第68話 ヴァレーヌの食卓事情です。
前回までのあらすじ
百パーセント私欲ですがなにか?
「パスタの販売を始めて、そろそろ一か月になりますね」
領主館の応接室で、レティシアは向かいに座るスヴェンへそう声をかけた。
「はい。もうそんなになりますか」
スヴェンは感慨深そうに頷く。
〈スヴェン、生きとったんかワレ!〉
〈営業報告回〉
〈新人営業の帰還〉
〈ここから先輩OLの詰めが始まる〉
〈怖すぎw〉
〈スヴェン逃げて〉
いや、詰めんし。
というか、先輩でもOLでもないし。
「それで、売れ行きはいかがですか?」
レティシアが尋ねると、スヴェンは少し困ったように笑った。
「今だから言えますが、最初の数日はどうなることかと思いました」
「大変だったのですか?」
「ええ。領都ではまだよかったんです。宿で料理として出しているのを知っている人もいましたから」
食事にパスタを出す宿も今ではかなり増えていた。いや、むしろパスタを出さない宿の方が少ないかもしれない。そのくらい、今では宿とパスタ料理は切っても切れない関係になりつつあった。
「ですが、少し離れた村へ行くと、まずはこれが食べ物だというところから説明しなければなりませんでした」
「そこからですか」
「乾燥パスタを見せたら、『こんな硬い紐を食うのか』と言われまして」
〈ぐう正〉
〈まあそうなる〉
〈見た目だけなら食い物に見えん〉
〈硬い紐w〉
〈鈍器パン民に言われたくない〉
硬い紐。その呼び方はどうかと思う。
とはいえ、初めて見る人間からすれば当然の反応かもしれない。
「最初は、湯で茹でて食べるものだと説明していたんですが」
スヴェンは肩をすくめる。
「そうすると今度は、『だったらパンの方が簡単だ』と言われるんです」
「……まあ、そうでしょうね」
レティシアも納得せざるを得なかった。
パンならそのまま食べられる。対して乾燥パスタは、鍋へ湯を張り、火を起こして茹でなければならない。
そのうえ、普段食べているパンよりも値段が少し高いのだから当然だ。何も知らない相手からすれば、わざわざ買う理由は薄いだろう。
「そこで、売り方を変えました」
「どのように?」
「豆や野菜の煮込みへ、そのまま入れてみせたんです。その場で試食してもらいました」
スヴェンはそう言って笑った。
「ああ」
「別の料理を説明するより、『いつもの鍋に入れるだけです』と言った方が、ずっと反応がよかったんです」
「商品ではなく、売り方を変えたのですね」
「そういうことになります」
レティシアは感心したようにスヴェンを見る。
「私も最初は、作り方さえ教えれば売れるだろうと思っていました。でも、どうやら違ったようです」
スヴェンは少し照れくさそうに頭を掻く。
「皆、自分たちが普段食べているものに、どう使えるのかを知りたかったようで」
なるほど。
新しい料理を一から覚えろと言われれば面倒だが、いつもの煮込みへ加えるだけなら受け入れやすい。
〈正解〉
〈客が欲しいのは機能じゃなくて使い方〉
〈UX改善ですわ〉
〈横文字やめろw〉
〈プロダクトマーケットフィット〉
〈だから横文字やめろw〉
マーケティング。
確かに、前世ならそういう言い方をしたかもしれない。顧客動向を知ることは、何よりも優先されて然るべきである。
「それからは少しずつ売れるようになりまして」
「その後は順調だったのですか?」
「いえ。初めは一袋です。それも夫婦で相談してから買う家が多かったですよ」
それが二度目に同じ村を訪れると、反応が変わったという。
「『この前のをまたくれ』と言われるようになりました」
スヴェンの声に、わずかな誇らしさが混じる。
「一袋だった家が二袋、三袋と買うようになって。隣の家の分まで頼まれることもありました」
それは大きな変化だった。
一度食べて終わりの珍品ではなく、客がもう一度買いたいと思ったということだ。
つまり、パスタが少しずつ日常の食材として受け入れられ始めたことを意味する。
細かいことは色々あるだろうが、総じて順調なのだろう。
そこで、レティシアには一つ気になることがあった。
「スヴェン」
「はい」
「パスタが売れるようになったことで、パンの売れ行きには影響が出ていますか?」
ヴァレーヌで昔から食べられてきた主食は、硬質小麦を使った硬いパンだ。パスタを普及させた結果、それを作るパン職人の生活を圧迫しては意味がない。
「まったく影響がない、とは言えません」
スヴェンは少し考えてから答えた。
「ですが、私が見た限りでは、パンを買わなくなった家はほとんどないかと」
「そうなのですか?」
「はい。どうやら使い分けているようです」
スヴェンによれば、畑仕事へ出る者や、遠くへ出かける者は今までどおりパンを持っていくそうだ。
「食べるのに火も鍋も要りませんからね。冷えたスープでも、浸して柔らかくすればそのまま食べられます」
「それはパスタにはできませんね」
「ええ。逆に、家で夕食を作る時は、煮込みやスープへパスタを入れる家が増えています」
朝と昼はパンだが、夕食には豆や野菜の煮込みへ乾燥パスタを入れる。
そんな使い分けが少しずつ生まれているらしい。
「パスタは毎日食べられているようですか?」
「値段はパンより少し高いですから。二日か三日に一度という家が多いようです」
「なるほど」
「ですが、それでも買う理由はあるそうです」
「理由?」
「硬いパンばかりを食べなくて済むからだ、と」
レティシアは少しだけ目を瞬いた。
「子供が『今日はパスタの日だ』と喜ぶ家もあるそうですよ」
〈泣ける〉
〈ええ話や〉
〈全米が泣いた(´•̥ ω •̥` )〉
〈年寄りと子供は柔らかい方が好きそう〉
ちょっと、嬉しい。
思わず口元が緩みそうになるのを、レティシアはどうにか抑えた。
「そうですか。それなら作った甲斐があったというものです」
〈嬉しそう〉
〈今ちょっと顔に出たぞ〉
〈領主様ニッコニコ〉
〈こうしてるとやっぱりまだ18歳だよな〉
〈貫禄ありすぎて忘れてた〉
……貫禄言うな。こう見えて、前世と今世を合わせて46歳のBBAですがなにか。
「ところで、パン職人から不満は出ていませんか?」
さらに尋ねると、スヴェンは苦笑した。
「最初はありましたよ」
「やはり」
「領都のパン屋からは、『領主様は俺たちを廃業させる気か』とまで言われました」
「……そこまで言われましたか」
〈そりゃ出る〉
〈被害妄想がすごい〉
〈まあ商売敵に見えるよな〉
〈新商品あるある〉
「ですが、その人も最近はあまり言わなくなりましたね」
「なぜです?」
「思ったほどパンの売上が落ちなかったからでしょう」
パスタを食べ始めたからといって、パンをやめたわけではない。むしろ、煮込みにパスタを入れる日は小さめのパンを買う客もいるという。
「最近は、小ぶりのパンを焼く店も出てきましたよ」
「小さなパン?」
「煮込みと一緒に食べるには、その方がちょうどいいそうです」
それを聞いて、レティシアは少し驚いた。
パスタがパンを追い出すのではなく、パンがパスタのある食卓に合わせて変わり始めている。
大げさな言い方ではあるけれど、間違ってはいないのかもしれない。
〈大きくて硬いパンが小さくて硬いパンになった〉
〈ちょっと何言ってるのかわからない〉
〈鈍器パンVer.2.0〉
〈小さい鈍器〉
〈結局鈍器じゃねーかwww〉
「つまり、パスタがパンに取って代わったというより、食べるものが増えたという感じでしょうか」
「そうですね」
これまで、領民にとって主食といえばほとんど硬いパン一択だった。そこへ乾燥パスタという選択肢が加わった。
ただ、それだけのことなのだが、毎日同じものを食べるしかなかった暮らしからすれば、「それだけ」は案外大きい。
「それで、領主様」
スヴェンの声色が変わった。
「実は今日、そのことでご相談がありまして」
「なんでしょう」
「最近は、私が荷車を止めて客を待つより、店の主人の方から声をかけられることが増えました」
「商店から?」
「はい」
スヴェンが村へ着くと、今日は何袋持ってきた、次から十袋ずつ置いていってくれ、うちでも売らせてほしい、という話をされるという。
「宿屋や食堂からも、まとめて仕入れたいと言われています」
「それはよいことですね」
「ええ。ただ……今のやり方では、少し不便になってきました」
現在のスヴェンは、あくまで委託販売員である。つまり、商品を預かって売っている立場に過ぎない。だから小口で売るだけなら問題ないが、商店などの大口が相手になると少々事情が違ってくる。
「この店には二十袋、あちらには十袋。まとめて買うから少し安くしてくれ、なんて話も出ます」
「そのたびに、こちらへ確認しなければならないと」
「そうなんです」
スヴェンは一度息を整えた。それから、真っ直ぐにレティシアを見る。
「領主様、お願いがございます。今後は私に品物を買い取らせていただけませんでしょうか」
〈おお〉
〈行商人、勝負に出た〉
〈リスクを背負う覚悟〉
〈待ちから攻めへ〉
レティシアはすぐには答えなかった。
意味は分かる。委託販売ではなく、スヴェン自身が工房からパスタを買い入れ、それを自分の判断で商店や食堂へ卸すということだ。
「よろしいのですか? 今までとは大きく違いますよ」
「はい」
「もしも売れ残れば、あなたの損失になります」
「承知しています」
「売れる量を読み違えれば、仕入れた代金を回収できないこともあります」
「それも分かっています」
それでも、スヴェンは視線を逸らさなかった。
「この一か月、自分の足で売ってきました」
領都ではどの程度売れるか。北の村ではどのくらい。街道沿いでは宿屋からまとまった注文が入る。農村では煮込みに使う家庭が多い。
スヴェンは、そうしたことを一つずつ挙げていく。
「まだ完璧とは言えませんが、需要の予測が最初の頃よりずっと立てられるようになりました」
一か月前のスヴェンは、商品を預かって売るだけの行商人だった。けれど今は違う。客を見て、売れ方を考え、地域ごとの需要まで把握し始めている。
レティシアは少し考え、そして答えた。
「この領内で、パスタの売り方を一番よく知っているのはあなたなのでしょうね」
「……ありがとうございます」
スヴェンが少し照れたように頭を下げた。
「一つ確認します。買い取った品は、どこで保管するつもりですか?」
「今の定宿の主人に、裏の物置を一部借りられないか相談しています」
「あの宿ですか」
「はい。もともとパスタを扱っていますから、主人も話が早くて助かります」
「それなら問題は少なそうですね」
現在スヴェンが定宿にしているのは、最初にパスタ料理を試験販売した宿屋だった。当然、パスタへの理解があり、扱いにも慣れている。
「宿の娘さんには、最近荷物が増えすぎだと笑われましたが」
言いながらスヴェンが苦笑する。
宿の娘――つまりエルマであるが、彼女が他人へ笑いかける姿はあまり見たことがない。それが異性であればなおさらだ。
しかしレティシアは、それ以上何も言わなかった。
〈ほう〉
〈宿の娘さん〉
〈おやおや?〉
〈誰でしょうねえ〉
〈( ≖ᴗ≖)ニヤニヤ〉
「分かりました」
レティシアが意図的に話を戻す。
「よろしいでしょう。買い切りでの販売を認めます。ただし、いくつか条件があります」
「ありがとうございます。はい、なんなりと」
「工房からあなたへ売る価格はこちらで決めます。代わりに、商店へいくらで卸すかはあなたに任せましょう」
スヴェンが頷く。
「ただし、市場価格については、こちらから目安となる売値を示します」
「目安、ですか?」
「ええ。いわゆる希望小売価格と言われるものです。けれど、それより安く売ることまで止めるつもりはありません」
商店同士が切磋琢磨して、少しでも安く売れるのならそれに越したことはない。
「ですが、品薄につけ込んで、不当に高い値を付けることは許しません。また、商店同士で話を合わせ、一斉に値を吊り上げるようなことも認めません」
〈許可キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉
〈カルテル禁止キタ━━━━ʅ(´ ՞ਊ ՞)ʃ━━━━!!〉
〈異世界独禁法〉
〈利益を取れ、でも食い物にするな〉
〈ぐう有能〉
スヴェンの表情が引き締まる。
「このパスタは、いずれ領民の食卓を支えるものにしていきます。だからこそ、投機目的の品にはしたくないのです」
「かしこまりました」
「ただ、商人が利益を得ることを否定するつもりはありません。あなたも商店も、きちんと利益を取ってください」
「はい」
「もう一つ。当面、販売はヴァレーヌ領内に限ります」
「領外には出さない、と」
「ええ。まずは領内へ十分に行き渡らせます。その後のことは、生産量を見て考えましょう」
領外へ持ち出せば、高く売れる場所もあるだろう。しかし今の目的は、領民の食生活を豊かにすることだ。作ったそばから他領へ流れてしまっては意味がない。
「それと、いきなりすべてを買い取る必要はありません」
「ですが――」
「あなたにも使える資金には限りがあるでしょう?」
スヴェンが言葉に詰まった。
「まずは、一週間で売り切れると思う量だけ買い取ってください。売れたら次を仕入れる。それで十分です」
「……助かります」
今度は素直な返事だった。
〈領主様ちゃんと資金繰り見てる〉
〈いきなり全ツッパさせない〉
〈商人育成イベント〉
べつに育成しているつもりなどない。ただ、せっかく育ち始めた商人を、最初の仕入れで破産させたくないだけだ。
「最後に、もう一度確認します」
レティシアはスヴェンを見る。
「これからは、売れなければあなた自身が損をします。言い換えれば自己責任です。どの店へ卸すか、どれだけ仕入れるかも、自分で決めなければなりません」
「はい」
「それでも、やりますか?」
スヴェンは迷わなかった。
「やらせてください」
その声には、一か月前にはなかった自信があった。
レティシアは小さく頷く。
「では、あなたに任せます」
「ありがとうございます、領主様」
スヴェンが深く頭を下げた。
一か月前。彼に任せたのは、荷車に積んだパスタを売ることだけだった。だけど今は、客を見て、需要を読み、売り方を変え、ついには自分の金で商品を仕入れようとしている。
ヴァレーヌの食卓に新しい主食が加わった。
そして、その変化を一番近くで見てきた行商人もまた、少しずつ変わり始めている。
〈次回、初回仕入れ完売RTAチャレンジ〉
〈スヴェン、イ㌔〉
〈エルマに荷物増えすぎって笑われてこい〉
〈リア充の匂いがする〉
〈爆発しろ〉
〈スヴェン、ジョブレベルアップ〉
〈行商人から商人へ〉
〈次は商会設立かな〉
商会設立……気が早すぎる。それはもっと先の話だろう。今はまず、初回に仕入れた分が完売することを願うだけだ。
あと、エルマの件は今後も生温かく見守っていきたい。
出会いはただの偶然だった。けれど自分で見つけ、拾い上げた人材である彼は、すでにこのヴァレーヌの御用商人第一号と言ってもいいのかもしれない。
ならば、ともに苦労を分かち合う仲間として、これからも大切にしていきたいと思う。
大きく膨らむ希望と、若干の不安を同時に顔に浮かべる若き商人スヴェン・ショッペル。
その姿を眺めるレティシアは、満足そうに微笑んだ。
今回は会話劇です。




