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第51話 胃痛案件が増えました。(主にオスカーの)

前回までのあらすじ


歩く能面。鬼の侍女頭。クララも大変やね。

「マジか! これってアレじゃん!?」


 レティシアの口からこぼれた言葉に、周囲の空気が固まった。

 農家の男は目を瞬かせ、アリスは硬直し、護衛の騎士たちは聞いてはいけないものを聞いたような顔をする。


 その中で、オスカーだけが静かにレティシアを見た。


「……領主様。今のお言葉は、淑女としていかがなものかと」


 声は穏やかだが、やけに抑揚が平坦なのが逆に怖い。レティシアは、はっと我に返った。


「あ、あら、ごめんあそばせ。見慣れないお野菜なものですから、少し驚いてしまいました。おほほ」


 適当に笑ってみたものの、あまりに雑なごまかし方に周囲の視線が交差した。


〈雑すぎw〉

〈おほほじゃないが〉

〈目が泳いでるで〉

〈これが素?〉

〈こんなん、レティシアたんちゃう〉

〈また何か始まった〉


 うるさいな、もう。

 私にだって事情というものがあるのだよ。


 レティシアは心の中で反論しつつも、再び畑の端に置かれた根菜へ目を向けた。


「ええ、ごほんっ。……それで、このお野菜なのですが、少し分けて――いえ、買い取らせていただけないかしら」


 農家の男は、目を丸くした。


「これを、でございますか?」


「ええ」


「このようなものでよろしければ、ご自由にお持ちください。家畜の餌ですので」


「いいえ。代金は支払います」


 レティシアは、きっぱりと言った。

 

 領主が欲しいと言ったものを、領民がただで差し出す。それを当たり前にしてはいけない。

 たとえ相手にとっては家畜の餌でも、こちらが必要としているなら、それはなにかしらの価値を持っている。

 価値には対価を支払う。当然のことである。


「傷のあるものや、小ぶりなもので構いません。籠に入る分で十分です」


「はい。では、こちらを」


 農家の男は、畑の端から掘り上げた根菜をいくつか選んで籠へ入れてくれた。

 レティシアの指示でアリスが代金を支払うと、農家の男は恐縮しきった様子で頭を下げた。


「領主様。このようなものにお金をいただいてよろしいのでしょうか」


「もちろんです。あなた方が育てたのですから」


 レティシアは内心ではかなり前のめりだったが、表向きは淑女らしく優雅に微笑んだ。



 ◇



 領主館へ戻ったレティシアは、すぐにリオネルを訪ねた。

 場所は厨房の奥にある作業場。普段なら何人もの下働きが出入りする場所だが、今回はあえて人数を絞った。


 レティシア。

 オスカー。

 リオネル。

 クララ。

 アリス。


 ひとまず、それだけだ。


 リオネルは、籠の中身を見て首をかしげた。


「お嬢様。こちらは農家から?」


「ええ。飼料用の根菜ですわ」


「これを、料理に使うのでございますか?」


「いいえ。料理ではありません」


「では……」


「少し確認したいことがあるのです」


 アリスが小さく復唱した。


「確認……ですか?」


「ええ。確認です」


 言ったところで、おそらく誰も信じない。だからレティシアは、それ以上の説明をしようとは思わなかった。


「ではリオネル。まず、この根菜をよく洗ってください。土を落として、傷んだ部分を取ります」


「かしこまりました」


 リオネルは疑問を残したまま、すぐに作業へ入る。さすがは料理長である。意味は分からなくても、手順を聞けば動きは早い。

 大きな桶に水を張り、根菜を入れる。土が溶けて水が濁った。


 洗い終えた根菜は、皮と傷んだ部分を落とされて薄く刻まれていく。リオネルの包丁さばきは迷いがなく、瞬く間に白っぽい断面が作業台の上に並んだ。


「このあとはどういたしますか」


「鍋に水を張って、煮出してください」


「煮汁を取るのですか?」


「そうです」


〈確認とはなんぞ〉

〈料理じゃないってよ〉

〈ここだけ見たら普通の下ごしらえ〉

〈問題は素材が家畜の餌である件〉


 リオネルは刻んだ根菜を大鍋へ入れ、水を注いだ。

 火が入る。ぐつぐつと湯が揺れ始めると、作業場に根菜の匂いが広がった。お世辞にもよい香りとは言い難い。


 土の匂い。青臭さ。根菜特有のすえた匂い。これが料理だとしたら、少々つらいものがある。


 リオネルが眉を寄せた。


「……香りは、あまりよろしくありませんね」


「でしょうね」


 レティシアは即答した。リオネルが、不思議そうにこちらを見る。


「ご存じだったのですか」


「農家の方が、えぐみが強いとおっしゃっていましたもの」


「それでも煮出すのでございますね」


「煮出します」


「かしこまりました」


 リオネルはそれ以上尋ねなかった。ただ、その顔にははっきりと書いてある。なぜ、これを煮ているのだろうかと。


 その疑問は、おそらくこの場の全員に共通していた。

 なぜ領主様は家畜の餌を洗わせているのか。なぜ刻ませているのか。なぜ煮出しているのか。なぜ、鍋をそんなに真剣に見ているのか。


 答えを知っているのは、レティシアだけだ。


 いや、知っていると言ってもアイテムウィンドウで見ただけで、備考欄に書かれていたものの量はまったくわからない。

 この程度で取れるのか。煮出すだけで足りるのか。どこまで煮詰めればよいのか。分からないことだらけだ。


 前世のレティシアは、乙女ゲーム会社のシナリオライター兼エディター兼プランナーであって、製糖工場に勤めていたわけではない。

 畑を耕した経験もなければ、精製設備を設計したこともなかった。


 知識はある。けれど経験はない。

 それでも、今は試すしかなかった。



 刻まれた根菜が、鍋の中で煮崩れていく。湯は少しずつ濁り、薄い茶色になった。

 リオネルが丁寧に灰汁を取る。その手つきは、普段の料理と変わらない。


「灰汁が多いですね」


「取れるだけ取ってください」


「承知しました」


 しばらく煮出したあと、リオネルは布を重ねたざるを用意した。

 煮汁を濾す。刻まれた根菜が布の上に残り、下には濁った液体が落ちた。


〈臭そう〉

〈だから料理じゃないってばよ〉

〈じゃあなに?〉

〈謎汁〉

〈レティシア汁〉

〈おいやめろ〉


 控えめに言っても、見た目はまったくおいしそうではない。

 アリスが不安そうに問う。


「あの、お嬢様。これは本当に何かに使えるのでしょうか」


「それを今から確かめるのです」


 レティシアは、濾された煮汁を見つめた。

 間違いなくここにあるはずなのだ。アイテムウィンドウに示されていたものが。

 目に見えず、匂いでも分からない。けれど、根に含まれていると書かれていたのだから可能性はある。


 リオネルは残った出し殻を見た。


「こちらは、どういたしますか」


「薄く広げて干してください。あとで家畜に食べさせられるか確認します」


「捨てないのですね」


「ええ。失敗しても餌に戻せるなら、損はないでしょう」


 オスカーがわずかにうなずいた。

 意味は分からずとも、レティシアが無駄を嫌っていることは伝わったらしい。



 煮汁を鍋へ戻し、今度は煮詰める。水分が飛ぶにつれ、色は濃くなっていった。

 薄茶色から茶色へ。茶色から、さらに黒っぽい色へ。香りは良くなるどころかさらに厳しくなる。土臭さと青臭さが、ぎゅっと濃縮されていく感じだ。


 料理人としてのリオネルの表情は、かなり険しくなっていた。


「このまま、さらに煮詰めますか」


「お願いします」


 リオネルは少しだけ間を置き、それでも頷いた。


「かしこまりました」


 彼は優秀な料理人である。たとえ意味が分からない作業でも、主が命じ、目的があると判断すれば過不足なくこなしていく。その手つきにもまったく淀みはない。


 それをオスカーは黙って見ていた。

 主がただの思いつきで人を動かさないことはよく知っている。だからこそ、不安なのだろう。

 何を見つけたのかは分からないが、何かを見つけたことだけは分かる。オスカーの顔には、そんな表情が浮かんでいた。


〈命名:地獄鍋〉

〈魔女の釜かな?〉

〈家畜飼料の煮詰めエキス。夏野菜を添えて〉

〈なにその謎料理w〉

〈字面が最悪w〉



 最初の量から比べて、煮汁はかなり減っていた。鍋の底に、黒っぽくとろりとした液体が残る。


 リオネルが小皿に少量取ると、レティシアが思わず身を乗り出した。小皿へ指を伸ばしかけた瞬間、クララがすっと前へ出た。


「お嬢様」


「……はい」


「お熱うございます」


 決して咎める口調ではなかったが、その言葉には断固たる意志が込められていた。

 これは家畜の餌を煮詰めた謎の液体である。間違っても領主自身が最初に口にすべきものではない。

 クララの無表情は言外にそう告げていた。


 代わりに、リオネルが小さな匙を取る。


「私が確認いたしましょう」


 作業場に緊張が走った。


〈やっぱり食うんかいw〉

〈料理やない言うたやん〉

〈チャレンジャーやな〉

〈リオネル毒見役で草〉

〈お前の骨は拾ってやる〉


 縁起でもないことを言うんじゃない。匂いも見た目もかなりアレだが、これは決して毒ではない……はずだ。

 ちょっと自信がなくなってきた。


 リオネルはまず香りを確かめた。眉がわずかに寄る。次に、匙の先にほんの少しだけ液体をつけ、慎重に舌へ乗せた。


 次の瞬間、リオネルの目が大きく見開かれた。


「これは……」


 アリスが息を呑む。クララはわずかに視線を動かした。オスカーは黙ったまま、リオネルの表情を見ている。

 リオネルはもう一度小皿の液体を見た。


「……甘い、です」


〈キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉

〈勝ったな〉

〈ああ〉

〈勝訴!〉

〈家畜の餌から甘い汁〉

「は?」

「は??」


 その一言に、作業場の空気が変わる。

 それは本当に一瞬だった。誰も動かない。誰も口を開かない。けれど、全員の意識が黒っぽい煮汁へ集まった。


「土の匂いとえぐみが強いですし、口に残る癖もあります。ですが……確かに甘いです」


 リオネルの言葉に、レティシアは人知れず拳を握りしめた。


 よしっ!


 決して口には出さないが、心の中では完全に勝利のポーズだった。



 リオネルが皆のために、ほんの少量ずつ小皿に分けた。

 まずオスカーが味を見る。彼は表情を変えずに、ゆっくりと目を細めた。


「……たしかに」


 次にクララ。


「香りが強いですね」


 あくまで評価は冷静である。しかし否定はしなかった。

 アリスも恐る恐る口に含み、すぐに目を丸くした。


「本当に……甘いです」


 まるで図ったかのように、全員の視線が同時にレティシアへ向く。

 その視線はこう言っていた。


 なぜ分かったのですか、と。



 はい、来た。


 レティシアは背筋を伸ばし、外面を取り繕う。実際に取り繕えるかは別として、努力は大切だ。


「王妃教育ですわ」


 作業場が沈黙した。

 勢いが少し強すぎたかもしれない。レティシアは咳払いをして、優雅な声を作り直した。


「その昔、王妃教育で交易品や各地の産物について学んだことがありますの。遠い北方の地では、根菜から甘い汁を取っていると聞きました」


「その知識で、これを?」


 オスカーが問う。


「確信があったわけではありません。ただ、似ていると思っただけですわ」


 嘘ではない。完全なでたらめでもない。王妃教育で交易品について学んだのは事実である。

 ただし、この根菜の正体に気づいた直接の原因はアイテムウィンドウだった。


 ――まあ、言えるはずもないが。


〈王妃教育スッゲ━━ヾ(゜Д゜)ノ゛━━ェェ〉

〈王妃になるには家畜の餌を煮詰めるのか!〉

〈そんな教育あるかw〉

〈いったい何の教育だよw〉

〈さすがレティシア様〉

〈さすレティw〉

〈王妃教育、守備範囲広すぎ問題〉


 違う。王妃教育そのものは、ちゃんとしていた……と思う。



 気を取り直したようにレティシアは、黒っぽい煮汁へ目を向けた。


「確かに甘いですけれど、これはまだ砂糖とは呼べません」


 リオネルが小さく頷く。


「はい。このまま料理に使うのは、かなり難しいかと」


「ええ。土臭さもえぐみも強い。量も少ない。籠一杯の根菜から取れたのは、たったこれだけです」


 レティシアは、鍋の底に残った液体を見つめた。


「ですが、この根菜から甘い汁が取れることは分かりました」


 その一言で、また空気が重くなる。



 最初に反応したのは、やはりオスカーだった。

 その表情は、先ほどまでとはまるで違う。もはやそれは、家畜の餌を煮るという謎作業を見守る者ではなく、領政の危険を見つけた家令のそれだった。


「お嬢様」


「はい」


「これは、ただ甘い汁が取れたという話では済みません」


「分かっていますわ」


「砂糖は輸入品でございます。扱う商会があり、関わる貴族がおり、南方の国との取引もございます。もし、この根菜から同じようなものが作れるとなれば……喜ぶ者ばかりではございません」


「でしょうね」


 レティシアは素直に認めた。

 

 砂糖はただの調味料ではない。交易品であり、高級品であり、税や利権にも関わる品だ。それが国内でも作れる可能性がある。それはヴァレーヌにとって、希望であると同時に火種にもなる。


 領主館の片隅で見つけて、はい新商品です、と気軽に売り出せるようなものではなかった。


〈案の定きた〉

〈砂糖が政治になる世界〉

〈利権クラッシャー〉

〈オスカー胃痛案件増えたな〉


 そのとおりだ。これは非常に政治的に繊細な案件である。間違いなくオスカーの胃痛は増えるだろう。

 ちなみに原因を作ったのはこの私。ごめんなさい。


「当面、この件はこの場限りに」


 オスカーが言った。


「作業に関わった者は、今ここにいる者だけでよろしいですね」


「ええ」


「では、外へはまだ出しません。記録上は、飼料根菜の保存加工試験といたします」


「その建前でお願いします」


 クララが無言で頷いた。リオネルも表情を引き締める。


「料理長として、試作内容は記録します。ただし、保管は領主様の許可がある場所に限らせていただきます」


「助かりますわ」


 アリスは緊張した様子で背筋を伸ばした。


「絶対に口外しません」


「ありがとう、アリス」


 レティシアは微笑んだ。そして、改めて小皿の中の黒っぽい液体を見る。

 これはまだ砂糖ではなく、ただ甘いだけの、土臭くてえぐい煮汁でしかない。しかしそこには確かな可能性があった。



「まずは数回、ここで試します」


 表情を引き締め、レティシアは言った。


「確認することは三つ。安定して甘い汁が取れるか。土臭さとえぐみをどこまで減らせるか。搾りかすを家畜の餌へ戻せるか」


「保存性も必要でございますね」


 オスカーが付け加える。


「ええ。それも調べましょう」


 レティシアはうなずいた。


「ヴァレーヌだけで抱えるには、大きすぎる案件です」


「分かっていますわ」


 レティシアは生真面目な顔で答えた。


「ですから、可能性があると判断できた時点で、お父様へ限定的に報告します。グランシエール公爵家を通せば、王家へ話を持っていく道筋も立てられます」



 甘味は欲しい。ものすごく欲しい。できれば今すぐ、前世のコンビニスイーツ並みの手軽さで欲しい。


 けれど、これはそれだけの話では済まない。領地の未来に関わり、国の産業にも影響するのだ。

 下手をすれば、既存の商流や外交にまで触れてしまうだろう。だから急がず、騒がず、慎重に確かめるべきだ。


 前世の仕事でもそうだった。思いつきだけで仕様を決めると、たいてい炎上する。

 まずは検証。次に小規模試験。それから関係者への情報共有。


 基本は大切である。前世でも今世でも、進行管理には神経質なほどこだわらなければならなかった。


「しかし……」


 リオネルが、鍋の中を見つめながらぽつりと言った。


「家畜の餌から、まさかこのようなものが取れるとは。お嬢様、あなたというお方は……」


 その言葉に全員が沈黙する。顔には畏怖に似た何かが浮かんでいた。


 思わずレティシアは小さく胸を張る。

 同時に鼻から奇妙な吐息が漏れた。


「むふぅ」


 分かりやすいドヤ顔である。


〈出たwww〉

〈むふぅじゃないが〉

〈かわいい〉

〈絵面がじわる〉

〈これは悪役令嬢の顔〉

〈貫禄がある〉

〈「むふぅ」で台無しになる貫禄〉


 その場の全員が、黒っぽい甘い汁とレティシアを交互に見た。

 家畜の餌から甘い汁を取り出した女伯爵。しかも本人は、まだ砂糖ではないと言いながら、すでに父公爵への報告経路と王家の庇護まで考えている。


 ……やはり、この方は時々、何かがおかしい。


 誰も口に出そうとはしないが、その沈黙はたいへん雄弁に語っていた。

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