第69話 第二回実務者協議を開催しました。
前回までのあらすじ
パスタの領内への普及は順調なようです。
九月も下旬に入り、ヴァレーヌは初秋を迎えていた。
日差しにはまだ夏の名残があるものの、オーデル川を渡る風はもうひんやりとしている。川沿いの木々にも色づき始めた葉がちらほらと混じり、季節が確かに移り変わっていることを感じさせた。
国境警備の屯所に設けられた会議室で、レティシアはベルンハルト・リューベル辺境伯と向かい合っていた。
もちろん、その斜め後ろには副官のマティアス・プラームが立っている。
相変わらず絵面が強い。鋭い目つきの辺境伯に、爽やかな顔立ちの副官。軍装。幼馴染。主従。
実によろしくない。
いや、ある意味においては大変よろしいのだが、今はよろしくなかった。
もはや自分でも何を言っているのかよく分からないが、とにかく色々な意味でけしからんのである。
前回は危うく脳内で薄い本を一冊完成させるところだった。今日は国境警備についての実務協議なのだから、断固として自重しなければならない。
〈待ってました〉
〈一か月ぶりの供給〉
〈何の供給だよwww〉
〈イケメン入りましたぁ!〉
〈あざぁーす!〉
〈お嬢、軍服っすよ軍服〉
分かる。
……ではなくて。
レティシアは王妃教育で叩き込まれた微笑みを保ったまま、そっと視線を横へ流した。そして、別の意味で頭を抱えたくなった。
アリスである。
レティシアの斜め後ろに控えた彼女は、侍女として申し分のない姿勢を保っていた。
背筋は伸びているし、手の位置も正しい。視線も必要以上に動かしていない。
完璧だ。
――頬が真っ赤であることを除けば、だが。
原因は言うまでもない、マティアスである。こうなることは分かっていたので、本来なら今日は領主館に残してくるつもりだった。
ところが今朝、それを告げた途端に、
『お願いでございます、お嬢様! 後生ですから!』
などと、人生の一大事のような顔で懇願までされてしまったのだから、さもありなん。果たして、後生まで持ち出すようなことなのだろうか。
結局、勤務中は絶対に失礼のないようにと念を押したうえで連れてきたのだが――
顔に出ている。ものすごく出ている。
〈アリスwww〉
〈結局連れてきたんかーいw〉
〈後生とかwww〉
〈必死すぎて草生える〉
〈推しの現場に行きたいオタク〉
〈でも仕事はちゃんとしてるからセーフ〉
〈なお顔〉
どこがどうセーフなのだろうか。うーむ、判断しかねる。
その時、ふとマティアスと目が合う。
彼はいつもの柔らかな表情のまま、ごく自然にレティシアへ会釈した。
……気づいている。間違いなく気づいている。いや、この有様で気づくなという方が無理な話か。
それでも何も言わないあたり、さすがに大人だった。
ベルンハルトも一度だけアリスへ視線を向けたものの、特に関心を示した様子はない。
しかしこう見えて、仕事以外は割とポンコツらしい彼のことである。本当に気づいていない可能性もあるが、実際のところはよくわからない。
よし。見なかったことにしよう。
それが世界平和というものだ。
「では、女伯殿。始めよう」
「ええ」
その言葉にレティシアは頷き――そこで、小さく引っかかった。
女伯殿。
前回は確か、ヴァレーヌ女伯爵殿と呼ばれていたはずだ。ずいぶんと短くなったものである。
〈女伯殿!?〉
〈ん?〉
〈呼称短縮イベント発生〉
〈どうしたベルンハルト〉
〈距離縮まってね?〉
〈一センチくらい縮んだ(当社比)〉
〈意図的に寄せてきてるよな、これ〉
〈単に効率だろ〉
そういうものだろうか。
とはいえ、すでに既知の仲である。毎回いちいち領地名まで付けて呼ぶ必要もないだろう。
うん。
それだけに違いない。たぶん。きっと。
そうレティシアが自分を納得させている間にも、コメント欄は妙に騒がしいままだった。
「それでは、まずこの一か月の運用について、こちらからご報告いたします」
口を開いたのはテオパルドだった。
今日の協議で中心となるのは、レティシアでもオスカーでもなく、実際に国境警備の現場を預かるテオパルド・ハースである。
見れば彼の前には、この一か月に作成された巡回記録や報告書がまとめられていた。
「先月より試しております第一報の簡略化ですが、以前に比べ、管理所への報告は早くなっております」
「こちらも同じだ」
ベルンハルトが答える。マティアスも手元の書類を確認して頷いた。
「特に経験の浅い兵については効果が出ております。最初から多くの情報を求めないことで、報告そのものをためらう例が減りました」
「女伯殿の提案は有効だったようだな」
ベルンハルトが何気なく言った。
「それは何よりですわ」
レティシアも普通に答える。けれど内心では、少しだけ意外に思っていた。
前回のベルンハルトなら、まず結果を確かめ、その理由を考え、自分の中で納得してから評価を下しただろう。
ずいぶん素直になったものである。
……いや、元々そういう人だったのかもしれない。
自分の意見に固執する人間なら、前回の提案そのものを受け入れてはいなかったはずだ。
「ただし、問題も出ております」
テオパルドが続けた。
「第一報で伝える三項目のうち『危険の有無』について、兵によって判断にばらつきが出ました」
その言葉にベルンハルトの目が細くなる。
「具体的には?」
「川岸で三人の男を発見した兵が、夜間に複数人で行動していたという理由から『危険あり』と報告しております。しかし確認したところ、道を外れただけの旅人でした」
「逆もあったのか?」
「ございます。剣を帯びた二人組を見つけながら、人数が少ないため『危険なし』とした者がおりました」
「なるほど」
ベルンハルトが腕を組む。
「危険かどうかを兵に判断させること自体に問題があるか」
「わたくしも、そう思いますわ」
レティシアは頷いた。
「危険という言葉は、人によって受け取り方が変わります。言い換えれば主観です。ですが、武装しているかどうかであれば、今より判断は分かれにくいでしょう」
「はい。我々も同じ結論に至りました」
テオパルドが一枚の紙を示す。
「そこで現場からは、第一報を『場所』『人数』『武装の有無』の三点へ変更することを提案いたします」
ベルンハルトがマティアスを見る。
「異論は?」
「ございません。こちらでも、その方が兵へ周知しやすいかと」
テオパルドは最後にレティシアへ視線を向けた。
「領主様、いかがいたしましょう」
レティシアは少しだけ考える。
「よいと思います。ただし、火災や負傷者など、明らかに緊急を要する場合まで三項目にこだわる必要はありません。まず何が起きているのかを伝えることを優先してください」
「承知いたしました」
「こちらもそれでいい」
ベルンハルトも同意した。それを受け、両側の事務官が書面へ変更点を書き加えていく。
レティシアはその様子を眺めながら小さく笑みを浮かべた。
自分で問題を見つけ、自分で解決方法を考え、自分で命令する。領主になったばかりの頃はどうしてもそうなりがちだったが、それでは長続きしない。
現場の人間が問題を見つけ、改善方法を考え、必要なところだけを領主へ判断を求める。今回の報告は、まさにその形になっていた。
〈テオパルド有能〉
〈部下に任せられる上司〉
〈現場のことは現場〉
〈領主は決裁する人〉
〈ヨシ!〉
〈ヨシ!じゃないが〉
それからも協議は続いた。
前回とはずいぶん違う。一か月前は互いに相手の考えを探りつつ、一つの提案について何度も言葉を交わしたものだった。
しかし今日は、テオパルドとマティアスが事前に問題を整理し、領主として判断が必要な部分だけがレティシアとベルンハルトへ上げられてくる。
つまり、話が早い。
それだけ、互いの考え方が分かってきたということなのだろう。
レティシアが、ふと気づく。ベルンハルトがオスカーを見ない。前回の会談では、自分が何かを答えるたびに背後のオスカーへ視線を向けていた。
あの時は、自分が本当に領主として判断しているのか疑っていたのだろうが、今日は一度もなかった。
テオパルドが意見を述べても、オスカーが書類について補足しても、最終的にベルンハルトが見るのはレティシアだった。
どうやら、少しは領主として信用してもらえたらしい。
それなら何よりである。
ベルンハルトもまた、向かいに座るレティシアを静かに見ていた。
テオパルド・ハース。
グランシエール公爵家からヴァレーヌへ派遣された軍事畑の男である。
国境警備という軍事に関わる場所へ、大国フェルメリアでも指折りの大公爵家の人間が入り込んでいるのだ。その名を聞いた時には警戒しない理由がなかった。
オスカー・ボレルと同じように、公爵家から送り込まれた有能な人間が若い女伯爵の周囲を固めている。
ならば実際に領地を動かしているのは父親であるグランシエール公爵で、娘はその表看板にすぎないのではないか。
そう考えていたが、どうやら違うらしい。
ハースは現場のことなら遠慮なく意見を述べ、ボレルも行政について必要があれば補足する。しかし、領主として判断すべきところは、二人とも迷いなくレティシアへ話を返していた。
そして彼女もまた、部下の言葉をただ追認しているわけではなく、聞き、考え、必要であれば条件を加えて自分で判断している。
公爵家の者たちが彼女を操っているのではなく、彼女が彼らを使っているのだ。
少なくとも、今のベルンハルトにはそう見えた。
初めて会った時に抱いた疑念は、いつの間にかほとんど消えていた。目の前にいる十八歳の女伯爵は、自分が思っていたよりも、ずっとまともな領主らしい。
「こちらからの確認事項は以上となります」
テオパルドが書類を閉じた。
レティシアが窓の外へ目を向ける。屯所へ入った時よりずいぶん日が高くなっていた。
始めてから一時間。もっと長くかかるかと思っていたが、前回に比べてずいぶん早い。
「今回は、思ったより早く終わりましたわね」
「前回は何もないところから決めたからな」
ベルンハルトが答える。
「今回は問題点も事前に整理されている。毎回これくらいで済むなら助かる」
「同感ですわ」
領主本人が何から何まで話し合わなければならないようでは、実務者同士の協力とは言えない。
この一か月。双方の国境管理所では、必要に応じて相手側へ連絡を取り、問題を整理する習慣が生まれ始めていた。
まだ試験運用は始まったばかりだが、一歩目としては決して悪くなかった。
〈ちゃんと機能してるじゃん〉
〈会議は短いほど偉い〉
〈なお異論は認める〉
〈現代人の怨念が見えるw〉
その意見には全面的に賛成したい。
前世では、一時間の会議のために半日かけて資料を作り、結論が出ずに翌週もう一度集まるという、よく分からない儀式に何度も参加させられたものだ。
そして、やっと決まったことが、結局はうやむやのうちに立ち消えになるのも様式美と化していた。
会議など、必要なことを決めたらそれで終わればいい。その後の飲み会など糞くらえである。
素晴らしい。
実に素晴らしい。
「では、我々はそろそろ戻ろう」
協議が終わり、ベルンハルトが席を立とうとする。そこでレティシアは、思い出したように声をかけた。
「お待ちくださいませ、リューベル辺境伯閣下」
「何だ?」
「もうお昼になりますでしょう?」
「ああ」
「本日は昼食をご用意しておりますの」
ベルンハルトが小さく目を見開いた。
「昼食を?」
「せっかくこちらまでお越しいただきましたのですもの、このままお帰しするのも申し訳ございませんわ」
レティシアはにこやかに微笑む。
「お時間がお許しになるのでしたら、皆様で召し上がっていかれませんか?」
ベルンハルトはすぐには答えなかった。ほんの一瞬だけ、斜め後ろのマティアスと視線を交わす。
ここはフェルメリア王国側の国境警備施設。
いくら協力関係を築き始めたとはいえ、隣国の領主が用意した食事を口にする以上、多少の慎重さは必要になるのは当然だ。
〈罠だw〉
〈ベルンハルト逃げて〉
〈男は胃袋を掴め〉
〈そういう意図じゃないだろw〉
しかし、その沈黙は長く続かなかった。
「分かった」
ベルンハルトが頷く。
「ありがたくいただこう」
「ありがとうございます」
その言葉に、レティシアの表情が明るくなる。
「本日は領主館から料理長にも来てもらっておりますの。きっとお気に召すと思いますわ」
「料理長まで?」
「ええ」
ベルンハルトがわずかに首を傾げる。
「何を用意した?」
レティシアは笑った。
「以前、閣下へお渡ししたものを覚えておいででしょうか?」
ベルンハルトは一瞬考え――すぐに思い当たる。
「……パスタか」
「はい」
レティシアは楽しそうに頷いた。
「今回はきちんとお料理として召し上がっていただきたく存じますわ」
〈飯だああああ〉
〈胃袋外交キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉
〈会議のあとは飯〉
〈食べたら最後だぞ〉
〈餌付けされるw〉
〈次回会食編。乞うご期待〉
〈全裸待機〉
〈続きはよ〉
ふふふ……逃がすつもりはない。
というのはもちろん冗談だが、ベルンハルトとは仕事以外の話をしてみたいのもまた事実。ならば、食事を口実にした雑談タイムと洒落込んでみるのもまた一興だろう。
さて、これが果たして吉と出るか凶と出るか。お楽しみである。
こうして国境警備についての実務協議は、予定より少し早く終了した。そして今度は会議机ではなく、ともに食卓を囲む時間が始まろうとしていた。




