表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

46/57

第46話 色々と動き始めました。

前回までのあらすじ


悪役令嬢、労務管理に目覚めました。

 人を雇う、と決めたからには、まずは決まりを作らなければならない。


 レティシアは紙にペンを走らせ、簡単に作業を分けていく。


 小麦の生地をこねて伸ばす者。

 伸ばした生地を切りそろえる者。

 乾燥棚へ並べる者。

 乾き具合を確認する者。

 箱詰めする者。


「小麦をこねる作業には、体力のある男手が必要ですわね。木こりや農作業に慣れた者が向いているでしょう」


「はい」


「切りそろえと検品は、手先の器用な女性たちに。もちろん、希望者がいれば男性でも構いません」


「承知いたしました」


「乾燥具合の確認や箱詰め、簡単な記録補助には、年配の方もお願いできるかもしれません。長く立ち続ける作業でなければ、働ける方は多いはずです」


 そこでレティシアは、一度言葉を切った。


「子供については、扱いを分けます」


 オスカーが顔を上げる。


「雇われることを望む家はあるかと」


「でしょうね。だからこそ、決まりを作ります」


 レティシアは、少し声を硬くした。


「子供を単に安い労働力として使うことは許しません。親の同意を取ること。作業は短時間に限ること。刃物や火を扱わせないこと。重いものを運ばせないこと。許されるのは紐結び、札付け、箱に布を敷く、乾いた麺を数える補助。その程度です」


「賃金は家に?」


「家に渡す分とは別に、本人にも少額の取り分を持たせてください。自分で働いて、自分で使えるお金があるというのは、大切な経験になります」


〈まともな児童労働対策〉

〈先進的じゃね〉

〈子供に取り分あるの賛成〉

〈労基に詳しい領主〉


 労基という概念は、こちらの世界には存在しない。けれど、その大切さは骨身に染みて分かっている。

 働く場所を作るなら、そこで人を潰してはならない。仕事は暮らしを支えるためのもので、暮らしを壊すためのものではないのだ。


「休憩と食事も与えましょう」


「食事も、でございますか」


「はい。空腹のまま作業をさせれば、集中力が欠けます。品質にも関わりますわ」


「かしこまりました」


 オスカーがすぐに書き留める。リオネルは少しだけ表情を引き締めた。


「工房の者たちに、簡単なまかないを出せるよう手配いたします」


「エルマにも相談してちょうだい。工房用の簡単な食事を決めましょう」


「承知しました」




 次の問題は原料だった。


 ヴァレーヌ小麦。これがなければ、パスタは作れない。けれど、商人が農家から勝手に買い集めるようになれば、価格は乱れ、種まで売ってしまう家が出るかもしれない。


 食べる分まで手放せば、困るのは農家自身である。だから、買い上げは領主家が行う。農家からの直接買い付けは禁止。その方針は、スヴェンに告げた時から変わっていなかった。


「来期の種は必ず残してください。村ごとの食料分も残すこと。加工用に回せる余剰分だけを、領主家が買い上げます」


「価格はいかがいたしますか」


「村ごとに不公平が出ないよう、基本価格を統一します。ただし、品質が明らかに劣る場合は別枠で。記録を残してください」


「はい」


「それから、硬質小麦を売った農家が食べる穀物に困らないように、グランシエール領から白パン向きの小麦を取り寄せます」


 オスカーが確認するように言った。


「無償配給ではなく、斡旋でよろしいのですね」


「ええ。希望する農家には、買い上げ代金の一部と相殺できる形で融通します。硬質小麦を売って現金を得る。必要なら、その一部で食べやすい小麦を手に入れる。その形がよいでしょう」


 無償で配れば、最初は感謝されるかもしれない。けれど、それは長く続けられない。続けられない善意は、時に不満の種になる。だから仕組みを作る。

 売る。買う。働く。受け取る。使う。小さくても、その流れを作る方がいい。



 それから数日間、領主館の周囲は慌ただしくなった。


 使われていなかった穀物倉庫から、古い荷箱や壊れた道具が運び出される。

 床板は張り替えられ、壁の隙間は埋められた。作業台が並び、乾燥棚が組まれ、粉を保管する箱が置かれる。


 もちろんこれらは、地元の大工に賃金を払って頼んだ。夕方になると、日払いで払われた銅貨を落としに、彼らは酒場へと消えて行った。


 クララは作業場の入口に手洗い用の桶を置かせた。髪を覆う布も用意され、爪を切っていない者は、その場で帰された。

 初日から工房に緊張が走る。


〈クララチェック!〉

〈初日から粛清で草〉

〈だっていやじゃん。爪の間が黒いの〉

〈やめろ食欲なくなるw〉

〈品質管理は最初が肝心〉


 そして、工房が小さく動き始める。


 最初からうまくいったわけではなかった。生地は硬く、思ったように伸びない。太さが揃わず、茹でると一部だけ硬さが残るものも出た。

 乾燥させすぎて割れるものもあれば、乾きが甘く、リオネルに出荷不可とされたものもある。


 クララは容赦なく不合格品を分けた。


「これは駄目です」


「しかし、食べられないことは……」


「出荷は認められません」


 ほんの短いやり取りで、工房の者たちは皆悟った。この侍女頭に、情は通じないと。


 もちろん、食べるのに支障がないものまで捨てるわけではない。

 形の悪いものや長さの揃わないものは、領主館や工房のまかないに回される。しかし、乾燥不足のものや、保管に不安があるものは外へ出さない。

 売るものには責任が伴う。レティシアは、その線を曖昧にしなかった。


 やがて、最初の賃金が支払われた。


 たいした額ではなかったが、ある男は、帰りに行商人から新しい針を買った。妻が欲しがっていたものだという。

 切りそろえの作業をした女性は、小さな布切れを買った。子供の服の継ぎに使うらしい。


 乾燥棚の確認を任された老人は、孫に飾り紐を買った。

 短時間の手伝いをした子供は、自分の取り分を握りしめて、しばらく行商人の前で悩んだ末に小さな飴を一つだけ買った。


 それは本当に小さな金額だった。しかし、金は金である。

 銅貨が一枚、領民の手から行商人へ渡る。行商人はその銅貨を持って宿屋で食事をする。宿屋は追加の油と薪を買う。油を売った商人は、次も来ると言った。


 動き始めた。ほんの少しだけど、確かに。




「工房からの賃金が、市場へ流れ始めております」


 数日後、オスカーが報告した。


「小麦農家への買い上げ代金も、一部が町で使われています。行商人たちの売上も、以前よりは増えているとのことです」


「そう」


 レティシアは、窓の外へ目を向けた。領主館の庭の向こうに、初夏の光が広がっている。


 ヴァレーヌはまだ貧しい。パスタ工房が一つ動き始めた程度で、領全体が豊かになるわけではなかった。

 外へ売るのもまだ早い。乾燥具合も、太さも、箱詰めも、まだ安定していない。今の段階で無理に他領へ出せば、評判を落とす危険の方が大きいだろう。


 まずは、同じものを同じように作ること。同じ品質で、同じ量を、同じ時期に出せるようにすること。

 それができて、初めて外へ売ることができるのだ。今はまだ、ヴァレーヌの中で流れを作る段階である。


「物が動けば、人が動きます」


 レティシアは静かに言った。


「人が動けば、お金も動きます。けれど、そのお金を持つ人がいなければ、物は売れません」


「はい」


「まずは、領民の手元に使える銅貨を増やしていきます」


 オスカーがうなずく。


「スヴェン殿の働きも、多少は評価してよろしいかと」


「ええ。少なくとも、課題の意味は理解してくださったようですしね」


 独占より信用を選んだ。

 商人として、それが正解かどうかは時と場合によるが、レティシアの求めるものに応えようとしたという点では悪くない。


〈スヴェン株、続伸〉

〈情報持ってこいよ〉

〈売り込みだけなら、もう一度ヤキですわ〉

〈ご褒美かな?〉

〈いじめてないですわー(二回目)〉


「次に来る時、何を持ってくるか楽しみですわね」


「情報であればよいのですが」


「売り込みだけでしたら、もう一度お説教ですわ」


「若い商人を、あまり追い詰めないであげてください」


「……オスカー」


 レティシアは少しだけ目を細めた。

 オスカーは何事もなかったかのように帳面を閉じる。その態度に、レティシアは小さく息を吐いた。


 ともあれ、物とお金は少しずつ回り始めた。まだ細い流れだけれど、止まっていた水路にようやく水が戻り始めている。


 そう思った時、レティシアの視線は自然と机の端に置かれた別の帳面へ向かった。

 そこには、ヴァレーヌ領の支出がまとめられている。収入を増やすのに時間がかかるなら、同時に出ていくお金も見直さなければならない。


 その帳面の中で、ひときわ重い数字が目に入る。


 国境警備費。


 レティシアは、そっと指先でその項目を押さえた。


「……次は、こちらですわね」


 初夏の爽やかな風が、開いた窓から静かに入り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ