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第57話 営業部門が必要です。

前回までのあらすじ


「美しい絵画を眺めて、その絵画と結婚したいと思いますの?」

……ベルンハルト、身も蓋もない。

 ベルンハルト・リューベル辺境伯との実務協議から十日。気づけば季節は晩夏へ差しかかり、朝晩には涼しい風が吹くようになっていた。


 日中の日差しはまだ強いものの、窓を開けたまま迎える朝の執務室には、わずかに秋の気配が混じり始めている。


 ヴァレーヌ・パスタの製造は、順調に進んでいた。

 試験販売を始めた頃は、領都の宿屋一軒だけで出していたが、それが今では、領都と街道沿いにある主だった宿屋や食堂で扱われるまでになった。


 味つけにも店ごとの工夫が生まれ、同じパスタでも作る者によって味が変わる。総じて客からの評判はよく、店からも保存が利いて扱いやすいと好評だという。


 製造にも慣れ、工房では宿や食堂へ卸す分に加えて、ある程度の在庫も確保できるようになっていた。


「領内の市場でも乾燥パスタを売れないか、という声が出ております」


 執務机の向こう側で、オスカーが報告書を読み上げた。


「宿屋や食堂だけでなく、一般の家庭でも購入を希望する者がいるようです。すでに工房へ直接買いに来た者もいたとのことでございます」


「工房へ直接?」


「はい。もっとも現在は小売りを行っておりませんので、すべて断っておりますが」


「でしょうね」


 レティシアは手元の書類へ目を落とした。

 パスタ工房は、あくまで製造場所だ。そこへ領民が一人、二人と訪れるたびに作業を止めていては効率が悪い。


「宿屋や食堂への配送は、今も領主館の者が?」


「工房と屋敷の下働きの者が、荷運びを兼ねて行っております。しかし最近では取扱店が増えたため、負担が大きくなってきています」


 オスカーが荷運びの詳細を記した紙を差し出した。


「現在の規模であれば、まだ対応は可能です。ですが、このまま小売りまで始めるとなれば、配送と代金の管理に人手を取られるかと」


「工房には作ることへ集中してもらいたいですわね」


「私も、そう考えております」


 リオネルは、パスタを使った料理と調理法の開発。

 工房は、乾燥パスタの製造と品質管理。

 領主館は、原料の確保と生産量の調整。


 そこまではいい。しかし小売りを始めるのなら、加えて受注と配送を担う部署が必要になる。


〈今北産業〉

〈工場直売所かな?〉

〈製造部門に小売りまでやらせるな〉

〈それはそう〉

〈分業しろ分業〉


 言われなくても分かっている。それを今から考えるのだ。


 レティシアは書類を机へ戻し、指先で軽く表紙を叩いた。

 必要なのは、客から注文を集め、工房からパスタを受け取り、運び、販売する者である。


 読み書きと計算ができ、帳簿をつけられること。客へ商品を説明し、どこで何が売れたのかを管理し、報告できること。

 そして何より、領内を自分の足で回れる者。


 そこまで考えたところで、頭の中に一人の青年が浮かんだ。


 ピコン。


 何かが点灯したような音が脳内に響く。


「そういえば、スヴェン・ショッペルから手紙が届いていましたわね」


「はい」


 オスカーが即座に答える。


「三日後には、再びヴァレーヌへ立ち寄る予定とのことでございます」


 以前、パスタを扱いたいと領主館へ飛び込んできた、独立したばかりの若い行商人。


 あの時レティシアは、彼へ一つの宿題を出した。

 街道沿いの宿場、小さな村、市場や酒場。旅人や商人が何に困り、何を求めているのか。

 自分の足でしか拾えない、道の声を持ってくることを。


「では、まず彼が何を持ち帰ってくるのか、見せていただきましょう」


「承知いたしました」


 オスカーが一礼する。

 仕事を任せるかどうかは、そのあとで決めればいい。



 ◇



 三日後。

 スヴェン・ショッペルは、予定どおり領主館へ姿を見せた。


 前回よりも肌が日に焼け、旅装もくたびれていたが、応接室へ入ってきたその顔には、長旅の疲労よりも緊張と期待が浮かんでいた。


「お久しぶりでございます、ヴァレーヌ女伯爵様」


「ええ。お元気そうで何よりですわ」


「ありがとうございます」


 スヴェンは礼を済ませ、席へ着く。その傍らには、革紐でまとめられた分厚い紙の束が置かれていた。

 それは決して上等なものではなく、ところどころ色も厚さも異なる、安価な紙を集めて綴じたものだった。


 それでも、表紙には丁寧な文字で、『街道・宿場及び市場調査記録』と書かれている。


「お約束したものを、お持ちいたしました」


 スヴェンは両手で紙束を持ち上げ、レティシアの前へ差し出した。

 受け取ってみると、ずしりと重い。百枚近くはあるのではないだろうか。


 ページを開けば、小さな文字が端から端までびっしりと並んでいた。


〈スヴェン、生きとったんかワレ!〉

〈レポート提出に来たんかい〉

〈字ちっさ〉

〈宿題に全力で答える男〉

〈認められたくて必死で草〉


 笑ってはいけない。本人は大真面目なのだ。


「ずいぶん調べられましたのね」


「前回頂いたお言葉どおり、近隣の宿場や市場を回ってまいりました」


 報告書には、訪れた町や村の名前が順番に記されており、そのすべてに、スヴェンが自分で確認したものか、誰かから聞いたものかが書き添えられていた。

 聞いた話にも、複数の者から同じ内容を聞いたのか、一人から聞いただけなのかが区別されている。


「こちらの町では、薪の値が大きく上がっていますのね」


「はい。少し前に山道の一部が崩れ、木材を運ぶ荷車が遠回りをしているためです」


「ご自身で確認なさいましたの?」


「崩れた場所までは確認いたしました。ただし、復旧にどれほどかかるかは分かりません」


 レティシアは小さく頷いた。

 分からないことを、分かったように書いていない。前回告げたことを、きちんと守っているらしい。


「この宿屋は、保存の利く食材を求めている、とありますわね」


「料理人を一人しか雇えず、毎日のパン焼きとスープの仕込みで手が回らないそうです。悪天候が続けば食材も届かず、客へ硬いパンしか出せない日もあるとか」


「なるほど。では、こちらの市場では?」


「小分けにした豆や穀物がよく売れております。一度に大量に買える者が少ないのでしょう」


 質問すれば、答えはすぐに返ってくる。

 ただ書類を読み上げているのではなく、誰から聞いたのか、どのような場所だったのか、その時ほかに何が売られていたのか。それらをすべて、自分の言葉で説明できていた。


 レティシアは報告書を閉じた。


「これを作るのは、大変だったでしょう」


 スヴェンが少しだけ目を見開く。まさか労われるとは思っていなかった。厳しい質問か、報告内容への指摘が来ると思っていたらしい。


「……はい」


 少し迷ったあと、正直に認めた。


〈まさかの労い〉

〈圧迫面接じゃない……だと……?〉

〈持ち上げて落とすタイプの令嬢〉

〈嵐の前の労い〉


「ですが、次は手ぶらでは参りませんとお約束しましたので」


「そうでしたわね」


 レティシアは報告書の表紙へ手を置いた。


「では、もう一つ伺います。この報告書の内容は、すべてあなたの頭の中に入っていますか?」


 その質問に、スヴェンは表情を引き締めて即答した。


「もちろんです」


 今度の返答には迷いがない。


「すべて、私が直接歩き、見聞きしてきたことですから」


「そうですか」


 レティシアは微笑んだ。


「では、その知識と情報をもとに、ヴァレーヌ領内で乾燥パスタを売ってきてください」


 スヴェンが固まった。しばらく瞬きすらせず、少し後にやっと口を開いた。


「……私が、でございますか?」


「ええ」


「乾燥パスタを、私に預けていただけるということなのでしょうか?」


「試験的に、ですわ」


 浮かれさせる前に、レティシアはしっかり釘を刺した。


「領内で小売りを始められるか、確かめたいと思っていました。ですが、多くの領民たちにとって、乾燥パスタはまだ見たこともない食材です。宿や食堂で料理として食べるのと、自分で購入して調理するのとでは話が違います」


 スヴェンは黙って聞いている。


「どのような方が、どれほどの量なら買えるのか。どこでは値段が問題となり、どこでは食べ方の説明が必要になるのか。あなたは、ご自身の足で調べてきたのでしょう?」


「はい」


「でしたら、その情報を一番有効に使えるのも、あなた自身のはずです」


 レティシアは、机の上の報告書を指先で軽く叩いた。


「わたくしが欲しかったのは、この紙の束ではありません」


 スヴェンの目が、ゆっくりと見開かれていく。


「情報を集め、整理し、それを商売へ生かせる方を探していたのです」


〈インターンから正社員へ〉

〈正社員じゃなくて委託販売員じゃね〉

〈スヴェン営業部長〉

〈肩書きがついた〉

〈試験まだ終わってなかったんかい〉


 スヴェンは、自分が書いた報告書へ視線を落とした。

 課題をこなし、情報を渡せば、いずれ取引相手に加えてもらえるかもしれない。そう考えていたのだろう。


 けれど、レティシアが求めていたのは、情報そのものではなかった。

 足を使って情報を集め、直接現場で見聞きし、得た情報を整理して自分のものにできる者。


 最初から、そんな人物を求めていたのである。


「販売範囲は、当面ヴァレーヌ領内に限ります」


 レティシアは条件を説明した。


「商品は領主家からお預けします。販売価格も、こちらで定めた範囲を守ってください。あなたには、売上の中から手数料をお支払いいたします」


「買い取りではなく、お預かりして販売する形でございますか」


「ええ。最初からあなたに在庫の負担を負わせるつもりはありません」


 さすがに理解が早い。幼い頃から商家で鍛えられただけあり、委託販売の仕組みは一度の説明で理解した。


「受け取った数量、販売した数量、売れ残り、破損、回収した代金。それぞれ記録していただきます」


「承知いたしました。出納帳と在庫帳は分けた方がよろしいでしょうか」


 横で聞いていたオスカーが口を開いた。


「その方がよろしいでしょう。販売場所ごとの記録も必要です」


「では、販売日と場所、購入者の大まかな身分や職業も別にまとめます。掛け売りは許可されますか?」


「当面は禁止とします」


 オスカーが即答した。


〈即答w〉

〈それはそう〉

〈与信管理まで始まった〉


「試験販売の段階で、回収不能のリスクを背負う必要はございません」


「承知いたしました」


 スヴェンが素直に頷く。


 読み書きと算術。帳票と出納。売買と代金回収。商売に必要な基礎はすでに身につけている。

 独立したばかりのため、資金も信用もまだ乏しいが、金と商品を預けても帳尻を合わせて戻ってくるだけの能力はあるようだ。


「それから」


 レティシアは続けた。


「売上だけを持ち帰ればよいのではありません。売れなかった場所と、その理由も報告してください」


 スヴェンが、わずかに首を傾げる。


「売れなかったことまで、でございますか」


「ええ。なぜ売れなかったか。値段が高かったのか、量が多すぎたのか。食べ方が分からなかったのか。それとも、そもそも必要とされていなかったのか」


 レティシアは指を折りながら挙げていく。


「売れなかった理由が分からなければ、次に何を改善すべきかも分かりませんもの」


「……なるほど」


「耳触りの良い話だけを集めて、都合の悪いものを隠すようでしたら、二度目はございません」


 穏やかな声ではある。しかし、その意味は十分に伝わったらしい。

 スヴェンが背筋を伸ばした。


「必ず、ありのままをご報告いたします」


「結構です」


 レティシアは満足して頷いた。


「見たことのない食材を、一から領民へ説明しなければなりません。おそらく、簡単には売れないでしょう。それでも、やる気はございますか?」


「やらせてください」


 返答は早かった。


「私が集めた情報が、実際の商売でどこまで通用するのか。自分で確かめたいと思います」


 悪くない答えだ。

 レティシアは微笑み、オスカーも小さく頷いた。


「では、細かな販売条件と帳簿の形式は、オスカーと相談してください」


「はい」


「ただ、その前に、もう一つ確認がございます」


〈あっ〉

〈嫌な予感〉

〈逃げろスヴェン!〉

〈逃げるな!〉

〈どっちだよww〉


 話がまとまったと思ったのだろう。スヴェンの表情がわずかに緩む。


「何でございましょう」


「ときに、乾燥パスタをご自身で調理なさったことは?」


 空気が止まった。


「……調理、でございますか」


「ええ」


「宿で食べたことはございますが」


「ご自身で作ったことは?」


 スヴェンは目を逸らした。


「ございません」


「では、野菜を切ったことは?」


「……ございません」


「鍋で湯を沸かしたことは?」


「その程度であれば」


「それは料理とは言いませんわね」


 レティシアはにっこりと微笑んだ。


「それでは、まだ商品をお預けするわけにはまいりません」


「な、なぜでございますか」


「食べ方も説明できない方から、見たことのない食材を買おうと思いますの? あなたは」


 スヴェンが口を閉じる。

 どうやら、反論できないらしい。


〈正論パンチ〉

〈食べ方を説明できない人から買うか問題〉

〈買わない〉

〈ぐうの音も出ない〉

〈ぐう〉

〈新人研修第二部のお知らせ〉


「商品を説明するには、目の前で作ってみせるのが一番です。ですから、簡単な調理方法を実演できる程度にはなっていただきます」


「実演……」


「豆や野菜と一緒に煮る方法。油と塩で簡単に味を整える方法。鍋一つで作れる料理を、いくつか覚えていただきます」



 その時、応接室の扉が静かに開いた。

 姿を見せたのは、白い前掛けを腕にかけたリオネルだった。


「厨房の準備はできております」


 どうやらオスカーが、話の流れを予想して先に呼んでいたらしい。

 さすがは敏腕家令。仕事が早い。


 スヴェンは、リオネルの持つ前掛けと、レティシアの笑顔を交互に見た。


「……今から、でございますか?」


「もちろんですわ。善は急げと申しますでしょう?」


「そのような言葉がございましたか?」


「今作りました」


〈今作るなwww〉

〈笑顔の圧がすごい〉

〈商人くん地獄の厨房送り〉

〈厨房という名の処刑台〉

〈そんな厨房やだw〉

〈次回:パスタが茹でられない。乞うご期待〉


「ご安心くださいませ」


 レティシアは、いっそう晴れやかに微笑んだ。


「たとえ包丁を握ったことがなくても、リオネルにかかれば、すぐできるようになりますわ。こう見えて、新人教育の厳しさには定評がありますの」


 スヴェンがリオネルを見る。料理長は無言のまま、前掛けを差し出した。

 もはや逃げ道はない。


「スヴェン殿。さあ、こちらへ」


「……はい」


 意気揚々と領主館へ報告書を持参した若き行商人は、こうして前掛けを抱えたまま応接室を出ていった。


 扉が閉じる直前、スヴェンが何かを訴えるように振り返る。レティシアは顔に満面の笑みを浮かべながら、小さく手を振った。


「期待してますわよ。しっかり覚えてきてくださいませ」


 こうして、乾燥パスタを売るはずだったスヴェン・ショッペルは、その前にまず(地獄の)厨房送りになったのだった。

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