第73話 本当についでだったようです。
前回までのあらすじ
抜き打ち監察官ジョルジュ。
「――燃える石というものを、ご存じですか?」
その問いに、ジョルジュはゆっくりと口を開いた。
「……知っている」
「ご存じなのですか?」
思わずレティシアは聞き返した。てっきり一から説明しなければならないと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「実物を見たことはない。だが、若い頃に聞いたことがある」
ジョルジュは記憶を探るように、わずかに視線を伏せた。
「遥か東方の国だったか。地中から掘り出した黒い石を、薪や炭の代わりに使う土地があると、な」
「……ええ」
「当時、もし我が国にも同じものがあれば、と考えたことを覚えている」
そこまで言って、ジョルジュの目が再びレティシアへ向けられた。
「まさか、お前の言うものがそれだというのか?」
レティシアは小さく頷いた。
「まずは実物をご覧いただくのが早いかと」
「まさか……あるのか?」
「はい」
返事を聞いたジョルジュの目つきが明らかに変わる。表情そのものはさほど変わらないが、娘であるレティシアには分かった。
食いついた。
ものすごく食いついた。
〈さすパパ〉
〈パパ上の目が変わったw〉
〈めっちゃ興味ありそう〉
〈少年の目をしている〉
すでに少年という年齢でもないだろう。けれど、男はいつまで経っても少年の心を忘れないとも聞く。
対して女は現実的だ。その女にしてみれば、それって単に幼稚性が残ったままでないかとも思うのだが、そんなことは絶対に言えなかった。
「こちらへ」
言いながら、レティシアが席を立つ。
向かった先は領主館の厨房だった。ジョルジュとロラン、オスカーとアリスも続く。
厨房では、すでにリオネルが待っていた。公爵の姿を認めると、姿勢を正して深々と一礼する。
「公爵様。ご無沙汰しております」
「ああ。息災で何よりだ」
短い言葉だった。
〈世間話ゼロw〉
〈仕事人間しかいないwww〉
〈もしかしてコミュ障?〉
〈んなわけあるかい。社交の鬼だぞ〉
リオネルはかつてグランシエール公爵家で副料理長を務めていたので、ジョルジュにとっても見知らぬ使用人ではない。
もっとも、久しぶりの再会だからといって世間話を始めるような間柄でもなかったが。
「お願いします」
レティシアの言葉に、リオネルが竈へ向かう。薪にはすでに火がついていて、その上へ黒い塊がいくつか置かれた。
もちろんそれは石炭だ。しばらくは表面が煤けるばかりだったが、やがて石そのものへ火が移り始める。
赤く熱を帯び、独特の煙と臭いを発しながら石炭が燃えていく。ジョルジュはそれを黙ったまま見つめていた。
「……確かに燃えているな」
「はい」
言葉は平静だが、視線が石炭から離れない。
「薪と比べて、どうだ」
問われたリオネルが答える。
「試した限りでは、火力は強く、長く燃えます。ただ、御覧の通り煙と臭いがございますので、扱いやすいとは申し上げにくいかと」
「厨房では?」
「日常的に使うつもりはございません」
今度はレティシアが答えた。
「匂いの問題がございますので、料理には薪の方が扱いやすいでしょう。まずは石灰を焼く炉や鍛冶など、強い熱を必要とする場所で試していくつもりです」
「なるほど」
ジョルジュが小さく頷く。
そして、次に出てきた言葉は感想でも賞賛でもなかった。
「量は?」
さすがである。すでに、ただ珍しい物を見学しているだけではないということだ。
レティシアもまた、聞かれると思っていた。
「まだ分かりません」
「どこで見つけた」
「廃鉱山の近くです。地表近くへ露出していたものを拾いました」
〈正確に言うと拾ったのは猫です〉
〈猫の私物です〉
〈猫にもらいました〉
〈猫がもっといっぱい持ってます〉
いや、その情報はいらんだろ。
説明がただ面倒臭くなるだけだ。
「ほかにもあるのか?」
「それを調べていただくために、鉱山技師の派遣をお願いしたのです」
その言葉に、ジョルジュの眉が小さく動いた。
「……なるほど。それでか」
やっぱり。
父親の反応を見たレティシアの中で、ようやく何かがつながった。
「お父様」
「なんだ」
「もしかして、最初から何かあるとお考えだったのですか?」
「当然だ」
即答された。
「お前が理由もなく、わざわざ私に頼み事をするとは思っていない」
うん、正解。そうだろうとは思っていた。
「だから、ご自身でこちらへ?」
「そうだ」
「では、わたくしの領主ぶりをご覧になるためというのは?」
「それはついでだ」
「ついで……」
〈言ったw〉
〈娘との再会がついでwww〉
〈無慈悲すぎる〉
〈効いてる効いてるw〉
〈石炭>娘〉
〈パパ上それ本人に言うのかよw〉
〈建前ですらなかったwww〉
〈不器用か!〉
いや、いい。べつにいいのだ。
私とて、もう立派な大人である。父親が娘の顔を見るために何日もかけて訪ねてきてくれたなどと、本気で思ってはいない。
いない……いないのだが……ついでか。
「ですが、それなら事前にお知らせくださってもよかったのではありませんか?」
「知らせれば、お前は色々と準備するだろう」
「当然ですわ。それの何がいけませんの?」
「いけないとは言っていない」
ジョルジュは淡々と答えた。
「だが今回は、ありのままを見たかった」
「ありのまま?」
「お前が今、何を知り、何を知らず、どこまで考えて動いているのか。それを確認したかったのだ」
なるほど。
本当に抜き打ち監査だった。
「……わたくしを信用していらっしゃらないのですか? 都合の悪いものを隠したり、辻褄を合わせようとすると?」
少し意地悪く聞いてみる。しかしジョルジュは顔色一つ変えなかった。
「信用と確認は別だ。侮るな」
おふぅ……正論。
ぐうの音も出ない。
〈正論パンチ〉
〈ぐう正〉
〈パパ上強い〉
〈信用してるから確認しません、にはならんわな〉
〈上司にしたら胃が痛いタイプ〉
まったくだ。
娘としては非常にやりにくい父親だが、大貴族家の当主というものはこれくらいでなければ務まらないのだろう。
ジョルジュは再び燃える石へ目を向けた。そこで、ふと何かに気づいたように動きを止める。
「……待て」
「はい?」
嫌な予感がした。
「レティシア」
「何でしょう」
「慰謝料として王家が提示した土地。その中から、あえてお前がヴァレーヌを選んだのは――」
ジョルジュの目が石炭へ向く。
「まさか、これの存在を知っていたからではあるまいな」
ぎくり。
落ち着け私。こういう時のために腹芸を極めてきたのではなかったか。それをいま使わずにいつ使う。
レティシアは、虫も殺せぬ公爵令嬢の顔で優雅に微笑んだ。
「何をおっしゃいますの? わたくしに鉱山の知識があるとでも?」
嘘は言ってない。少なくとも専門家のような知識は持っていない。
ジョルジュはしばらく娘の顔を見ていたが、やがて自ら小さく首を振った。
「……いや。まさかな」
そうそう、その調子。
「長く放置されていた鉱山だ。関係者でさえ気づかなかったものを、お前があらかじめ知っていたはずもない。――気のせいだ、忘れてくれ」
「かまいませんわ」
ふう、危機一髪。
どうかそこで思考を止めてください、お父様。この話はこれ以上広げなくて結構です。
その後、ジョルジュはしばらく何も言わずに、燃える石炭を見つめ続けた。その横顔には、先ほどまでとは違う険しさがあった。
「レティシア」
「はい」
「これは、お前が考えているより厄介なものになるかもしれん」
声が低い。
「厄介、ですか?」
「この国で燃料として何が使われている?」
「薪と木炭が主ですわね」
「そうだ。それはもう何百年も変わっていない」
ジョルジュが竈の火を見る。
「木を伐り、薪や炭にする。当然だが、燃料が必要になればなるほど森林へ負担がかかる。加えて、運ぶにも人手がいる」
ジョルジュの視線が、赤く燃える黒い石へ移った。
「だが、これが地中から大量に採れたらどうなる」
「……」
「薪よりも火力が強く、炭よりも長く燃えるならば窯にも使える。鍛冶にも使えるだろう。工房もそうだ。冬の暖房にだって使えるかもしれない」
レティシアは黙って聞いていた。
とっくに斜陽だったとはいえ、石炭は前世でも当たり前に存在した資源なのだから、その価値なら十分に知っている。
けれど父が見ているのは、単に便利な燃料かどうかという話ではなく、その先だ。
〈ここから真面目〉
〈真面目かっ!〉
〈細けぇこたぁいいんだよ。酒持って来い、酒〉
〈アル中かっ!〉
「薪や木炭が直ちに不要になるとは言わん。それらにはそれらの使い道がある。だが、一部を置き換えるだけでも相当に影響は大きい。そして何より――」
ジョルジュの目がレティシアへ向く。
「ここがヴァレーヌだということだ」
その一言で、レティシアも察した。
「……国境領だからですか」
「そうだ」
北にはオルトラント王国がある。
オーデル川を挟んだ、すぐ向こう側だ。
「大量に採れると分かれば、王家は当然関心を持つ。有力貴族も、商人もだ。利益になると分かれば、人も金も集まってくる。勝手にな」
淡々とした口調のまま、ジョルジュは続ける。
「そしてその情報は、国境の向こうへすぐに渡るだろう」
「……」
「価値のある資源を国境領が抱える。それが何を意味するかは、お前にも分かるな」
「はい」
〈この『勝手に』が怖い〉
〈国家案件待ったなし〉
〈資源が国境にあるのはヤバい〉
〈ベルンハルトがアップを始めました〉
単なる代替燃料では済まされない。
石炭そのものが戦争を引き起こす、などと今すぐ考える必要はないだろうが、他国が欲しがるほどの資源になる可能性があるなら、存在そのものが政治材料になる。
「採掘できる量があると判明した時点で、これはヴァレーヌだけの問題ではなくなる」
ジョルジュの言葉は重い。
レティシアは少し考えてから尋ねた。
「……わたくしでは、扱いきれないとおっしゃるのですか?」
「違う」
即答だった。一寸の間すらない。
「お前の能力の話ではない。ヴァレーヌという一領だけで抱えるには、大きすぎると言っているのだ」
レティシアは目を瞬いた。思っていた答えとは少し違っていたからだ。
「ならば、この件には最初からグランシエール家も関わる」
「お父様」
「勘違いするな」
レティシアが言葉を続ける前に、ジョルジュが遮った。
「鉱山を取り上げるつもりはない。ヴァレーヌで見つかった資源ならば、それはヴァレーヌのものだ」
「……はい」
「だが、調査のための人員、資金、情報。必要ならばこちらからも出す」
さらにジョルジュは言葉を重ねる。
「調査を終え、情報を精査し、王家へ報告する段階になれば私も出よう。事前に必要な根回しはこちらで行う」
「有力貴族への説明も、ですか?」
「そうだ。採掘できると分かってから突然公表すれば、余計な騒ぎを招くのは目に見えている。話を通すべき相手には、先に通しておいた方がいい」
さすがに、そのあたりはレティシアの経験では遠く及ばない。
王妃教育で政治を学んではきたが、実際に何十年も大貴族家を率い、王家や他家と渡り合ってきた父とは蓄積が違う。
〈公爵家バックアップ確定〉
〈強力支援〉
〈経験値が違いすぎる〉
〈ついで扱い()だけど頼れる〉
〈複雑w〉
「ありがとうございます」
レティシアは素直に頭を下げた。
「ですが、その際の条件については――」
「当然、後で詰める」
ジョルジュが事も無げに答える。
「私はお前の父親だが、同時にグランシエール公爵でもある。公爵家の人間と金を動かす以上は曖昧にせん」
「はい」
それでいい。いや、それがいい。
親子だから無料で助けてもらうつもりなど、レティシアにも最初からなかった。
「まずは調査だ」
ジョルジュが竈へ向き直る。
「採掘できるだけの量があるのか。どのように分布しているのか。質はどうか。採掘と運搬にどれほどの手間と金がかかるのか」
「はい」
「それが分からなければ、何も始められん」
まさしくその通りだった。
燃える石が一つ見つかった。それだけで夢を見るにはまだ早すぎる。
「ただし」
ジョルジュが振り返る。
「採れると分かってから準備を始めたのでは遅い。だから、グランシエール家も今から動く」
「ありがとうございます、お父様」
「ああ」
それからしばらくして、一行は厨房を後にした。廊下を歩く父の背中を見ながら、レティシアは考える。
石炭が価値ある資源だということは、自分も前世の知識から知っていた。けれど、それが現実のものとなったときに何が起こるかまでは想像していなかった。
しかし父は僅かな時間でそこまで考えを巡らせた。やはり、長年グランシエール公爵家を率いてきた人物は違う。
まだまだ学ぶことは多そうだ。
……ただ。
それはそれとして。
本当に私は――ついでだったんだ。
解せぬ。




