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第35話 問題点を洗い出します。

前回までのあらすじ


レティシアが作った「パスタもどき」は、まだ歯ごたえに難はあったものの、それなりに美味しかったらしい。

 黄色い小麦の加工については、ひとまずリオネルに任せることにした。

 水の分量に切り分ける形と厚さ、そして茹で時間。さらにはレティシアの言う乾燥保存の方法と湯で戻した時の食感まで、それらすべてを自分で確かめたいとリオネルは言う。


「お嬢様。あの小麦に合うソースも、いくつか考えてみたいと思います」


「ありがとう、リオネル。さすがは料理人ですわね、頼りになります」


 レティシアは素直に感心した。


 彼女が示したのは、粉と水を練り、延ばして切り、茹でるという原型だけだ。そこから料理として完成させるのは、料理人であるリオネルの仕事である。


「ですが、無理は禁物ですわよ。この館の日々の料理も、あなたの大切な仕事なのですから」


「承知しております」


 リオネルが静かに頭を下げる。その顔には、職人らしい興味とやる気が浮かんでいた。


〈料理長やる気だ〉

〈黄色い麺プロジェクト発動〉

〈ソース開発にも期待〉

〈鈍器パンの華麗なる変身〉


 華麗なる変身。


 確かに、あの小麦にとっては大出世かもしれない。

 決して風味は悪くないものの、硬く、扱いづらいせいで二流小麦として買い叩かれてきたヴァレーヌ産の小麦。それをこの先、新たな食べ方とともに世に広めていく。


 ただし、それはまだ先の話だ。今はまだ、その未来へ向けて一歩ずつ進んでいかなければならない。

 今のヴァレーヌには、解決しなければならない問題が山ほどあるのだから。



 ◇



 二日後の早朝。

 ラルフと、王都から共に来ていた事務官たちが、王都へ帰ることになった。


 領主館の前には馬車が用意されており、ラルフはレティシアの前で、いつも通り丁寧に頭を下げた。


「レティシア様。引き継ぎは、これですべて完了でございます」


「ええ。資料もよくまとまっていて、本当に助かりました」


「そう言っていただけますと、心置きなく王都へ戻れます」


「心置きなく、なのですね」


「はい。心置きなく、でございます」


 言い切った。


 三年も心血を注いだ地であるはずなのに、その顔には未練らしいものがほとんどない。いや、むしろ真夏の空のように晴れやかだった。

 王都で待つ妻と幼い娘に会える喜びが、礼儀正しい表情の隙間からあふれ出ている。


〈ラルフの顔w〉

〈一切の未練なしで草〉

〈喜びがダダ洩れw〉

〈やっと単身赴任から解放されたのな〉

〈スキップしながら馬車に乗る〉

〈ここまで清々しいと逆に好感〉


 実際、ラルフの足取りは軽かった。羽でも生えたのではないかと思うほどに。

 レティシアは呆れ半分でそれを見送る。けれど、彼がこの領地を投げ出していたわけではないことも分かっていた。


 ラルフはヴァレーヌを豊かにはできなかった。しかし、沈みきらないよう努力はしていた。それは簡単にできるようでいて、実はかなり難しい。

 実際、彼が代官でなかったなら、とっくに破綻していてもおかしくはなかった。


 馬車が遠ざかっていく。その後ろ姿が見えなくなった時、レティシアは小さく息を吐いた。

 ここから先は、すべて自分の責任だと。



 ◇



 レティシアの執務室には、少し変わった光景が広がっていた。

 壁に大きな板が立てかけられており、そこには小さな紙片が大量に貼られている。そしてその紙片には、それぞれ短い言葉が書かれていた。


 税収。

 修繕費。

 街道の補修。

 商人。

 関所収入。

 若者。

 放棄農地。

 余剰食料。

 国境警備負担。

 領主館の人手。

 廃鉱山。

 山林資源。

 黄色い硬質小麦。

 領内の現金。


 それらの紙片を眺めながら、レティシアが腕を組んで考え込む。


 これは前世のレティシアが、ゲーム制作の現場で使っていた方法である。いわゆるブレインストーミングと、KJ法を合わせたようなものだ。

 思いついたことをひとまず紙片に書き出し、近いもの同士を集め、離し、並べ替えながら、問題の関係性を探っていく。


 この世界で紙は貴重なので、王都から持ち込んだものを細く切って使っていた。贅沢だとは思う。けれど、頭の中で問題を抱えたまま失敗するよりは安いだろう。


〈壁に付箋がいっぱい〉

〈警察の捜査本部かな〉

〈朝から仕事する領主様えらい〉

〈問題点多すぎない?〉

〈赤字領地の攻略チャート〉


 攻略できるなら、ぜひそうしたい。

 ただし、これはゲームのクエストではなく、失敗したら領民の暮らしにそのまま響く。だから深く考えずに思い付きだけで動くわけにはいかなかった。



 オスカーは、壁に貼られた板をしばらく見つめていた。


 最初にレティシアが大きな板と紙片を用意するよう命じた時、正直なところ、何を始めるつもりなのか分からなかった。


 書類をまとめるなら帳面を使えばいい。

 重要な項目を書き出すなら、一覧にすればいい。


 わざわざ小さな紙片に分け、それを貼ったり剥がしたりする意味が最初は見えなかった。しかし、今のオスカーは違った。


「……なるほど」


 小さく呟く。


「はじめは、少々奇妙なことを始められたと思っておりました」


「奇妙でしたか?」


「はい。かなり」


「正直ですわね」


 レティシアが苦笑すると、オスカーは板から視線を外さずに続けた。


「しかし、これは非常に分かりやすい。ややもすれば感覚的になりそうな思考を形にできる。さらに貼り替えたり、近くに寄せたり、離したりすることで、問題同士のつながりまで整理できるのですね」


 感心したように、彼は紙片の列を見つめる。


「お嬢様は、このような方法までご自身で考えられたのですか」


「ええ、まあ……必要に迫られまして」


 前世の会議で、山のような仕様変更と締め切りに追われながら泣いて覚えた手法です。……とは、もちろん言えない。


〈これあれだろ、ブレイン・ストリーキングってやつ〉

〈ストリーキングじゃねぇしw〉

〈それはそれで見たい〉

〈はぁはぁ〉

〈おいやめろ〉

〈問題の見える化〉

〈できる女感ある〉


 いや、できる女ではなく、ただ必要に迫られただけだ。もっとも、迫っていたのは必要ではなく納期だったが。

 ……思い出すだけで胃が重くなる。


 レティシアは小さく咳払いをして意識を戻した。


「それで、お嬢様。何かお悩み事ですか」


「悩みしかありませんわね」


 レティシアは壁の紙片を見上げた。


「何をするにも金、金、金ですもの。赴任三日目にして、ラルフの気持ちが痛いほど理解できましたわ」


 極端に税収が少ないことは、すでに分かっている。

 王家から受け取った賠償金を、領地の運転資金に回すことは可能だ。でも、それを常態化させれば、すぐに資金は底を突く。

 個人が受け取る賠償としては破格でも、人口七千人の領地を動かすには少なすぎた。


「税を上げるわけにはいきませんわ」


 レティシアは、はっきりと言った。


「今の領民からさらに搾るのは、畑に残った種まで食べるようなものです」


「では税を取れる状態まで、経済を戻す必要がありますね」


「ええ。お金が動き、人が働き、物が売れる状態を作らなければなりません」


 税率を上げるのではなく、税を生む仕事と取引を増やす。


 レティシアは紙片を一つ動かした。

 街道。その隣に、商人。さらに関所収入。別の場所には若者流出と放棄農地。その近くに、余剰食料。


 どれも別々の問題に見える。けれど、一つを動かせば、必ず別の問題にぶつかった。


「お金がない。人がいない。道が悪い。売る物が少ない。見事にそれらが全部つながっておりますわね」


〈詰み要素の詰め合わせですわぁ〜〉

〈まず道路〉

〈いや食料〉

〈全部だな〉

〈ループしてて草〉

〈領主様、頭抱えてる〉


 そう。全部なのだ。


 道を直すにも金がいる。金を得るには商人に来てもらう必要がある。商人を呼ぶには道を直さなければならない。人を雇うにも金がいる。しかし、人が働かなければ金は回らない。


 まるで絡まった糸玉である。

 引っ張る場所を間違えれば、さらに固くなりそうだ。



「まずは、領主館の人手を補いましょう」


 レティシアは、領主館と書かれた紙片を指で押さえた。


「ここが回らなければ、何をするにも支障が出ます」


「町へ金を流す意味もありますね」


「ええ。たとえ少額でも、お金が動けば人も動きます」


 領主館は人手が足りていない。掃除も洗濯も厨房の手伝いも、運搬も雑役も、やることは山ほどある。

 もちろん、それだけで領地が立ち直るわけではないが、それでも領主館が人を雇えば、その金が町へ流れる。

 今日得た銅貨が、今日の夕食になる家もあるはずだ。


「本日、予定通り触れを出します。希望者には三日後、領主館の門前へ集まってもらいましょう」


「承知いたしました。選抜については、私とクララ、必要に応じてリオネルにも確認させます」


「お願いします」


 レティシアは頷いた。


「全員を雇うことはできません。ですが、全員を見なかったことにするつもりもありません」


 その言葉に、オスカーは静かに一礼した。




 同じ日の昼前。領都エーベルの通りに領主館の者が立った。


 識字率の高くないこの世界である。街に住むからといって文字を読める者ばかりではない。紙の触れも掲げられているが、敢えて声に出して知らせる必要もあった。


 触れ役は通りへ向かって、大きな声を張り上げた。


「この度、領主館では若干名の下働きの者を雇い入れることになった。希望者は三日後の朝、領主館の門前に集まること」


 道を歩く者たちが足を止める。


「仕事内容は、掃除、運搬、厨房の手伝いなどである。働きに応じて賃金を支払う」


 ざわり、と通りの空気が揺れた。

 店先の職人が顔を上げる。水桶を抱えていた女が隣の女と目を合わせる。子どもが一人、家の方へ駆け出していった。


「領主館が人を雇うらしい」

「賃金が出るのか」

「三日後だって」

「うちの娘でも行けるだろうか」


 声は狭い町の通りを伝い、あっという間に広がっていった。


〈求人情報〉

〈領主館バイト募集中〉

〈町がざわついてるな〉

〈これは人が集まりそう〉

〈次回、採用試験編〉

〈倍率高そう〉


 領主館が人を雇う。たったそれだけのことなのに、町の空気が明らかに動いた。


 金が動く。

 人が動く。

 噂が動く。


 レティシアが初めて上げたヴァレーヌの再建は、壮大な改革ではなく、数人分の賃金から始まった。

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