第66話 アレを作ります。
前回までのあらすじ
( ՞ਊ ՞) ウヒョヒョヒョヒョ
乳と卵に加えて、ついに甘味もそろった。
これから作れるものと言えば、やはりアレしかない。
「リオネル。卵と乳を用意してください」
「承知いたしました」
「あらまあ。今度は何をお作りになるのでしょう」
アレットが期待に満ちた目を向けてくる。作業が終わったばかりで、いきなり菓子作りが始まるとは思っていなかったらしい。
「乳と卵を使った、柔らかな菓子です」
「それだけで、菓子になるのでございますか?」
「シンプルだからこそ、この糖蜜の味がよくわかるのですよ」
言いながら、レティシアは出来上がったばかりの薄茶色の蜜へ目を向けた。
〈来たぞ〉
〈アレだな〉
〈アレだよアレ。アレしかない〉
〈リオネルの乳を用意してください〉
〈リオネルの乳……だと? ( ゜д゜) ガタッ〉
〈やめろw〉
まだ名前は言っていないのに、どうして分かるのか。
いや、分かるか。
「まず、こちらの糖蜜を少しだけ別の小鍋へ移してください」
レティシアの指示に従い、リオネルが蜜を小鍋へ入れた。弱く火にかけ、焦がすように煮詰めていく。
そう。アレとはもちろんプリンのことである。
そして、プリンを作るのにカラメルは欠かせない。いや、むしろカラメルなしのプリンなどプリンではないと断言してもいい。
異論は認めない。
甘い香りが、やがてほろ苦いものへ変わっていく。頃合いを見て火から下ろし、少量の湯を加えた。出来上がった濃い褐色の液を、小さな陶器の底へ薄く流していく。
その間に卵を静かに溶き、温めた乳へ糖蜜を混ぜた。
「強く泡立てないでくださいね」
「こんな感じでしょうか?」
「ええ。静かに混ぜます。空気が入りすぎると、舌触りが悪くなりますから」
卵へ乳を少しずつ加え、全体を混ぜ合わせる。濾した液をカラメルの入った器へ注ぎ、あとは湯を張った鍋に蓋をして弱火で蒸すだけだ。
「焼かないのですか?」
リオネルが尋ねる。
「焼くと固くなります。湯気の熱で、ゆっくり火を通すのです」
「なるほど。承知いたしました」
リオネルは火加減を整え、蓋をした鍋を見下ろした。それから少し迷うような間を置き、レティシアへ向き直る。
「お嬢様」
「なんでしょう」
「このような菓子を、どこでお知りになったのですか?」
来た。
けれど、今さら慌てるような質問ではない。なぜなら、この私には伝家の宝刀があるからだ。
「王妃教育です。遠い異国には、こうした菓子があると学びました」
「……左様でございますか」
リオネルはそれ以上尋ねなかった。
〈王妃教育です (`・ω・´)キリッ〉
〈キリッじゃないが〉
〈万能すぎて草〉
〈また王妃教育www〉
〈左様でございますか(白目)〉
最近では、この言葉を口にすると皆が追及しようとしなくなる。正直、説明するのが面倒くさい……ではなく、難しいので大変助かる。
あとは蒸し上がるのを待つだけだ。
待つだけなのだが……
レティシアが、もう何度目か分からない視線を鍋へ向ける。それをオスカーが見て言った。
「先ほどから、ずいぶん鍋を気にしておられますが」
「火加減を確認しているだけです」
「左様でございますか」
こちらも追及されなかった。だけど、その「左様でございますか」には、明らかに別の意味が含まれているような気がする。
実際、彼の視線はどこか生温かかった。
やがてリオネルが蓋へ手をかける。
「そろそろよろしいかと」
その言葉を待っていた。
蓋を開けると白い湯気がふわりと立ちのぼり、その向こうで、淡い黄色の表面が小さく震えていた。器を少し動かすと、固まった中身がふるりと揺れる。
「あら、まあ」
アレットが目を丸くする。
「本当に固まっておりますわ」
表面には小さな気泡ができ、仕上がりにもムラがある。前世で食べていた店売りのプリンとは到底比べられないが、それでも、初めてにしては上出来だろう。
――見た目は。
細い木串を刺し、火が通っていることを確かめる。
「成功です」
〈\( 'ω')/うおおおお!〉
〈プリン完成!〉
〈勝訴!〉
〈勝ったな。風呂入ってくる〉
〈ヨシ!〉
〈ヨシ! じゃないが〉
〈文明開化の味がする〉
いや、まだ食べとらんし。
冷水を張った桶へ器を移して粗熱を取る。ここから、また待つ必要があった。
待つこと数分。レティシアが焦れたように口を開いた。
「もうよいのではありませんか?」
「まだ冷めておりませんが」
「では、温かい菓子ということにすればよいのでは?」
「お嬢様」
オスカーの視線が再び生温かくなる。
〈そうじゃないw〉
〈ちゃんと冷やせよw〉
〈我慢の限界〉
〈レティシア様、涎が〉
〈ミケかよwww〉
失礼な。ミケと一緒にしないでほしい。
だけど、そう言われてしまえば我慢するしかない。私にもプライドがある。
はやる気持ちを抑えつつ、菓子が冷めるのを待つ。
待つこと約十分。ほんのり温かさが残る程度で、最初の一つを取り出した。
「まずは、私が味を確かめます」
リオネルが器を受け取った。料理長として当然の申し出だろう。
匙の先が、ほとんど抵抗なく淡い黄色の中へ沈み込む。柔らかな菓子が形を崩し、その隙間から器の底に入れていた濃褐色のカラメルがにじみ出た。
リオネルは両方を一緒にすくい、口へ運ぶ。
そして、止まった。目を見開き、匙を持ったまま動かない。
「……」
飲み込んだはずなのに何も言わない。その様子に、レティシアの胸に不安が広がる。
まさか、失敗したのだろうか。石灰の処理が不十分だったのか、それとも独特の臭いが残っていたのか。
「料理長?」
アレットが横から顔を覗き込んでも反応がない。
「お口に合いませんでしたか?」
レティシアが不安そうに尋ねると、リオネルはようやく瞬きをした。そして、口の中に残る味を確かめるように息をつく。
「……旨い」
ぽつりと、それだけを呟いた。
〈語彙力が死んでて草〉
〈料理長を黙らせた〉
〈勝訴再び〉
〈プリンしか勝たん〉
「それは、美味しいという意味ですか?」
「はい」
リオネルは答えながら、もう一匙すくった。
「卵の濃さと、乳のまろやかさが……焦がした糖蜜の苦みと重なって……」
料理人らしく説明しようとしているのだろう。けれど途中で言葉がつまる。
「その……上手く言えません。とにかく、旨いです」
〈結局それw〉
〈料理長、完全敗北〉
〈感想より匙が早い〉
〈食うか話すかどっちかにしろw〉
そこまで言われてはもう待てない。レティシアも自分の器を手に取り、底のカラメルと一緒に匙ですくう。
口へ運んだ瞬間、柔らかな舌触りと、乳と卵の濃厚な味が広がった。続いて、根菜から作った糖蜜の素朴なコク。
最後に、カラメルのほろ苦さが全体を引き締める。
バニラの香りはなく、前世で食べたものほど舌触りも滑らかではない。表面には気泡も残っている。
それでも――これはプリンだ。
間違いなく、プリンなのである。
〈長かったな〉
〈石灰岩からプリンへ〉
〈道のりがおかしい〉
〈プリンを作るために鉱山まで行った女〉
やかましい。
十八年ぶりに食べたプリンなのだ。余韻に浸るくらいしたっていいだろう。
目を閉じ、もう一度ゆっくりと味わう。
バニラエッセンスが恋しい。冷蔵庫も欲しい。できることなら、生クリームも加えたい。
けれど、今はこれで十分だった。
「お気に召されたようで何よりです」
オスカーの声に、レティシアは我に返った。いつの間にか、ずいぶん幸せそうな顔をしていたらしい。
「ええ。初めてにしては、よくできていますわ」
レティシアが何事もなかったように答える。
貴族令嬢としての腹芸は伊達に極めていない。
〈しれっと答えててワロタ〉
〈地味に感動しとるやんwww〉
〈ただのスイーツ系女子で草〉
〈領主様も若い女子だった件〉
〈そりゃそう〉
続いて、オスカーとアレットも匙を取った。
「あらまあ!」
一口食べたアレットは、驚いたように器を見下ろした。
「口の中で、あっという間に溶けてしまいました」
「面白い食感でしょう?」
「はい。こちらの黒くて少し苦い蜜が、全体の甘さを引き立てていますのね」
アレットはもう一匙すくう。素直な反応ではあるが、味の捉え方は的確だった。
そうなのだ。大事なことなのでもう一度言う。
プリンにカラメルは欠かせない。これがなければ始まらないのだ。
〈僕はアレットたんのプリンが食べたいです〉
〈アレットたんのプリンプリン……はぁはぁ〉
〈またそれ〉
〈BBAは黙ってろ〉
〈やんのか、こら〉
一方のオスカーは、表情をほとんど変えずに食べていた。
「いかがですか?」
「……」
「オスカー?」
「失礼いたしました。味を確かめておりました」
〈気に入ってるじゃねーかw〉
〈味見という名の完食〉
〈ちゃんと味わってる?〉
〈プリンは飲み物〉
〈飲むなよwww〉
「乳と卵と糖蜜が互いの味を損なわず、一つにまとまっておりますね」
「お気に召しましたか?」
「ええ。これほど単純な材料から作られたとは思えません」
いつも冷静で、世辞も言わないオスカーが素直に感心している。
これは最大級の賛辞と受け取ってよいだろう。
皆が器を空にする。ふと見れば、作業台の上には一つだけプリンが残っていた。
誰も口を開かない。けれど、全員の視線が最後の器へ向かってすぐに逸らされる。
〈あっ〉
〈争いの予感〉
〈高度な心理戦〉
〈ここは領主権限で〉
〈パワハラ、ダメ。ゼッタイ〉
〈じゃんけんしろ〉
領主である以上、ここは使用人たちへ譲るべきだろう。
しかし、食べたい。とても食べたい。
アレットがちらちらと見ている。リオネルは、仕上がりを再確認したいという料理人の顔をしていた。
オスカーはいつもどおり無表情だが、先ほど食べた時の二口目へ進む速度は誰よりも早かった。
「四つに分けましょう」
鶴の一声。
レティシアがそう言うと、全員が静かに頷いた。
リオネルが真剣な顔でプリンに匙を入れる。柔らかな菓子を正確に四等分するのは難しい。それでも、誰一人として不満を口にしなかった。
〈結論:プリンは正義である〉
〈続きはよ〉




