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第56話 反省会です。

前回までのあらすじ


腐りきった好奇心w

 馬車がヴァレーヌ側の関所を離れ、街道脇の木々に姿を隠した直後だった。


 それまで背筋を伸ばし、領主の威厳と公爵令嬢の慎みを保っていたレティシアが、背もたれに沿ってずるずると身体を沈ませる。


「はぁぁぁ……疲れましたわぁ」


 細く長い息が、馬車の天井へ向かって抜けていった。


〈溶けたw〉

〈女伯爵モード終了のお知らせ〉

〈さっきまでの威厳どこいった〉

〈電池切れ早すぎて草〉


 うるさいわね。

 リューベル領を出るまでは、きちんと保っていたでしょうが。


 そう思いながら、レティシアはさらに深く背もたれへ沈み込んだ。

 いつもなら、こんな姿を見せれば真っ先に声をかけてくるが、隣に座るアリスが今日は何も言わない。


 不審に思って顔を向けると、アリスは両手を膝の上に重ねたまま、窓の外をぼんやりと眺めていた。


 頬はほんのり赤く、口元には夢でも見ているような柔らかな笑みが浮かんでいる。

 身体はこちらへ戻ってきているのに、心だけはまだオルトラントの国境管理所にあるらしい。


 誰を思い出しているのかなど、聞くまでもなかった。


 ……仕事をなさい、仕事を。


 つい先ほどまで、自分もベルンハルトとマティアスの並びに心を奪われていたことは、きれいに棚へ上げておく。


「お嬢様」


 向かいの席から、見かねたオスカーの声が飛んできた。


「そのお姿は、淑女としていかがなものかと存じますが」


「今は誰も見ておりませんわ」


「私とアリスがおります」


「身内は数に入りません」


「左様でございますか」


 淡々と返しながらも、オスカーはレティシアを本気で咎める気にはなれなかった。


 先ほどの協議は、隣で見ていた彼でさえ息が詰まるほどだった。

 ベルンハルトの視線には、常に相手を測る鋭さがあった。問いもまた、レティシア本人がどれほど領内を把握し、どこまで自分で判断できるのかを探るものばかり。


 何度、口を挟もうと思ったか分からない。けれど、そこでオスカーが助け舟を出せば、ベルンハルトの疑念を自ら裏づけることになる。


 ヴァレーヌ女伯爵は名ばかりの領主である。実際にはグランシエール公爵家から遣わされた家令がすべてを取り仕切っている。


 そう思わせるわけにはいかない。だから黙っていた。


 もしレティシアが振り返ったなら、すぐに補佐できるよう備えながら、最後まで見守った。しかし、彼女は一度も助けを求めなかった。


 すべての問いに自分の言葉で答え、逆にベルンハルトの運用上の弱点まで見つけてみせたのだ。

 それも、相手の面子を傷つけない形で。



「とはいえ」


 オスカーは、ほんの少しだけ声音を和らげた。


「本日のご対応は、お見事でございました。私が口を挟む余地などまったくございませんでした」


 レティシアの眉がぴくりと動く。

 背もたれに沈んだままわずかに胸を張り、鼻から得意げに息を漏らした。


「むふぅ」


〈むふぅじゃないが〉

〈まんざらでもなさそうで草〉

〈褒められて伸びるタイプの女伯爵〉

〈顔に出てるぞ〉


「そんなに褒めても、何も出ませんわよ」


「承知しております」


 そう言うオスカーの口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。

 疲れ切ってはいても、褒められれば素直に喜ぶ。やはり、このあたりはまだ十八歳の娘らしい。もっとも、それを本人に言えば、盛大に不服そうな顔をするのだろうが。


「ところで、お嬢様」


「何でしょう」


「リューベル辺境伯閣下と、その副官殿については、どのような印象をお持ちになりましたか」


 レティシアの瞳に、先ほどとは違う種類の光が宿った。


「そうですわね……」


 身体を起こし、膝の上で指を組む。


「まず、リューベル辺境伯閣下は、猛禽を思わせる鋭い目元が実に印象的でしたわ」


 そこで一旦、息を吸う。それから一拍置いて再び口を開いた。


「少々近寄りがたいほど整ったお顔立ちですけれど、長いこげ茶色の髪がその鋭さをほどよく和らげておりまして、軍装との取り合わせも見事でしたの。長身でいらっしゃるから、立っているだけでも周囲を威圧するような存在感がございますでしょう? けれど、無闇に威張り散らすのではなく、必要な場面だけで前へ出る抑制がある。そこがまたたいへんよろしいのですわ」


「はあ」


「対するマティアス様は、プラチナブロンドに青い瞳という涼やかな色合いで、爽やかで柔らかな印象をお持ちですけれど、決して頼りなくはございません。むしろ、副官として周囲をよく見ている隙のなさが、その柔らかな外見の奥にきちんと残っているのです。明るいだけでも、優しいだけでもない。必要ならば一歩引き、しかし主が求める前に必要なものを差し出せる。あの控え方が実に絶妙で――」


 少しずつ、言葉が速くなっていく。


「つまり、鋭と柔ですわ。暗と明と言い換えてもよろしいでしょう。しかも辺境伯と副官、幼馴染で二歳差、軍務上では主従でありながら、長年の信頼に裏打ちされた無言の連携まで成立している。お一人ずつでも十分に完成された容姿ですのに、並ぶことによって互いの魅力がさらに引き立ち、単独では決して生まれ得ない空気が形成されておりまして、ベルンハルト様がわずかに視線を動かすだけでマティアス様が意図を理解する、あの呼吸の合い方など――」


「わ、わかりました」


 珍しくオスカーが慌てて割って入った。


「もう十分でございます」


 レティシアは口を閉じ、きょとんと瞬きをする。


「あなたから尋ねたのではございませんの。まだ半分もお話ししておりませんわよ」


「半分……」


 オスカーの頬が引きつった。


〈止めたwww〉

〈まだ半分で草〉

〈急に早口でワロタ〉

〈容姿の話じゃないがw〉

〈語彙の火力がおかしい〉

〈限界オタク、推しを語る〉

〈話し足りなくて不服そうw〉


 オスカーはしばし言葉を失った。


 あれほど張りつめた協議の最中に、レティシアはベルンハルトの問いの意図を読み、国境警備の問題を探り、マティアスの役割まで見抜いていた。


 そこまでは分かる。

 領主として必要な観察だ。


 しかし、その合間に彼女は、髪の色や目元の鋭さ、軍装との調和、二人が並んだ時の対比、立ち位置、視線の動き、無言の連携が醸し出す空気まで拾っていたらしい。


 あの状況下で、いったい何を見ていたのだろう。

 やはりこの方は、時々どこかおかしい。



「お嬢様」


 オスカーは気を取り直し、慎重に言い直した。


「私がお尋ねしたのは、お二方の容姿ではなく、お人柄についてでございます」


「あら、そうでしたの? それならそうと、早く言いなさいな」


 レティシアの瞳から先ほどまでの妙な輝きがすっと消えた。ほんの一瞬で、口調も速度も元に戻る。


「リューベル辺境伯閣下は非常に優秀な方ですわ。頭の回転と判断が速く、迷いも少ない。国境を預かる領主として、十分な能力をお持ちです」


 それは、直前まで熱弁を振るっていた人物と同じとは思えないほど、冷静な声だった。


「ただ、ご自身の能力を基準にして、周囲にも同じ理解力と判断速度を求めてしまうところがおありですね」


「部下に厳しい方なのでしょうか」


「いいえ。おそらく、厳しくしているつもりすらないのでしょう」


 レティシアは窓の外へ視線を向けた。


「ご自身にできることは、訓練を受けた兵ならば同じようにできると、無意識に考えていらっしゃるのです。部下を信用していないのではなく、むしろ信用しすぎているのでしょうね」


「なるほど」


「そして、その隙間を埋めておられるのがマティアス様ですわ」


 レティシアは再びオスカーへ顔を戻す。


「辺境伯閣下のご判断を、現場の方々が迷わず実行できる形へ整えておられる。情報を分け、順序を変え、必要ならば言葉を補う。辺境伯閣下ご自身は、どれほど助けられているのか、まだ十分にはお気づきでないようですけれど」


 オスカーは静かに聞いていた。

 表情には出さなかったものの、内心では感心しきりだ。わずかな会話とやり取りだけで、そこまで見抜いていたのかと。


「なまじ優秀な方を上に持つと、下の者たちは大変ですわねぇ」


 レティシアはのんびりと言い、再び背もたれへ身体を預けた。


 馬車の中に、短い沈黙が落ちる。

 オスカーがレティシアを見る。いつの間にか夢から醒めていたアリスも、主人の横顔を見つめていた。


 その瞬間、二人の胸中が見事に一致した。


 ――お嬢様。あなたが、それをおっしゃいますか。


〈おまゆう〉

〈自己紹介乙〉

〈部下に自分と同じ処理速度を求める女が何か言ってる〉

〈アリスまで見てて草〉

〈ワロス〉


「何ですの、その顔は」


「いえ、何も」


 オスカーとアリスは返事まで重なった。


 ますます怪しい。けれど、問い詰めるほどの元気は残っていない。

 レティシアは小さく息を吐いたあと、ふと隣へ顔を向けた。



「ところで、アリス」


「は、はいっ」


 呼ばれたアリスが、目に見えて姿勢を正した。


「先ほどから、ずいぶん静かですわね」


「少し緊張していただけでございます」


「そうですの?」


 レティシアはじっとアリスの顔を見る。


 頬はまだ赤い。視線も落ち着かず、膝の上で指を組み直している。


 分かりやすい。

 じつに分かりやすかった。


「マティアス様が、そんなに気になりましたの?」


「そ、そのようなことはございません!」


 即座に返ってきた声が、馬車の中へ響く。あまりに露骨な反応に、レティシアは瞬きをした。


〈自白が早い〉

〈これは有罪〉

〈侍女ちゃん陥落〉

〈女伯爵、部下の恋愛にも圧迫面接〉


「べ、別に、その……マティアス様が、とても整ったお顔立ちでしたので、少し驚いただけでございます」


「まあ」


 レティシアは納得したように頷いた。


「分かりますわ。とてもよく分かります」


「お嬢様にだけは言われたくございません」


「なぜですの」


「あれほど詳しく、お二人のお姿について語っておられたではありませんか」


「それとこれとは別ですわ」


 レティシアがきっぱりと言い切ると、アリスは納得できないという顔をした。


「どこが違うのでございますか」


「わたくしは、美しいものを美しいと申しただけです」


「リューベル辺境伯閣下を、異性として意識なさったわけではないのですか?」


「異性として?」


 レティシアは、本気で意味が分からないという顔をする。


「ねえ、アリス。逆に問いますけれど、美しい絵画を眺めて、その絵画と結婚したいと思いますの? あなたは」


「絵画……」


 オスカーがそっと窓の外へ顔を向けた。


 隣国の辺境伯が、自分を観賞用の絵画に分類されているなどとは、夢にも思っていないだろう。

 まったく、気の毒な話である。


〈名言キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉

〈美術品扱いで草〉

〈YES!ベルンハルト NO!タッチ〉

〈国境のモナリザ〉

〈やめろw〉


「では、お嬢様は、リューベル辺境伯閣下をどう思っておられるのですか」


 アリスがなおも食い下がる。


「たいへん有能で、容姿にも恵まれた方だと思っておりますわ」


「それだけでございますか?」


「ほかに何がございますの?」


 レティシアは首を傾げた。


「国境を挟んだ隣人としては頼もしい方ですし、話も通じます。今後もよい関係を築ければと思っておりますけれど」


「隣人……」


 アリスが、なぜか残念そうな顔をする。


「何ですの、その反応は」


「いえ。何でもございません」


「それより、今はあなたのお話をしているのですけれど」


 レティシアが話を戻す。


「マティアス様をもう一度お見かけしたいと思います?」


「そ、それは……」


「お話をしてみたい?」


「お嬢様」


「次の実務協議には、マティアス様もいらっしゃるでしょうね」


「お嬢様!」


 アリスがさらに頬を赤らめ、悲鳴に近い声を上げる。レティシアは楽しげに目を細めた。


「まあ。元気が戻ったようで何よりですわ」


「からかわないでください」


「からかってなどおりません」


〈いじめてなんていませんわ定期〉

〈圧迫面接第二部開幕のお知らせ〉

〈部下の恋バナで元気になる上司〉

〈いいぞもっとやれ〉


 アリスは頬を膨らませた。それから、反撃するように主人を見返す。


「お嬢様のお話も、まだ終わっておりません」


「終わっておりますわ」


「終わっておりません」


「話を逸らしてはいけません、アリス」


「お嬢様こそです」


 二人は顔を見合わせた。

 馬車の中で、女主人と侍女が年頃の娘らしい恋愛話に花を咲かせる。内容だけを聞けば、たいへん微笑ましい。


 ただし片方は、つい先ほど隣国の辺境伯を相手に一歩も引かず、国境警備の運用にまで修正を加えてきた女領主。

 もう片方は、その副官に一目で心を奪われ、帰りの馬車で仕事を忘れかけた侍女である。


 向かいに座るオスカーは、二人のやり取りを聞きながら、そっと目を閉じた。


 国境警備の協議より、こちらの方がよほど扱いが難しい。家令として、これ以上の口出しはしない方が賢明だろう。


 そう判断したオスカーは、揺れる馬車の中で聞こえないふりを決め込むことにした。

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