いや」
ジョルジュの返事が妙に重い。
「今日はもう休ませてもらう」
「はい。お休みなさいませ、お父様。ゆっくりなさってくださいね」
「ああ」
〈つい話し込んだw〉
〈一方的に喋ってただけだろwww〉
〈パパのHPもうゼロよ〉
ジョルジュは立ち上がり、ロランを伴って応接室を後にした。その背中を見送りながら、レティシアは首を傾げる。
何やら、途中からずいぶん疲れているように見えたのは、やはり長旅の後だからなのだろう。
まだ若いと思っていたが、やはり歳には勝てないのかもしれない。
「お父様……やはりお疲れでしたのね。そうならそうと、遠慮なくおっしゃっていただければよろしいのに。気を使ったのかしら」
レティシアが、誰へともなく呟いた。
〈違います〉
〈原因はお前じゃいw〉
〈パパwww〉
〈盛大に勘違いしたまま帰るぞこれ〉
……何の話をしているのだろう。
なぜ私のせいなのか?
レティシアには、さっぱりわからなかった。




