恩赦の条件
軟禁生活五日目。
昼食を済ませ、食後のハーブティーで一息ついていると、またしても少佐が現れた。
昨日みたいにブルースが乗り込んできて嫌味を言われるのは嫌だし、そもそも少佐はブルースのものだと宣言もされている。
これ以上の不評を買うのは御免だ。
「お忙しいんですよね? 私はどこへ逃げたりもしませんし、わざわざ足を運んでいただかなくても大丈夫ですよ」
これ以上ないほど遠回しに『お帰りください』と伝えてみたのだが、少佐は事もなげに言い放った。
「貴女より優先すべき仕事など、この世にはありませんよ」
……いや、あるだろう。あなた、少佐でしょう。
だいたいなんで私の優先順位がそんなに高いの…。
「それで、ほかに思い出したことはありますか?」
問いかけながら、少佐は迷いのない足取りでソファの前まで進むと、座るようにと手で示してきた。
どうやら今日も母の絵空事を聞くつもりらしい。
実をいうと、この時間自体は嫌ではなかった。
この話は想像力を掻き立てられるし、なにより少佐が熱心にノートへペンを走らせてくれるものだから、話し甲斐があるのだ。
私は観念して、ふうと息を吐き出した。
「今日は、スマホについてお話ししますね」
「スマホ…?」
「便利が詰まった道具です」
座って話し始めると、少佐は妄想の産物を食い入るように聞き入った。
スマホで何ができるのか。母の設定を思い出す限り説明すると、「まるで魔法ではないですか…!」と感嘆の声を漏らす。
「ほかにはどんなことが?」
あまりの熱心さに、気づけば窓の外の鮮やかな青は、わずかに茜色が混じり始めていた。
「…少佐、そろそろお戻りになるべきでは?」
私の言葉に、少佐は持っていたペンとノートを置いた。
そして深く重たいため息を吐き出し、あろうことか私の手の甲をそっと覆うように自分の手を重ねてきたのだ。
「私たちは知り合って、もう長い。そろそろ少佐ではなく、名前で呼んでくれてもいいのではないですか」
「……え?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
知り合ってまだそんなに長くないと思うのですが…?
いやむしろ、全然短い。
「あの……。たとえ本当に長い付き合いだったとしても、公爵の爵位をお持ちの方を、私のような者が名前で呼ぶなど許されません」
至極まっとうな正論を述べれば、少佐はどこか悲劇の主人公のような顔をして私の手を一層強く握りしめた。
「身分など、私とあなたの間には関係ない」
「いや、大ありです」
握りしめられた手の状況がどう考えてもおかしいので、私は指先をそろり、そろりと引き抜いた。
「ユリアス少佐は、ユリアス少佐です」
「……ならば、私は貴女をリゼと呼ぼう」
「……まあ、それは別にいいですけど」
少佐だけが満足げに微笑んでいる。
この数日でなんとなくわかってきたけど、この人はおそらく、話を聞いているようで自分の都合のいい部分しか受信していない。
すると少佐は「ではそろそろ」と立ち上がった。
今日はすぐ戻るのか。
きっとブルースの小言が効いたのかもしれない。
ドアのところまで見送ろうと私も立ち上がったが、ふと「少佐」と呼んで引き留めた。訊きたいことがあったのだ。
振り返った少佐は、半歩ほど詰めて距離を寄せてくる。
「離れるのが名残惜しくなりましたか、リゼ」
「いえ、違います」
「ピアノの演奏者を呼んでくるだけです」
えっ。今日も踊るつもりだったの!?
昨日のブルースの怒りの形相と少しばかりの筋肉痛が蘇り、私は慌てて首を振った。
「ダンスはもういいかなって…。あの、私、訊きたいことがあって」
「心配しなくとも私も恋人はいません」
訊いてないですが…?
少佐は天然の節があるのか、時々会話がかみ合わない。
…さっきもそうだった。
「そうじゃなくて…。あの、私はいつまでここにいる必要があるんですか?」
少佐は緑の目を柔らかく細め、見せつけるかのように黙ってくる。
なるほど。
あれですね、黙秘の命令でも出されているんですね。
「前にもお話しましたけど、新しい仕事が始まるので、すぐにでも出たいんですよね…」
「申し訳ありませんが、それは断念して頂きます」
故意ではないが事前研修をすっぽかしているので、例え間に合っても不採用を宣告されるとは思うけど、こうもはっきり言われてしまうと流石に堪えるものだ。
私にもいろいろと言い分はある。
理由も教えてくれないで軟禁するなんて理不尽だって声を大にして唱えたい。
けど、言ったところで少佐は教えてくれないだろうし、状況が変わるとも思えない。
私は所詮、影響力のない庶民なのだ。
私と母を巻き込んで水面下で何かが起こっていることだけはわかるけど、本人だけが何も知らないとは、なんとも皮肉な話である。
ナターシャとサミュエルの様子を少佐は知っているだろうか。
聞いてみようかと顔を上げると、こちらを見つめていた視線と絡み合う。
その目はいつになく真剣だった。
「貴女を不自由にさせていることは申し訳なく思っています。……しかし、このひと時を共に過ごせる喜びに、私は嘘をつけそうにない」
少佐はそう囁くと、不意に顔を寄せてきた。
清潔な石鹸の匂いと、鼓膜を揺らす低い声の振動。
私を見つめる瞳に心臓が変に跳ねる。
「……少佐?」
「リゼ、貴女は私の運命だ」
「運命…?」
いや、重い。言葉が重すぎる。
しかも意味が分からない。
ただただ困惑していると、少佐の腕がするりと私の腰に回された。
そのまま抗う間もなく、彼の胸元へと引き寄せられる。
「……っ」
いきなり何をと顔を上げれば、熱に浮かされたような情熱的な眼差し。
美形に至近距離で見つめられるのはある種の攻撃だ。モロに食らった私は一瞬で思考停止に追い込まれる。
「一度でいい。名を呼んでくれ、リゼ」
……なんで私はこんなむず痒い空気に晒されているんだろうか。
少佐の乾いた指先が、頬にかかった髪を払うように耳の後ろへと滑り落ちる。その繊細な動きに背筋をぞくぞくと痺れるような感覚が走り抜けた。
…待って。
これ、たぶらかされているのは私なんじゃないだろうか。
今すぐ距離を離すべきなのに、真意のわからない甘い言葉と容赦ない美貌の猛攻に、私の理性が激震している。
腰に回された腕の力。
目の前の熱視線。
ほんの少し顔を寄せ合った、まさにその時。
軽やかなノック音が部屋に響いた。
ハッと現実に戻った私は、電流が走ったような速さで少佐から飛び退き、「は、はいぃっ!」と悲鳴に近い返事をする。
私は何をやっているんだ…!
何を雰囲気に飲まれそうになってんの!
そう自分に呆れていると、ドアが開け放たれた。
颯爽と入室してきたのは、派手な身なりをした、私と歳もそう変わらなさそうな青年だった。
真っ赤な服と黄色のブーツという奇抜なスタイルと艶のある長い黒髪。そして胡散臭い笑顔。
それが真っ直ぐ私に向かってくる。
一体どなただ。
「どうされましたか?」
驚く私とは対照的に、少佐は落ち着いた口ぶりで男に問いかけた。
「いやぁ、皆に任せるだけにするつもりだったのだけどね、興味が沸いちゃって見に来たんだ。なるほど。この可憐な女性が例の?」
「はい」
「君がリゼか。噂は予々」
「はあ...」
琥珀色の瞳が私を好奇の目で見てくる。
その噂とやらはどんなものなんだろう。
居心地が悪いし赤い服は目への刺激も強い。
困り果てて少佐を一瞥した。
「そう長く見つめますと彼女が困りますよ、陛下」
そうそう、もう既に困ってますよ、陛下。って...陛下!?
このお方、陛下であらせたのですか!?
どこからともなく敬服と畏怖の念が沸き上がり、こんな庶民の娘がそのご尊顔を直視して良いわけがないと、床に額をくっつけた。
あまりに焦っていたため椅子は派手な音を立てて倒れるし、私自身もほぼ転ぶ勢い、いや完全に転んでいたのだが、ものすごく格好悪い。
「びっくりした。…なんでいきなり転んだの?」
「陛下に平伏していらっしゃるのですよ」
「あ、そうなの?いいっていいって、そういうの。公式な場でもないんだし。座って座って」
「で、ですが...」
「三秒で座って。はい、三、二、一」
「はははいっ!」
大慌てで座り直した私を、陛下は腹を抱えて笑った。
無様な姿をお見せしたことが恥ずかしくて顔を伏せていれば、少佐が「そのように笑うのは女性に失礼ですよ」と陛下に言及する。
「いや、すまないすまない。なんだか必死に芸を覚えるリスのように見えてね。いや、可愛らしいという意味だよ」
「ところで陛下。どのようなご用件で」
「あ、そうそう。彼女に言いたいことがあったのだ。先程ロニーに会ってね。詐欺罪による刑罰について今から伝えに行くというので、それならこの僕が直々にお伝えしてやろうと遙々ここまで来たのだよ」
「刑罰は、どのようになったのでしょうか...」
「国の法律に基づくならば、禁固十五年に加えて罰金四千万ゲルーだ」
想像以上に重い内容だったので白目を向きかけた。
四千万ゲルーなんて庶民の五年分の給料に等しい。
今の私には到底払える額ではない。
しかも、禁固十五年…?
脳裏に母が浮かび、私はその胸ぐらを掴み『なにやってくれてんの、お母さん!?』と母の体をワサワサと揺らしていた。
「しかし君には特別に恩赦を与えることになった」
「恩赦…ですか?」
「そうだとも!調整中故、詳しくは黙秘するようにと大臣達が口を酸っぱくして言うので言えないが、そのうち全てを話すと約束しよう。それで話を戻すのだが、恩赦を与えるには条件がある」
「なんでしょうか...?」
「君にはいま暫く、我がサバルビン国の要求のままに動いてもらう。不自由な日々を過ごすことになるやもしれんが、ぜひ協力してほしい。いや、拒否権は残念ながらない。申し訳ないがこれは命令だ。よろしく頼むよ」
急に権力を振りかざされて呆然としていれば、少佐に顔を覗きこまれた。
「心配には及びません。私がお守りいたします」
陛下まで出てこられたのだ。
そんな甘い顔で甘いことを言われても、安心など到底できなければ、私の不安は膨れ上がるばかりだった。




