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母の墓参り

 



 王都に帰還してからの日々は、なにかと忙しかった。

 私が帝国の皇女であるという事実は国家の最重要機密として厳重に伏せられ、私はまたしても王宮内に軟禁となった。

 前と同じ部屋をあてがってもらえたが、窓から見える景色も、部屋に漂う空気も、以前とは違って感じられた。


 救いだったのは、ナターシャとサミュエルに手紙を書く許可が下りたことだ。

 箝口令のせいで、自分が皇女になったことや、少佐と婚約したことなどは一切書けない。

 けれど、『とにかく無事で、元気に生きている』という一報を送れただけで、胸のつかえが取れるようだった。二人からすぐに届いた返信には安堵と喜びの言葉と、新しい職場について書いてあった。

『はやくリゼに会いたい』という文字を読み返すたびに、二人に会いたくてたまらなくなった。


 そんな中、私専属の侍女として配属されたのは、アーリアという女性だった。

 細やかな心配りができる、非の打ち所のない淑女なのだが、貴族の彼女に(かしず)かれるのは、元庶民の私にとってはどうにも居心地が悪い。


「もっと雑に!もっと適当に扱ってください!」


 必死に頼み込んでいたのをずっと苦笑で返されていたのだが、ついに面倒に思ったのか、アーリアの堪忍袋の緒が切れた。


「いい加減になさいませ!皇女ともあろうお方なのですから、もっと堂々と胸をお張りなさいませ!」


 喝を入れられ、「はいっ!」と反射的に背筋を伸ばしたものの、五分後にはまた肩身が狭くなって丸くなる。

 それをアーリアが物理的に伸ばす。

 それが私たちの奇妙な朝のルーティンになっていた。



 サバルビン国は今、チューぺハイパスト大帝国との対立に終止符を打つべく、歴史的な転換期を迎えていた。

 和平条約の締結、グリースフォールド公爵家と大帝国皇女の婚約、そして隣国の聖女の真実をどう国民に公表するか。宰相たちの会議は連日深夜まで及び、その合間には帝国の使者と『皇女』としての顔合わせも組み込まれた。


 他人の身分証を偽った犯罪人の母である娘の私が、今や国家の命運を左右するピースの一つになっている。

 その重圧に、時折足がすくみそうになる。

 そんな私が唯一、現実のことを忘れられる一時が、婚約者となったユリアス少佐といるときだ。

 彼は公務の合間を縫って毎日欠かさず部屋にやってくる。

 会話、ボードゲーム、ダンス……。当初の日課に、今では中庭の散歩や夕食が加わった。

 彼は毎度、恐ろしいほどに空気をメロくし、ぐいぐいと距離を詰めてくる。


「リゼ、今日の髪飾りもよく似合っていますよ。でも心配になりますね。他の誰にも、私の可愛い婚約者を見せたくない……」


 呼吸が止まるような甘い台詞を、彼はとろけるような熱を帯びた瞳で見つめながら放ってくる。

 ブルースが言っていた『一目惚れ』は、どうやら紛れもない事実だったようだ。

 私に向けられる視線、差し出される手、ふとした瞬間に重ねられる指先。そのすべてに紛れもない慈愛と、やや重い執着がこもっている。

 それを毎日一直線に受けているせいか、最近では少佐が部屋に入ってくる気配を感じるだけで、期待と緊張で胸が騒ぐようになっていた。

 強引すぎる彼のペースに翻弄されている自覚はある。けれど、抱き寄せられたときに感じるあのスリムマッチョなしなやかな体温を、私はどうしても拒みきれずにいた。


「早く結婚したいですね。式は帝国と共同で行うのがいいか、それとも二人だけで……」


 隙あらば婚姻の準備を進めようとする少佐。

 それを私は「まずは和平が先ですから」となだめているのだが、和平よりも何より、私には先にしなくてはならないことがあった。

 母への報告だ。

 そういうわけで、よく晴れた日の午後。 私は少佐を伴い、母が眠る墓所へと向かうことにした。






 ーーーーー



 母が眠る場所は、かつて私たちが共に過ごした、山の麓にある小さな村の端にある。

 王都の喧騒を離れ、馬車に揺られること約半日。傾きかけた太陽が山の稜線に隠れ、空が柔らかな夕日色に染まる頃、私たちはようやくその場所に到着した。


 見晴らしの良い丘の上に、母の墓標はひっそりと立っている。

 小さい頃、母と一緒に「これは食べられる雑草やで」「こっちは食べれへんよ」なんて言い合いながら、カゴいっぱいに野草を摘んだ、思い出深い場所だ。

 私とユリアス少佐は、連れ立って墓石の前に膝をついた。


「……お母さん。ただいま」


 ひんやりとした石に刻まれているのは、偽りの名である『ベロニカ・ホーパー』。

 母がその生涯を賭けて守り通した、借り物の名前。

 明日、村を発つ前には石材屋に頼んで彫り直してもらうつもりだ。

『リョウコ・ヤマモト』と、私の新しい名字となった『チューぺハイパスト』に。

 偽りから解放され、母がようやく『本当の自分』としてこの地に根を下ろすのだと思うと、視界が少しだけ潤んだ。


 私は静かに目を閉じ、心の中で母に語りかけた。

 二十年間、母が隠していた真実。父が皇帝だったこと。

 そして私の婚約者が、隣にいる王宮騎士団のユリアス少佐だということ。

 報告しながら、自分でも少しだけくすぐったい気持ちになる。

 生前の母は、「結婚相手だけは、慎重に見定めて熟考して決めるんやで」と珍しく大真面目に言っていた。

 けれど現実はどうだ。熟考する暇もないほどのスピード婚約である。

『なにやっとんねん!』と母は唇を尖らせて呆れ返るに違いない。

 でも最後には『まぁ、リゼがええなら、ええんやない?』と、カラッと笑ってくれるはずだ。破天荒で自由奔放だった母は、いつだって私の選択を最後には肯定してくれたから。


 ふと隣を見ると、少佐も真剣な面持ちで目を閉じ、祈りを捧げていた。

 何を伝えているのだろう。 帝国の皇女を娶る責任感だろうか。それとも和平への誓いだろうか。

 すると風に乗って彼の小さい声が聞こえてきた。


「……リョウコさん。リゼは世界一可愛いです。彼女を生んでくださって、本当に、本当にありがとうございます……」


 一瞬で、私の顔は夕日よりも赤く染まった。

 少佐は祈り終えた達成感からか、どこか清々しい顔で目を開けている。

 お母さん!やっぱり前言撤回!

 この人、中身がちょっとヤバい人かもしれない!

 思わず墓石に向かって心の中で叫ぶと、脳裏に浮かんだ母は腹を抱えて大爆笑していた。



 私たちは墓石の近くにシートを広げ、王宮から持ってきたサンドイッチや果物を並べた。

 母の前でピクニックである。

 太陽の半分が隠れ、暗くなり始めているが、今日は気温が高い日だったため肌をさらりと流れる風がとても気持ちいい。

 不意に少佐が母との暮らしを教えてほしいと言うので、私は懐かしい思い出をぽつりぽつりと話し始めた。


「母は本当に大雑把で……。このあたりで摘んだ野草を天ぷらにしてくれるんですけど、洗うのが適当だったせいで、口の中で土がジャリって鳴るんですよ」

「土が…」


 少佐の口端が微妙に下がったのを、私は目敏く気づいた。

 きっと少佐は土を食べたことなどないはずだ。まあ、それが普通なのだが。


「母に文句を言うと、『土は体にええねん!』って、笑い飛ばしてました」

「土は体にいいのですか…?」

「あはは、違います、違います。母の冗談なんです。…お酒も大好きで、私に隠れてこっそりと高い酒を飲んでいたんですけど、空き瓶を見つけた私が怒っても、『これは命の水やから、ないと枯れてまうわ』なんて言って」


 小さいときは素直に信じて、むしろ母に「じゃあもっといっぱい飲んで!」と言っていた自分を思い出し、ふっと笑ってしまった。


「ほんとに、嘘ばっかで、どうしようもない人でした。…でも、生活が苦しくても、母は私の食事だけは欠かさず用意してくれて、誕生日の日だけはどこからか綺麗な服を買ってきてくれたんですよね…」


 私のとりとめもない話に静かに耳を傾けていた少佐は、私と同じようにして母の墓石に目を向けた。

 やがて彼は、思慮深く言葉を紡いだ。


「リョウコさんはこの国へ逃げ切った後、身を隠しながらも懸命に生き抜いたのでしょう。けれどお腹の子供が大きくなるにつれ、一人では限界があると感じたはず。正体も明かせず、頼るあてもない異郷の地で、幼い貴女に飢えも寒さも感じさせず、健やかに育てるために。リョウコさんはやむなく他人の身分を借りるという道を選んだのではないでしょうか」


「すべては、大事な娘を守るために」と言いながら私に優しい眼差しを向ける少佐。

 その緑色の瞳を受けて、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 犯罪を肯定することは決してできない。

 けれど、母は母なりに必死だったのだと思う。

 言葉も文化も違う異世界へ突然連れてこられ、恋愛の果てに、たった一人で出産と育児を担う。

 その孤独と不安は想像を絶するものだったに違いない。

 逃げ出してしまいたい夜もあっただろう。

 そんな時、隠れて飲んでいたあの大量の酒も、母にとっては明日を生きるための文字通り『命の水』だったのかもしれない。


「……お母さん、ありがとう」


 あまりに秘密が多い母を遠くに感じることがあった。

 娘の私にくらい本当のことを言ってくれてもよかったのに。そんな不信感に近い寂しさを抱いたことも一度や二度ではない。

 けれど、今ならなんとなくわかる。

 母はきっと、聖女という運命から切り離し、ただの女の子として私を愛したかったのだ。

 母の過去をすべて知った今、私は初めて、曇りのない心で感謝を告げることができた。


「ユリアス少佐」

「少佐ではなく、ユリアスと」

「……そうでした。ユリアス」

「なんですか、私の愛おしいリゼ」

「……一緒に来てくれて、ありがとうございます」


 ユリアスは陽だまりのような柔らかい微笑みを浮かべ、私の額にそっと唇を落とした。

  その温もりは、母に守り抜かれた私の人生が、これからは彼と共に続いていくのだということを、静かに教えてくれているようだった。



 それから数日が経った。

 和平条約の調印に向けた準備は、驚くほどの速さで進んでいた。

 その理由というのが、ユリアスが他人の仕事にまで首を突っ込み猛烈な勢いで終わらせているからだと、ロニー宰相がニコニコ笑いながら教えてくれた。

 それにより、私が大帝国の皇女としてグリースフォールド公爵家との婚約を発表する日も、そう遠くない未来に迫っている。


 その準備期間の間、私はユリアスの家族が暮らす公爵邸を何度か尋ねた。

 元庶民である私を受け入れてもらえるか、胃もたれするような不安を抱えていたが、ご両親もご兄弟も驚くほど温かく迎えてくださった。


「ユリアスったら、自分は次男だし仕事に専念したいから結婚はしないなんて、可愛げのないことばかり言ってたのよ。一生独身を貫くつもりかと心配していたけれど…、まかさ、こんなに可愛らしい婚約者を連れてきてくれるなんてねぇ」


 未来の義母様が私の手を取って嬉しそうに微笑んでくださったとき、ガチガチだった私の緊張は、柔らかく溶かされていった。

 そんな中で私を困らせたのが、ユリアスだった。

 公爵邸での彼は、王宮にいる時の十倍近く、空気をメロくし、ぐいぐいベタベタとしてきたのだ。


 お茶菓子をいただいていれば、ごく自然に「はい、リゼ。あーん」とお菓子を口元に運んできて、私が「みんなが見てますからっ」と制しても、それがなんだとでも言うように私の腰を引き寄せる。


 ただ歩いていれば「足元があぶないですよ」と過剰に抱き寄せ、ソファに座れば「ここが一番落ち着く」と私の膝を枕代わりにする。


 二人きりのときなら私も慣れてきているので、まぁいいかと思えるし、私自身も胸の高鳴りを楽しんでいる。

 けど、彼は人の目を全く気にしない。

 私たちの様子を控えている使用人たちは「うふふ、また始まりましたね」と微笑ましく見守るので、私は居たたまれず顔が真っ赤。

 ご両親に至っては、次男の婚約がよほど嬉しいのか「若いのは元気でいい。私たちのことは気えず、もっとやりなさい」と太鼓判を押す始末。

 公爵邸のみんなの優しさと、ユリアスの甘さに、私の心臓はまったく休まらなかった。

 そして、こうもストレートに独占欲を見せつけられると、ふと考えてしまう。

 ユリアスは、本当に私のことが好きなんだよね?

 これは、ただの気まぐれなんかじゃないよね…?




 公爵邸で過ごす夜。

 私に割り当てられたのは、またしてもユリアスと自室が繋がったコネクティングルームだった。

 案内しながら、義母様は「普通は婚礼を待つものだけど、うちはしきたりなんて気にしないから。いっそワンルームにしちゃう?」と公爵夫人にあるまじき過激な提案をいたずらな笑顔で言ってきた。

 一気に顔が沸騰したのを自覚しながら、私は大慌てで全力に丁寧にお断りし、この形で落ち着いたわけだ。


 結局、夜が更けると、ラフなシャツにゆったりとしたパンツスタイルのユリアスが、当然のような顔をして私の部屋へやってきた。

 手にはお酒とグラス。

 二人で晩酌を楽しもう、とのことだった。

 月明かりが差し込むベッドサイド。柔らかな絨毯の上に設けられた二人掛けのソファ。

 そこに二人で腰かけて、窓から見える満月を眺める。

 琥珀色の液体を揺らすユリアスと少しばかり世間話を楽しんだあと、私はずっと胸に秘めていた疑問をぶつけてみた。


「…ユリアスはどうして、私にひとめぼれを…?」


 ずっと、直接聞きたかった。

 ユリアスは少し意外そうに目を丸くし、やがて視線を少し落とすと、落ち着いた口調で話し始めた。


「…花まつりの日でした。貴女があまりに自由に、楽しそうに踊っていたから。…人の評価ばかりを意識して生きてきた自分が、馬鹿らしくなったんだ」


 その声はいつになく静かだった。


「私は幼い時から騎士になるのが夢でした。そのため必死に学業に専念し、血の滲むような剣の訓練を重ね、ようやく夢を叶えました。…けどある日、誰かが『どうせ公爵家のコネだ。本人の努力じゃない』という陰口が聞こえてしまってね、それ以来、どうしてか人の目が怖くなってしまった」


 ユリアスは自嘲気味に口角を上げ、グラスに入ったお酒をくるくると回す。


「それから、誰にも文句を言わせないよう、完璧でいようと、さらに業務を詰め込み、実戦時には誰よりも先頭を駆けた。常に肩に力を入れ、気を張って生きる毎日だった。…恋愛なんて、考える余裕もなかった」


 貴女を雑踏の中で見つけたのはそんな時です、とユリアスは私に顔を向けた。


「リゼは、ステップを間違えてもケラケラと笑い、ただ純粋にその瞬間を楽しんでいた。その姿が…どうしようもなく目に焼き付いて離れなかったんです。もっと自由になっていいと、貴女の踊りが私に語りかけているような、そんな魂の揺さぶりがあったんです」

「ユリアス…」


 何事もそつなくこなし、優雅で余裕があるように見えたユリアスの裏側に、そんな葛藤があったなんて知らなかった。

 私のあのへたくそな踊りで魂が揺さぶられたというのは、やっぱり疑問しかわかないのが正直なところ。

 でも、背中一杯に重い荷物を背負っていた彼を少しでも身軽にさせていたのだと思うと、少し気恥ずかしくなる。

 すると、ユリアスは距離を詰め、私の頬を指先で撫でた。


「……あとは単純に、リゼが好みのど真ん中だったんです。貴女は、可愛すぎる」

「っ……!」


 感動的な話から、いきなり直球の口説き文句を食らった私は、赤面して固まった。


「聖女捜査で再会できた日は、これこそ運命だと神に感謝しましたよ。もう絶対離さないと、誓いました」


 ユリアスは私の髪をすくい上げ、その先に口付けを落とした。

 心臓がまるで太鼓を叩いているかのように暴れ出す。

 あまりの熱量にたじろぐ私を見て、ユリアスは悪戯っぽく、けれどその瞳の奥には真剣さを残して笑った。


「貴女が私をまだ好きじゃないのは、この際しょうがない。ですが、もう逃げられませんよ?なにせ、国の運命がかかった婚約ですからね」


 余裕と執着が垣間見れる微笑みを、ユリアスは浮かべた。

 その美しさに私の心拍は加速し、目を離すことができない。

 私はもう自分の気持ちを知っていた。

 けれど少しだけ強がって、目をそらす。


「……心配しなくても国は、安泰ですよ」


 暫くの静寂のあと、「リゼ、今のは!?」とユリアスが食い気味に聞き返してきた。

 私が言いたかったのは、『あなたを完全に好きになるのは時間の問題なので、和平条約も婚約も万時うまくいきますよ』ということだったが、それをそのまま口にするのは恥ずかしすぎたのだ。


「安泰なものは安泰なんです!」


 私はソファから飛び起き、詰め寄る彼から逃げ出した。


「リゼ!それはつまり、貴女は私のことを。そういうことですね?」

「教えません」

「リゼ、待って」

「待ちません」


 広い寝室の中、寝間きのドレスを着る私を大真面目な顔をしたユリアスが追いかけてくる。


「リゼ!」

「あっ」


 必死になりすぎて、絨毯の端に足を引っかけて派手に転びそうになった。

 傾く私の体を、一瞬にして力強い腕ががっしりと受け止める。

 危機一髪のドキドキと、胸の下に回された逞しい腕、そして背中一杯に広がる熱に、心臓は壊れたように飛び跳ねている。


「大丈夫ですか…?」


 耳の後ろすぐで囁くユリアスの声。

 見上げれば、そこには余裕のなさを覗かせた男性の目。

 抱きしめる力がじりじりと強くなって、それに比例するように脈も加速する。


「リゼ…」


 名前を呼ぶ吐息ごと重ねるように、唇を塞がれた。

 たまらなく優しくて、熱くて、私はもっと感じたくなり、体ごと彼のほうへ向いた。

 広く逞しい背中に腕を回すと、応えるようにして私の腰を支える腕に力が入る。


 彼の甘さに、私は降伏した。

 時間の問題じゃない。

 私はもう、彼を好きになっていた。








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