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第54話 だが、断ります。

前回までのあらすじ


ヒーロー枠の登場。これは恋愛フラグか!?

 レティシアは応接テーブルを挟んで、ベルンハルト・リューベル辺境伯と向かい合って座った。


 ベルンハルトの斜め後ろには、副官のマティアス・プラームが控える。ベルンハルトがわずかに視線を動かしただけで、マティアスが小さく頷いた。


 言葉はなく、命令もない。

 けれど二人は、確かに通じ合っている。


 ……いけない。これは本当にいけない。


 辺境伯。

 副官。

 幼馴染。

 軍装。

 主従関係。


 属性が山盛りである。

 しかも片方が鋭い猛禽系の国境領主で、もう片方は爽やか属性の騎士系副官。加えて、両者ともに若く、顔がいい。関係性もたいへんよろしい。


 これは萌える。

 そして推せる。


 そういえば、前世で担当のデザイナーが言っていた。


『今度の新キャラは腐女子狙いですからね。先輩の好きそうなデザインにしておきましたよ』


 言うだけのことはある。確かにこの二人は私の琴線に触れている。


 あえて言おう。ドストライクであると。


 しかし、舐めてもらっては困る。

 伊達に有給休暇をねじ込んで、コミケでBL本を買いあさってきたわけではない。仕事でアパートにまともに帰れず、読む暇すらなかったとしても、だ。


 顔はいい。

 配置もいい。

 主従も幼馴染も軍装も分かっている。


 けれど、「腐女子狙い」と言えばそれで済むと思っているあたり、まだまだ浅い。


 さては、にわかだなオメー。

 BL界隈への理解が、いま一歩足りておらぬ。


 と、強がってみたところで、レティシアは再び目覚め始めた前世の趣味に抗うことはできなかった。

 それでも王妃教育で極めた微笑みを崩さぬまま、膝の上に置いた手をそっと重ねた。



 レティシアが隣に控えるアリスへ視線を送る。するとアリスは、丁寧に包まれた箱をテーブルの脇へ置いた。

 その頬が紅く染まっていることには、あえて触れないでおく。


「本日は、ご挨拶の品をお持ちしました」


「これは?」


 ベルンハルトの視線が箱へ落ちる。


 アリスが包みを解くと、中から細長く乾いた麺が現れた。いくつかの束に分けられ、湿気を避けるための紙で包まれている。


「パスタ、というものですわ。こちらでは、ヴァレーヌ・パスタと呼ばれ始めております」


「ヴァレーヌ・パスタ……」


 ベルンハルトが、その名を繰り返した。


〈ここでパスタ〉

〈パスタ外交始まる〉

〈宣伝がうまい〉

〈トップセールスかな〉


「小麦粉を練り、細く切って乾燥させた保存食です。最近、ヴァレーヌで作り始めました」


 レティシアは、穏やかに説明を続ける。


「乾燥させておりますので、湿気を避ければ数か月は保存できます。パンのように頻繁に焼く必要はなく、湯で戻すだけ食べられます」


 ベルンハルトはパスタを一本手に取り、折らないよう注意しながら指先で重さを確かめた。


「軽いな」


「ええ。かさばらず、持ち運びにも向いております。干し肉や乾燥野菜と一緒に煮れば、鍋ひとつで一食になりますわ」


 その言葉に、ベルンハルトの目がわずかに細くなる。


 軽い。

 保存が利く。

 調理に手間がかからない。

 腹にたまる。


 食材としてだけではなく、国境警備所の補給品として使える。しかも、この管理所へ運ぶなら、リューベル領の中心から荷を回すより、橋を挟んだヴァレーヌから運ぶ方が早いだろう。


 ベルンハルトは、乾燥パスタを箱へ戻しつつ考える。


 これは、ただの土産物ではない。こちらが価値に気づくと分かったうえで選んだ品だ。


「噂は耳にしている」


 ベルンハルトが言った。


「街道を通る商人や旅人の間で、ヴァレーヌには変わった麺入りの汁物があると聞いた。これがその材料か」


「はい。まだ領内の宿屋や食堂で試している段階ではございますが、旅人の方々には思いのほか好評のようです」


「だろうな」


 ベルンハルトは、パスタの束を見下ろした。


「兵站にも使える」


 その言葉はほとんど独り言に近かった。

 レティシアは、にこりと微笑んだ。


「用途は、色々と考えられるかと存じます」


〈ベルンハルト、兵站目線〉

〈炭水化物は戦略物資〉

〈イケメンで実務もできるとかズルい〉

〈スヴェンの口コミ効いてる?〉


 ベルンハルトが、斜め後ろへ視線を向ける。するとマティアスは、何も言われずとも持参していた革表紙の帳面を開いた。

 おそらく国境警備所の補給記録か、備蓄に関する覚え書きだろう。


 また視線だけで通じ合っている。以心伝心。まるで長年連れ添った夫婦のような関係だ。

 やめてほしい。あまりに萌えすぎて、変な笑い声が出てしまいそうだ。でゅふふ。


 レティシアの頭の中に脳汁が溢れ出す。しかし彼女は、表面では完璧な微笑みを崩さなかった。


〈すげえな。視線だけで伝わる二人〉

〈信頼感ぱねぇ〉

〈できる男マティアス〉

〈これは長年連れ添ってる〉

〈イケメン主従、絵面が強い〉


 絵面が強い。

 まさにそれ。分かる。もはや、わかりみしかない。



 ベルンハルトは帳面を開いたマティアスに短く目をやり、再びレティシアへ視線を戻した。


「試験的に国境警備所で使ってみたい。そのパスタとやらを、ある程度まとまった量で買い取ることは可能だろうか」


 部屋の空気が少し変わった。


 それはもはや贈答品でも、食品取引の話でもない。隣国の国境警備施設で使う保存食の供給に関する提言だった。


 ベルンハルトの視線がわずかにずれる。向かった先は、レティシアの斜め後ろに控えるオスカーだった。


 オスカー・ボレル。

 グランシエール公爵家から送り込まれた若き家令。


 姿勢、目配り、間の取り方。見るからに有能な男である。

 若い女伯爵の背後にこの家令がいる。ならば、領政の実務を動かしているのは彼だと見るのが自然だろう。


 目の前のヴァレーヌ領主は、清楚で可憐な公爵令嬢そのものだ。

 整った顔立ちに乱れのない所作。柔らかな声。王太子に婚約を破棄され、その手切れ金代わりに赤字領を押しつけられた気の毒な少女。


 ベルンハルトが事前に聞いていた噂を並べれば、おおよそそのような像になる。

 しかも実家から紐付きの家令を連れてきている。その家令が、父であるグランシエール公爵の意向を背負っていないはずがない。


 自分は、ヴァレーヌ女伯爵と向き合っているようで、実質的にはその背後にいるグランシエール公爵家と対峙しているのではないか。


 そう考えるのは、むしろ当然だった。


 おそらく彼女は家令を見る。そして、その判断に従う。

 ベルンハルトはそう読んだ。


〈オスカー見てる〉

〈オスカー黒幕説〉

〈まあそう見えるよな〉

〈お飾り女伯爵+有能家令〉

〈オスカーが本体〉


 しかし、レティシアはオスカーを振り返らなかった。視線を泳がせることもなく、迷うように指先を動かすこともない。

 ただ真っ直ぐにベルンハルトを見て、自分の言葉で答えた。


「お申し出は光栄ですわ。ですが、継続的なお取引となれば、それはフェルメリア王国からオルトラント王国への輸出に当たります」


 声は穏やかだった。


「まだ王国内に広く流通させる段階にも至っていない品を、わたくし一人の判断で隣国へ売ることはできません」


 ベルンハルトの表情は変わらない。けれど、彼の薄茶色の瞳が、静かにレティシアを捉えていた。


「まずは国内の販路を整え、父グランシエール公爵を通じて王家へ報告する必要がございます」


 レティシアは、そこでわずかに微笑んだ。


「そのうえで、なおリューベル辺境伯閣下がご所望でしたら、改めて検討させていただくのもやぶさかではございませんわ」


 断る。

 しかし、閉ざさない。


 すぐには売れない。

 けれど、いずれ手に入る可能性は残す。



 ベルンハルトは、乾燥パスタの束を見た。


 軽く、保存が利き、兵站として使える品。

 国境警備所にとって価値があると分かった瞬間、相手は王家への筋を理由に線を引いた。


 欲しがらせたうえで、すぐには渡さない。


 なるほど。

 手土産の形をした、交渉の前置きか。


 しかし、これを仕込んだのは誰だ。目の前の女伯爵か。それとも、後ろに控える公爵家の家令か。


〈丁寧な「だが断る」〉

〈欲しがらせて渡さない〉

〈餌を見せて待て〉

〈犬扱いするなw〉

〈女王様「おあずけ」〉

〈わんわん!〉



 ベルンハルトは、ほんの短い沈黙の後に口を開いた。


「……なるほど」


 その声には、感嘆とも警戒ともつかない響きがあった。


「軽々には約束されない、ということか。ヴァレーヌ女伯爵殿」


「国境を預かる者同士であれば、軽々しく約束しないことも礼儀かと存じます」


 レティシアは、さらりと答えた。


 ベルンハルトの視線が、もう一度だけオスカーへ向く。オスカーは静かに控えたまま、主の言葉を補おうとはしない。


 操っているのか。

 支えているのか。


 まだ分からない。


 ベルンハルトは、そう判断した。


 悪くない返答だった。少なくとも、新しい販路に目がくらみ、隣国との取引に即答する軽さはない。輸出という言葉を理解し、王家への筋も考えている。

 そして何より、家令を頼らなかった。


 とはいえ、それだけで目の前の女伯爵を評価し切るのは尚早だ。


 事前に答えを用意してきた可能性もある。公爵家の娘として、言うべき言葉を覚えてきただけかもしれない。

 このパスタを土産に選んだことすら、背後の誰かの入れ知恵ということもあり得る。


 それでも――噂に聞くほど単純な相手ではないらしい。


 赤字領を押しつけられた気の毒な公爵令嬢。

 名ばかりの若き女伯爵。


 そう決めつけるには、目の前の令嬢は少しばかり面倒な手札の置き方をする。


〈まだ疑ってる〉

〈そらそう〉

〈この二人、互いに値踏みしてね?〉

〈気の毒な令嬢扱い終了のお知らせ〉



 その時、マティアスがわずかに視線を上げた。ベルンハルトが短く目を動かすと、マティアスは帳面を閉じて一歩下がった。


 まただ。

 また視線だけで会話している。


 何度も同じことを言わせないでほしい。こちらはいま、殺るか殺られるかの心理戦の真っ最中なのだ。萌えている暇などない。


 レティシアは、胸の奥で荒ぶる何かを、王妃教育という名の重石で押さえつけた。そして、何事もなかったように微笑む。


「では、リューベル辺境伯閣下」


 パスタの話は、それ以上引っ張らない。


 相手が欲しがるものを置いた。

 相手から欲しいと言わせた。

 筋を通す必要があると示した。


 前哨戦としては、それで十分だ。


「さっそくですが、国境警備についての実務協議に入らせていただきますわ」


 気負いはなく、緊張も見せない。

 まるで世間話の続きを始めるような口調だった。


 ベルンハルトは、薄茶色の瞳をわずかに細めた。


 まだ、この女伯爵を評価するには早い。家令の教えを正しくなぞっているだけかもしれないし、十分に用意された答えを、間違えずに口にしているだけかもしれない。


 だが、少なくとも――

 噂に聞いたような、気の毒なだけの公爵令嬢として扱うのは危うい。真価を見るなら、ここからだ。


 ベルンハルトは姿勢を正した。


「承知した。では、始めよう」


 国境実務の協議は、ようやく本題に入ろうとしていた。

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