第67話 私欲ではありません。
前回までのあらすじ
プリンは飲み物。
四等分した最後のプリンまで、あっという間に食べ尽くした。
アレットは名残惜しそうに器を見つめ、リオネルも味を確かめるように黙り込む。
作業台の上には空になった器が並び、厨房には甘く香ばしい匂いだけが残っている。
その中で、リオネルがレティシアに尋ねた。
「お嬢様。この糖蜜は、これが完成形なのでしょうか?」
「いいえ。この状態では持ち運びに不向きですし、日持ちもしません」
レティシアは小鍋の中を覗き込む。
「さらに煮詰めて、浅い型へ流し込みます。冷えて固まったところで、板状の小さな塊にするつもりです」
「板状に、ですか?」
「ええ。使う時には必要な分だけ割って、すり鉢などで細かくします。料理へ使うなら、湯や煮汁へ直接溶かしてもよいでしょう」
「あらまあ。その形なら保存しやすいですね」
アレットが感心したような声を上げる。
「ええ。ただし、湿気には注意しなければなりません。表面がべたついたり、カビが生えたりしますので、風通しの良い冷暗所で保管するのが良いでしょう」
イメージとしては、前世でいう板状の黒糖だろうか。
しかし保存方法や品質保持期間など、確認すべきことはまだ多い。
「ともあれ、当面はその形を目指します。まずは何度か試作して、保存性などを確かめる必要があります」
〈板砂糖な。なるほど〉
〈板チョコ的な〉
〈鈍器砂糖か〉
〈鈍器パンの後継者が現れた〉
〈やめろw〉
リオネルは少し考え込んだあと、遠慮がちに尋ねた。
「白く、さらさらとしたものは目指さないのでしょうか」
なるほど。
彼の中では、砂糖といえば粉末状の白い結晶なのだろう。
貴族の食卓や高級菓子店で使われる、異国から輸入される高価な砂糖。
あれを基準にすれば、薄茶色で固い板状の甘味など、完成度の低い代用品に見えるかもしれない。
「目指しません」
きっぱりとした口調でレティシアが答える。
「理由をお聞きしても?」
「白く仕上げるには、さらに多くの手間と設備が必要になります。手をかければかけるほど、当然、価格も高くなるでしょう」
実際、異国から輸入される白い砂糖には、相当な手間と設備が使われているはずだ。けれど、ここにはその技術もノウハウもない。
仮に白くできたとしても、代わりに大量の燃料と労働力、そして高価な設備が必要になるなら、結局は貴族しか買えない品になってしまう。
「わたくしが作りたいのは、貴族のための砂糖ではありません」
レティシアは、薄茶色の糖蜜を見つめた。
「庶民の手に届くほど安価にするのは、すぐには難しいかもしれません。それでも、頑張れば誰でも手を出せる。その程度の価格にはしたいのです」
結婚式。
子供が生まれた日。
収穫祭。
そんな日に甘いものを少しだけ買って、家族で食べられる。
目指すべきは、そういう品だ。
「上質な白砂糖の代わりではなく、これまで砂糖を買えなかった者たちのために、新しい甘味を作ります」
〈おお〉
〈急に領主っぽい〉
〈いや、もとから領主だろw〉
〈そこはそれ〉
〈プリンで領民を幸せにする女〉
〈プリンとは言ってないw〉
〈でも根っこはプリン〉
オスカーが静かに頷いた。
「価格も顧客も、既存の砂糖とは異なるところを狙う、ということでしょうか」
「はい」
「それならば、輸入砂糖を扱う商人たちと正面から競わずに済みます。既存の権益への影響も最低限に抑えられますね」
「そのつもりです」
とはいえ、まったく影響がないとは思っていない。生産量が増え、他領へ売り始めれば、いずれは目を付けられる。
だからこそ、最初から白砂糖の市場へ殴り込むつもりはなかった。早期に製法を確立させ、原料を確保し、領内での需要を育てる。その後で領外へ広げても遅くはない。
オスカーは感心したように目を細めた。
「さすがでございます、お嬢様」
「何がです?」
「甘いものを召し上がりたい。その一心だけで進められたわけではなかったのですね」
その言葉に、レティシアの視線がわずかに泳いだ。
〈完全に後付けでーす〉
〈プリン食べたかっただけでーす〉
〈プリンが冷めるまで待てなかった人でーす〉
〈結果オーライなのでーす〉
〈百パーセント私欲ですがなにか?〉
やかましい。
せっかくオスカーが感心してくれているのだから、そっとしておいてほしい。
そもそも、甘いものが食べたいという欲望がなければ、根菜の存在に気づかなかったのだ。石灰岩は探さなかったし、石炭も見つからなかっただろう。
ならば、私欲も立派な原動力である。
レティシアは、軽く咳払いをして答えた。
「もちろんです。いかにわたくしでも、まさか私欲のみでここまでのことはいたしません。試みが成功した暁には、最初から自領の利益へ繋げるつもりでした」
レティシアが澄ました顔で答える。
「左様でございますか」
オスカーは素直に納得したようだった。
〈しれっと言い切ったwww〉
〈まさかの全肯定w〉
〈開き直ってて草〉
〈だがまあ、正論ではある〉
〈私欲でプリン作ったら領地を繫栄させてた件〉
〈なろう小説かな〉
くそぅ……好き勝手に言いやがって。
無視だ無視。私は忙しいのだ。こんな奴らにかまっている暇などない。
レティシアは空になった器を作業台へ置いた。
直前までプリンを前に緩んでいた空気が切り替わる。
「では、今後について決めます」
声の調子を変えただけで、オスカーたちの姿勢が改まる。リオネルは手にしていた匙を置き、アレットも表情を引き締めた。
〈スイーツ系女子、領主モードへ〉
〈仕事のできる女〉
〈急に真顔で草〉
〈プリンはもうないからな〉
〈言い方w〉
その言い方が少し引っかかるが、今は無視する。
レティシアは三人を見回し、厳かに告げた。
「ヴァレーヌで、製糖事業を始めます」
リオネルとアレットが息を呑む。
オスカーだけは予想していたのか、静かに続きを待った。
「もっとも、今年は小規模な試験生産のみです。原料の確保、製法の安定、保存性の確認を優先します。領内への販売は、それらを済ませてからです」
「承知いたしました」
「まずは原料です。オスカー。領内で栽培されている飼料用根菜について調べてください」
「収穫量でございますか?」
「それだけではありません。作付面積、家畜の頭数、冬越しに必要な飼料の量、来年用の種、不作に備える予備。それらすべてを差し引いたうえで、余剰がどれほどあるのかを算出してください」
現金で買い取ると聞けば、必要な飼料まで売ろうとする者が現れるだろう。目先の金を得た結果、冬になって家畜を養えなくなっては意味がなかった。
「買い取りの告知は、余剰量を確認してからにしてください。家畜用まで売ってしまう者が出ないよう、買い取り上限も決めます」
「かしこまりました」
オスカーが手元の紙へ要点を書き留める。
「次に、来年以降の原料の改良です」
「根菜でございますか?」
リオネルが尋ねた。
「ええ。同じ畑で育てても、根の甘さには差があります。収穫前に畑ごとに調べて、特に甘い株には印を付けてください」
「印を付けた株は、製糖に使わないのですか?」
「その株は掘り上げず、種を取るために花を咲かせます。来年は、その種を優先して播くのです」
それを毎年繰り返せば、糖度の高い根菜が徐々に増えていくはずだ。しかし、それには時間がかかる。何年もかける必要があるだろう。
〈選抜育種キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉
〈地道だなぁ〉
〈焦らない経営〉
〈プリンは焦って食べたのに〉
〈やめたれw〉
「甘さの基準も統一しなければなりませんね」
オスカーが言う。
「ええ。畑ごとに何本か調べて、味だけでなく、採れた糖蜜の量も記録してください」
「記録は私の方でも残しましょう」
リオネルが申し出た。
「今日使った根菜、煮汁、石灰乳の量と煮詰めた時間。それらをすべて記録いたします」
「お願いします。同じ味を再現できなければ、商品にできません」
偶然うまくいったでは事業にできない。誰が作っても、ある程度同じ品質になるまで手順を整える必要がある。
「それから、糖分を取ったあとの搾りかすも再利用します」
「まあ。あれにも使い道があるのですか?」
アレットが目を丸くする。
「取り分けた搾りかすは、家畜の飼料にできるかもしれません。まずは少量ずつ与え、問題なく食べるか、体調に変化がないかを確かめます」
「搾りかすは、どのように処理しますか?」
「水分が多いので、放っておけば腐るだけでしょう。薄く広げて乾かしてください」
乾燥には時間と手間がかかるが、飼料として再利用できるなら、買い取った根菜を家畜へ戻せる。農家にとっても助かるに違いない。
「捨てる部分が少ないほど、砂糖の価格も下げられます」
「なるほど」
オスカーがまた一つ書き加える。
〈循環型製糖〉
〈SDGsですわ〉
〈動物実験ヨシ!〉
〈ヨシじゃないが〉
「最後に、石灰の確保です」
廃鉱山。石灰岩。そして、その近くで見つかった石炭。
どれもヴァレーヌにとっては重要な資源になる可能性がある。
「廃鉱山の調査を本格化します。ただし、未経験者をいきなり坑道へ入れてはいけません」
「安全を確認できる者が必要ですね」
「ええ。お父様へ手紙を書きます。坑道の点検や支柱、排水に詳しい者を紹介していただけないか、お願いするつもりです」
グランシエール公爵領なら、鉱山や採石場で働いた経験者もいるだろう。
監督役と熟練者を数名派遣してもらい、その者たちにヴァレーヌの領民を指導させる。
「それと並行して、地上作業に必要な人数を見積もってください」
「地上作業と申しますと?」
「石割り、選別、荷運び、倉庫の管理などです。坑道へ入る以外にも、必要な仕事はいくらでもあります」
採掘事業が始まれば、掘る者だけでなく、石を砕き、運び、焼く者も必要になる。さらに、道具を修理する者、食事を作る者、施設を管理する者なども必要だ。
「必要な作業が固まったら、領内で正式に人を募ります。近隣の猫人族の村には開発計画を説明し、彼らの水場や狩場に影響が出ないよう配慮してください」
「承知いたしました」
「リオネルは、製糖工程の記録を。アレットは、今日使った器具と布を分けて保管してください。この作業については、引き続き外へ漏らさないように」
「かしこまりました」
三人の返事が見事に重なった。
残ったプリンを誰が食べるか。それを先ほどまで牽制し合っていたとは思えないほど、厨房には張り詰めた空気が戻っていた。
〈さっきプリン四等分してた人たちです〉
〈急に真顔でワロタ〉
〈切り替えが早すぎる〉
〈できるスイーツ系〉
褒めているのか貶しているのか、どっちなのか。
始まりは、ただ甘いものが食べたいという欲望だった。けれど、それはいま畑の作物を変え、廃鉱山を動かし、新しい仕事まで生み出そうとしている。
ヴァレーヌの製糖事業は、こうして最初の一歩を踏み出したのだった。




