第63話 テーブルマナーには気を付けましょう。
前回までのあらすじ
全米が泣いた。
レティシア一行が領主館へ戻った頃には、すでに西の空が赤く染まり始めていた。
玄関前に馬車が止まる。待機していた使用人たちが一斉に姿勢を正した。
先に降りたアリスが手を差し出し、その手を借りてレティシアが地面へ降りる。続いてオスカーも馬車から降りた。
これで全員だと思ったのだろう。出迎えに並んだ者たちが動き始めようとしたところで、レティシアは馬車の中を振り返った。
「ミケ。着きましたよ」
返事はない。代わりに、馬車の入口から三角形の耳だけがそっと覗いた。周囲の様子を窺うように左右へ動き、次いで警戒心をあらわにした顔が現れる。
ミケはそのまましばらく動かなかった。
「どうしました?」
「……でかい」
呟きながら、目の前にそびえる石造りの館を見上げる。
三階建ての本館に、左右へ伸びる棟。大きな玄関扉の前には石段があり、窓には一つずつガラスが嵌め込まれていた。
山中の村にある木造家屋とは比べるまでもない。恐らくミケは、この規模の建物を見るのは初めてなのだろう。
次にミケは玄関前に並ぶ使用人たちを見る。そして直後にレティシアへ視線を戻した。
「お前、実はすごいやつなのか?」
「別にすごくはありません。一応、この館の主ではありますけれど」
「それをすごいって言うんじゃないのか」
〈今さら領主の意味を理解したw〉
〈領主=でかい家の主〉
〈だいたい合ってるw〉
〈豪邸にビビる野生の猫〉
〈借りてきた猫で草〉
ミケは意を決したように馬車から飛び降りた。
とはいえ、先ほどまで山道を先導していた時の勢いはなく、耳を忙しなく動かしながら、いつの間にかレティシアの隣へ寄っていた。
「ずいぶん近いですのね」
「気のせいだ」
「それ以上近づきますと、ぶつかりますわよ?」
「うるさい」
尻尾が落ち着きなく揺れている。本人は隠しているつもりなのだろうが、緊張しているのは明らかだった。
そんな二人の前へ、クララが歩み出る。
「お帰りなさいませ、領主様」
「ただいま戻りました」
レティシアは横にいるミケへ顔を向けた。
「こちらはミケです。事情がありまして、しばらく館で預かることになりました」
クララはミケへ一礼した。
「クララです」
「……ミケだ」
一応は名乗ったものの、ミケは体を一層レティシアへ近づけた。
〈近い近いw〉
〈山道ではイキってたのに〉
〈心細いのバレバレ〉
〈耳と尻尾が仕事しすぎ〉
〈本人だけ隠せてるつもり〉
〈この二人絶対相性悪いだろw〉
クララが無言のまま、ミケの頭の先から足元までを見る。
猫人族らしく、自分で毛づくろいはしているのだろう。遠目には毛並みが整っているように見える。
けれど、近くで見れば、白い毛は薄く灰色がかっているし、耳の後ろや肩、背中には煤が残り、毛先が固まっている箇所もある。
加えて、着ている服にも土や煙の臭いが染みついていた。
数秒の沈黙のあと、クララは端的に告げた。
「浴室へ」
「嫌だ」
こちらも返事だけは早かった。
「ミケ。館で過ごすのであれば、身体を清潔にしなければなりません」
「毛づくろいはしてる」
「足りません」
秒の速度でクララが答える。まったく取りつく島もない。
「このままでいい」
「駄目です」
「べつに汚くない」
「汚れています」
「どこがだ」
「全身です」
〈クララ容赦ねえw〉
〈必要最低限の言葉で刺す女〉
〈さすがは衛生管理の鬼〉
〈即死攻撃www〉
〈クララ、レスバ強者〉
まったく話が進まない。
ミケは助けを求めるようにレティシアを見上げた。
「夕飯は? 肉を食わせてくれるって言っただろ」
「もちろんです。けれど、先に身体を洗いましょう。お肉は逃げませんよ」
「逃げるかもしれない」
「逃げません」
相変わらず無表情のまま、クララが言う。
その圧に負けたのか、ミケがぼそりと呟いた。
「……人間は面倒くさい」
浴室までは、正面玄関から館内を横切らず、脇の通路を使って向かうことになった。
ミケがレティシアのすぐ隣を歩く。知らない者とすれ違うたびに耳を伏せ、相手が頭を下げると、困惑したようにレティシアを見た。
「どうして、みんなお前に頭を下げるんだ」
「わたくしが、この館の主だからです」
「変なの」
「村では、長老へ挨拶をしませんの?」
「する。でも、毎日あんなに頭は下げない」
人間と猫人族では、身分や礼儀の感覚がかなり違うらしい。いずれ教える必要はあるだろうが、今日すぐに覚えさせることでもないだろう。
浴室の前では、アリスとアレットが待っていた。
「あらあら、まあまあ。とてもきれいな毛色ですこと」
アレットが感心したように言う。
〈アレットたん……はぁはぁ〉
〈おいやめろ〉
〈相変わらず胸の画面占有率が高すぎる〉
〈CERO Aとは〉
まったく、このすけべ野郎どもめ。
アレットが出る度に胸の話ばかりするのはやめろ。
「触るな」
ミケが即座に警戒した。
「触らなければ洗えませんよ?」
「自分で洗う」
「では、ご自分で洗えるところはお願いしますね。背中だけお手伝いします」
ミケが身につけていた服は、本人へ確認したうえで洗濯室へ回すことになった。
「捨てるなよ」
アリスが答える。
「きれいに洗って、乾かしておきますね」
「絶対だぞ」
ミケはようやく服を預ける気になったらしい。
代わりに用意されたのは、馬房で働く見習い少年の予備のシャツとズボンだった。ズボンの後ろは縫い目を少しほどき、尻尾を通せるよう仮縫いが施されている。
衣服を一から仕立てるには時間がかかるため、今日のところはこれで我慢してもらうしかない。
浴室へ入る直前、ミケがもう一度振り返った。
「肉は?」
「料理長が準備しております」
「先に一口だけ」
「駄目です」
クララの一言で、扉が閉じられた。
レティシアが浴室近くの廊下で待っていると、ほどなくして中からミケの声が響いた。
「冷たい!」
「耳に入った!」
「泡が取れない!」
「顔にかけるな!」
「尻尾には触るな!」
〈猫丸洗いRTA〉
〈風呂場が修羅場w〉
〈アリスがんばれ〉
〈アレットたん強い〉
〈ゆるふわ最強説〉
外から聞く限り、中では相当な攻防が繰り広げられているらしい。
やがて怒鳴り声が少しずつ減っていく。しかし、途中でまた、
「毛を引っ張るな!」
「痛い!」
「そこは触るな!」
という声が聞こえてきた。そうして、ようやく浴室の扉が開く。
「終わりましたよ」
疲労困憊な様子のアリスと、満足そうなアレットに続いてミケが姿を現した。
白、黒、茶。
煤や泥が落ちたことで、三色の毛並みがくっきりと分かれている。特に白い部分は、もともとこんなに明るかったのかと驚くほどきれいになっていた。
全身の短い毛は空気を含み、以前より二割ほど膨らんで見える。
耳の先までふわふわ。
頬の毛もふわふわ。
尻尾まで見事にふわふわだった。
ふおおおぉぉぉ!
……だ、抱きしめたい。もふもふしたい。
できることなら、お腹の毛に顔をうずめて思い切り息を吸いたい。
人はそれを「猫吸い」と呼ぶ。
〈うおおおおおお!〉
〈もっふもふやないかい!〉
〈洗いたて猫ちゃん!〉
〈ふわふわ二割増し(当社比)〉
〈今だ! 抱きしめろ!〉
〈そして引っかかれろ〉
〈もふもふタイム開始〉
いかに鋼メンタルの公爵令嬢も本能には抗えない。レティシアが指をわきわきさせながら無意識に両手を持ち上げた。
気配を察したミケが、さっと一歩下がる。
「触るな」
「まだ何もしておりませんわよ」
「これからするだろ」
「失礼ですわね」
「手が動いてた」
当たり。
レティシアは何事もなかったように両手を下ろし、しれっと話を逸らした。
伊達に腹芸は極めていない。
「ところで、服の具合はいかがですか?」
「変な感じがする」
ミケは後ろへ手を回し、尻尾の付け根付近を気にする。
人間用のズボンへ尻尾を通すのは初めてなのだろう。穴には余裕を持たせてあるが、布が触れる感覚そのものが落ち着かないらしい。
〈しっぽ穴!〉
〈しっぽ穴こそ至高。異論は認める〉
〈認めるのかよw〉
〈日本しっぽ穴協会会長、尻尾穴蔵です〉
〈誰だよそれwww〉
身支度を終えた一行は小食堂へ向かった。
料理の匂いが漂ってくる。ミケの耳がぴんと立った。
「肉だ」
「分かるのですか?」
「分かる」
先ほどまでの緊張が薄れ、歩く速度が明らかに速くなった。
〈鼻が高性能〉
〈肉レーダー起動〉
〈肉はすべてを解決する〉
〈だいたいそう〉
小食堂には、すでにリオネルが用意した夕食が並んでいた。
主役は大きく切り分けられた肉のグリル。表面には香ばしい焼き色がつき、切れ目から透明な肉汁が溢れている。
味付けは塩と少量の香草だけのシンプルなもの。ミケが普段食べ慣れている味から離れすぎないよう気を付けた。
ほかにも、柔らかく煮た根菜と薄味のスープが添えられる。
席へ着いたミケは、目の前の皿を凝視した。耳は立ち、尻尾の先が小刻みに揺れ、口の端からは涎が糸を引いていた。
「約束のお肉です。どうぞ、召し上がれ」
「本当に全部いいのか?」
「ええ。ただし、熱いのでお気をつけて」
レティシアが言い終えるより早く、ミケは肉を両手で掴んだ。
そのまま大きくかじりつく。肉汁が指へ垂れても気にしない。
「……どうですか?」
少し離れた場所で様子を見ていたリオネルが、緊張した声で尋ねる。
ミケは無言で咀嚼した。
続けて、もう一口。さらにもう一口。
「まあまあだな」
そう言いながら、食べる速度はまったく落ちない。耳はぴんと立ち、尻尾の先も楽しそうに左右へ揺れている。
〈安定の手づかみw〉
〈お行儀? 知らない子ですね〉
〈めっちゃうまそうに食ってるw〉
〈まあまあ(最高)〉
〈ツンデレ食レポ〉
〈耳と尻尾は嘘つかない〉
どうやら、かなり気に入ったらしい。
リオネルがほっと胸を撫で下ろし、レティシアも微笑ましそうに見守った。
ミケは肉を食べ終えると、皿に残った肉汁まで指ですくい始めた。そして、その指を舐める。
さらに皿へ顔を近づけようとしたところで、ふと視線に気づく。
〈あっ〉
〈あっあっ〉
〈やめろミケ。見るな、死ぬぞ〉
〈見ちゃらめー!〉
見れば、クララがミケを凝視していた。
これ以上ないほどに大きく目を見開いたその表情からは、彼女には珍しく感情を読み取ることができた。
信じられない。
そして、断じて許容できない。
クララの顔には、間違いなくそう書かれていた。
〈次回、食事作法ブートキャンプ。乞うご期待!〉
〈誰得だよ、それwww〉




