第29話 送別会が開かれました。
前回までのあらすじ
百合ですか?
レティシアがヴァレーヌ行きを決めてから一月が過ぎ、出発はすでに二日後に迫っていた。
荷物の梱包はほぼ終わり、同行する人員も決まった。馬車の手配も済み、ヴァレーヌ領の代官にはすでに到着予定日を知らせてある。
あとは最終確認だけだ。
――まぁそれが、いつまでたっても終わらないのだが。
〈遠足の前日かよ〉
〈バナナはおやつに入りますか?〉
〈バナナは飲み物です〉
〈飲むなよ〉
〈忘れ物ないか〉
忘れ物。それが一番怖い。
インク壺ひとつ、本一冊を忘れたところで命に関わるわけではないけれど、取りに戻るだけで往復六日となれば話は別だ。
だからこそ、念には念を入れて確認しなければならない。
そして確認した内容をもう一度精査する。そしてすでに三度確認した品について、誰かが「これは積みましたか」と尋ねてくる。
まぁ、終わるわけがない。
領地への赴任とは、もう少し華々しいものだと思っていた。しかし現実は荷札と名簿と確認の山だった。
そんな中にもかかわらず、本日、グランシエール公爵邸の庭にあるテラスでは、こじんまりとした茶会が開かれていた。
参加者はレティシアを含めて四人。
フリーダ・オイケン侯爵令嬢。グレーテル・レルヒ侯爵令嬢。レオノーラ・フィーグラー伯爵令嬢。
いずれも王立学園で親しくしてきた友人たちである。
なぜ出発直前の慌ただしい時に、わざわざ茶会が開かれているのか。それは令嬢三人が、レティシアのために送別会を開いてくれたからだった。
〈レティシア様ってぼっちじゃなかったんだ〉
〈そりゃ友人くらいいるだろ〉
〈美人すぎて近寄りがたいけどな〉
〈でも三人だけ?〉
〈少数精鋭ってことだろ〉
〈本物の友達枠〉
三人だけ。
その言葉にレティシアは胸を刺された。思わず口から「はうっ!」と声が出そうになってしまう。
その言い方はやめてほしい。本当にやめてほしい。マジでやめてほしい。
それではまるで、自分がろくに友達も作れないコミュ障みたいではないか。前世でも色々と思い当たる分、余計に胸が痛い。
王太子妃、ひいては将来の王妃となる予定だった頃、レティシアの周囲には大勢の取り巻き令嬢たちがいた。
茶会には招待していない者まで顔を出し、夜会では挨拶の順番を競って列ができていたものだ。また、ご機嫌を窺うような花や菓子などが季節ごとに届いていたのも、今となっては懐かしい。
しかし、王太子ユリウスによる婚約破棄宣言の直後から、その多くは姿を消した。
手紙は途絶え、茶会への招待もなくなり、挙句の果てには、通りですれ違っても気づかないふりをする始末。
〈露骨な手のひら返し〉
〈王妃バフが切れたからしゃーない〉
〈友達ではなく将来への投資だった説〉
〈貴族社会こわっ〉
おそらく今頃は次の投資先を探しているのだろう。貴族社会における友情とは、前世で言うところの先物取引に似ている。
その点、目の前の三人は違った。もはや投資先とは言えないレティシアに対しても、今までと変わらぬ付き合いを続けてくれる。気遣う手紙を送り、見舞い、そして今日は別れを惜しんでさえくれていた。
「改めまして」
フリーダがティーカップを置いて居住まいを正した。
「ヴァレーヌ女伯爵へのご叙爵、お祝い申し上げます」
「ありがとうございます、フリーダ様」
「王太子妃ではなく女伯爵になるなんて。決してあなたらしいとは申しませんけれど」
グレーテルが、わずかに口角を上げる。
「少なくとも、殿方の後ろに立っているよりは似合っておりますわ」
「それは褒められているのかしら」
「もちろんです!」
即答だった。レオノーラが目を輝かせる。
「本当に格好いいですわ。だって領主となって、ご自分の領地を治めるのでしょう?」
「言っても、小さくて潰れそうな国境領ですけれどね」
「それでもですわ。わたくしには、とてもできそうにありませんもの」
〈フリーザ様!〉
〈ふっふっふ。わたくしの戦闘力はたったの30です〉
〈よっわ〉
〈おいやめろ。中〇 隆聖にしか聞こえなくなる〉
〈グレーテル嬢辛口で草〉
〈なんだかんだ一国一城の主だからな〉
〈転職成功〉
転職か、なるほど。しかしそう言われると、むしろ労働条件は悪化している気がする。管理職だから残業代は出ないし、各種手当もカットされる。加えて、休日という概念も消えた。
あと、中〇 隆聖とか言うな。訴えられるぞ。
「それから、こちらを」
フリーダが薄い冊子を差し出した。もちろんBL本なんかではない。
開いてみると、王都からグランシエール領、さらにヴァレーヌ方面へ荷や手紙を運ぶ商人、飛脚、宿場の一覧が細かな文字で記されていた。
「信用できる者だけを選びました。どうか、ご活用くださいませ」
「これを、わたくしのために?」
「せっかく手紙を書いても、途中で紛失されたのでは困りますでしょう? もちろん手紙以外にも荷も運べますので、ご活用いただけましたら幸いですわ」
いかにもフリーダらしい贈り物だった。
次にグレーテルが、見るからに丁寧な作りの革張りの手帳をテーブルに置く。
「領主になれば、様々なことを記録しなければならないのでしょう?」
「ええ。一応、すべてに目を通すようにしたいと思っております」
「でしたら、せめて良い紙にお書きなさいな」
口調は素っ気ない。けれど手帳は丈夫な作りで、日常的に持ち歩くことを第一に考えられていた。
最後にレオノーラが差し出したのは、封蝋の押された紹介状と、小さなお守りだった。
「この紹介状は、我が家と取引のある商会へ宛てたものです。食料品や布、生活用品などを広く扱っていますから、困った時にはきっと力になってくれるはずです」
「助かりますわ。現地で何が不足しているのか、まだ分からないもの」
「それから、こちらは……わたくしからです」
小さな布袋には、旅の安全を願う刺繍が施されていた。見つめるレオノーラの瞳が少しだけ潤む。
「どうか、道中が無事でありますように」
「ありがとうございます、レオノーラ様。大切にいたしますわ」
〈プレゼントが全部実用的〉
〈千羽鶴だったらどうしようかと思った〉
〈目の前で燃やす〉
〈鬼畜の所業〉
〈手帳はマジ便利。有能〉
〈お守りかわいい〉
高価な宝石など辺境では役に立たない。だからこそ友人たちは、レティシアのことを考えてプレゼントを選んでいた。それを思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「それにしても」
グレーテルが紅茶を一口飲み、何気ない調子で言った。
「王太子殿下は、見る目というものを一体どこへ置き忘れてこられたのでしょうね」
「グレーテル。そのような言い方は不敬ですわ」
フリーダが静かにたしなめる。グレーテルが肩をすくめた。
「そうでしたわね」
「それに、置き忘れたのではなく、初めからお持ちでなかったのではありませんこと?」
レティシアは危うく紅茶を噴き出しかけた。レオノーラは耐えきれず、口元を押さえている。
〈フリーザ様の方が辛辣w〉
〈侯爵令嬢こわ〉
〈王太子フルボッコ〉
〈女子会なんてこんなもん〉
「レティシア様以上に王妃にふさわしい方なんて、そう簡単には見つかりませんわよ」
レオノーラが、少し頬を膨らませる。
「それを、自分から手放してしまうなんて」
「いずれ後悔なさるでしょうけれど」
グレーテルが冷たく笑った。
「いまさら後悔されても遅すぎますわ」
〈後悔してももう遅い〉
〈どっかで聞いたな、それ〉
〈ざまぁは?〉
〈とっくにしただろ〉
〈もう領地経営編に突入してるし〉
その通りである。すでにざまぁは完了し、話は次へ移行している。
「殿下は、いずれ別の方を妃に迎えられるのでしょうね」
フリーダの口調から、先ほどまでの冗談めいた響きが消えた。
盛大にやらかしたとはいえ、王太子である以上、いつまでも独身ではいられない。王家はいずれ新たな婚約者を選ぶことになる。
「どなたが選ばれても、きっと苦労なさるでしょうね」
レティシアは正直に答えた。甘さと未熟さはあるけれど、ユリウスは決して悪意だけで動く人間ではない。誰かに支えられることを当然と思い、その重さに気づけないだけだ。
「王太子妃とは、華やかなだけではございませんのよ。殿下を支え、王家を支え、いずれは国をも支えなければなりませんもの」
その言葉に三人が黙る。
かつてレティシアが、どれほどのものを背負う覚悟だったのか。改めて思い出したのかもしれない。
しばらくして、フリーダが遠慮がちに口を開いた。
「レティシア様。少し聞きづらいのですけれど……あなたは、この先どうなさるおつもり?」
この先。
恐らく領地ではなく、結婚、将来の伴侶のことを言っているのだろう。
レティシアは少し考えてから答えた。
「しばらくは、ヴァレーヌ領の立て直しに全力を注ぐつもりですわ」
それだって三年という期限がある。恋愛に割く余裕など、今のところ欠片もなかった。
「あのようなことがあったばかりですもの。恋愛や結婚についてなんて、当分考えたくありません」
〈そりゃそう〉
〈まだ傷は癒えてない〉
〈それより領地〉
〈スローライフどこいった?〉
スローライフ――まったく夢のような響きだ。
ヴァレーヌ以外の地を選んでいれば、その夢を享受できていたかもしれない。名ばかりの領主となり、実務を下の者に任せて黒字の土地を回すだけだからだ。
「それでも」
レオノーラが、少し羨ましそうにレティシアを見た。
「レティシア様は、ご自分の道を選べるのですね」
「ちょっとレオノーラ様。道を選べるだなんて、よく言えますわね」
グレーテルが呆れたように言う。
「レティシア様には失礼ですけれど、赤字の国境領ですのよ。わたくしなら、自由と一緒に丁重にお返ししますわ」
「分かっています」
レオノーラは小さく笑った。
「それでも、ご自分で選んだ道なのでしょう? たとえ苦しくても、自分で決められることが少し羨ましいのです」
彼女たちの多くは家が決めた相手と結婚し、子を産み、育て、家を次の代へつないでいく。それが貴族令嬢に求められる役割だった。
「確かに。わたくしたちには、選ぶ機会すら与えられませんもの」
フリーダも静かに同意する。
レティシアはしばらく考えてから言った。
「決められた道を歩くことと、誰も歩いたことのない道を進むこと。どちらが幸せで、どちらが楽なのかは人によって違うのでしょうね」
ヴァレーヌ領へ行くことは、一見すると自由に見える。しかしその自由には責任がついて回る。判断を誤れば、困るのは自分だけではないのだ。
「ただ、どの道を歩くにしても、自分が納得できる形を探すしかないのだと思います」
レティシアの言葉にも、三人はそれぞれに思うところがあるようだった。
やがてレオノーラが、泣きそうな声で尋ねた。
「お手紙を差し上げてもよろしいですか」
「もちろんですわ」
「お忙しければ、お返事はなくてもかまいません。でも、どうか無事とだけでもお知らせくださいませ」
「いいえ。返事を書かないのは許しませんわ」
グレーテルがすかさず口を挟む。
「月に一度で結構です。たった一行でもかまいません。必ず返事をお書き下さい」
「返事を書けないほど忙しい時は、アリスに代筆を頼んでも結構ですから」
今度はフリーダまで加わった。
「わかりましたわ。できる限り返事をお書きします」
〈友達だなぁ〉
〈青春だ〉
〈Lineとかないし不便だよな〉
〈月一生存報告〉
〈かゆ……うま……〉
……ずいぶんと懐かしいネタだな、それ。
その後は、取りとめのない会話が続いた。
学園時代の出来事。教師たちの口癖。夜会で転びかけた令嬢を四人で支えたこと。王妃教育の合間に、レティシアがこっそり菓子を食べていたこと。などなど、話は尽きない。
「こっそりではありませんわ。正式な休憩時間でしたもの」
「厨房の裏で立ったまま食べておいて、よく言えますわね」
グレーテルの指摘に三人が笑う。レティシアも笑った。
完璧な公爵令嬢。将来の王太子妃。ヴァレーヌ女伯爵。
今だけはそんな肩書きを忘れて、ただの十八歳の少女として過ごした時間だった。
〈普通に女子会してるな〉
〈わちゃわちゃしてる〉
〈こういうのでいいんだよ〉
〈尊い……〉
〈青春やね〉
〈別れの前にこれは沁みる〉
楽しい時間ほど早く過ぎるものだ。気づけば、窓から差し込む光が赤みを帯びていた。
玄関前。フリーダはいつもより強くレティシアの手を握った。
「どうかご自愛くださいませ。あなたは夢中になると、ご自分のことを後回しになさるから」
「気をつけますわ」
「その返事は信用できませんけれど、今は信じておきます」
グレーテルは最後までいつもの調子だった。
「ヴァレーヌを立て直して、王都の連中を驚かせて差し上げなさいませ」
「努力しますわ」
「努力ではなく、成功なさい」
「相変わらず手厳しいですわね」
「だって、友人ですもの」
最後に、レオノーラがレティシアを抱きしめた。
「どうか、お元気で」
「レオノーラ様も」
レティシアも細い背中へ腕を回す。
やがて三人は、それぞれの馬車へ乗り込んだ。
一台ずつ門を抜け、街路の向こうへ消えていく。レティシアは、その場に立ったまま見送った。
友人たちとは、きっとまた会える。手紙を交わすこともできるだろう。
けれど、公爵家の娘としてこの屋敷で暮らし、ともに未来を語りながら茶を飲む時間は今日で終わった。同じ時間が巡ってくることはもう二度とない。
寂しくないと言えば嘘になる。
失ったものは多い。王太子妃となる未来。王都で築いてきた立場。そして、友人を名乗っていた多くの者たち。
けれど、すべてを失ったわけではない。
最後まで残ってくれた三人の友人。遠く離れても届く手紙。そして、自分で選んだ新しい未来。
レティシアは、静かに屋敷を振り返った。
二日後にはここを発つ。
公爵令嬢として過ごした十八年に別れを告げ、ヴァレーヌ女伯爵として、自分の領地へ向かうために。




