聖女召喚、そして失踪
「リゼが王宮に滞在している間、我々は貴女の母親を徹底的に調査し、その情報をチューペハイパスト大帝国と共有していました」
さらりと告げられた事実に、耳を疑った。
なぜ、わざわざ敵国に?
困惑する私をよそに、少佐は「数年前から、彼らとは密かに取引をしていましたのでね」と続けた。
当時、前触れもなく訪れた帝国の使者が持参したのは、皇帝アルベルト・アモ・デル・チューペハイパスト直筆の書状だった。
内容はこうだ。
『我が帝国から逃亡した聖女とその子を捜索せよ。発見の暁には、我が国の地下資源の一部を譲渡する』
近年、国内資源の先細りに頭を悩ませていたサバルビン国は、これに飛びついた。
チューペハイパスト大帝国と協力関係になれば、それは国にとっては大変に有益。そう考えたサバルビン国は、自国の資源搾取技術の提供を条件に和平条約を提案しつつ、水面下で『聖女』の捜索を開始した。
「帝国と情報を共有し、互いの記録を照らし合わせた結果、貴女の母親こそが二十年前に召喚された聖女、リョウコ・ヤマモトである可能性が極めて高いと判明されました」
「聖女……? 母が、ですか?」
続けて少佐が、帝国は世界的に禁止された黒魔術を国策として秘匿していた、という話をしたので、私は目をさらに見開いた。
「黒魔術の噂、本当だったんですか…」
「ええ」
「すごい…」
「黒魔術には代償として邪気が排出されますので、厄介なだけですよ」
かつて帝国は人身売買で得た者を生け贄に黒魔術を乱用し、その非人道性を隠すために鎖国。
だが、やがて内部で積み上がった『邪気』が帝都を汚染し、人や家畜に健康被害が出始めた。
事態の深刻化を嘆いた帝国は、異世界から聖女を黒魔術で召喚することを思い立ったのだという。
「聖女には、その清らかな心で祈りを捧げると、邪気を浄化できる力があったと言われています」
「清らかな心...?」
私の母に清らかな心などないと思うんですけど...。
税金徴収に来た役所の女性に「うっせぇババア!おととい来やがれ!」と罵言を吐いたような人ですよ。
言いそうになって、寸で止めた。
「聖女召喚は三十年に一度しか遂行できず、また処女を失うと聖女の力は失われる。祈りの実施日の前に聖女が妊娠したと知った帝国は、中絶すれば力が戻るのではとバカな考えに至り、強行手段に出ようとしましたが、その日のうちに聖女は忽然と姿を消したそうです」
私の腕はいつの間にか震えていた。
「…それで、その聖女の娘が、私?」
「そうです」
だからその聖女設定、母の虚言ですから!あっははは!
そう笑い飛ばしてしまえたらどれだけ良かったか。
でも少佐の目が本気だ。
実際に国も動いている。
信じられないことに、母は本当に異世界から召喚された聖女だったというのだ。
それも、役目を放棄して逃げ出した、とんでもないお騒がせ聖女。
「寒いですか?ひざ掛けを出しましょう」
「いえ。そうではなくて...。今のお話を聞くと、帝国は母に...、聖女に、大変な恨みがあるのではないでしょうか?」
国の異常事態を救うために召喚した聖女が、身籠って逃亡したのだ。
チューペハイパスト大帝国は邪気を目の前にして大混乱だったに違いない。
ふと、母の遺言を思い出した。
チューペハイパスト大帝国には行ったら駄目だと、毒に苦しみながら言っていた。
ようやく、母の真意を理解した気がした。
私は聖女の力を潰したある意味張本人だ。
そんな存在がのこのこと現れたところで、歓迎などされるはずがない。
「私、殺されませんか!?」
悲鳴じみた声が馬車の中に反響した。
窓に反射する私の顔は真っ青。
谷間見えます系のドレスを着ておめかししている場合じゃない。
「に、逃げなくちゃ」
「心配せずともきっと大丈夫ですよ」
その場で立ち上がろうとした私を、穏やかな声が制した。
「十年前、新皇帝アルベルトの即位と同時に黒魔術の廃止が法制化されましたし、王都を覆っていた邪気も、今では随分と中和されたと聞いています。聖女の力に頼らずとも国を立て直せると、皇帝自らが証明したのです」
「そうなんですか……?」
「ええ。ですから、聖女の失踪はあの国が生まれ変わる良いきっかけになっただけで、恨みなどあるわけない」
「それは帝国側が言ったのですか?」
「いえ、私個人の見解です」
私は脱力して、危うく座席から滑り落ちるところだった。
希望の光が差したというのに、ただの個人の見解だったとは。
一気に説得力がなくなった。
けれど、逃げられるわけがないこともわかっている。
恩赦の代わりに、私は国の言う通りに動くことになっている。
拒否権のない取引を陛下としているのだ。
逃げたところですぐ捕まるのが関の山で、罰金だって払えない…。
「……その会合に私が同行する理由は何なんですか?」
「会合現場で何をするのか。その詳細はまだ把握していませんが、『聖女の娘を生きたまま連れてくること』が最優先事項でした」
ますます不安になってきた。
だいたい、会合で何をするかもわからないのに私を連れて行くなんて。
ちょっと雑じゃないだろうか。
心もとなくて、私は膝の上に置いた両手をモギュモギュと握り始めた。
「まさかとは思いますが……私の身柄を帝国に引き渡して、少佐たちはそのまま帰るなんてことはありませんよね?」
すがるような眼差しで正面へ瞳を向ける。
すると、少佐の腕が伸びてきて、私の両手を包み込んだ。
思わず目を見開き、膝の上で重なった彼の手を見下ろす。
節くれ立った大きな手には、日々の訓練を物語る傷跡がいくつも刻まれていた。浮き出た血管、男らしい骨格。
なんという、色気大爆発のけしからん手だろうか。
……いや、見惚れている場合ではない。
解せない思いで顔を上げると、彼はこの世のものとは思えないほど美しい微笑を湛えていた。
え、待って。眩しい。
「リゼを置いて行ったりなど、決してしない」
「少佐…」
「ですが、もし少しでも身の危険を感じたら、その時は私のことを『婚約者』だと名乗りなさい。公爵たる私の名が出れば、いくら隣国といえど強行突破はできないでしょう」
少佐から飛び出したあまりに突飛な提案に、私は目を丸くした。
「そ、そんなことできるわけないですよ!少佐は由緒正しい貴族で、私はただの庶民……いえ、今は苗字すら怪しい身分なんですから」
「だからこそ、私の苗字を名乗れば万事解決です」
「……話を聞いてました?」
呆れて繋がれた手を引き抜こうとしたが、追いかけるようにして再び大きな手に包み込まれた。
逃がさないという意思が伝わってきて、心拍が加速してくる。
「リゼ、いい機会です。この際本当に私と結婚しよう」
「………はい?」
あまりの直球に、思考が真っ白になる。
「……急に何を言い出すんですか」
「貴女も私のことを、少しはいいなと思っているのではないですか?」
「えっ、まさか」
素で返すと、少佐は意外そうに首をかしげるが、なんでそうなる。
ホント、なんでそうなる!?
「これでも私は、王都で毎度行われる『花婿にしたい騎士ランキング』で五年連続一位に輝いているんですよ?」
そんなランキングがあるの!?
ていうか何なんですかその得意げな顔!
確かにこれだけの美貌と地位があるのだ。納得の一位だとは思う。
けれど、世間からそんな評価があったとしても、私には無縁な話なのだ。
「仮に…。万が一ですよ? 万が一、相思相愛だったとしても、身分の差がある以上、結婚なんて現実的じゃありません」
「まだそんなことを気にしているのですか」
「身分は、大事なことですよ……」
「ふむ……身分、か」
少佐は短く呟くと、名残惜しそうに繋いでいた手をほどいた。
そのまま力なく背もたれに体を預け、窓の外へと視線を向ける。
しばらくの沈黙の後、彼は静かに独りごちた。
「……なんと邪魔くさいしきたりだ……」
心底疎ましがっているような響きだった。
私はそれを聞こえなかったふりをして、ゆっくりと深い呼吸をして騒がしい心音を落ち着かせようと努めた。
軟禁中も距離感が近かったし、甘いセリフを吐くのは高貴な遊び人の余裕なのだろうと思っていたけれど。
こんな時にまで庶民の女をたぶらかして、暇つぶしにするのはやめていただきたいものだ。
ただでさえ顔がいいから無駄にドキドキしてしまうし、もしここにブルースがいたら、私は今ごろ目線だけで八つ裂きにされていただろう。
だいいち、今の自分の先行きが不安すぎて、恋愛どころではない。
いっそ大雨でも降って、道が塞がって引き返すことにならないかな……。
そんな不謹慎な願いを抱いてみたものの、馬車は恨めしいほど穏やかに運命の地へと進み続けていくのだった。




