第15話 朝からだらだらしてみました。
前回までのあらすじ
ここから神殿側の勘違いが始まるんですね。わかります。
明朝。
目が覚めたレティシアは、天蓋付きの寝台の上でぼんやりと瞬きをした。
窓の外はまだ薄暗い。朝日は差し込み始めているが、屋敷の中は静かなままだ。
いつもであれば、とっくに身支度が始まっている時刻である。王妃教育、王立学園、社交の準備、王太子妃としての心得、政務の補助。
朝は一日の戦場だった。
しかし、今朝は誰も来ない。
昨夜、父が言った「数日中には正式な呼び出しがある。それまでは休みなさい」という言葉は、どうやら本当だったらしい。
休めと言われた。だから休もうと思った。なのに、いつもの時間に目が覚めた。
習慣というものは恐ろしい。
レティシアは寝返りを打ち、毛布を引き寄せた。
よし、二度寝をしよう。そう決めて目を閉じる。
脳裏に王太子の顔が浮かんだ。大広間のざわめきが蘇った。流れるコメントが浮かぶ。前世の職場の硬い床もなぜか一緒に思い出された。
眠れない。
レティシアはすぐに目を開け、遠くを見つめた。
「……人生というものは、ままならないものですわね」
小さく呟く。
寝台の上でしばらくごろごろしてから、ふと気づいた。
コメントが流れていない。
昨日からずっと視界の端を騒がしく横切っていた白い文字が今はない。静かだ。あまりにも静かすぎて、逆に落ち着かないほどだ。
レティシアの私室は居室と寝室に分かれている。そのうち寝室の方は、どうやら配信対象外らしい。たしかに今のレティシアは薄絹の夜着姿で、しかもしどけなく毛布にくるまっている。公爵令嬢としては、かなり油断した状態だ。
つまり……乙女の寝室は守られている。
ありがとう、プライバシーフィルター。ありがとう、全年齢対象CERO A。ありがとう、特定非営利活動法人コンピュータエンターテインメントレーティング機構。
欲を言うなら、人生全体にも適用してほしかった。
レティシアは寝台の上で仰向けになり、天蓋を見上げた。
どうせ眠れないなら、すべきことをしよう。
昨夜は色々ありすぎて、自分にできること、できないことを確かめられていなかった。
前世の記憶が戻り、ステータス画面を開き、王城から使者まで来た。
情報量が多すぎる。
けれど、それらを一つひとつ整理していかなければ、いずれ脳がオーバーフローを起こすのは目に見えていた。
レティシアは小さく息を吸う。
「ステータス、オープン」
視界に半透明の板が開いた。両目を開けたままでも見える。
手を伸ばすと、指先で項目に触れることもできた。目を閉じて瞼の裏で操作するよりずっと楽だ。
この状況。なにやら既視感があるなと思ったら、なるほど、前世でいう布団の中でスマートフォンをいじるやつだ。
休日の朝に何気なく始めたそれが、気づけば昼前になっていた。そうして絶望感に苛まれながら、貴重な休日が終わっていく。
人は転生しても同じ過ちを繰り返す生き物らしい。
レティシアは寝台の上で横向きに寝転がりながら、自分のステータスを眺めた。
名前。年齢。身分。職業。副職。固有スキル。そして、何度見ても納得のいかない項目。
職業:悪役令嬢 Lv.18
悪役令嬢とは職業なのか……?
解せぬ。
レティシアは静かに画面を閉じた。
次だ。
「マップウィンドウ、オープン」
いかにもそれらしい言葉を口にしてみる。すると本当に開いた。
半透明の地図が視界の前に浮かぶ。最初に表示されたのはグランシエール公爵邸の間取りだった。
寝室、居室、廊下、階段、厨房、使用人棟、庭、門。その中を黒い点がいくつも動いている。おそらく屋敷の使用人たちだろう。
「……便利ですわね」
思わず呟く。
指で画面をつまむように動かすと、地図が縮小されて屋敷全体が見えた。まさにスマートフォンそのもの。よくできている。
さらに縮小すると王都の一角が表示された。白亜の王城、貴族街、神殿、商業区。
もう少し縮小してみると、フェルメリア王国の形が大まかに見えた。北の山脈、南の海、穀倉地帯、主要街道。
まさに神の視点である。
そう思いかけて、レティシアは眉を寄せた。
どうやら、すべてが見えているわけではないらしい。王城や神殿の一部には薄い霞のようなものがかかっているし、細かいところは分からない。遠方の地域は輪郭こそ見えるが、拡大しようとすると表示が粗くなる。
【現地情報が不足しています】
【一部施設は権限不足により非表示】
便利だが万能ではない。見える場所と見えない場所がある。つまり、実際にそこへ行かなければ、マップに詳細は表示されないのだろう。
要検証だな。
レティシアは、そっとマップを閉じた。
次はアイテムだ。
「アイテムウィンドウ、オープン」
言ってみた。
開いた。
それを手近な枕へ重ねてみると、文字が表示される。
【羽毛枕】
最高級の水鳥ダウンを使用した、雲のように軽い贅沢な枕
用途:睡眠補助
備考:柔らかすぎるため、長時間使用すると首に負担がかかる場合がある。
「たかが枕に、ここまでの情報が出ますの……?」
少し怖い。
次に、サイドテーブルの上の水差しへ重ねる。
【銀製の水差し】
中身を清潔に保つ効果がある銀の水入れ
用途:飲料水の保管
備考:昨夜、アリスにより交換済み。
なるほど。いわゆる鑑定スキルのようなものか。この能力だけで一生食べていけそうな気がする。
とはいえ、公爵令嬢が鑑定屋として店を出すのは、さすがにどうかと思うが。
それにしても、とレティシアは前世を思い出す。
視界に入るほぼすべてのオブジェクトにデータが設定されている。あまりに膨大すぎる。これ、絶対に担当者が死ぬやつだ。
いったい誰だ、こんな無茶振りしたやつは。あいつか? それともあいつか?
レティシアは寝転がったまま、手近な物を片っ端から鑑定していく。死んだ担当者には申し訳ないが、これはこれでなかなかに面白い。
そのとき、寝室の扉が控えめにノックされた。
「お嬢様。お目覚めでいらっしゃいますか」
聞き慣れた静かな声。
レティシアは固まった。
今の自分は寝台の上で横向きになり、毛布を蹴り、片手を宙に伸ばしたままの格好だ。なんなら、めくれた夜着から脚も露出している。どう見たって令嬢らしからぬ姿である。
「……ええ。起きていますわ」
「失礼いたします」
扉が開く。
入ってきたのは、専属侍女の一人であるクララ・モントブールだった。
濃い茶色の髪をきっちりとまとめ、飾り気のない侍女服を皺ひとつなく着こなしている。
年齢は二十代後半。無口で無表情。淡々としているが、その所作は美しく、どこか刃物のような正確さがあった。
昨夜遅くまで付き添ってくれたアリスは、きっと午前中は休んでいるのだろう。
クララは寝台の上のレティシアを見た。見たが、何も言わなかった。
世間はレティシアを完璧な公爵令嬢だと思っている。けれど彼女が幼い頃から世話をしてきたクララは、寝起きのレティシアが毛布にくるまったまましばらく動かなくなることも知っていた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、クララ」
レティシアはゆっくりと起き上がった。
少し気まずい。
クララは何事もなかったように身支度を進める。顔を洗う水を用意し、ドレスを並べ、髪を梳く。
その流れるような手つきに任せながら、レティシアはふと思った。
自分のステータスは見えた。ならば、他人のは見られるのだろうか。
試してみるだけ。そう、試してみるだけだ。
決して個人情報を覗き見しようとしているわけではない。ましてや、興味本位などでは決してない。
言い訳にもならない言い訳を繰り返しながら、レティシアはクララへ向けて小さく心の中で唱えた。
ステータス、オープン。
――――――――――――――――――
【名前】クララ・モントブール
【年齢】27歳
【種族】人族
【身分】グランシエール公爵家専属侍女/モントブール男爵家次女
【職業】侍女 Lv.35
【副職】衣装管理人 Lv.26/記録係 Lv.24
【HP】380/380
【MP】42/42
【STR】52 【VIT】60 【INT】72 【DEX】91 【CHA】61
【固有スキル】
【沈黙の所作】【衣装管理】【速記】【無表情】【気配察知】
【備考】
副料理長リオネル・カルヴェとは将来を誓い合う仲。
本人たちは周囲に気づかれていないと思っている。
――――――――――――――――――
……開いた。開いてしまった、本当に。
直後にレティシアは瞬きをした。そして備考欄を何度も読み返す。
……クララ。あなた、その無表情で彼氏がいたのね。
人は見かけによらない。いや、よらなさすぎる。
髪を結われながら、レティシアは静かに衝撃を受けた。
副料理長リオネル。たしか、黒髪で真面目な青年だったはずだ。寡黙で、厨房では手際がよく、料理長からも信頼されている。
そうか。クララと。
そうなのか。
寡黙と無口と無表情。
この二人の愛のささやきがどうしても想像できない。
けれど同時に、胸の奥に小さな引っかかりも生まれる。
ここまで私的な情報が見えてしまうのは、便利というより危険だ。人の秘密を覗き見る力は、扱いを間違えれば毒になる。
今後は、むやみに他人のステータスを開くのは控えよう。
そう決めた。
しかし決めた直後、どうしても気になってしまったことを口にする。
「クララ」
「はい」
「暇が欲しくなったら、すぐに言いなさい。悪いようにはしませんから」
クララの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……?」
無表情のままだが、その顔には見事な疑問符が浮かんでいた。レティシアは目を逸らした。
「いえ。何でもありません」
「さようでございますか」
クララはそれ以上、何も聞かなかった。
さすがである。無表情スキルは伊達ではない。
身支度が終わると、レティシアは寝室から居室へ移動した。
その瞬間だった。
〈レティシア起きた〉
〈今日も朝からきれい〉
〈寝室内も配信しろ〉
〈パジャマ姿見たかった〉
〈お嬢様だしすけすけネグリジェじゃね〉
〈エロい〉
〈クララさん初登場〉
〈無表情侍女いいぞ〉
視界の端を、白い文字が勢いよく流れていく。
戻ってきた。朝から元気すぎる。
そして、寝室内も配信しろ、ではない。
しません。
させません。
だめ。絶対。
乙女の寝室にまで踏み込もうとする者は、セクハラ案件でコンプラ室へ通報だ。そして追い出し部屋へ異動になって、自ら辞表を書くまで永遠とも思える時間をクソゲーのテストプレイに費やされるのだ。
レティシアは何事もない顔で居室を横切った。
視界に「すけすけネグリジェ」などと流れても動じない。動じていない。少なくとも外面は。
だってわたくし、公爵令嬢なので。




