第75話 珍しく褒められました。
前回までのあらすじ
レティシアの雑談力が通じない唯一の相手。それが父親。
「……どういう意味だ」
ジョルジュの低い声が食堂に落ちた。
先ほどまで手にしていたスプーンは、すでに皿の脇へ置かれている。レティシアは父の視線を真正面から受け止め、淀みなく答えた。
「ヴァレーヌで栽培している作物から、甘味の原料が取れることがわかりましたの」
「作物から?」
「はい。家畜の飼料用根菜ですわ」
もはやレティシアには、砂糖の存在を隠すつもりなどなかった。
現在、この国で流通している砂糖はすべてが南方からの輸入品である。当然のように高価であり、庶民が気軽に買えるものではない。日常的に口へできるのは貴族や裕福な商人くらいのものだろう。
もしも、それより安価な砂糖をヴァレーヌで大量に作れるようになれば、その影響は計り知れない。
だからこそ、ある程度の目処が立ったところでグランシエール家には知らせておくべきだと考えていた。
それは父だからではなく、フェルメリア王国でも有数の大貴族であるグランシエール公爵だからこそだった。
「なぜわかった」
「何がでしょう?」
「その飼料用の根菜とやらから、砂糖が取れることだ」
当然来るであろう質問だった。
レティシアはにこやかに答える。
「以前、王妃教育で学んだことを思い出しまして」
〈でた、王妃教育w〉
〈なんでも出てくる王妃教育w〉
〈製糖まで教える王妃教育とは〉
〈王妃教育、守備範囲広すぎ問題〉
〈もう男も女も全員王妃教育受ければいいんじゃね〉
うるさい。便利なのだから仕方がないだろう。
将来、国王の隣に立つ者として、それはもう、ありとあらゆるものを詰め込まれたのだ。だから、そこに少しくらい製糖の話が混じっていても不思議ではない。
……たぶん。
「……そうか」
いつもなら、その一言で納得するはずの父の返事が、今日は少しだけ違った。
その妙な雰囲気に、レティシアは首を傾げる。
「お父様?」
「いや。何でもない」
ジョルジュはそう答え、視線を皿へ戻した。
その知識は、本来なら王妃となるべき娘のために与えられたものだった。王太子を支え、やがて国を治めるために。
しかし、その道も閉ざされてしまった。彼女にはまったく非がないにもかかわらず、王太子から一方的に婚約を破棄されてしまったからだ。
それでもレティシアは、王妃教育で得た知識を腐らせるどころか、自分の領地を立て直すために役立てている。
ジョルジュが何を思ったのかは、レティシアにはわからない。
ただ、ほんの一瞬だけ見えた父の表情は、いつもとは少し違った気がした。
〈パパ上どうした〉
〈ちょっとしんみり〉
〈あ……(察し)〉
〈そこはそっとしておいてやれ〉
〈なお、お嬢本人は王妃教育で得た知識を便利なwiki扱いしている模様〉
最後の一言は余計だ。
ここは少しそっとしておいてほしい。
「それで」
ジョルジュが気を取り直したように話を戻した。
「どうやって作った」
「それについては、まだ詳しくお話しできません」
ジョルジュの目が細くなる。
「秘匿するつもりか?」
「いいえ、隠すつもりはありません。ただ、まだ人に説明できるほど製法が固まっていないのです」
「……なるほど」
「今回使ったものも、ようやく菓子に使える程度になった試作品でしかありません。作るたびに品質が変わるようでは、商品にはできませんもの。今はまだ製法を試行錯誤している段階です」
決して秘密にしたいわけではない。むしろ早期に製法を確立させて、父に協力を仰ぎたいとすら思っている。
しかし今はまだ、その前段階にすぎなかった。
「では、量産できるかどうかも、まだわからんのだな」
「はい」
「原料となる根菜の収穫量は」
「集計中です。まだ正確には」
「そうか」
ジョルジュはそれ以上尋ねなかった。
未だ完成してもいない技術について、根掘り葉掘り聞いたところで仕方がないと判断したのだろう。
代わりに、その視線が少し鋭くなる。
〈製法確立してからスケールしてもろて〉
〈上司にしたら怖いけど有能〉
〈圧は強いが話は通じる〉
〈上司にしたい男殿堂入り〉
「レティシア」
「はい」
「仮にこれが安価に大量生産できるようになったとして、次に何が起こるかは理解しているな」
やはり、そこへ行くか。
「もちろんですわ」
「砂糖を扱う商人は多い。輸入に関わる者も、それによって利益を得ている者もいる」
「ええ」
「そこへ、今より遥かに安い砂糖を持ち込めば、黙って見ているとは思えん」
「承知しております」
この話は、すでにオスカーともしている。
安く作れるならば安く売ればいい。
そんな単純な話ではないのだ。新しい商品が生まれれば、得をする者がいる反面、損をする者もいる。
「ですから、既存の砂糖と正面から争うつもりはございません」
「どういうことだ」
「現在の砂糖を買っているのは、主に貴族や裕福な方々でしょう?」
「ああ」
「ならば、私が売りたいのはそこではありません。今まで砂糖を買えなかった人々ですわ」
瞬間、わずかに父の眉が上がった。
「庶民か」
「はい」
レティシアは頷く。
「そもそもの商品性が違います。高級な砂糖を安く売ろうというのではなく、普通の家庭でも日常的に使える程度の価格と品質を目指しています」
「……なるほど」
「もちろん、本当にそこまで安価に作れるようになれば、の話ですが」
〈新商品あるある〉
〈市場破壊はヘイトを買う〉
〈まったく甘くない話〉
〈砂糖だけに〉
〈山田君座布団全部持ってって〉
〈そのネタ最近の人わからんだろwww〉
今の段階では、まだ夢物語に近い。
根菜そのものの収穫量もわからないし、製糖の歩留まりも低いままだ。
加えて、燃料も人手も必要だ。実際に商品として市場へ出せる価格になるかは、これから長く試行錯誤することになる。
ジョルジュはしばらく黙った後に口を開いた。
「既存の市場へ参入するのではなく、新しい市場を作るということか」
「そのつもりですわ」
さすがに理解が早い。
これが前世なら、市場の拡大とか、新規需要の創出だとか、そんな言葉を使っただろう。
もちろんここでその言葉を使うつもりはないが。
「だが」
ジョルジュが続ける。
「お前がそう考えていても、商人たちまで同じとは限らんぞ」
「はい」
「自分の客を奪われる。その可能性が少しでもあるなら、お前を敵と見てくる者はいる」
「オスカーからも同じことを言われましたわ」
ちらりと後ろを見る。
壁際に控えていたオスカーは、何事もなかったかのように一礼した。
〈オスカー先生による指摘済み〉
〈ブルーオーシャンですわ~〉
〈プリン食べたいから始まったのに志が高いw〉
〈ひとりで突っ走ってないの偉い〉
失礼な。
猪でもあるまいし、毎回思いつきだけで突っ走っているわけではない。
……と、思いたい。
「どのみち、製造量が安定するまでは、大々的に売り出すつもりはありません」
「それがいい」
ジョルジュは短く答えた。
「まずは作れることを証明しろ。次に持続可能性だ。売り方は、そのあとに考えればいい」
「はい」
「決して順番を間違えるな」
「肝に銘じますわ」
まるで教師と生徒のような会話になってしまった。
もっとも、領主としての経験は父の方が遥かに上なのだから、教わることに抵抗はない。
ジョルジュはもう一度、テーブルに残されたプリンへ目を落とした。
「しかし……」
「?」
「これだけの味にできるなら、商品としての価値はあるだろうな」
彼にしては珍しく、素直な評価だった。
「ありがとうございます」
「まだ褒めてはいない」
「先ほども同じようなことをおっしゃっていましたわね」
「事実だ」
パスタのときといい、石炭のときといい、どうしてこうも父は褒める寸前で逃げるのだろう。
〈褒めた!〉
〈今の褒めたよね!?〉
〈褒めてる褒めてるw〉
〈パパの最大級評価です〉
〈ツンデレ親父〉
〈ツンはわかるがデレが想像できないw〉
誰がツンデレだ、誰が。
若い娘ならともかく、中年おやじのツンデレなんて誰得なのかと小一時間問い詰めたい。
なお、自他ともに認める超絶美少女である私のツンデレなら、誰にとってもご褒美と言っていい。世のおじさんたちよ、感動に咽び泣け。
「燃える石の件もそうだが」
ジョルジュが続けた。
「今後、グランシエールで力を貸せることがあれば、遠慮なく言え」
レティシアは少しだけ目を見開いた。
それは思っていたより重い言葉だった。
資金を出すとも、人を寄越すとも言っていないが、父は必要なら後ろ盾になると言っているのだ。
今のヴァレーヌにとって、それがどれほど心強いことか。
「……ありがとうございます、お父様」
「だから礼を言うのはまだ早い」
「では、必要になったときに改めて」
「そうしろ」
ジョルジュはそう言うと、残っていたプリンを一口食べた。そして、何事もなかったようにもう一口。
甘いものはあまり食べない父だけど、どうやら口には合ったらしい。
レティシアはその様子を眺めながら、そっと笑った。
まだ試作品でしかない。商品にできるかどうかすらわからず、その道筋は気が遠くなるほどに長く険しい。
それでも。
少なくとも最初の一歩くらいは、踏み出せたのかもしれなかった。




