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第48話 国境警備費を仕分けします。

前回までのあらすじ


ごきげんよう砲。

 季節は八月。

 夏真っ盛りである。


 冷涼な気候のヴァレーヌ領は、朝夕に涼しい風も通るが、やはり日中の執務室はじわじわと暑い。

 加えて書類の山を前にしていると、たとえ窓を開けていても、どうしても空気は重く感じられた。


 そんな執務室の中で、レティシアは腕を組んで唸っていた。


「うーん……」


 机の上には出納帳が広げられている。


 収入。支出。固定費。委託費。警備費。


 見たくない文字ほど、余計に目に止まる。


〈また数字と戦ってる〉

〈眉間にしわが寄ったレティシア様かわええ〉

〈悪役令嬢とは〉

〈倒産寸前の中小企業の社長で草〉

〈草じゃないが〉

〈道険しすぎ、ワロエナイ〉


 分かっている。道が険しいことくらい十分に理解している。そして、中小企業の社長という例えも粗方間違ってはいない。それも、倒産寸前の。


「う〜ん……」


 レティシアがもう一度唸ると、横で書類を整理していたオスカーが声をかけてきた。


「随分とお悩み中ですね」


「悩みしかありませんわよ」


「それはまた、たいへん率直なお答えで」


 オスカーは淡々と言った。

 その落ち着きが、今は少しうらやましい。


「パスタ工房は、少しずつ軌道に乗り始めております。小麦の買い上げも、今のところ大きな混乱はございません。行商人の出入りも、以前よりは増えました」


「ええ。そこまでは悪くありませんわ」


 レティシアは出納帳へ視線を落とす。


「けれど、収入が少し増えたくらいでは、この支出は消えませんもの」


 指先で押さえた項目――国境警備費。

 それは、ヴァレーヌの財政に重くのしかかる固定費だった。



 ヴァレーヌ領の北側は、隣国オルトラント王国と国境を接している。接している、と言っても地続きではなく、両国の間にはオーデル川が流れていた。

 幅は広いところで三十メートルほど。大河というほどではないが、人がひょいと越えられるような小川でもない。


 幸い、フェルメリア王国とオルトラント王国の関係は悪くなかった。長く友好関係にあり、国境沿いで諍いが起きたことも近年はない。


 しかし国境は国境である。友好国だからといって、警備をなくせるわけではなかった。


 無許可で川を渡る者。

 関所を避けて荷を運ぼうとする者。

 密輸品を持ち込もうとする商人。

 盗賊やならず者の逃げ込み。

 増水時の事故。

 渡し場や橋の管理。


 国境警備とは、敵兵を防ぐためだけのものではなく、人と物の流れを見張るためのものでもある。


〈軍事費と警備費は必要悪〉

〈国境領だから仕方ない〉

〈関所職員と警察と消防と税関の混合〉

〈業務範囲広すぎワロタ〉

〈敵兵だけ見てればいいわけじゃないのね〉


「これまでヴァレーヌは王家直轄領でしたから、警備費も王家が負担しておりました」


 オスカーが確認するように言う。


「ですが、現在はお嬢様がヴァレーヌ女伯爵としてこの地を預かっておられます。今後は、ヴァレーヌ領の支出として扱われることになりますね」


「分かっておりますわ」


 分かってはいる。理解もしている。

 しかし実際に数字として見ると、どうしても胃のあたりが重くなる。


 ヴァレーヌ領は自前の兵をほとんど持っていない。以前の領主家が財政破綻し、この地が王家直轄となった後も、領内の治安維持と国境警備は外部の力を借りてどうにか回してきた。


 具体的には、東から南東にかけて隣接するグランシエール公爵家、そして西隣のアイスラー伯爵家。この二家へ金を払って警備を委託していたのである。


 王家直轄領の間はそれでもよかった。いや、よくはないが、少なくとも警備費用は王家が負担していた。

 しかし今は違う。ヴァレーヌはレティシアが預かる独立した領である。つまり、その費用は当然こちらが負担することになるのだ。


 たいへん分かりやすい。


「まず、委託先を整理したいところですわね」


「と、申しますと」


「アイスラー伯爵家には感謝しています。これまでヴァレーヌの警備に協力してくださったことは事実ですもの」


 レティシアは一度言葉を切った。


「けれど、今のヴァレーヌは、わたくしが預かる領です。協力関係にあるとはいえ、他家の兵が当然のように自領内へ入っている状態を、いつまでも続けるわけにはいきません」


 他家の軍勢が領内を巡回する。それは単に兵が歩いているというだけでなく、領内の道を知られる、村の様子を見られる、関所や要所の位置を把握されるということでもある。


 領民から見ても、ヴァレーヌを守っているのが他家の兵だと映り、それが続けば領主の権威にも関わってくる。


「べつに、アイスラー伯爵家が信用できないという話ではありません。ただ、独立した領として、他家の軍勢に頼りきりの状態は好ましくないということです」


「お気持ちは分かります」


 オスカーはうなずいた。


「しかしそれを言えば、グランシエール家の警備団も形式上は他家の兵でございますが」


「……そこは、まあ、身内ですもの」


〈出たよ身内理論w〉

〈実家はセーフ〉

〈公私混同では〉

〈でも他人より身内〉

〈パパの兵なら無問題〉


 うるさいぞ。

 これは信用の問題であって、決して公私混同ではない……はずだ。


「お嬢様」


 オスカーの声が少しだけ低くなる。


「おっしゃりたいことは分かります。ですが、たとえグランシエール家であっても委託は委託です。そこは分けなければなりません」


「分かっていますわ」


 レティシアは軽く息を吐いた。


「そこを曖昧にしてしまえば、父に叱られます」


 レティシアは、父ジョルジュの顔を思い浮かべた。

 穏やかで娘に甘い。けれど、領政や家に関しては、決して甘くない父である。


 いっそのこと、アイスラー伯爵家への委託をやめて、グランシエール家へ一本化すれば、手続きも費用も管理しやすくなるのではないか。

 そのうえで、父に委託費を安くしてもらえれば――


 そう考えかけて、すぐに脳内で父の声が響いた。


 ――甘えは許さん。


 でしょうね。

 お父様なら、そうおっしゃいますわよね。


 レティシアは、そっと目を閉じた。


 実家は頼れる。だけど、頼り切ってはいけない。守ってもらうだけでは、ヴァレーヌには何も生まれないのだ。

 金だけが出ていき、兵を動かす技術も、警備の経験も、領民の雇用も、なにもかもが育たない。


「結局、必要なのは自前の警備ですわね」


「警備団をお作りになるおつもりですか」


「ええ。ただし、いきなり国境警備を任せるのは無理です。そんなことをすれば、警備費を削るどころか、国境そのものが穴だらけになってしまいますわ」


「賢明なご判断かと」


「当面は、グランシエール家の警備団を中核として残します。そのうえで、ヴァレーヌ領内から警備兵を雇い、訓練を受けさせましょう」


 レティシアは、帳面の横に新しい紙を置いた。


「守っていただくのではなく、守れるようになるために教えていただくのです」


〈自前の警備隊設立〉

〈ないなら作ればいいじゃない。みつお〉

〈みつおじゃないが〉

〈外注から内製化へ〉

〈つまり雇用が生まれると〉

〈(,,゜Д゜)< また面接か〉

〈圧迫面接ではありませんわ~〉


 外注から内製化へ。

 少し言葉は違うが、意味としては近い。


 ただし、兵は小麦粉とは違う。人を選び、訓練し、装備を整え、指揮系統を作り、規律を教える必要がある。


 あと、圧迫面接なんて誰がするか。ふざけるな。



「兵は、雇えばその日から兵になるものではございません」


 オスカーが言った。


「分かっていますわ。だからこそ、今から始めるのです」


 レティシアは紙に線を引き、項目を書き出していく。


「まずは、以前の下働き募集で採用できなかった者たちの名簿を確認してください」


「こちらにございます」


 オスカーはすぐに別の帳面を取り出した。

 さすがである。


「あの時、屋敷勤めには向かないけれど、体格のよい者が何名かいましたわね」


「はい。木こりの息子、荷運び経験のある若者、猟師の家の者などが含まれております」


「その者たちへ声をかけます。あわせて、領内にも広く募集を出しましょう」


「公募でございますか」


「ええ。名簿だけでは人数が限られます」


 レティシアは、さらに紙へ項目を書き足していく。


「パスタ工房では手先の器用な者や、根気よく作業できる者たちを雇いました。今度は体力のある者たちの受け皿を作ります」


「雇用にもつながりますね」


「ええ。ただし、誰でもよいわけではありません」


 レティシアは、そこだけははっきりと言った。


「腕力だけの者は要りませんわ」


 オスカーが小さくうなずく。


「警備兵が領民に威張り散らすようになっては、本末転倒です。ただ強いだけの者は、警備兵ではなく厄介者でしかありませんもの」


〈脳筋お断り〉

〈筋肉は裏切らないが関節は裏切る。ソースは俺〉

〈細マッチョでお願いします〉

〈警備兵が治安悪化要因になっちゃあかんやつや〉


 そう。警備兵は力だけでは務まらない。


 命令を聞けること。

 酒癖が悪くないこと。

 領民に威張らないこと。

 口が堅いこと。

 自制心が強いこと。

 怪しい者や荷を見逃さない観察眼があること。

 そして、見たことをきちんと正確に報告できること。


「読み書きができれば、なおよいですわね」


「そこは少々難しいかと」


「分かっています。必須にはしません。ただ、報告をする訓練は必要です」


 レティシアはペンを走らせる。


「警備兵を雇うということは、ただ仕事を与えるだけではありません。その者の命を預かることでもあります」


 装備。

 食事。

 訓練中の事故。

 怪我をした時の手当。

 万が一の時の家族への補償。


 考えるべきことは多い。

 国境警備費を減らすために警備兵を雇い、その結果、別の形で領民を苦しめては意味がない。


「費用を減らすために始めるのに、また費用が増えますのね」


 レティシアは思わず呟いた。


「必要な支出であれば、無駄とは申しません」


「その通りですわ。必要なのは削ることではなく、組み替えることです」


 外へ流れ続ける委託費を、少しずつ領内の雇用と技術へ変えていく。

 それが今回の仕分けの目的である。


〈いいこと言った〉

〈なるほど。支出を投資に変えるのな〉

〈こういうのでいいんだよおじさん「こういうのでいいんだよ」〉

〈次回、警備団の胃も死ぬ〉

〈ぬるぽ〉

〈ガッ〉

〈なっつw〉


 レティシアは、募集条件を書き出した紙をオスカーへ渡した。


「まずは草案です。あなたの方で、実務に合う形へ整えてください」


「承知いたしました」


「それから、グランシエール家の警備団へ話を通す必要があります。訓練をお願いする以上、現場の意見を聞かずに進めるわけにはまいりません」


「国境の屯所へ向かわれますか」


「ええ。執務室にいても、警備の実態は分かりませんもの」


 レティシアは窓の外へ目を向けた。

 

 眩しい八月の陽光。その先には、オーデル川があり、川を挟んだ向こうにはオルトラント王国がある。そしてその手前を守る、グランシエール家の警備団。


 ヴァレーヌは、いつまでも誰かに守られる領ではいられない。

 

 守ってもらう立場から、自ら守る立場へ。

 そのための最初の一歩を、ヴァレーヌは歩み出そうとしていた。

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