第71話 たまには黄昏てみました。
前回までのあらすじ
雑談力って本当に大事。仕事ならなおさら。
今日は領都エーベルの視察へ出かける日。
レティシアが領主館の正面玄関を出ると、すでに馬車が用意されていた。
さて、乗り込もう。
そう思って馬車へ近づいたところで足を止める。ふと見れば、馬車に繋がれた栗毛の馬の首元に、見覚えのある三毛色のしっぽが揺れていた。
「ミケ?」
ぴくりと猫耳が動く。レティシアの呼びかけに、馬の首を撫でていた少女が振り返った。
「なんだ、レティシアか」
「何をしているのです?」
「ガブリエルと話してた」
さらりと言われた。
ガブリエルというのは、この馬車を引く馬の名だ。最近知ったのだが、どうやらミケは領主館にいる馬たちの名前をすべて覚えているらしい。
〈三毛しっぽ発見〉
〈しっぽでバレる猫〉
〈ガブリエルという名前が強い〉
〈天使馬かな?〉
〈馬車馬ガブリエル〉
客人として保護した彼女に、特に仕事は命じていなかった。もっとも、領主館で暮らすうえでの最低限のルールとマナーを覚えるのに結構な時間と辛抱心を割いていたようだが。
教師役はあのクララである。さもありなん。
それらが一段落した最近は、元来じっとしているのが苦手なのか、気づけばミケは馬房へ入り浸るようになっていた。
とはいえ、馬屋番の仕事を奪うほどのものではなく、馬にブラシをかけたり、飼葉を運ぶのを手伝ったり、放牧される馬についていく程度。
最近では、馬の腹を枕にして昼寝をすることもあるらしい。何とも微笑ましい話である。
聞けば、ミケは馬の気持ちが分かるという。
本人へ尋ねれば、
「なんとなく」
の一言で終わるのだが、これが妙に当たる。
腹が減っている。
調子が悪い。
あの馬とは一緒にされたくない。
そんなことまで言い当てるものだから、今では馬屋番たちも何かあればミケへ尋ねるようになっていた。
そんなミケには当たり前のように馬たちも懐いた。本来なら伝わらないであろう自分たちの気持ちを理解してくれるのだから、当然といえば当然である。
それはミケが人より獣に近い種族だからなのか、持って生まれた才能なのかは分からない。ともあれ、彼女は彼女なりに領主館での居場所を見つけたらしかった。
「ミケ。馬房のお仕事を手伝っていると聞きました。立派です」
「仕事じゃないぞ」
「そうなのですか?」
「ただ遊んでるだけだ」
前世で言う「ツンデレ」よろしく、ミケがぷい、と顔を背ける。
けれど、しっぽがぶんぶんと勢いよく左右へ揺れるのは隠しようがなかった。
〈しっぽw〉
〈めちゃくちゃ喜んでるやんwww〉
〈ぶんぶんで草〉
〈しっぽは嘘つかない〉
〈猫、チョロい。略して猫チョロ〉
〈褒められて伸びる猫〉
なんとでも言え。しっぽは便利なものである。主にこちらにとっては。少なくとも、ミケの本音を読み違えることはない。
「それでも、率先して手伝っているのでしょう? 素晴らしいと思いますよ」
「……べつに」
素っ気ない口ぶりに反して、しっぽの加速度がさらに増していく。
これ以上褒めると本当に飛んでいきそうなので、この辺りでやめておくことにした。
レティシアは笑いを堪えながら馬車へ乗り込んだ。
「では、行ってきますね」
「ああ。気をつけて行ってこい」
ミケはガブリエルの首をぽんぽんと叩いた。
「じゃあな、ガブリエル。レティシアを頼むぞ」
「ぶるるっ!」
ガブリエルが力強く鼻を鳴らす。レティシアは思わず馬車の窓から顔を出した。
「……今、返事をしました?」
「したぞ」
ミケは当然のように言った。
〈会話成立してて草〉
〈リアルでも猫と馬は仲良し〉
〈ほんとに分かってんの?〉
〈ガブリエル「任された」〉
〈ミケ「よし」〉
〈ヨシ、じゃないが〉
本当に会話しているのだろうか。
甚だ疑問ではあるが、ガブリエルはやる気満々らしい。御者が手綱を取ると、馬車はゆっくりと領主館を離れていった。
◇
レティシアは馬車の窓から外を眺めた。
九月も下旬。日差しにはまだ夏の名残があるものの、吹き込んでくる風はずいぶん涼しい。通り沿いの木々にも、ところどころ黄色が混じり始めていた。
そして――人が多い。
赴任したばかりのころと比べれば、明らかに通りを行き交う人の数が増えていた。
荷車を引く男に、籠を抱えて店を回る女。仕事帰りなのか、楽しそうに歩く若者たち。
店先では商人と客が銅貨をやり取りし、その脇では子供が小銭を握りしめて焼き菓子を買っている。
ヴァレーヌはいまだ貧しい領地だが、それでも以前とはだいぶ違う。
金が動けば人も動く。何より、町に活気がある。
固いパンが中心だった食卓には新しい選択肢が増え、工房ができ、内職が生まれ、荷運びや販売にも人手が必要になった。
ひとつ仕事が生まれて収入を得れば、その金を店で使う。そこからまた別の誰かに金が渡る。
小さな循環ではあるけれど、その小さな金の流れが少しずつ町の空気を変えていた。
「領主様!」
不意に声が飛んでくる。見ると、通りの端にいた女性がこちらへ手を振っていた。
レティシアが微笑んで窓越しに軽く会釈すると、隣にいた男も帽子を取った。
「領主様、おはようございます!」
「おはようございます」
さらに別の場所からも声が上がる。
「領主様!」
「今日は視察ですか!」
「はい。お邪魔をさせていただきますわ」
〈人気者じゃん〉
〈好感度めっちゃ上がってる〉
〈初期の警戒感どこいった〉
〈アイドルか!〉
〈領主様ファンサ〉
〈はいはい、こちらへ並んでください〉
〈握手一回、銅貨10枚です〉
言われてみれば。
赴任した当初は、こんなふうに声をかけられることなどなかった。
もちろん礼儀として頭は下げられたけれど、その視線には戸惑いや不安が混じっていたように思う。
若い。女だ。しかも王都育ちの公爵令嬢。
そんな人間に何ができるのか。
たとえ口に出さなくとも、そう思われているのは分かる。さすがに面と向かって言うことはないが、彼らの表情がそう語っていた。
とはいえ、それも無理はないだろう。立場が逆なら、自分だって同じことを思っていたはずだ。
ところが今は、向こうから手を振ってくれる。
「……随分と変わったものですね」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。
向かいに座るオスカーが、窓の外を見て答えた。
「はい」
たった一言、それだけだった。
余計なことは言わない。
相変わらず、よくできた家令である。
広場近くで馬車を降りる。同行しているのはオスカー、アリス、クルト。それに数名の護衛騎士。
レティシアは店先を覗きながら、ゆっくりと通りを進んでいった。
「領主様、今日はこっちまで来たんですか?」
「ええ。皆さんが困っていることがないか、見て回ろうと思いまして」
「そりゃ、ちょうどよかった! 帰りにうちの店も見てってくださいよ」
「まあ。何のお店ですか?」
「革物ですよ。最近、ちょっとだけ品数を増やしたんです」
「それは楽しみですね」
以前なら領主が姿を見せただけで緊張していた人々が、今では随分と気軽に話しかけてくる。
もちろん最低限の礼儀はあるが、その向こう側に見えた壁が、少し薄くなったように感じられた。
〈馴染んでるなあ〉
〈もう普通に田舎の領主様だろ〉
〈フレンドリーでよか〉
〈領主というより町内会長ではw〉
〈回覧板持ってそうwww〉
誰が町内会長だ。いくら辺境でもそこまで小さな街じゃない。
それに街の顔役は、ちゃんと別にいる。
レティシアが心の中でそうツッコんでいると、ひとりの年配の女性が籠を抱えて駆け寄ってきた。
「領主様、これを」
「まあ」
差し出された籠の中には、赤く熟れたトマトや豆、根菜が詰まっていた。
「今朝採れたばかりなんです。よかったら持っていってください」
「ですが、こんなにいただいてしまっては――」
「大丈夫ですよ。売る分はちゃんと別にありますから」
女性はからからと笑った。
「今は前より売れますしね。これは余った分から少し分けただけです」
「それなら……ありがたくいただきます」
レティシアが礼を言うと、女性はとても満足そうな顔をした。その様子を見ていたからだろうか、今度は別の女性がやってきた。
「領主様! だったらうちの卵も持ってってください! 昨日産んだばかりなんです!」
「あ、でしたら私はこれを」
今度は卵と果物。
「うちの漬物もどうです?」
野菜の酢漬け。
「今朝仕留めたんですが」
最終的には、猟師がウサギまで持ってきた。
「……」
気づけばアリスの両腕は籠で塞がり、護衛であるはずのクルトまで袋を抱えていた。
〈お供え物かよwww〉
〈ウサギまで来たぞ〉
〈今日の晩飯は豪華だな〉
〈差し入れすっごw〉
〈はぁはぁ、ぼくちんはレティシアたんに差し入れたいです〉
〈帰れ!〉
無視だ無視。一々反応していられない。
それに下ネタはやめろと何度定期。
「少々、いただきすぎではありませんか?」
その様子に、レティシアが困ってオスカーを見る。
「皆、領主様に受け取っていただきたいのでしょう」
「ですが」
「無理をしている様子はありません。ありがたく頂戴してよろしいかと。それも領主の度量です」
そこまで言われてしまえば、断る方が失礼なのかもしれない。レティシアは考え直した。
「……では、馬車へ運んでください」
「承知いたしました」
護衛騎士の一人が荷物を受け取りに来るのを見送りながら、レティシアは小さく息を吐いた。
果たして領主とは、視察に出てお供え物をもらう仕事なのだろうか。
それは、王妃教育では教わらなかった。
「領主様!」
再び声が飛んだ。今度はずいぶん高い声だった。振り向くと、小さな男の子がこちらへ向かって駆けてくる。
「こらっ!」
その後ろから母親らしい女性が慌てて追いかけてきた。
「申し訳ありません、領主様! この子ったら!」
「かまいませんよ」
レティシアはしゃがんで子供と目線を合わせる。ドレスの裾に土が付いたが、かまう様子はなかった。
「こんにちは」
「こんにちは!」
元気がいい。そして声が大きい。
「うちの母ちゃん、領主様のところで仕事してるんだ!」
「あら」
レティシアが母親を見ると、彼女は少し照れたように頭を下げた。
「工房で働かせていただいております」
「そうでしたか」
「ご覧のように子供はまだ小さく、前は家でできる仕事もあまりなくて……」
女性がそこで言葉を切る。代わりに男の子が得意げに続けた。
「母ちゃん、最近いっぱい笑うんだ!」
〈全俺が泣いた〉
〈。・゜・(ノД`)・゜・。〉
「ちょっと!」
女性の顔が一気に赤くなる。
「余計なこと言わないの!」
「だってほんとだもん」
レティシアは一瞬、返す言葉を失った。
工房を作って仕事を増やした。賃金を決め、出納帳を見て支出と収入を計算した。
これまで、それらはすべて領地経営の一部として考えていたのだ。
けれど。
その先には、こういう暮らしがあるのだと思い出した。
「……それは、よかったですね」
ようやくそう言うと、女性は静かに笑った。
「はい」
男の子も笑う。
レティシアもつられて微笑んだ。
視察を終え、馬車へ戻るころには荷台の一角が差し入れ物で埋まっていた。
「……本当に多いですね」
野菜に卵に果物に酢漬け。そして――ウサギ。
「料理長が喜びますね」
アリスが楽しそうに言う。クルトは荷台のウサギを眺めながら、
「煮込みでしょうか」
と、なにやら嬉しそうに呟いた。
「クルト。あなたまで夕食の話をしないでください」
「いえ、つい」
〈晩飯のことしか考えてない護衛〉
〈平和でよろしい〉
〈護衛が暇なのはいいことだ〉
〈煮込みでしょうか。いいえ、誰でも〉
〈こだまでしょうか。児嶋だよ!〉
……もはや、何も言うまい。
いや、言う気力さえ湧かないと言った方がいいだろう。
馬車へ乗り込んで窓の外を見る。広場に残る幾人もの領民たちが、こちらへ手を振っていた。
レティシアは微笑んで小さく手を振り返す。
赴任したばかりの頃、三年以内に黒字化しなければならないとばかり考えていた。領民に好かれようなどと思ったこともなく、実際、そんな余裕などなかった。
けれど今は、名前を呼ばれて手を振られる。
採れた野菜を押しつけられる。
子供が駆け寄ってくる。
それはきっと、少なくともここにいてもいいと認めてもらえたということなのだろう。
レティシアは遠ざかっていく町並みを見つめて思う。
私はこの土地の領主になれているのだろうか。これまでのやり方に間違いはなかっただろうか。
〈どうした?〉
〈急に黄昏る美少女領主〉
〈そんなレティシア様もかわゆす〉
〈やっぱ美人だよな〉
〈きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。限界オタクなんだぜ、それで……〉
〈古いwww〉
しんみりしているところへ、突然何を言い出すのだ。反応に困るような古いネタをいきなりブッコんでくるんじゃない。
レティシアは小さく眉を寄せた。
たまには感傷的になってみるのも悪くない。
そう思ってはみたものの、視界の隅を流れ続けるコメント勢はそれを許してはくれなかった。




