第62話 誰も悪くありませんでした。
前回までのあらすじ
YES!しっぽ NO!タッチ
細い獣道を歩くこと、およそ半刻。
先を行くミケの細く長い尻尾が、歩調に合わせてゆらゆらと揺れている。滑らかな短い毛に覆われて、いかにも手触りがよさそうだった。
……触りたい。
しかし、勝手に触れば確実に怒られる。
というか、そもそも尻尾とは何なのだろうか。自分には付いていないのでよく分からない。
服の外へ露出させているのだから、見られて恥ずかしいものでないのは分かる。だからといって、断りもなく触っていいものでもないだろう。
では、言えば触らせてくれるのだろうか。
いや、尻尾はお尻から生えているものだ。もしかするとセクシャル的な意味で安易に触れるべきではないのかもしれない。
こちらにその気がなくても、相手が嫌がればセクハラになる。
それは前世の職場のハラスメント研修で何度も学んだことだ。優越的な地位を利用して、領主が領民にセクハラをしたなんて話になれば目も当てられない。
セクハラ、ダメ。ゼッタイ。
レティシアは理性を総動員して、視線を前へ戻した。
〈しっぽガン見令嬢w〉
〈めっちゃ触りたそうで草〉
〈気持ちはわかる〉
〈触ったらあかんの?〉
〈そりゃそう〉
〈レティシア様もドレスのデコルテから谷間見せるやん〉
〈でも触ったらタイーホ〉
なるほど、そうか。そういうことか。
完全に理解した。
やがて木々の間に、小さな集落が現れた。
森の太い木を避け、その隙間を縫うように木造の家々が建っている。枝には薬草や干し肉が吊るされ、家の前には薪や木の実を入れた籠が並ぶ。
その様子は、森と共存する彼らの生活が垣間見えるものだった。
「ここだ」
村が見えた途端に、ミケの尻尾が低く下がる。
集落へ入ると、猫人族たちが次々に足を止めた。武装した人間たちへ警戒を向けたあと、その中にいるミケを見つけて目を見開く。
「ミケ?」
薪を抱えた女性が声を上げた。
「お前、やっと戻ってくる気に――」
「長老はいるか?」
ミケは問いを遮った。
「いるけど……その人間たちは?」
「面倒なやつらだ」
「ミケ?」
思わずレティシアが聞き返す。
「間違ってないだろ」
〈面倒なやつら扱いw〉
〈ひどいwww〉
〈でも大体合ってる〉
〈いつものミケ〉
〈平常運転〉
そのやり取りに女性は複雑そうな顔をしたものの、一行を村の中央にある木造家屋へ案内してくれた。
レティシア、オスカー、クルト、そしてミケが中に入る。
家の奥には、年老いた猫人族が座っていた。茶色がかった灰色の毛並みには白い毛が混じり、細められた金色の目が一行を見渡す。
「長老。人間が話をしたいらしい」
「お前が人間を連れてくるとはな」
「勝手についてきた」
「ミケに案内していただいたのですけれど」
「そうとも言う」
〈言い訳が雑w〉
〈ミケ構文すき〉
長老が小さく息を吐く。その顔には、ミケが無事だったことへの安堵が浮かんでいた。
レティシアが一歩前へ出る。
「初めてお目にかかります。わたくしはレティシア・グランシエールと申します。現在、ヴァレーヌを預かっている者です」
「……ヴァレーヌの領主か」
長老は肩書きを理解したものの、畏まる様子は見せなかった。
「人間たちが、この辺り一帯をそう呼んでいることは知っている。以前は王の土地だと聞いていたが、今は、お前が預かっているのか」
「はい」
「そうか。それで、何の用だ」
人間の領主が誰であるかなど、猫人族にとっては関わりのない話なのだろう。さして興味もなさそうに話を流した。
「今日は、ミケの事情を伺うために参りました」
長老の視線がミケへ向く。
「ご両親が亡くなったあと、この村で暮らしていたとミケから聞きました。そして、自分から村を出たとも」
「嘘は言ってないぞ」
ミケが言い返した。
「疑ってはおりません。ただ、そこへ至った経緯を知りたいだけです」
長老はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「ミケの言ったことに嘘はない。我らは追い出しておらん。出ていったのは、この子自身だ」
「だから、そう言っただろ」
「ああ。だが、そこへ至るまでには色々あった」
その言葉に、ミケの耳が伏せられた。
「ミケの父親は、この子が幼い頃に死んだ。それからは母親が一人で育てていたが、昨年にその母親も病で死んだ」
村の者たちは、残されたミケを皆で支えようとした。食事を分け、寝る場所を用意し、狩りや採集を教えようとしたという。
〈涙腺ががが〉
〈やめろ泣く〉
〈。・゜・(ノД`)・゜・。〉
「だが、母親が死んでから、この子は誰の言うことも聞かなくなった」
「みんな、ああしろ、こうしろとうるさかったからだ」
「危ないことばかりしていたからだろう。勝手に森の奥へ入ったり、何度も子供たちと喧嘩をした」
「あいつらが先に言ったんだ」
「何を言われたのです?」
ミケは答えたくないのか、しばらく黙っていた。
「……母さんが死んだからって、いつまでも怒るなって。泣いても戻ってこないって」
言いながら尻尾で床を小さく叩く。
〈それは言っちゃあかん〉
〈子供の言葉は刃物〉
〈子供は残酷やね……〉
「そんなこと分かってた。でも、あいつらには言われたくなかったんだ」
「それを言った子供たちも叱った」
「でも、あたしばかり怒られた」
「相手を怪我させたからだ」
「ほら、やっぱり。あたしばかりじゃないか」
ミケの反論に、しかし長老は怒ることなく静かに答えた。
「皆、お前がつらいことは分かっていた。だが、村にはほかの者もいる。悲しんでいるからといって、お前に暴力を許すわけにはいかなかった」
「あたしばかり叱った」
「お前を嫌っていたからではない。心配していたからだ」
「偉そうに言うな。母さんでもないくせに」
室内が静まり返る。
それがミケの本音だったのだろう。長老は否定しなかった。
「ああ、そうだな。誰もお前の母親にはなれなかった」
ミケの尻尾の動きが止まる。
「それでも皆は何かをしてやりたかった。だが、お前が何を望んでいるのか、誰にも分からなかった」
「あたしだって、分からなかった」
ミケが小さく呟いた。
「母さんが死んだのに、みんな普通に飯を食って、普通に話して、普通に笑ってた。何で普通にしていられるんだって、腹が立った」
悲しいとも寂しいとも言えず、怒ることでしか感情を発露できなかったのだろう。やがてミケは、大人に叱られたことをきっかけに、村を飛び出した。
〈全米が泣いた〉
〈大人にも限界はある〉
〈エモいじゃ済まない〉
〈これはガチ〉
「追い出されたんじゃない」
「分かっている。お前は自分から出ていったのだ」
長老は何度も肯定した。
村人たちはすぐにミケを捜した。しかし捕まえようとする度に、ミケはさらに山の奥へ逃げていった。
「だから、食料や塩、古着を置き、無事でいることを確かめていた」
「頼んでない」
「知っている」
「なら、何で置いた」
「置くしかなかった」
ミケは言い返さなかった。
「それが正しかったのかは、今でも分からん。もっと別の言葉をかけてやれたのかもしれない」
「何を言われても、あたしは戻らなかった」
「そうだろうな」
長老は苦笑した。
ミケは母を失った悲しみを、怒りでしか表現できなかった。
村人たちはそれを理解しながらも、共同体を守るために、危険な行動や喧嘩を諫めざるを得なかったのだ。
ミケは自分だけが責められていると感じ、村人たちは、どう手を差し伸べれば届くのか分からなくなった。
それは誰かが悪かったわけではなく、ただ、互いの気持ちが噛み合わなかっただけだった。
〈みんな不器用すぎる〉
〈誰も悪くないやつ〉
〈これは難しい〉
〈大人にも正解は分からんよな〉
〈禿同〉
「ミケ」
長老が呼びかける。
「村へ戻ってくるなら拒みはしない。誰もな」
「嫌だ」
ミケは間を置かずに答えた。
「そうか。では、どうするつもりだ?」
「今の家に帰る」
「また一人で暮らすつもりですか? あの横穴で」
レティシアが尋ねる。
「そうだ」
「それは見過ごせません」
「なんでお前が決める」
「あなたが子供だからです。危険な場所で一人暮らしをする子供を、見ないふりはできません」
「あたしは子供じゃない」
「まだ十三歳でしょう。立派な子供です」
ミケが不満そうに耳を伏せた。
〈ぐう正〉
〈子供扱いされたくない年頃〉
〈あの横穴はダメだって〉
〈耳ふわふわ。触りたい〉
〈お前は臭いからだめだ〉
〈∑(゜д゜lll)ガーン〉
「それに、あの廃鉱山は近いうちに人を入れて調査します。あの横穴へ戻ることはできません」
長老の目が細められた。
「何を調べる?」
「鉱山の状態です。本当に枯れたのか、資源はもう残っていないのか。それらを調査します」
レティシアは、猫人族の狩場や水場に影響が出ないよう、事前に話し合いたいとだけ伝えた。
長老はしばらくレティシアを見つめたあと、短く頷く。
「では、ミケはどうする」
村には戻りたくない。廃鉱山にも戻れない。
それでも一人で暮らすと言い張るミケへ、レティシアは言った。
「しばらく、わたくしの屋敷へ来ませんか?」
「屋敷?」
「今後どうするかを決めるまでです。食事と寝る場所は用意いたします」
「閉じ込めるのか?」
「閉じ込めるつもりはありません。もちろん、危険な場所へ入ることは止めますけれど」
「面倒くさい」
「そこは諦めてください」
レティシアは笑った。
〈人間社会は面倒なんだよ〉
〈領主館はもっと面倒だぞ〉
〈クララがいるからな〉
〈あっ〉
長老が静かに言う。
「この子は言うことを聞かんぞ」
「承知しております」
「すぐ怒る」
「それも存じております」
「食い意地も張っている」
「うるさい!」
〈長老容赦ないw〉
〈長老ナイスアシスト〉
〈はい論破〉
〈地味にディスってるw〉
〈なお否定できない模様〉
重かった空気が、少しだけ和らいだ。
ミケはしばらく黙り込み、床の上で尻尾を揺らしていた。
「……肉」
「はい?」
「肉を食わせるって約束した。まだ食べてない」
「では、約束を果たすために屋敷へいらっしゃいな」
「……仕方ないから、行ってやる」
「歓迎しますわ」
「でも、住むとは言ってないぞ」
「ええ。まずは夕食を召し上がるだけですわね」
「肉は多めだ」
「料理長へ伝えておきます」
長老がミケへ尋ねる。
「それがお前の決めたことか?」
「そうだ」
「ならば行ってこい。ただし、戻りたくなったらいつでも帰って来てかまわん」
ミケはまだ不満そうに耳を伏せている。けれど、その細く長い尻尾は、先ほどよりも少しだけ穏やかに揺れていた。
こうしてミケは、本人いわく「約束の肉を食べるために」レティシアの領主館へ来ることになった。




