第24話 慰謝料と領地の説明を受けました。
前回までのあらすじ
レティシア、人間が出来てる……
王城での協議から十日後。
グランシエール公爵邸の応接室には、緊張した空気が漂っていた。
応接用のソファに腰かけるグランシエール公爵家の者たち。父ジョルジュ、母シモンヌ、兄ミシェル、そしてレティシア。執事長ロランは、少し離れた位置で控えている。
その向かいには、王家侍従長ベルナール・オルドランが座っていた。
銀色の髪をきっちりと撫でつけた初老の男。服装に派手さはないが、背筋の伸び方、指先の揃え方、言葉を発する前の間の取り方に、長く王宮に仕えてきた者特有の隙のなさが光る。
その背後には、二名の文官が控えていた。一人は財務関係の書類を抱えた中年の男。もう一人は、地図筒と厚い資料束を持った若い男だ。
先日開かれた王城での協議を受け、王家から正式な補償案を示すために遣わされた者たちである。今日はその事前説明だった。
王太子ユリウスが公衆の面前で婚約破棄を宣言し、レティシアにありもしない罪を着せようとした。
その失態は王太子個人の問題では済まされず、王家とグランシエール公爵家の関係を揺るがすほどのものとなった。当然、その補償額も内容も、軽く済ませられるものであるはずがない。
ソファに座るレティシアの視界の端を、見慣れた文字が流れていく。
〈空気おっも〉
〈胃が痛くなる雰囲気〉
〈パパ上の圧ぱねぇ〉
〈侍従長、できる男感ある〉
〈こういう爺はだいたい食わせ者〉
分かる。
絶対にやり手だ、この人。
レティシアは、表情を変えずに内心だけで頷いた。
ベルナール・オルドランは、間違いなく「強い爺」である。もちろん、剣を振るうという意味ではなく、場を読む、言葉を選ぶ、主の意向を過不足なく伝える、その種の強さのことを言っている。
前世で言うなら、役員会議に同席しても一切慌てないタイプの人間だ。味方にするならこれ以上なく頼もしいが、敵に回せば厄介極まりない。できれば争いたくない人種である。
そのベルナールが、深く頭を下げた。
「王家としては、レティシア様の名誉を傷つけた事実を重く受け止めております。本日は正式な調印に先立ち、王家が提示し得る補償案の概要をご説明しに参りました」
静かな声だった。しかし言葉の一つひとつに重みがある。王家侍従長が自ら来た時点で、王家がこの件を小さく扱うつもりはないのだと言外に示していた。
ベルナールの後ろに控えていた男が一歩前へ出る。名は名乗ったが、レティシアの耳にはほとんど残らなかった。
財務局の実務官。役割は金額と支払い条件の説明だ。
彼は書類を開き、淡々と説明を始めた。
「まず、慰謝料および名誉回復補償金の総額についてでございます。王家より提示いたします補償総額は、王国金貨にして三万枚相当」
その数字に、応接室の空気が揺れた。レティシアも心の中で息を呑む。
王国金貨三万枚。
物価も貨幣価値も社会の仕組みも違うから、前世の感覚で正確に換算することは難しい。けれど分かることはある。それは、個人が受け取る補償として、あまりに大きいということだ。
〈金貨三万枚!?〉
〈うんこもれそう〉
〈やばい額なのは分かる〉
〈やばさをハムスターに例えて〉
〈しらんがな〉
〈国家級のやらかし男ユリウス〉
やめて差し上げろ。――いや、やめなくていい。事実だ。
それにしても、これは慰謝料というより国家規模の賠償金と言っていい。
そう考えた途端、背筋が少しだけ冷えた。
もちろんこれは国の金ではなく王家の私財である。ぽんと払ったように見えて、決して容易な額ではないはずだ。
財務官は続ける。
「即時支払い分の金貨一万枚につきましては、王立銀行にレティシア様名義の預かり口を設け、王家保証付きで記帳いたします。実金貨でのお引き出し、商会への支払い証書の発行、いずれにも対応可能でございます」
現金即時支払い。それだけでも十分すぎるほどの金額だ。
「次に、合計一万枚相当を二十年にわたる年次補償金として支払います。毎年、王家より定められた額をレティシア様名義の預かり口へお納めする形でございます」
二十年。
レティシアは、その期間に意識を向けた。
これは一括で払って、はい終わり、という話ではない。王家が二十年にわたり、今回の責任を認め続けるということだ。
毎年、王家からレティシアへ補償金が振り込まれる。それ自体が政治的な意味を持つ。
父ジョルジュも同じことを考えたのだろう。表情は変わらずとも、目がわずかに細められた。
〈二十年継続デバフ〉
〈連年罰金支払い〉
〈通称ユリウス税〉
〈罰ゲームで草〉
ユリウス税。レティシアは、危うく吹き出しそうになった。
そんな税目があってたまるものか。でも、意味としては間違っていないのが腹立たしい。
「残る一万枚相当につきましては、権利補償として充当されます」
財務官が別の書類を取り出す。
「採掘権、森林利用権、河川利用権、街道通行税の徴収権、未開発地の開発権。その他、王家の裁可を必要とする各種利権の一部を、レティシア様へ正式に付与する案でございます」
レティシアはそこへ強く意識を向けた。現金は使えば減る。年次補償金は安定した収入だが、期間が決まっている。
けれど権利は違う。うまく運用すれば継続的に利益を生む。しかし同時に、運用を誤れば火種にもなる。
利権とは勝手に金が湧くものではない。予算を組み、人を雇い、契約を結び、時にはトラブルだって起きるだろう。
それらを管理できなければ収益を生まない。いや、場合によっては不良債権化することも十分にあり得る。
〈領地経営編の匂い〉
〈レティシアファンド!〉
〈鉱山! 鉱山!〉
〈お前ら落ち着け〉
〈無理です〉
落ち着いてほしい。前世のゲームなら、権利を取った瞬間に収益ボーナスが付いた。しかし現実はそう上手くいかない。どう考えても、レティシア一人で管理できる範囲を超えている。
そこまで考えたところで、ジョルジュが口を開いた。
「権利補償については、管理体制を別途定める必要があるな」
「はい。その点につきましても、王家側としてはグランシエール公爵家との協議を想定しております」
財務官が答える。
ジョルジュは、レティシアへ視線を向けた。
「レティシア。採掘権や交易に関わる権利は、得た瞬間から利益を生むものではない。むしろ、正しく扱えなければ負債になる」
「承知しております」
レティシアは素直に頷いた。
「ですから当面の間、実務についてはお父様のお力をお借りすることになると思います」
「それはかまわんが、ただというわけにはいかん。契約として明文化する必要がある」
父の声は厳しい。
「権利はお前にあるが、管理は公爵家が代行する。文官、会計官、技師、警備、人材の手配などだ。そのあたりを後で詰めねばならん」
母シモンヌが頷いた。
「そうですわね。利権が絡む以上、たとえ我が子でも無条件に助けるわけにはいきません」
〈さすがパパ上、現実的〉
〈だって共倒れになるかもだし〉
〈金の切れ目が縁の切れ目ってな〉
〈結果は受け入れろ。逃げられん〉
その通りである。
結果からは逃げられない。
前世でもそうだった。仕様書からも、納期からも、炎上案件からも逃げられなかった。
なぜ転生してまで結果に追われるのか。もし来世があるなら、絶対に結果を求められない世界がいい。
「はい。その条件でお願いいたします」
「レティシア。勘違いしないでほしいのだが、これは家族の情の話をしているのではない」
ジョルジュは言った。
「領地と権利を持つなら、義務と結果から逃げるなと言っている」
「心得ております」
レティシアは答えた。
逃げるつもりはない。ただ、少し胃が重いだけだ。
慰謝料から始まった話が、すでに利権管理の話になっていた。
前世でも契約書や仕様書は読んだ。納期にも追われた。炎上案件にも巻き込まれた。けれど、さすがに鉱山の採掘権を持った経験はない。
――ただの若い娘に、利権運営を投げるのはどうなのか。いったい誰がこんなシナリオを書いたのか。このゲームの運営を小一時間問い詰めたい。
もっとも、それを書いたのは前世の自分だが。
金銭補償と権利補償の説明が一段落すると、次にベルナールがもう一人の文官へ視線を向けた。
「続いて、王家直轄領の譲渡についてご説明申し上げます」
その言葉とともに、若い文官が一歩前へ出た。年の頃は三十前後だろうか。痩せた顔立ちで、目つきは鋭い。いかにも書類と地図を相手にしてきた人物という印象がある。
「王領管理局事務官、オットマーと申します。譲渡候補地の概要についてご説明いたします」
オットマーは筒から大きな地図を取り出した。ロランが手を貸し、机の上へ広げる。
王国の地図だ。王都を中心に、貴族領、王家直轄領、山脈、河川、街道が細かく記されている。その上に、別紙で候補地の一覧が重ねられた。
「譲渡可能な王家直轄領として、候補に挙げられているのは次の四か所でございます」
オットマーは指先で一つ目の候補を示す。
「第一候補は王都北東の小領地。王都に近く、農地と小規模な市を持ちます。収益は安定しておりますが、王都貴族との関係が密であり、独立性という点ではやや難がございます」
なるほど、とレティシアは思った。王都に近い土地は便利だ。人も物も金も動きやすい。けれどその分、貴族社会の目も近い。
〈王都近郊、便利そう〉
〈まぁまぁ都会〉
〈埼玉県かよ〉
〈ご近所付き合いが重いタイプ〉
〈王都貴族とかいう面倒ワード〉
第二候補。
「こちらは南部の穀倉地帯に属する直轄地でございます。農地、穀物収入は見込めますが、周辺領との水利権調整が必要です」
〈食料産地は強い〉
〈水利権はだいたい揉める〉
〈茨城かよ〉
〈それ言うな〉
〈毎年天候ガチャ〉
第三候補。
「西の街道沿いにある商業地です。宿場町と市があり、通行税収入がございます。ただし、既存商会の影響が強く、新領主として入るには相応の根回しが必要となるでしょう」
〈商業地いいじゃん〉
〈既存商会が強い=めんどい〉
〈既得権益という名の抵抗勢力〉
〈八王子かよ〉
〈名前を出すな〉
外野が少々うるさいが、実際どれも悪くない。いや、普通なら十分に魅力的だ。
なんと言っても、すでに収益構造があるのがいい。代官や現地担当者をそのまま残せば、大きく手を入れずとも回るだろう。
自分が名義上の領主になって、必要な時だけ指示を出す。そういう運用も可能である。どれも飛び地であることに目を瞑れば、無難な候補だった。
無難。
なんと甘美な響きだろう。前世で言うなら、すでに運用実績のある安定サービスを引き継ぐようなものだ。
担当者はそのまま残り、障害報告は少なく、予算も読める。もちろん引き継ぎ資料も用意されている。
それを選べば、きっと楽だ。ものすごく楽。間違いない。
その時、オットマーの指が候補地一覧の一番下で止まった。
「……ん?」
小さな声だった。しかし妙にはっきりと聞こえた。
オットマーは資料を一枚めくり、もう一度一覧を見る。直後に眉間に皺が寄った。
それを見たジョルジュの表情も変わる。その目が地図の北西端に向けられ、そして言った。
「……ヴァレーヌだと?」
ジョルジュの声が落ちた。先ほどまでの様子とは明らかに違う。部屋の温度が一段下がったように思えた。
〈なになに?〉
〈地雷物件きた?〉
〈名前だけで分かるヤバさよ〉
〈ヴァレーヌって何だよ〉
オットマーは即座に姿勢を正し、頭を下げる。
「申し訳ございません、公爵閣下。こちらは補償候補として適切ではございませんでした。資料選定の段階で混入したものと思われます。直ちに別の直轄領と差し替えを――」
「お待ちくださいませ」
遮るレティシアの声が応接室に響いた。全員の視線が彼女に集まり、ジョルジュの眉がわずかに動く。
「レティシア」
父の声には、明確な警告があった。しかしレティシアは地図から目を離さない。そして静かに口を開いた。
「この領地について、もう少し詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか」
その瞬間、応接室の空気が完全に止まった。




