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第30話 新領地に到着しました。

前回までのあらすじ。


尊い。

 グランシエール公爵領の領都を出発して、馬車に揺られること三日。レティシアはようやくヴァレーヌ領へ足を踏み入れた。


「この丘を越えれば、領都エーベルが見えてまいります」


 向かいに座るアリスの言葉に、レティシアは窓の外へ顔を向ける。

 緩やかな坂を上りきったところで木々が途切れ、視界が一気に開けた。眼下に広がるのは、山々に囲まれた細長い盆地だった。


 中央を蛇行する細い川。その周囲には畑と牧草地が広がり、いくつかの集落が点在している。さらに奥には、灰色の石壁に囲まれた町が見えた。


 あれが領都エーベルなのだろう。

 資料では確認していたものの、実際に目にするとヴァレーヌ領は想像以上に小さかった。

 領都と周囲の耕作地、領地の主要部までを、ここからでもおおよそ見渡せるほどの広さしかない。残りの大半は、盆地を囲む山林の向こう側に隠れていた。


〈ヴァレーヌ領 キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉

〈ネット老人会乙〉

〈オマエモナー〉

〈めっちゃ田舎〉

〈山ばっかりじゃね?〉

〈開発できる土地少なそう〉


 視界の端に流れるコメントを追いながら、レティシアは「ワールドエディター」のマップを呼び出した。


 半透明の地図が窓の外の景色へ重なる。

 そこに領都や街道、川の位置は表示されたが、それ以上の詳しい情報はほとんど得られなかった。


【現地調査情報が不足しています】

【詳細な資源情報を取得できません】

【調査可能範囲を拡張してください】


 その冷たい文字は、王都で確認したときとあまり変わっていなかった。


「せっかく現地まで参りましたのに、もう少し働いてくださってもよろしいのではなくて?」


 小声で文句を言ってみても、表示は一向に変わらない。


〈レティシア様何か言ってる〉

〈ぶつぶつ文句〉

〈座りっぱなしで尻が痛いに10万ジンバブエドル〉

〈レティシア様のお尻……はぁはぁ〉

〈おいやめろ〉

〈マジではずれ領地じゃねーか〉


 無遠慮なコメントに、思わずレティシアの声が漏れる。


「不吉なことを仰らないでくださいまし」


「何かおっしゃいましたか?」


 アリスが首を傾げる。


「いいえ。ただの独り言ですわ、おほほ」


 レティシアは笑ってごまかし、再び窓の外へ目を向けた。



 王都でヴァレーヌの資料を見たときには確信があった。前世の同僚は、領地分配イベントで誰も選ばない不人気物件にボーナスを隠したと言っていた。

 その土地こそヴァレーヌに違いない――そう思ったからこそ、父の反対を押し切って選んだのだ。


 けれど、目の前に広がる土地は想像以上に寂れている。

 本当にここなのだろうか。自分にとって都合のいい解釈をして、ヴァレーヌが特別な土地だと思い込んでいただけではないのか。


 そんな疑念が一瞬だけ胸をよぎる。


「お嬢様?」


「何でもありません。さぁ、参りましょう」


 今さら引き返せない。というか、そもそも引き返すつもりもなかった。




 馬車がゆっくりと丘を下り始める。やがて領都へ続く街道へ入ると、遠目では分からなかった領地の現状が嫌でも目に飛び込んできた。


 道の両側には雑草が伸び、轍の窪みには濁った水が溜まっている。一応は街道なので石畳が敷かれているが、ところどころが割れたり沈んだりしており、馬車が通るたびに車輪が大きく跳ねた。


「……なかなか元気の良い道ですこと」


 レティシアの身体が座席の上で揺すられる。


「ここはまだマシな方でございましょう」


 斜め前に座るクララが、無表情のまま平然と答えた。


「励ましになっておりませんわよ」


〈道があるだけマシ理論〉

〈クララ相変わらず〉

〈馬車の車軸が折れる〉

〈その前に尻が死ぬ〉


 小川に架かる石橋にも、長年放置された傷みが見えた。

 欄干の一部が崩れ、代わりに太い木材が渡されている。橋そのものは通れるものの、本格的な修繕を受けたのはずいぶん前らしい。


 街道沿いの畑では、何人かの領民が作業をしていた。先頭を進む騎士たちと、その後ろに続く馬車や荷馬車に気づくと、皆が手を止めて道の端へ寄る。


 歓声はなく、新しい領主を迎える旗も花もなかった。


 レティシアの着任は、領民たちにも知らされているはずである。それでも彼らの表情に、期待らしいものは見当たらなかった。


 ヴァレーヌの鉄鉱山が閉じてから五十年。鉱山と製鉄業で栄えた時代を、覚えている者もほとんど残っていない。

 若者は仕事を求めて領外へ出ていき、残されたのは痩せた土地を耕す農民と、今さら故郷を離れられない老人たち。


 それでも鍛冶師や木こり、炭焼き職人などの、この土地で生きる術を持つ者は今も細々と仕事を続けているという。


「歓迎されていないわけではなさそうですわね」


 レティシアが呟く。


「はい。少なくとも敵意は感じません」


 アリスも窓越しに領民の姿を見ていた。


「ええ。ただ、期待されていないだけなのでしょう」


 期待しなければ失望することもない。

 おそらく、この領地ではそれが何度も繰り返されてきたのだろう。


 新しい代官が赴任して、最初は何かを変えようと考える。しかし、やがて現実を知り、最低限の維持だけを優先するようになっていく。

 そして数年後、また別の誰かと交代するのだ。


〈好感度ゼロからのスタート〉

〈マイナスじゃないだけマシ〉

〈これで町が発展するんか?〉

〈領民「どうせすぐ帰る」〉


 レティシアは窓枠へ手を置いた。


「今回は、そうはいきませんわよ」


 誰に聞かせるでもなく、そう口にした。




 馬車はさらに進み、やがて領都エーベルの門へたどり着いた。


 城門と呼ぶには小さく、町を囲む石壁も決して高くはない。壁の一部にはひびが走り、崩れた箇所を木の柵で塞いでいる所まであった。


 門番は二人。町を守っているというより、通行人を記録するために立っているように見える。

 彼らは車列に気づくと慌てて姿勢を正し、門を大きく開いた。


 町の中へ入ったレティシアは、思わず目を大きく見開く。意外なことに、街並みは想像していたより立派だった。


 街路の両側には二階建ての石造りの建物が並んでいる。道幅も広く、荷馬車が何台も行き交えるほどの余裕があった。ところが、通りを歩く人の姿はまばらだ。


 窓板を閉ざした家。看板を外した商店。扉へ板を打ちつけられた工房。かつては鉱石を保管していたらしい大きな倉庫も、今では半ば廃墟と化している。

 広い荷車置き場には雑草が生い茂り、使われなくなった炉の煙突だけが、空へ向かって突き出していた。


 町が小さいのではない。暮らす人間が減りすぎたのだ。空になった器だけが、過去の繁栄を伝えていた。


〈いわゆるシャッター街〉

〈建物だけは立派〉

〈全盛期は賑やかだったっぽい〉

〈余計に寂しく見える〉


 車列が町の中を進むにつれて、住民たちが戸口や窓から顔を出す。

 誰も積極的に近づいてはこない。頭を下げる者はいても、声を上げる者はいなかった。


 ただ一人、幼い少女が道端で小さく手を振っていた。レティシアも窓越しに手を振り返すと、少女は目を丸くした後、慌てて母親の後ろへ隠れた。


〈かわいい〉

〈ちゃらら~第一街人発見〉

〈いやもうとっくにいたろ〉

〈貴重な歓迎勢〉

〈最初の支持者一名獲得〉



 レティシアは、人気のない石造りの町並みを見渡した。

 

 ここには最初から何もなかったわけではない。鉄が掘られ、人が集まり、荷馬車が行き交い、炉の煙は絶えなかった。

 それらを失った結果が、今のエーベルなのだ。


「失ったものがあるのなら、取り戻せるものもあるはずですわ」


 レティシアの小さなつぶやきを乗せたまま、馬車は町の奥にある小さな領主館へ向かって進んでいった。

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