第58話 廃鉱山を調査します。
前回までのあらすじ
スヴェン、生きとったんかワレ!
その後スヴェンは、リオネルによる献身的な料理指導のおかげで、どうにかパスタ料理を作れるようになった。
さすがに料理人と呼べるほどではないが、客の前で実演し、食べ方を説明できる程度にはなったらしい。
ともあれ、スヴェンは領主館から預けられた最初の荷を馬車へ積み、ヴァレーヌ領内を回り始めた。
売れるかどうかは、まだ分からない。けれど、作る者と食べる者をつなぐ人間が、ようやく動き出したのだった。
「様々な方法を試してみましたが、私にできるのはここまでのようです」
数日後。
領主館の厨房に設けられた試作用の作業台で、リオネルは悔しそうに眉を寄せた。目の前には大きな鍋が置かれ、底には黒褐色に濁った液体が残っている。
家畜の餌として育てられていた根菜。その中に含まれる甘味を取り出せないかと、リオネルは何度も試作を重ねていたが、未だ満足できるものはできていなかった。
初めて煮出した時と比べれば、土臭さも青臭さもずいぶん減り、甘味もはっきりと感じられるようになった。
それでも舌に残る雑味は消えず、色もひどく濁っている。このまま菓子や飲み物へ加えたところで、見た目まで台無しになるのは目に見えていた。
レティシアは小さな匙で煮汁をすくい、ほんの少しだけ舐めた。
甘い。確かに甘いのだ。しかし、それだけで砂糖の代わりになるわけではない。料理や菓子に使うなら、色と匂い、舌触りまで整える必要がある。
レティシアは腕を組み、鍋の中をじっと見つめた。
甘味を残しながら、不純物だけを取り除く方法がどうしてもわからない。前世では当たり前のように砂糖を使っていたが、それがどうやって精製されていたかとなれば、知識はひどく曖昧だった。
〈もう無理ぽ 。゜(゜´Д`゜)゜。〉
〈誰か教えてクレメンス〉
〈有識者はよ〉
〈食品会社の研究員が通りますよっと〉
〈石灰をぶち込んで分離させれば、おK〉
〈なお分量は知らん〉
〈雑w〉
石灰……だと?
それだ。
レティシアは目を見開いた。
いつもはやかましいだけの配信コメントだが、たまには役に立つことも拾える。
とはいえ、正確な方法は分からない。そもそも、コメントを流した視聴者本人も、詳しい手順までは知らないようだが、それでも今までとは違う方向へ進む手がかりにはなりそうだ。
「石灰……」
思わずこぼれた言葉に、リオネルが聞き返す。
「……石灰でございますか?」
「ええ。煮汁の不純物を取り除くのに使います。以前に王妃教育で学んだことを思い出しました」
「王妃教育とは……それで、どのように使うのでしょう」
「そこまでは覚えていません」
レティシアは堂々と答えた。
〈_( ┐ノε:)ノ ズコー〉
〈覚えておらんのかーい〉
〈知ったかぶらないのは偉い〉
〈まずは材料探しから〉
〈甘味が欲しいだけなのに鉱山へ行く女〉
「ですが、石灰を使うのだけは確かなようです。試してみたいと思いますので、採取できる場所を調べます」
「承知いたしました」
石灰が必要なら、その原料となる石灰岩を探さなければならない。一般的に建築や畑へ使われている石灰が、どのように作られているかも調べる必要があるだろう。
ただ、領内のどこに石灰岩があるのかを、普通に探していては時間がかかる。そこでレティシアは、自分には普通ではない探し方があることを思い出した。
執務室へ戻ったレティシアは扉を閉めて一人になると、机の上へ領内の地図を広げた。次に椅子へ腰を下ろして意識を集中させる。
すると視界の隅に、半透明の画面が浮かび上がった。
管理者権限――かつて、このゲームを管理するために用意されていた機能の一部である。この世界ではレティシアだけが扱える力だ。
まずは領内マップを開く。次いで「石灰岩を検索」と念じると、ヴァレーヌ領の地形が半透明の画面へ表示された。
さらに表示項目から資源情報を選択すると、マップの一部に淡い光が灯る。領都から見て北西、山間部の一角だった。
【資源候補:石灰岩】
【推定地点を表示します】
「ありましたわ」
レティシアは紙の地図へ視線を落とし、画面上の位置と照らし合わせる。
その場所には見覚えがあった。着任後、領内の資料を確認した時に名前だけ見た場所。五十年ほど前に閉鎖された、古い鉱山だった。
「よりにもよって、廃鉱山ですの……」
詳しい位置を確認しようとマップを拡大したが、坑道の周辺まで大きくなったところで画面にエラーが表示された。
【詳細データが不足しています】
【現地調査が必要です】
「やっぱり、そこまでは教えてくれませんのね」
場所は特定できた。しかし、埋蔵量も採掘できる状態なのかも分からない。
そもそも、五十年前と現在では地形や状態も変わっているだろう。管理者権限が示したのは候補地だけで、あとは自分の目で確かめろということらしい。
レティシアは呼び鈴を鳴らした。
間もなく執務室へ入ってきたオスカーへ、地図上の一点を指し示す。
「この廃鉱山を調査します」
オスカーは地図を見下ろし、わずかに眉を動かした。
「ずいぶん突然でございますね」
「ここに石灰岩があるかもしれません」
「石灰岩が、あの鉱山に?」
「断定はできません。けれど、可能性は高いと考えますわ」
どうやって知ったのか、と尋ねられても説明に困る。
しかしオスカーは追及しようとしなかった。これまでにもレティシアは、他人には説明しにくい知識を何度か示している。唐突に見えて、実は彼女が何らかの根拠を持っていることだけは、理解しているらしい。
「五十年前に閉鎖された場所でございます。坑道内へ入ることは、お勧めできません」
「入口周辺の確認だけです。内部へ入るかどうかは、状態を見てから決めます」
「そのお言葉、くれぐれもお忘れになりませんよう」
「分かっています」
〈信用ゼロで草〉
〈今までの行動を振り返れ〉
〈大丈夫、入り口だけだから〉
〈それ絶対入るやつ〉
〈先っぽだけ、先っぽだけだから!〉
〈そう言って全部入れるやーつ〉
〈おいやめろ〉
だから、下ネタはやめろと何度も言っている。男が思っているほど、女は下ネタに寛容ではないのだぞ。
――まぁ、今回はコメントに助けられたのだから、大目に見てやるが。
オスカーは覚悟したように息を吐き、すぐに必要な準備を始めた。
物資を集めさせ、同行人員を決め、山道に慣れたヴァレーヌ出身の下働きへ道案内の指示を出す。
そうして、その日のうちに出発は決まった。
翌日。
レティシアは見慣れたドレス姿ではなく、臀部まで隠れる丈の長い上着と細身のズボン、膝下まである革靴という乗馬服姿で領主館を出た。
同行するのはオスカーとアリス、護衛騎士のクルトをはじめとする数名の騎士たち。加えて、山道の荷運びや採取を手伝うために、ヴァレーヌ出身の男性下働きが幾人か加わった。
馬車に揺られて領都を離れ、街道から細い道へ入る。進むにつれて人家は少なくなり、やがて窓の外は深い木々ばかりになった。
「同じ領内とは思えませんね」
馬車の向かいに座るアリスが、窓の外を眺めながら言う。
「領都から、それほど離れてはいないのですけれど」
レティシアも頷いた。狭いヴァレーヌ領ではあるけれど、領都から少しでも離れると急に人の暮らしが遠くなる。
二時間ほど馬車に揺られたあと、一行は山道の途中で下車した。そこから先は道幅が狭く、歩かなければならない。
皆で荷物を分けて持ち、木々の間を進む。
しばらくすると、朽ちかけた木造の建物が見えてきた。かつて鉱夫たちが使っていた作業小屋だろう。
屋根の半分は落ち、壁には蔦が絡みついている。その奥に、黒く口を開けた坑道が見えた。
「ここが、件の廃鉱山ですか」
「そのはずです」
オスカーが古い地図を確認する。五十年前に閉鎖された鉱山。誰も使わなくなってから半世紀が経つ。
それなのに。
「……妙ですわね」
レティシアが足元を見る。坑道へ続く地面の草が踏み倒されていた。それも、一度や二度ではなく、同じ場所を何度も人が通った痕跡があった。
朽ちた柵の一部には、比較的新しい木材で補修された跡もある。木の枝も、人が通りやすい高さで払われていた。
「誰かが、ここへ出入りしておりますね」
オスカーの声が低くなり、クルトたち護衛も周囲へ鋭い視線を向けた。
〈誰か住んでる?〉
〈今も使われてるっぽい〉
〈誰が?〉
〈知らんがな〉
レティシアは坑道口を見つめた。中は暗く、入口からでは奥まで見通せない。流れ出す冷たい風が、湿った土と古い木の匂いを運んでくる。
その時、不意にクルトが顔を上げた。視線は右手の木立へ向いている。
「どうしました?」
レティシアの問いにクルトは答えなかった。
剣の柄へ手をかけ、わずかに姿勢を低くする。周囲の護衛たちへ目だけで合図を送り、レティシアたちの前へ出た。
「領主様。下がってください」
〈誰かいる〉
〈右の木陰〉
〈志村、後ろ後ろ〉
〈昭和ネタはやめろw〉
〈だめだこりゃ〉
次の瞬間、木々の間から小さな人影が飛び出した。
クルトが地面を蹴る。人影は小柄で、ひどく素早い。低い枝の下をすり抜け、木の根を飛び越え、山の斜面へ向かって走っていく。けれど、護衛騎士から逃げ切れるほどではなかった。
クルトの姿が木々の向こうへ消える。直後に短い悲鳴が聞こえてきた。
間もなくクルトが戻ってくると、その手には粗末な外套の襟元がつかまれていた。
それは子供のようだった。体つきからすれば、十三、四歳ほどだろうか。
フードに深く顔を隠し、両手でクルトの腕をつかんでいる。逃れようともがいているものの、力の差は歴然としていた。
小さな肩は震え、フードの奥に見える口元は引きつり、荒い呼吸が漏れている。
その姿を見た瞬間、レティシアの胸が強く痛んだ。
「放してください」
考えるより先に声が出た。クルトの動きは止まったが、手は子供の外套をつかんだままだ。
「ですが、領主様。この者が何者か、まだ――」
「クルト」
レティシアは声を低くした。
「聞こえませんでしたか」
一瞬の沈黙。クルトが唇を引き結ぶ。
「……かしこまりました」
子供を地面へ下ろし、外套から手を離した。
子供は逃げなかった。いや、逃げられなかったのかもしれない。
その場にしゃがみ込み、両腕で頭を抱え、身体を小さく丸めて震えていた。
この辺りに集落はなかったはずだ。遠くから一人で来たとも思えない。いったい、どこの子だろう。
レティシアが一歩近づき、クルトもその後ろへ続いた。子供の身体が、びくりと跳ねる。それを見てレティシアは足を止めた。
「クルト。そこで待っていてください」
「しかし領主様」
「この子が怖がります」
「何者かも分かっておりません」
「何かあれば、すぐに動ける距離でしょう」
クルトは納得していない。護衛としては当然だろう。それでも、怯える子供へ視線を向けてから数歩後ろへ下がった。
「……何かございましたら、すぐにお下がりください」
「ええ。約束します」
ほかの護衛たちもレティシアへ注意を向ける。オスカーも止めようとしたが、レティシアは小さく首を振った。
レティシアが子供から数歩離れた土の上へゆっくりとしゃがみ込む。乗馬服の膝と革靴に湿った土がついたが、今はそんなことなどどうでもよかった。
子供と同じ高さから、できるだけ柔らかい声で話しかけた。
「驚かせてしまって、ごめんなさい」
子供は答えない。
「あなたをつかまえたりはしません」
顔を伏せたまま、細い肩を震わせている。
「怪我はありませんか?」
〈追い詰めちゃあかんやつや〉
〈何があった〉
〈怯えとるやん〉
〈ここは我々も静かに見守りたい〉
急かしてはいけない。レティシアは黙って待った。
やがて子供が顔を上げると、その拍子に深くかぶっていたフードが頭から滑り落ちた。
レティシアは息を呑む。
露わになったその顔は、人間の少女とよく似ていた。けれど、額も、頬も、鼻筋も、細く短い毛に覆われている。
白を基調とした毛並みに、額の片側から頬へかけて黒と茶色の斑が入り、髪にあたる部分には茶色を含んだ黒い毛が長く伸びていた。
そして、その頭上には、人間にはないものがあった。
三角形をした猫のような耳。片方には黒が多く、もう片方には茶色が混じっている。伏せられた耳の先が、少女の震えに合わせるように小さく揺れていた。
〈顔に毛が生えてる!〉
〈猫耳!?〉
〈ミミガー!?〉
〈節子、それミミガーやない、ケモミミや〉
〈この状況でボケるなw〉
〈でもちょっと和んだ〉
よく似ているが、少なくとも彼女は人間の子供ではない。
レティシアは、目の前で震える少女を見つめて思った。
この子は、いったい何者なのだろう、と。
眼精疲労が原因の頭痛と吐き気でダウンしてました。体は大切にしましょう。




