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第49話 現場の話を聞いてみます。

前回までのあらすじ


真夏でもきっちりとしたドレス姿のレティシア。熱中症に注意。

 国境警備費を見直す。


 そう決めたからには、いつまでも執務室にいるわけにはいかなかった。


 紙上の数字は大切だ。けれど、現場を見ずに数字だけを削れば、必要なものまで切り落としてしまう。

 前世の職場でも、そういうことは何度かあった。現場に確認もせず、「ここ、工数多くない?」と軽く言われるやつである。


 そんなわけでレティシアは、国境沿いにあるグランシエール公爵家の警備団の屯所へ向かうことにした。同行するのはオスカーと護衛数名。それから侍女のアリス。


 八月の日差しは容赦がない。

 ヴァレーヌは王都より涼しい土地だが、日中の馬車内はそれなりに暑い。窓を開ければ乾いた風が入ってくるものの、涼しいというには程遠かった。


 馬車は領都エーベルを出て北へ向かう。その先には、ヴァレーヌ領と隣国オルトラント王国を分けるオーデル川が流れていた。


「地図で見るのと実際とでは、ずいぶんと違うものですのね」


 窓の外を眺めながら、レティシアはそう呟いた。


「はい。大軍が簡単に渡れる幅ではありませんが、小舟や浅瀬を使えば、人や荷が行き来することは可能です」


 向かいに座るオスカーが、いつもの落ち着いた声で答える。


「夜間の渡河、関所逃れ、密輸。戦がなくとも、警備が不要になるわけではございません」


「でしょうね」


 国境と聞くと、つい軍勢同士が睨み合う光景を想像しがちだ。しかし実際にはもっと地味で、もっと日常に近いものなのだろう。


〈今北産業〉

〈現場見ずに仕分けるな、マジで〉

〈これは有能管理職〉

〈エアコンのない馬車内でドレス着てるとか何の罰ゲームw〉

〈密輸犯がアップを始めました〉

〈やめろw〉


 やがて馬車は国境沿いの屯所へ到着した。そこは王都の騎士団詰所のような華やかな場所ではなかった。

 木と石で造られた実用一点張りの建物。少し離れたところには見張り台があり、その奥には馬小屋と簡素な訓練場が見える。


 兵士たちは派手な鎧こそ身につけていないが、動きに無駄が少ない。こちらへ視線を向ける時も、好奇心だけではなく周囲への警戒も怠っていなかった。


 その警戒が、馬車の紋章を認めた瞬間に別の緊張へ変わる。


 グランシエール公爵家の馬車。

 そして、そこから降りてきた若い女性。


 兵士たちの間に、ごく小さなざわめきが走った。


 彼らにとってレティシアは、主君であるグランシエール公爵の実の娘である。

 名を知らぬ者はいない。かつて王太子の婚約者であり、いまはヴァレーヌを預かる女伯爵となった令嬢。


 しかし、実際に目の前へ現れた姿は、想像していたよりもずっと若かった。いや、若いというより、未だ少女の面影すら残している。


 それでも兵士たちは、すぐに姿勢を正した。

 驚きはあっても侮りはない。公爵の娘であり、この地の領主である者を前に、彼らは自然と礼を取った。


〈ざわ……ざわ……〉

〈ざわ…ざわ…〉

〈そら美少女伯爵が来たら驚くわ〉


 レティシアが馬車を降りると、屯所の入口に立っていた大柄な男が、豪快な笑みを浮かべて近づいてきた。

 灰色の髪に日に焼けた肌。背筋はまっすぐで、年齢を感じさせない厚い胸板をしていた。


 テオバルト・ハース。

 五十二歳。


 グランシエール家に長く仕える軍事畑の人物で、昔から領兵を率いてきた男である。

 レティシアが生まれる前から公爵家に出入りしていたため、彼女にとっては祖父のような存在でもあった。


 その彼が口を開く。


「これはこれは、レティシアお嬢様。ご無沙汰しております。着任時の挨拶以来ですな。お元気そうで何よりです」


 第一声がそれだった。

 レティシアは、思わず片眉を上げた。


「ハース卿。皆の前で『お嬢様』は控えてくださる? 今はもう、ここの領主なんですのよ」


「がはははは! これは失礼。つい昔の癖が出ましたな」


 ハースは悪びれずに笑った。


「では、以後は領主様とお呼びいたしましょう」


「お願いしますわ」


〈典型的な軍人で草〉

〈鬼軍曹っぽい〉

〈これは強い爺〉

〈レティシア様、そこはきっちり〉


 まったく。昔から何も変わっていない。

 まあ、そこがいいのだけれど。


 レティシアは背筋を伸ばし、ハースへ向き直った。


「これまでヴァレーヌの国境を守ってくださったこと、改めて感謝いたします」


 そう言って、軽く頭を下げる。

 ハースの表情から笑みが少しだけ薄れ、かわりに軍人らしい真面目な色が浮かんだ。


「公爵様の命に従ったまでです。ですが、この地を預かる領主様からそう言っていただけるなら、兵たちも励みになりましょう」


「今後も、しばらくは力を借りることになると思います」


「承知しております」


「ただ、いつまでも頼りきりではいられません。ヴァレーヌ領内から警備兵を募り、少しずつ自前の警備団を育てたいと考えています」


 ハースは顎を撫でた。そして、にやりと笑う。


「ようやく、自前の足で立つ気になられましたか」


「ええ。守っていただくだけでは、領として自立できませんもの」


「よいお考えです」


 ハースは大きくうなずいた。


「ただし、兵は三日で育ちませぬぞ」


「分かっています」


「畑から若い衆を集めて槍を持たせれば、それで兵になるというものではありません。力だけなら山賊にもある。兵に必要なのは、命令を聞く耳と踏みとどまる足ですな」


〈ハース軍曹の兵学講座〉

〈その通りすぎる〉

〈名言キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉

〈ヨシっ!〉

〈ヨシじゃないが〉


 その言葉に、レティシアはうなずいた。


「腕力だけの者を採るつもりはありません。警備兵が治安悪化につながるようでは本末転倒ですもの」


「そこを最初にお考えになるなら、見込みはありますな」


 ハースは嬉しそうに目を細めた。


「以前の下働き募集で採用できなかった者たちの中から、体格や素行に見込みのある者へ声をかけます。あわせて、領内へも広く公募を出す予定です」


「猟師、木こり、川沿いの村の者。山道に慣れた者は使えましょう」


「そのあたりも考えています。読み書きができれば理想ですが、必須にはしません。まずは報告の仕方から教える必要はありますけれど」


「よろしい。最初から難しい書類仕事を求めても、逃げられるだけですからな」


 豪快に言いながらも、ハースの目は鋭い。この人は、ただ腕力で兵を率いてきたわけではないのだろう。

 人を見て、動かし、鍛えることを知っている。だからこそ、父もこの国境警備を任せているのだ。


「訓練については、こちらの警備団に相談させていただきます」


「喜んで、と言いたいところですが」


 ハースは、そこで少しだけ声を落とした。


「訓練する側にも余力が必要です。今の警備体制を維持しながらとなると、人数と日程の調整は要りますな」


「そこは無理に押しつけません。だからこそ、今日は現場を見に来たのです」


「賢明ですな。百聞は一見にしかず。まずは一通りご案内いたしましょう」




 その後、レティシアはハースの案内で屯所を見て回った。

 見張り台、訓練場、武器置き場、待機小屋、川沿いへ続く巡回路。どれも華やかさはないけれど、国境を守るためには欠かせないものばかりだった。


 ただ兵を立たせれば警備になるわけではない。どこを見るのか。何を記録するのか。誰に報告するのか。異常があった時、どう知らせるのか。

 警備とは、人と手順で作る仕組みなのだとレティシアは理解した。


「こちらが、川沿いの巡回路です」


 ハースに案内され、レティシアは屯所の北側へ出た。

 視界が開ける。目の前をオーデル川が流れていた。幅は三十メートルほど。地図で見た時にはただの線に見えたが、実際に目の前にすると、それは確かに国と国を分ける境だった。


 向こう岸には低い建物と見張り台が見える。掲げられている旗はフェルメリア王国のものではなく、それは紛うことなきオルトラント王国の国境警備拠点だった。


「思っていたより、近いですわね」


「川を挟んでおりますが、声を張れば届きます」


「それだけ近いのですか」


「ええ。もっとも、天候や水量にもよりますが」


 川面には、強い日差しが反射している。水の流れは穏やかに見えるが、浅い場所ばかりではないのだろう。増水すれば、また違う顔になるはずだ。


 レティシアは、川向こうの見張り台へ目を向ける。

 向こう側にも兵がおり、こちらと同じように国境を見ていた。


「実際のところ、危険は多いのですか」


「オルトラントとは長く友好関係にありますからな。大軍が押し寄せるような状況は今のところございません」


 ハースは川を眺めながら答えた。


「ただ、それをもって警備が不要という話にはなりませんが」


「密輸や、無許可渡河ですか」


「はい。戦を警戒するというより、妙な荷と妙な者を通さぬための警備です」


 レティシアは、そこでようやく腑に落ちた。

 なるほど。国境警備とは荒事に対するだけでなく、人と物の流れに規律を与えるためでもあるのだ。むしろ平時ではそちらの方が重要である。


〈国境警備は物流の土台〉

〈戦争だけじゃないんだな〉

〈戦より密輸のほうが現実的な敵〉

〈密輸イベントの気配〉

〈密輸犯はよ〉


 縁起でもないことを言わないでほしい。ただでさえ忙しいのだから、密輸など本当に勘弁してもらいたい。

 もしもこのタイミングで事件でも起こされたら、「余計な仕事を増やすな、このハゲが!」と叫びながら、犯人の横面を思い切り張り倒す自信がある。



 レティシアは、ふと川向こうを見た。

 こちらに見張り台があるように、向こうにも見張り台がある。こちらが巡回するように、向こうも巡回している。つまり、同じ川を両側から同時に見ているということ。


 それなら。


「ハース卿」


「はい」


「向こう側の警備隊とは、どの程度連携していますの?」


 ハースは少しだけ渋い顔をした。


「挨拶程度ですな。正式な連携はございません」


「なにも?」


「ええ。互いに顔を知っている者はおりますし、川越しに声をかけることもあります。ですが、巡回の日程を合わせたり、不審者の情報を定期的に共有したりする仕組みはございませんな」


 レティシアは、ゆっくりと瞬きをした。


 怪しい者の存在は、どちらの警備にも関わる問題なのに情報は共有されていない。

 こちらで怪しい荷を見つけても、向こうへ伝わるとは限らない。

 向こうで逃した者が、こちらへ来る可能性もある。

 定まった手順がなければ、増水や事故の連絡が遅れる。


 つまり、両岸で似たようなことを別々にやっているのだ。


「……同じ川を、両側から別々に見ているわけですのね」


「昔から、そういうものです」


 レティシアの指摘にハースは苦笑を返した。


 昔から、そういうもの。

 その言葉を聞いたとき、レティシアの中で何かが反応した。経験的に、見直すべき問題はだいたいその言葉の陰に隠れていることが多い。


〈キタコレ〉

〈昔からそういうものおじさん「昔からそういうもの」〉

〈思考停止してるだけ〉

〈無駄の匂いがする〉

〈レティシア様の目が光った〉


 光ってなどいない。ちょっと閃いただけだ。



「オルトラント側の国境を預かっているのは、リューベル辺境伯でしたわね」


「はい。ベルンハルト・リューベル辺境伯ですな」


 ハースは頷いた。


「どのような方ですの?」


「まだ若いですが、有能な御仁です。兵からの信頼も厚いと聞いております。理性的で、無用な挑発をするような方ではありません」


「それは助かりますわね」


「ただし、甘い相手でもございませんが」


 ハースは、わずかに口の端を上げた。


「こちらが無防備な腹を見せれば、きっちり突いてくるでしょうな」


「なるほど」


 レティシアは、川向こうの見張り台を見つめた。


「一度、リューベル辺境伯とお話ししてみる必要がありますわね」


 そう言うと、横にいたオスカーが静かに口を開いた。


「領主様」


 その呼び方で、レティシアは少し姿勢を正した。オスカーがそう呼ぶ時は、だいたい(たしな)めてくる時だからだ。


「国境警備は領地の問題であると同時に、国政と外交にも関わります。踏み込み方を誤れば、越権と見なされかねません」


「分かっていますわ」


 レティシアは素直に頷いた。勝手に隣国の辺境伯と軍事協定を結ぶようなことをすれば、王家から叱責されるだけでは済まされない。下手をすれば、外交問題にまで発展する。


「なにも、協定を結ぶわけではありません。現場の困りごとを互いに確認するだけです」


「確認、でございますか」


「ええ。ただの意見交換ですわ」


 オスカーが無言でレティシアを見る。その視線が少し冷たい。

 レティシアは、にこりと微笑んだ。


「たいへん実務的で、たいへん健全な意見交換ですわ。それ以外の何物でもありません」


「領主様がその言い方をなさる時は、だいたいぎりぎりを攻めておられます」


〈出たw〉

〈言い方w〉

〈実務的で健全w〉

〈信用されてないw〉

〈オスカー胃痛案件〉

〈ぎりぎり女伯爵〉


 人聞きが悪いことを言わないでほしい。

 決してぎりぎりではない。ちゃんと余裕は見ている。……多少は。


 ハースが低く笑った。


「よいではありませんか。話をするだけなら、剣を抜くよりずっと穏やかです」


「ハース卿」


「もちろん、段取りは慎重になさるべきでしょうな。ですが、現場の問題を現場の者が口にすることまで禁じられては、何も変わりませぬよ」


 レティシアはうなずいた。

 ハースは豪快だが無謀ではない。現場の人間として、必要な線引きを分かっている。


「こちらへの着任時に、リューベル辺境伯閣下へは挨拶の書簡を送ってあります」


 オスカーが確認するように言った。


「領内が落ち着いた頃に、改めて挨拶と協議の機会をいただきたい、と」


「返書もいただいていましたわよね」


「はい。先方からも、時機を見て一度話を、とのお返事が届いております」


「では、ちょうどよい頃合いですわ」


 そう言ってから、レティシアはもう一度オーデル川を見た。

 

 川は静かに流れている。その向こう側で、オルトラントの兵がこちらを見ていた。

 遠目にも何かが起こる気配はない。けれど、何も起こらないようにするために、人はここに立っている。

 ならば、話をする価値はあるはずだ。




 領主館へ戻ったレティシアは、執務室で便箋を広げた。

 オスカーは当然のように隣に控え、その表情は最初の一文から確認する気満々である。


 宛先は、オルトラント王国南部辺境伯。ベルンハルト・リューベル閣下。


 レティシアはペンを取り、丁寧な文字で書き始めた。


 正式な約定ではなく、現場確認と意見交換。国境沿いの実務に関するごく穏当な申し入れ。


 たいへん実務的で、たいへん健全な書簡だが、オスカーの視線が痛いのでその表現は書簡の中には書かない。


 さて、リューベル辺境伯とはどんな人物なのだろう。

 ハースは有能で理性的な御仁と言っていた。しかし、甘い相手でもない、とも。


 若く、有能で、甘くない。 国境の向こうから同じ川を見ている人物。


 レティシアは便箋の上でペンを走らせながら、まだ見ぬ隣国の辺境伯のことをひとつ思い描いた。

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