第74話 会話が盛り上がりませんわ。
前回までのあらすじ
娘はついで。まぁ、そんなもんです。
グランシエール領からやって来た、鉱山技師たちとの打ち合わせ。それは思いのほか長引いた。
約50年前に閉山した廃鉱山。その残っていた記録と現在の地形を照らし合わせながら、どこから調査を始めるかを決めた。
ひとまず明日から現地を確認し、本格的な調査方針はそれから決めることになった。
「では、明朝より現地へ向かいます」
「よろしくお願いいたします」
〈安全第一〉
〈ヨシ!〉
〈ヨシ、じゃないが〉
〈ミケも連れてけ。坑道に詳しい〉
〈これがほんとの現場猫案件〉
〈不安しかないんだがwww〉
冗談でもそんなことは言わないでほしい。
ミケはもう領主館に馴染みつつある。いまさら一人だった頃を思い出させるべきではない。
今は彼女の心の平穏を第一に考えるべきだろう。
レティシアが技師たちへ頭を下げたところで、オスカーが声をかけてくる。
「領主様。そろそろ夕食のお時間でございます」
「あら」
言われて窓の外を眺めれば、いつの間にか日はすっかり落ちていた。
ジョルジュも技師たちとともに立ち上がる。
「今日はここまでだな」
技師たちとはここで別れ、それぞれ夕食を取ってもらうことになった。
◇
そのころ、領主館の厨房には普段より張りつめた空気が漂っていた。
「エルマ、そちらを頼む」
「はいっ!」
料理長リオネルの指示に、エルマがいつもより大きな声を返す。
領主館の厨房で働き始めてから数か月。今では指示されなくとも自ら動けるようになっていた。
けれど、今日ばかりは勝手が違う。夕食を口にするのは、フェルメリア王国でも指折りの大貴族、グランシエール公爵その人だ。
しかもリオネルにとっては、かつて仕えた公爵家の当主でもある。そんな相手に出す料理の補助をしているのだと思えば、緊張するなという方が無理だった。
「それ、そっちじゃないぞ」
「あっ」
慌てて手を戻すエルマ。リオネルは落ち着いた様子で言った。
「いつも通りでいい。公爵様だからって、料理の作り方が変わるわけじゃない」
「……はい」
「返事」
「はいっ!」
リオネルはそれ以上何も言わず、鍋の中のソースへ意識を戻した。
緊張していないはずがないのだが、料理長にはそれが見えない。いつもと同じだ。ならば、自分も普段通りでいい。
そう思ったのか、エルマの動きも次第に落ち着きを取り戻していった。
◇
ヴァレーヌの領主館にも、もちろん来客用の食堂はある。
とはいえ、公爵家の本邸にあるそれと比べれば、ずいぶんこぢんまりとしたものだ。
必要な調度品は揃っているものの、内装は地味なうえに流行りの意匠でもない。王都の貴族が見れば、誰もが質素と評するだろう。
レティシアとしては少々気になるところだが、当のジョルジュは室内を見回すことすらしなかった。
どうやら本当に何とも思っていないらしい。いや、興味がないだけかもしれないが。
食卓についているのは、レティシアとジョルジュの二人だけ。
少し離れた場所にはオスカーとアリス、それにジョルジュ付きの従者が控えている。
料理が運ばれ、食事が始まった。
「技師の方々には、明日から坑道周辺を確認していただく予定です」
「うむ」
「古い鉱山記録についても、残っているものはすべて渡してあります」
「そうか」
「……」
「……」
会話が終わった。
〈終わるの早っ〉
〈親子の会話が三往復もたないwww〉
〈会話終了RTA〉
〈仲悪いの?〉
〈仲は悪くありませんわ〜〉
〈パパ上、会話無効スキル持ち〉
いや、決して仲が悪いわけではない。断じてない。父との関係は良好だと思っている。
ただ、昔からこの人とは雑談が続かないだけだ。
いつ、誰が相手であっても会話を続けられる雑談力。王妃教育で培ったこの技術も、なぜかこの人には効き目がない。
なお、理由は不明。
「今年は、例年より早く涼しくなりそうですね」
「そうだな」
「……」
「……」
〈またw〉
〈誰か助けて!〉
〈ママ上様を召喚しろ〉
〈この人との会話どうやって盛り上げてたの?〉
〈夫婦の謎〉
〈シモンヌ様の雑談力が化け物説〉
〈でた、キボンヌwww〉
そう、シモンヌ。つまり、お母様だ。
言っておくがキボンヌではない。彼女に降臨してほしいと切に願うのは、決して甘えではないだろう。
あぁ、お母さま。今ほどあなたの偉大さを痛感したことはございません。
いったいあなたは、この人との会話をどのように盛り上げているのでしょう。ずっと昔から身近で見てきたのに、どうしても思い出せません。
リューベル辺境伯とはあれほど自然に話を続けられたというのに、なぜ実の父を相手にするとこうなるのか。
王妃教育でも教わらなかった難題である。
もっとも、ジョルジュ本人は沈黙など意に介さず、普通に料理を口へ運んでいた。
人の気も知らずに。
そうこうしているうちに前菜が下げられ、次の料理が運ばれてきた。
そこでジョルジュの視線が、皿の上で止まる。
淡い黄金色をした、細長い食べ物。そこへ肉やキノコ、香草を使った濃厚なソースが絡められ、彩りよく盛りつけられている。
普段、領主館で食べているものより、明らかに手が込んでいた。さすがは、かつてグランシエール公爵家で副料理長まで務めた男である。
「これは何だ」
ジョルジュが尋ねた。
「パスタですわ」
その言葉に、小さく表情が変わる。
「これがそうか」
「ご存じでしたか?」
「報告にはすべて目を通している」
ですよねー。
娘が領地で何か妙なことを始めれば、この父が知らないはずもない。
「保存の利く小麦の加工品だろう。最近では、領内で食べる者が増えているそうだな」
「はい」
おおむね合っている。ただ、どうやらジョルジュの中では、まだ『庶民向けの保存食』という認識らしい。
無理もない。乾燥した状態のパスタだけ見れば、華やかな料理とはほど遠い。誰かには「紐」とまで呼ばれたことさえあるくらいだ。
そんな紐のような食べ物を、ジョルジュがフォークで一口分取って口へ運んだ。
ゆっくり噛む。
何も言わない。
もう一口。
レティシアは何となく落ち着かなくなってきた。べつに自分が作ったわけではないのだが。
「……悪くない」
「まあ」
珍しい。
父が料理を素直に褒めるなんて、何十年ぶりだろう。
……嘘です。ごめんなさい。あまりに意外だったので、話を少し盛ってしまった。
〈勝訴〉
〈これは気に入ってるやつ〉
〈父上基準では最高評価〉
〈悪くない=かなり良い〉
「ソースもいい。だが、それだけではないな」
ジョルジュは皿の上のパスタを見た。
「柔らかすぎず、噛み応えがある。小麦の味も残っている」
「お気に召したようで何よりです」
「レティシア。これは乾燥させた状態で、どれほど保つ?」
来た。
「湿気を避けて適切に保存すれば、かなり長く保ちますわ。数か月といったところかと」
「運搬は?」
「乾燥させれば、さほど重いものではありません。衝撃に弱く、折れることはありますが、それで食べられなくなるというものでもありません」
「調理に必要なのは?」
「基本的には水と鍋、それに火があれば。塩があればなお良いでしょう」
「なるほど」
ジョルジュの顔が、完全に仕事のそれへ切り替わった。
〈料理の感想が秒で終わったw〉
〈食事中も仕事の話しかしてねぇw〉
〈雑談は続かないのに仕事の話は続いてて草〉
〈親子団らんとは〉
〈兵站チェック始まりました〉
〈この親父もそっち系かよ〉
〈ベルンハルトと同じ反応で草〉
……やっぱり、そこを見るのか。
以前、ベルンハルトへパスタを出したときも似たようなものだった。
どうやら国境や兵を預かる人間に保存食を食べさせると、味の次には必ず運搬と備蓄の話になるらしい。
「行軍用にも使えるな」
「そう思います」
「パンほどそのまま食べられる手軽さはないが、食事としてはこちらの方がよほどましだ。備蓄用にも使える」
ジョルジュはそう言いながら、また一口食べた。
評価は悪くない。いや、むしろ、かなり高いと言ってもいいだろう。
ならば――
「お父様」
「なんだ」
「ひとつ、お願いがございます」
ジョルジュが視線だけで続きを促す。
「今すぐ、という話ではありません。まずはヴァレーヌ領内での生産を安定させ、領内へ十分に行き渡らせてからになりますが」
「ああ」
「その後、余剰分をグランシエール領でも扱っていただけないでしょうか」
「グランシエールで?」
「はい。できれば、アーレ商会を通して」
その名前に、ジョルジュの眉がわずかに動いた。
アーレ商会。
グランシエール公爵家と長年取引を続けている、いわゆる御用商会である。
「なぜアーレ商会だ」
「信用があるからですわ」
レティシアは迷わず答える。
「ヴァレーヌで作られた、聞いたこともない食べ物。とだけ言われても、最初から手に取る者は多くありません。ですが、アーレ商会が扱っている品となれば話は変わります」
「商会そのものの信用を利用するということか」
「はい」
さすがに話が早い。
「アーレ商会が扱う品ならば、一定の品質がある。そう思ってもらえれば、初めて買う方の抵抗も小さくなります。それに将来的には、ヴァレーヌ産であること自体にも価値を持たせたいと考えています」
要するにブランド価値である。前世では当たり前のように存在していたものだ。
同じような品でも、誰が作ったか、どこで売っているか、どんな名が付いているか。それだけで値段が何倍にもなる。
別にぼったくろうというわけではない。重要なのは、安さで競争しなくて済むことだ。
安い方が売れるから値を下げる。すると相手も対抗して値下げする。
まさに値下げ合戦。そんな消耗戦へ入ってしまえば、小さなヴァレーヌなどひとたまりもない。
ならば最初から、
『ヴァレーヌのパスタだから買う』
そう思ってもらえる立場を作っておいた方がいい。
「なるほどな」
ジョルジュは否定しなかった。けれど、すぐに頷きもしない。
「話は分かった。しかし、まずは領内での生産を安定させろ」
「はい」
「品質にばらつきがなく、一定量を継続して供給できることを示せ。外へ売った結果、自領で足りなくなったでは話にならん」
「おっしゃる通りですわ」
「その条件を満たしてからだ。アーレ商会の話は、そのとき聞こう」
やはり甘くはない。
娘が頼んだからといって、はいそうですかと御用商会を動かしてくれるような父ではなかった。
けれど、それでいい。むしろ、話そのものを退けられなかっただけでも十分だ。
〈ぐう正〉
〈厳しいw〉
〈父上、商売でも堅い〉
「ありがとうございます、お父様」
「礼を言うのはまだ早い」
「では、実現したときに改めて」
ジョルジュがほんの少しだけ目を細めた。
笑った……のだろうか。
たぶん。
父の表情を読むのは難しい。あのベルンハルトより何倍も。
食事も終盤となり、食べ終わった皿が下げられていく。そして最後に、小さな器がジョルジュの前へ置かれた。
「……」
ジョルジュがそれを見る。
黄色い。表面には艶があり、器が置かれた拍子にぷるんと揺れた。どう見ても、この世界では見慣れない菓子である。
「これは何だ」
おもむろにジョルジュが口を開く。その顔には怪訝そうな表情が浮かんでいた。
レティシアは意味ありげに微笑んだ。
「まずは召し上がってみてくださいませ」
〈焦らすw〉
〈悪い顔してそうw〉
〈お父様、初プリン〉
〈プリン爆弾セット完了〉
〈ぼくはアレットたんのぷりんぷりんが食べたいです〉
〈おいやめろ〉
ジョルジュは何か言いたげだったが、素直にスプーンを取り、少しだけすくって口へ運んだ。
舌の上で確かめるように味わったあと、もう一口。
「乳と卵か」
即答だった。
レティシアは思わず瞬きをした。まさか、一口食べただけで材料まで言い当てるとは思わなかった。
実家にいたころ、父が菓子を口にしている姿などほとんど見た記憶がない。そのため、てっきり甘い物には興味がないのだと思っていたのだが。
……意外と舌は肥えているらしい。
決めつけてごめんなさい。
レティシアは心の中で謝罪した。
「はい。主にはその二つを使っています」
「ずいぶん柔らかいな」
「蒸して固めていますので」
「なるほど」
また一口。
〈気に入ってるじゃねーかw〉
〈舌つよ〉
〈スプーン止まらない〉
〈顔には出ないが匙は正直〉
どうやら気に入ったらしい。相変わらず顔にはほとんど出ないが、スプーンは止まらない。
やがてジョルジュが何気なく言った。
「甘いな」
「ええ」
「砂糖を使ったのか」
「はい」
ジョルジュがプリンをもう一度見る。
「随分使ったな。高かっただろう」
「いいえ」
その一言に、ジョルジュのスプーンが止まった。
「……何?」
ジョルジュが顔を上げる。
レティシアはにこやかに微笑み、そして言う。
「砂糖は買っておりませんわ」
今度こそ、ジョルジュの動きが完全に止まった。
食堂には変わらず静かな空気が流れていて、誰ひとりとして口を挟もうとしない。その中で、ジョルジュの目だけが鋭くなる。
「……どういう意味だ」
低い声だった。
レティシアは真正面から父を見返す。
その顔には、王妃教育で磨き上げてきた、隙のない淑女の微笑みが浮かんでいた。




