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第22話 別室へ呼ばれました。

前回までのあらすじ


勝訴! なお、王太子側は上告しないもよう。

 協議が終わった会議室に、重い空気が漂っていた。


 王家としての謝罪。

 レティシアに向けられた嫌疑が、事実に基づかないものであるという確認。

 王太子ユリウスへの公務停止と謹慎。


 それらはすべて、公式の議事録として残された。


 とはいえ、真実が明らかになっても誰も明るい顔はしていない。

 王家の者たちは沈み込み、神殿の者たちも言葉を失ったまま。学園長ガストンは、何かを考え込むように目を伏せていた。


 そんな中、最初にレティシアへ歩み寄ったのは母シモンヌだった。


「レティシア」


 レティシアが振り向く。

 母として堪えきれなかったのだろう。シモンヌは周囲の目を気にしつつ、娘をそっと抱き寄せた。


「よく耐えたわね」


 声が震えている。レティシアはどう返せばいいのか分からなくなった。ずっと張り詰めていた気が少しだけ緩んだのかもしれない。胸の奥に押し込めていたものが、今さらになって揺れ出した。


「お母様……」


 自分でも驚くほど幼い声が出た。まるで幼子が母を呼ぶような声音。

 シモンヌの腕に力がこもる。その肩へ、父ジョルジュが静かに手を置いた。


「よくやった」


 短い言葉だが、それだけで十分だった。ジョルジュは多くを語らず、必要なことだけを言う人だ。だからこそ、その一言に込められたものは重かった。


 そこへミシェルが歩み寄る。兄は何か言いたげに口を開きかけたが、結局、言葉を探すのを諦めたようにレティシアの頭へ軽く手を置いた。


「よくやった、レティ」


 十八歳にもなって兄に頭をなでられるのは恥ずかしい。けれど、この時ばかりは何も言えなかった。

 ミシェルの手が震えているのに気づく。怒りか、安堵か。あるいは、その両方か。いずれにせよ、彼は溢れ出る感情を必死に押し留めようとしていた。


 次いで専属侍女のアリスが、涙ぐみながらレティシアの手を取った。


「お嬢様……本当に、よかったです」


「アリス」


 レティシアが名を呼ぶと、アリスはますます泣きそうな顔になった。


 一歩下がった場所では、執事長ロランが控えている。いつも通りに背筋を伸ばし、表情も変わらないが、よく見れば、ほんのわずかに口元が緩んでいた。

 ロランが笑っている。かなり貴重な光景だ。こんな時でなければ、記録係の文官に正式記録として残してほしいところだ。


〈家族あったけぇ〉

〈アリスいい子や〉

〈ロランさん笑ってる?〉

〈スクショとれ〉

〈お疲れさん〉


 いつもの文字が視界の端を流れていく。けれど、レティシアにはそれに返す余裕がなかった。

 これまでもコメントに助けられたことはあったが、今は目の前にいる人たちの温かさの方がずっと近かった。


 レティシアがゆっくりと身を離し、父へ、母へ、兄へ、そしてロランとアリスへ向かって静かに頭を下げた。


「お父様、お母様、お兄様。ロラン、アリス」


 声が少しだけ揺れた。それでも、言わなければならないと思った。


「わたくし一人では、立っていられませんでした。支えてくださって、ありがとうございます」


 シモンヌが再びレティシアの手を握り、ジョルジュは目を細めて短く答えた。


「当然だ」


「妹を守るのは兄の役目だからな」


 ミシェルも言う。

 ――いや、ちょっと待ってほしい。その兄の役目とやらを全力で果たそうとして、王城で抜剣しかけたことを忘れてはいけない。

 妹を思うその気持ちはありがたい。ありがたいが、王城での抜剣は本当に洒落にならないので絶対にやめてほしい。


 でも、今は黙っておくことにした。



 その時、背後で小さなざわめきが起こった。見れば、王太子ユリウスが側近に付き添われて会議室を後にしようとしていた。

 顔色が悪く、歩みもどこか覚束ない。


 結局、ユリウスは最後までレティシアを見ることができなかった。いや、正確には見なかったのではなく、見ることができなかったのだ。


 レティシアは、その横顔を静かに見送った。


 かつて、自分の未来だと思っていた人。

 いずれ隣に立つのだと、幼い頃から信じてきた人。


 その人が今、こちらを見ることもできずに去っていく。


 怒りはある。悲しみもないわけではない。けれど、それ以上に胸に残ったのは、ひどく冷めた現実だった。


 ――ああ、本当に終わったのだ。


〈これで終わりだな〉

〈後戻りできない〉

〈もう結婚できないの? 何も悪くないのに〉

〈傷物令嬢だからな、理由はどうあれ〉

〈厳しい世界観だな〉


 視界を流れていく文字を、レティシアはただ見送ることしかできない。本当に、その通りだと思った。




 グランシエール家の一行が会議室を出ようとした時、侍従長ベルナール・オルドランが静かに近づいてきた。

 彼は深く一礼して言った。


「レティシア・グランシエール嬢」


「はい」


「陛下と王妃殿下が、少しだけお時間を頂戴したいとのことです」


 レティシアは父を見た。ジョルジュは表情を動かさなかったが、目だけで静かに告げてくる。

 無理に応じる必要はない。そう言われている気がした。


 レティシアは少し考える。

 このタイミングで国王夫妻が私的に話を求めてくる理由。それは決して軽いものではないだろう。けれど、ここで背を向けることもできなかった。


「お受けいたします」


 レティシアが答えると、ベルナールはもう一度深く頭を下げた。


「ありがとうございます。ご案内いたします」


 同行するのは父ジョルジュと母シモンヌだけ。ミシェルはあからさまに不満そうな顔をしたが、ジョルジュに一瞥されて黙るしかない。ロランとアリスもまた、控えの間で待つことになった。


「レティシア」


 ミシェルが心配そうに呼ぶ。


「大丈夫ですわ、お兄様。お父様とお母さまも一緒ですから」


「……あぁ、そうだな」


 その顔は到底納得したようには見えなかったが、結局ミシェルはそれ以上何も言わなかった。彼も彼なりに、父の判断を尊重したのだろう。




 ベルナールに案内されて、レティシアたちは王城の奥へ進んでいく。


 先ほどの会議室とは空気が違う。公的な謁見室や政務の場ではなく、王城の内向きの区画。国王夫妻が私生活を過ごすための静かで人の気配の薄い場所だった。


 ここから先は王族のプライベートな場だ。

 そう分かってからは、胃のあたりが重くなる。前世で言えば、上司に「少し別室で話そうか」と言われた時に近い。それはだいたい良い話であったためしがない。


 視界の端を見慣れたコメントが流れていく。


〈王族のプライベートエリア?〉

〈社長の家に招かれた感〉

〈緊張して吐きそう〉

〈何の話だろ〉

〈ろくな話じゃあるめんて〉


 レティシアはそれらを視界の端に捉えたまま、ただ前を向く。

 今だけは外野の言葉に逃げない方がいい。自分で自分の言葉を選ばなければならない気がした。



 やがてベルナールは、一つの扉の前で足を止めた。


「こちらでございます」


 扉が開かれる。

 そこは小さな応接室だった。ローテーブルを挟んで、国王オーギュストと王妃ジョセフィーヌが立っていた。

 先ほどの会議室とは装いが違うことに気付く。国王の頭に王冠はなく、王妃の髪にも先ほどまでのティアラはなかった。


 変わらず衣装は上質だし、立ち姿にも威厳が満ちている。けれど、そこにいたのは王国を背負う二人であると同時に、息子の過ちに顔を伏せる父と母でもあった。


 国王オーギュストが口を開いた。


「招きに応じてくれて感謝する、レティシア嬢。グランシエール公爵、公爵夫人」


 ジョルジュとシモンヌが礼を取る。レティシアもそれに倣った。国王はしばらく言葉を探すように沈黙し、それから厳かに言った。


「先ほどの謝罪は、王家としてのものだ」


 レティシアが顔を上げる。


「だが今は、ユリウスの父としてそなたに詫びたい」


 その言葉とともに、国王オーギュストが深く頭を下げた。王妃ジョセフィーヌも、それに続く。


「あの子が、あなたを傷つけました」


 その声は、会議室で聞いたものよりずっと柔らかく、そして痛ましかった。


「あなたがどれほど努力してきたか、私たちは知っていたはずなのに」


 二人はすぐに顔を上げなかった。


 レティシアは息を呑む。

 国の最上位に位置する国王と王妃が、自分に頭を下げているのだ。それは公的な王家としての礼ではなく、形式でもない。純粋に親としての謝罪だった。


「陛下、王妃殿下。どうか、お顔をお上げください」


 気付けばレティシアはそう言っていた。ジョルジュとシモンヌは何も言わない。それは、レティシア自身が受け止めるべきものだと理解しているのだろう。


 ようやく国王夫妻が顔を上げる。

 ベルナールが静かに茶の用意をし、下がっていった。部屋に残ったのは、国王夫妻、レティシア、ジョルジュ、シモンヌだけとなる。


「座ってくれ」


 国王に促され、全員がソファに腰を下ろした。

 沈黙が落ちる。王妃ジョセフィーヌが、少しだけ疲れた声で言った。


「ここでは、少しだけ母親として話すことを許してください」


 レティシアは静かに頷く。


「承ります」


 王妃の言葉は、会議室で聞いたものとは違っていた。

 

 王国のためではない。王家の面子のためでもない。

 それは、息子の過ちを前にしたひとりの母親が、それでも最後に手放せなかった願いを口にしようとするものだった。

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