第65話 可能性が見えました。
前回までのあらすじ
現実でも猫と馬は仲良しだそうですね。
石灰岩を持ち帰って約十日。
生石灰作りは、すでに領内の炭焼き職人へ依頼していた。
もっとも、炭焼きの技術をそのまま生かせるわけではなく、一度目は火力が足りず、二度目は石の積み方が悪くて焼きむらができた。
そこで石を小さく割り、燃料の積み方と空気の通り道を見直し、ようやく三度目にして目的のものが出来上がったのだった。
そうしてここは、領主館の厨房の一角。
食材や普段使いの調理器具を遠ざけた作業台の上に、白っぽい石の塊が置かれていた。
「こちらが、生石灰です」
レティシアが告げると、作業台を囲んでいた者たちが一斉に石を見つめた。
この場にいるのは、オスカー、リオネル、そして侍女のアレットだけ。
家畜の飼料用根菜から甘味を作れることは、ごく一部の者にしか知らされていない。だから、作業へ関わる人数はできるだけ少なくしておく必要があった。
「あらあら。見た目は普通の石ですのに」
アレットが、相変わらずのゆるふわな空気で作業台を覗き込む。
〈アレットたん、はぁはぁ〉
〈発情すなwww〉
〈またお前かw〉
〈相変わらず存在感のあるお胸〉
〈はい優勝〉
だから、アレットが出るたびに胸の話をするなと――以下略。
民度の低いコメントを、もはやかまう気にもなれずに、レティシアは完全に無視した。
「水を加えれば、普通の石ではないことが分かりますわよ」
「水を、ですか?」
「ええ。ただし、危険ですから――」
言いながら、レティシアが水差しへ手を伸ばす。そこへリオネルが一歩進み出た。
「お嬢様。ここからは私が行いますので」
「ですが、この石の扱い方を知っているのはわたくしです」
「でしたら、離れた場所からご指示ください」
穏やかな口調だが、譲るつもりはないようだ。隣では、オスカーも当然のように頷いた。
「リオネルの申すとおりでございます。危険だと分かっている作業を、お嬢様ご自身がなさる必要はございません」
「……分かりました」
レティシアは素直に場所を譲った。
彼女にしても前世の知識として知っているだけで、生石灰を扱った経験があるわけではない。普段から火を扱っているリオネルの方が、よほど手元は確かだろう。
〈護衛対象が危険物に触ろうとすな〉
〈料理長ガード発動〉
〈オスカーの圧w〉
〈ボスにはリモートで指示を出していただきたい〉
茶化さないでほしい。
でもまぁ、彼らの意見にも一理ある。
レティシアは仕方なく、作業台から少し離れた場所から指示を出すことにした。
リオネルは厚手の手袋を着け、口元を布で覆った。アレットも少し離れた場所で水を用意する。
「水は一度に加えないでください。まずは、ほんの少しだけです」
「承知しました」
リオネルが水差しを傾ける。少量の水が生石灰へ触れた途端、鍋の中から白い湯気が立ちのぼった。
「まあ!」
思わずアレットが声を上げる。
石は音を立ててひび割れ、水が沸騰したように泡立ち始めた。
「そこで一度止めてください」
レティシアが告げると、リオネルはすぐに水差しを起こした。
「本当に熱を出しておりますね」
オスカーが目を見開く。
「石そのものが、水と反応しているのです」
「石が水で煮えているようです」
「確かにそう見えますわね。けれど、煮えているのではなく、石自体が熱を発しているのです」
「石自体が……不思議です」
「リオネル。少し待って、また水を加えてください」
リオネルは石の様子を見ながら、何度かに分けて水を注いだ。生石灰はひび割れ、崩れ、やがて白い粉のようになっていく。
「先ほどまで石だったものが……」
リオネルが鍋の中を覗き込む。
「これが消石灰と呼ばれるものです。さらに水を加えて薄めれば、石灰乳というものになります」
「乳、でございますか?」
「牛の乳のように白く濁って見えるため、そう呼ばれています」
「あら。なんだか、美味しそうな名前ですね」
「アレット。決して飲んではいけませんよ」
レティシアが冗談めいた口調で告げる。アレットは目を瞬かせたあと、いつもの調子で頷いた。
「承知いたしました」
〈石灰乳(飲用不可)〉
〈飲むなよ、飲むなよ〉
〈 ( ՞ਊ ՞) ウヒョヒョヒョヒョ〉
〈フリじゃないからな〉
〈アレットなら味見しかねないという謎の信頼〉
〈絶対に止めろw〉
いや、飲まんし。
しかし、いつからアレットはそういうキャラになったのだろう。
確かに口調も雰囲気も、ついでに体型までもが「ゆるふわ」な彼女だが、決してそこまで食いしん坊ではなかったはずだ。
まぁ、甘いものに目がないのは事実だが。
そして、アレットにそのキャラ付けをしたのは、他でもない、前世の私である。
それでも、悪役令嬢レティシアとセットで出てくるモブキャラの一人でしかない彼女には、名と年齢と大まかな特徴くらいしか設定していなかったはずだ。
やはりこの世界はゲームであってゲームではないらしい。私も含めて他のキャラたちも、リアルに生きていると思わざるを得なかった。
レティシアとアレットの会話に不安を抱いたのだろう。リオネルは、完成した白い液体と作業台に置かれた根菜の煮汁を交互に見てレティシアへ尋ねる。
「本当に、こちらを食べ物へ加えるのでしょうか」
「ごく少量です。その後は浮いてきた不純物を取り除き、布で濾します」
「濾せば問題ないのでございますか?」
「それを、これから調べるのです」
リオネルが黙る。オスカーも何とも言えない顔をした。
「お嬢様は、適切な量をご存じではないのでしょうか?」
「方法は知っておりますが、適量までは分かりません。ですから、幾つか分量を変えて試します」
作業台の上に、同じ量の根菜の煮汁を入れた小鍋が四つ並べられた。
一つ目には何も加えず、二つ目にはごく少量の石灰乳、三つ目にはその倍、四つ目にはさらに多めの量を加える。
「最後の鍋は、恐らく失敗します」
「失敗すると分かっていて試すのでございますか?」
「はい。明確な失敗も、知っておく必要がありますので」
成功したものだけを比べても、適量は分からない。それを確認するためには、あえて失敗例も必要となる。
これは前世のゲーム制作から培った経験則だ。間違いない。
〈四番鍋死亡宣告〉
〈四番鍋「聞いてないっす」〉
〈お前のことは忘れない〉
〈お星さまになるのね〉
〈四番鍋ぇぇぇぇぇ!!〉
四つの鍋を弱火にかける。リオネルが石灰乳を木匙ですくい、レティシアの指示に従ってそれぞれの鍋へ加えていった。
白い筋が茶色い煮汁の中へ沈み、木べらで混ぜるとすぐに見えなくなる。
「あまり変わりませんね」
アレットが鍋を覗き込む。
「しばらく温めれば、変化が出るはずです」
「はず、でございますか?」
「座学で学んだだけで、実践は初めてですから」
「あらまあ、左様でございましたか」
アレットはそれ以上追及しなかった。オスカーとリオネルも黙ったままだ。レティシアの知識が時折ひどく頼りないことには、皆もう慣れつつあった。
〈王妃教育とは()〉
〈この綱渡り感〉
〈座学だけで現場へ放り出される女〉
〈ヨシ!〉
〈ヨシじゃないが〉
しばらく温めていると、鍋の表面に変化が現れた。
何も加えていない鍋にも多少の灰汁は浮いていたが、二つ目の鍋には明らかに多くの泡と薄茶色の細かな塊が集まり始めていた。
「あら。何か浮いてきましたね」
アレットが指さす。リオネルが網杓子ですくい上げると、灰汁に混じって、綿くずのようなものが絡みついた。
「煮汁に混じっていた不純物です」
「石灰が、これを作ったのですか?」
「作ったのではなく、細かな不純物を集まりやすくしたのでしょう」
三つ目の鍋には、さらに多くの浮遊物が現れた。
ここまでは悪くない。ところが四つ目の鍋には、色と臭いに違和感がある。
レティシアはリオネルに火を弱めるよう指示した。
「こちらは入れすぎでしょうね。少なくとも、食欲が湧く香りではありません」
明らかに石か土を思わせる臭いが混じっている。これを煮詰めても、食べたいとは思わないだろう。
〈四番鍋逝く〉
〈黙祷〉
〈知ってた定期〉
〈ケミカル臭漂う甘汁〉
〈絶対食いたくねぇw〉
浮いた灰汁を丁寧にすくったあと、すべての鍋を火から下ろす。そのまましばらく置くと、鍋の底へ薄茶色の沈殿物が溜まっていった。
その上澄みをリオネルが別の器へ移した。次いで目の粗い麻布、少し目の細かな布へと順に通していく。
アレットは布や空の器を渡し、使用済みのものを手早く片づけていった。
濾過には時間がかかった。辛抱強く待ち、濾した煮汁を四つの透明な杯へ移して並べる。
「ずいぶん違うものですね」
オスカーが杯を見比べる。
一つ目は元のままの濁った茶色、二つ目は元より濁りが減り、三つ目はさらに色が薄く、四つ目は色こそ淡くなっているが白っぽさが残っていた。
「色が薄ければ成功、というわけではないのですね」
「ええ。余分な石灰が残れば、味を損ないます」
本来であれば、余った石灰を別の工程によってさらに取り除かなければならないのだが、そのための設備がないために、今回はその工程を飛ばしても支障のない程度の量を使うしかなかった。
「四つ目は廃棄してください。三つ目も、今回は味見をしません」
レティシアは二つ目の杯を指した。
「味を確かめるのはこちらだけにしましょう」
そう言って手を伸ばしかけると、またしてもリオネルが先に杯を取った。
「まずは私が」
「ですが――」
「味を確かめるのも、料理人の仕事でございます」
やはり断る隙を与えてくれない。レティシアは少し迷ったものの、今回は任せることにした。
〈まずはわたしが〉
〈いや、わたしが〉
〈いやいや、わたしが〉
〈どうぞどうぞ〉
〈ダチ〇ウ倶楽部かよwww〉
なっつ。
「味見は、ほんの一滴だけで十分です」
「承知しました」
リオネルはまず臭いを確かめ、木匙の先に付いた煮汁を舐めた。そのまま、しばらく口の中の感触を確かめる。
「いかがですか?」
「甘みはあります。以前より青臭さも弱くなっておりますね」
「石灰の味は?」
「私には感じられません」
それを聞いてから、レティシアも別の匙で一滴だけ口に含んだ。
甘い。
土っぽさや根菜特有の癖はまだ残っているが、元の煮汁より随分と飲みやすく、舌に残る不快な後味も石を思わせるざらつきもなかった。
「こちらがよさそうです」
「三つ目の方が澄んでおりますが」
「見た目だけならそうですね。けれど、余計な石灰が残っているかもしれません。今回は二つ目を基準にしましょう」
「では、こちらが適量なのですね」
オスカーが頷き、手元の紙へ試験の内容を書き留める。
石灰乳の量、加熱した時間、浮いた灰汁の量、濾過後の色と臭い。今後は記録を積み重ね、誰が作業しても似た結果を出せるようにしなければならない。
〈製糖マニュアル作成開始〉
〈家令の仕事範囲がおかしい〉
〈また仕事増えた〉
〈胃だけでなく手も足りないw〉
またオスカーの仕事を増やしてしまった。
ごめんなさい。
次に、最も状態のよかった二つ目の煮汁を小鍋へ戻し、弱火でゆっくりと煮詰めていく。
水分が減るにつれて、液体の色が濃くなった。
完全に透明になるわけではないが、それでも、以前に試した根菜の煮汁より泡立ちが少なく、鍋底へこびりつく量も減っていた。
「以前より、滑らかになっていますね」
リオネルが木べらを動かしながら言う。
「香りも随分よくなりました」
アレットも嬉しそうに頷いた。
さらに煮詰めると、とろみを増した煮汁が木べらから細い糸を引き始める。
そこで火から下ろしてしばらく冷ますと、煮汁は粘った薄茶色の蜜へ変わっていった。
白くはないし、さらさらもしていない。砂糖というより、濃い糖蜜に近い代物である。それでも、最初に作った黒っぽく青臭い煮汁とは明らかに違った。
リオネルが味を確かめたあと、レティシアへ差し出す。レティシアも匙ですくって口へ運んだ。
濃い甘さが舌の上へ広がる。わずかな癖は残っているが、菓子へ使うくらいなら十分に許容範囲だった。
「うまくいったのでしょうか?」
アレットが期待のこもった表情で尋ねる。
「第一歩としては、成功です」
もちろん、これで完成ではない。加える石灰の量も、濾し方も、煮詰め方も、まだまだ改善する余地はある。
原料の根菜も試験栽培の段階でしかなく、安定した品質のものを大量に作れるようになるまでには、相応の時間がかかるだろう。
それでも、やっと乳と卵と甘味が揃ったのだ。これらから作れるものといえば、アレしかない。
レティシアは周囲を見渡し、いたずらっぽく笑った。
「それでは皆さん、これから新しい料理……いえ、スイーツを披露しますわよ」
その言葉に皆が、いまさらながらに思い出す。
これまでかけた苦労と時間は、主人の甘味を食べたい一心から始まっていたことを。
この物語はフィクションです。
砂糖の精製方法へのツッコミはご容赦ください。




