第28話 聖女候補の百合事案です。
前回までのあらすじ
クララの家庭に会話はあるのだろうか。
約束の日の昼下がり。
グランシエール公爵邸に一台の馬車が到着した。
訪れたのは二人。一人は王都神殿に仕える聖女マリエル。もう一人は、聖女候補のミシュリーヌ・ポアレだ。
ミシュリーヌはまだ修業中の身であり、正式な聖女ではない。そのうえ今回の騒動の当事者でもあるので、彼女一人で公爵家令嬢に面会を求めるのは難しかった。
そのため、今日は聖女マリエルが監督者として同行し、神殿側の正式な訪問という形を取っていた。
応接室に通されたミシュリーヌは、先日の王城協議の時と同じ姿をしていた。質素倹約を是とする神殿の教義に倣った飾り気のない修道着に身を包み、髪も控えめにまとめている。
小柄で細い。けれど、その瞳の力だけは不思議なほど強かった。
〈ミシュリーヌたん、はぁはぁ〉
〈やめろ、未成年だぞ〉
〈ちっさ〉
〈どこが〉
〈背に決まってるだろ〉
〈守りたい、その笑顔〉
〈聖女マリエルべっぴんさんやね〉
同席者は必要最低限だった。グランシエール家からは父ジョルジュとロラン、神殿側は聖女マリエルが座る。そしてレティシアは、ミシュリーヌの向かいに腰を下ろした。
ロランが茶を出し、一歩下がる。父ジョルジュは無言で着席したまま、静かに場を見守っていた。
その目は柔らかくない。娘がどう動くかを見極めている、それはそういう目だった。
挨拶を終えた後、ミシュリーヌは深く頭を下げた。
「レティシア様。このたびは私の未熟さゆえに、あなた様を王太子殿下の茶番に巻き込んでしまいました。誠に申し訳ございません」
茶番。
聖女候補の口から出たそれは、なかなかの破壊力がある。しかし否定できない。本当にその通りなので。
ちらりと視線を向けると、父ジョルジュの眉がわずかに動いた。驚いたというより、意外だったのだろう。ロランに至っては一瞬だけ目を瞬かせていた。
「ミシュリーヌ様。どうか顔をお上げください。あなたが謝るようなことではないのですから」
レティシアは静かにそう返した。ミシュリーヌは顔を上げたが、その表情は沈んでいた。
「いいえ。望んだことではなくとも、私の力が殿下の判断を曇らせたのは事実です」
声は小さいが、自身のしでかしに対して真摯に向き合おうとしていた。
「神官長様からも教えを受けました。聖女候補の資質は人を惹きつけるものだと。けれど私はまだ、それを正しく制御できておりません。そのせいでレティシア様を傷つけてしまったのなら、私にも責任がございます」
〈ちゃんと謝れてえらい〉
〈ええ子や〉
〈でも茶番って言い切ったw〉
〈意外と毒舌で草〉
レティシアは困惑した。話しぶりを見る限り、ミシュリーヌはただ守られるだけの少女ではないらしい。
自分の力を怖がりつつも、正面から向き合おうとしている。それは聖女候補としての誠実さの現れなのだろう。
聖女マリエルは紅茶を持ったまま口を挟もうとしない。しかしその目は、ミシュリーヌを見守るというより、レティシアを観察しているように見えた。
「ミシュリーヌ様。わたくしはあなたを責めてはおりません。どうかそれ以上、謝らないでいただけませんか」
「……ありがとうございます」
最後にミシュリーヌは、もう一度だけ小さく頭を下げた。
話はここで終わるのだろう。レティシアはそう思った。
謝罪を受け入れ、気にしていないと伝える。そうすれば神殿との関係も悪くならないし、禍根を残すこともない。
穏当に済むなら、それに越したことはないのだ。いわゆる、大人の対応というやつである。
次にミシュリーヌは、顔を上げたままじっとレティシアを見つめた。瞳の色が変わる。いや、色そのものが変わったのではなく、視線の質が変わったのだ。
人を見ているようでいて、その奥にある何かを見ている目。レティシアは、王城協議の時にもそれを感じたことがあった。
聖女と呼ばれる者だけが持つ、万物を見通す瞳。
〈見つめ合う二人〉
〈百合ですか?〉
〈百合ですね〉
〈これは王太子完全敗北〉
〈神殿イベントのBGMになった〉
〈謝罪から始まる物語〉
違う。これはそういう空気ではない。いや、そう思いたい。たぶん。……たぶん?
内心で動揺しつつも、レティシアは淑女の微笑みを崩そうとしない。この程度で感情を表に出してしまうほど、だてに厳しい王妃教育を受けてきてはいないのだ。
そんな公爵令嬢へ向かって、再びミシュリーヌが口を開いた。
「レティシア様」
「はい」
「あなた様は、いったい何者なのですか?」
その一言で、応接室の空気が凍りついた。
〈いきなりそれ!?〉
〈謝ってたんやないんかーい〉
〈あんた何言ってんの〉
〈おいマリエル止めろよ〉
〈マリエル「……」〉
〈黙認してるやん、この人〉
ちょっと待て。今の流れからその質問が出るか、普通。謝罪文の二行目に「ところであんた何者?」と書いてあったら普通に怖いだろう。
しかしレティシアは表情を崩さなかった。
ここで動揺してはいけない。公爵令嬢の腹芸は、こういう時のために鍛えてきたのだ。
父ジョルジュが静かにこちらを見ていた。止める様子はない。お前が答えろということだろう。ロランも表情を動かさずに控えたままだ。
二人とも完璧に空気だった。頼もしいのか冷たいのか、正直よく分からない。
「何者、とは」
問い返したその声は、自分でも驚くほどに凪いでいた。
ミシュリーヌは、失礼を承知でその言葉を吐いたのだろう。わずかに唇を噛んだが、視線は逸らさなかった。
「王城であなた様を拝見した時、私には光が見えました」
光。
その言葉に、聖女マリエルの表情がわずかに動いた。彼女もまた、そのとき何かを感じ取っていたらしい。
もはや無作法ともとれるミシュリーヌの言葉を諫めないところを見ると、この問いは事前に神殿側で話し合われたものなのかもしれなかった。
「聖女の光とは違います。神殿で教えられてきたどれとも違う。けれど、国を導く者の光に似ている。いえ、それよりも、もっと……遠い場所から、この世界を見ているような」
〈重要そうな話だがさっぱりわからん〉
〈不思議ちゃん?〉
〈レティシア様、実は聖女だった説〉
〈光属性の悪役令嬢とかイミフw〉
〈運営、ここで伏線投げてきた〉
〈マリエルも反応してるの草生えるw〉
やめてほしい。そこは一般に開示されていない設定領域だ。私にも説明が難しい。
だがしかし、遠い場所からこの世界を見ているという表現は、あながち間違っていない。前世の記憶を持ち、この世界の制作者だったレティシアにとって、その指摘は笑って流すには鋭すぎた。
もちろんミシュリーヌがその辺りの事情を知っているはずもない。コメントを飛ばす視聴者たちもそうだ。彼らにとって、これはゲーム内のキャラ同士の会話でしかないはずだ。
だからこそ厄介だった。
レティシアは、ゆっくりと微笑む。
「わたくしは、グランシエール公爵家の娘ですわ。そして今は、ヴァレーヌ女伯爵となる身でもあります」
答えになっているようで、なっていない答え。けれど嘘ではない。というより、それ以外に答えようがないのも事実だった。
それを理解したのだろう。ミシュリーヌは小さく目を伏せた。
「……そう、でございますね」
聖女マリエルがゆっくり息をつき、ここに来て初めて口を開いた。
「ミシュリーヌ。それ以上は控えなさい」
柔らかいが、しっかりとした声だった。
ミシュリーヌは小さく頷く。マリエルはそれを確認してから、レティシアへ向き直った。
「レティシア様。ミシュリーヌが無礼なことを申しました。どうかご容赦ください」
「いいえ」
レティシアは首を振った。
「むしろ、興味深いお話でございましたわ」
再び口を閉じた聖女マリエルを見届けて、今度はレティシアが尋ねた。
「ミシュリーヌ様は、わたくしを恐れていらっしゃるのですか?」
ミシュリーヌは少しだけ迷い、ややあって首を横に振った。
「いいえ。恐ろしい、とは違うと思います」
「では?」
「眩しいのです」
その言葉に、コメント欄が一瞬で騒がしくなる。
〈告白キタァァァ(゜∀゜)ァ( ゜∀)ァ( ゜)ァ( )ァ(` )ハァ(Д`)ハァ(;´Д`)ハァハァrrrっ!!〉
〈そのaaなっつ〉
〈やっぱ百合〉
〈あら^~〉
〈違うって言ってるだろ〉
〈違わないわよ〉
〈マリエルの顔が見たい〉
違う。おそらく違う。たぶん違う。
……なぜ、たぶんを付けてしまったのかは、自分でも分からない。分からないが、たぶん違う。
レティシアの内心の動揺をよそに、ミシュリーヌは真剣だった。
「王太子殿下の隣で、ただ耐えていらしたのではありません。誰かに導かれていたのでもない。あなた様は、ご自分で道を選ぶ方です。そして、その道の先で多くのものを巻き込んでいくように私には見えます」
レティシアは言葉を返せなかった。
巻き込む。その表現が胸に刺さった。
自身で選んだヴァレーヌ領へ、アリスも、クララも、アレットも連れていく。リオネルも、護衛も、文官も、使用人たちもだ。
これからはきっと現地の人々も、土着の獣人たちも、周辺領地の住人も巻き込んでいくのだろう。
それはもう、レティシア一人の人生ではない。
「買い被りですわ。わたくしはただ、自分の領地となった場所を立て直しに行くだけです」
レティシアはそう言った。しかしミシュリーヌは首を振る。
「確かにそうなのかもしれません。でも、それだけでは終わらない気がするのです」
それはどこか予言めいた言葉だった。
〈神殿ルート入った?〉
〈ミシュリーヌ、何か見えてるっぽい〉
〈マリエルも絶対何か知ってるよな〉
〈レティシア様の特別感〉
〈王太子だけ何も見えていなかった説〉
〈それはそう〉
それはそう、とは言わない。さすがに死体蹴りが過ぎる。
ミシュリーヌが胸元に手を当てた。
「レティシア様。あなた様がどこへ向かわれるのか、いつか見届けさせてください」
「見届ける、ですか」
「はい。私には、あなた様の進む先に何か大きなものが待っている気がしてならないのです」
大きなもの。それが果たして希望なのか災厄なのか、今のレティシアには分からない。ただ、ひとつだけ分かることがある。
この聖女候補は、謝るために来たのではない。自分の中にある何かに気付き、それを見極めに来たのだ。
レティシアは、淑女の手本のような微笑みを見せた。
「わたくしの行く先が、見届ける価値のあるものであればよいのですけれど」
ミシュリーヌはまっすぐに答えた。
「ございます」
迷いのない声だった。
一行が応接室を辞した後、父ジョルジュがぽつりと言った。
「なかなか、肝の据わった娘だな」
ロランも珍しく同意するように小さく頷いた。
レティシアは久しぶりに思った。
王太子殿下の断罪より、よほど厄介な相手が来た、と。




