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10/13

筋肉と筋肉

 


 会議がようやく幕を下ろした頃には、夜霧が深く立ち込めていた。

 今夜の宿はこの要塞。

 もとより予定されていたらしく、控えていたメイドたちの動きはきびきびと鮮やかだった。


「皇女殿下、お召替えの準備が整っております。こちらへ」


 手早く沐浴を済ませた私に、親しみやすい微笑を浮かべながらも一切の無駄がない所作で案内をしてくれるメイド。

 それにしても、皇女と呼ばれるのも世話をされるのも、なんとむず痒く、なんという違和感。

 もっと雑にしてください、と頼むべきか考えながら、でも結局言えず、用意されていた寝間きに着替える。

 寝間きというには贅沢すぎるほど柔らかな、身軽な簡易ドレスだった。


 あてがわれた部屋は冷えた印象のある石壁に囲まれているが、綺麗に整えられたベッドには柔らかそうな毛布が敷かれ、小ぶりの暖炉には火がくべられ暖かかった。

 テーブルには冷たい水が置かれていた。

 喉が渇いていた私は腰に片手をつけて、それを一気に飲み干す。

 誰もいなかったので「ぷはぁーっ」と大袈裟に声にすると、部屋全体に反響したので、一人勝手に気まずくなった。


 ふと思い立ち、私は部屋の窓を開けてベランダへ足を踏み出した。

 もともと貴族の館だった建物を改装して要塞化された名残か、優雅な手すりのすぐ先には防衛用の分厚い石壁がそびえ立ち、外敵を覗くための銃眼が等間隔に開いている。

 華やかさと物々しさが混ざり合った、歪な造りだ。

 柵に寄りかかると、隙間から入る夜風が頬をなぞり心地いい。

 しばらくそうしていると、ようやく心のゆとりを取り戻せたような気がした。


 婚約のことも、皇女になってしまったことも、まだ実感がまるでない。

 夢だと言われた方が納得できるくらい。

 けれど、謎だらけだった母の過去や、一度も会ったことのない父の正体。それらを知ることができたことに対して、すとんと胸に落ちたようなスッキリ感があることを、この静寂の中で気づかされた。

 まぁ、スッキリだけどビックリ、というか…。


 私は手すりに寄りかかり、銃眼の穴の向こうへ目を凝らした。

 暗すぎてほとんどなにも見えなかった。

 けれど、ほんのちょっと先にはチューぺハイパスト大帝国がある。

 皇女であるのに、一度も言ったことがない国。

 母が絶対行くなと言っていた国。


「お母さん、どう思うかな…」


『行ったあかんって言うたのに、もうっ』


 そう言って下唇を突き出して睨んできそうだな。

 思わず、吹き出して笑ってしまった。

 婚約のことは、どう思うだろうか。


『好きな人ができたら教えるんやで、見定めてあげるから』


 生前はよくそんなことを言っていたけど、結局好きな人ができる前に母は亡くなってしまった。


 ふと、隣に目をやった。

 私と少佐の婚約の話が出たことを受け、あてがわれたのはバルコニー同士が繋がっている、いわゆるコネクティングルームだった。

 下手をすれば、あちら側の窓から少佐がひょいっと遊びに来かねない、実に物騒な構造である。

 今はまだロニーたちと話し込んでいるはずだから大丈夫だけど、今夜は念のために窓の鍵を固く締めようと誓った。


 すると、部屋の中から控えめなノック音が響いた。

 警戒しつつもドアを開けると、先ほどのメイドが立っており、申し訳なさそうに小声を落とす。


「皇女殿下、アルベルト皇帝陛下がお目通りを願っておりますが、いかがなさいますか?」

「えっ!えっと、じゃあ、今すぐ着替えますとお伝えして…」


 言い終わる前にメイドの背後から「そのままでよい」と地鳴りのようなバリトンボイスが届いた。

 見れば、皇帝はすでに部屋の前に立っていた。

 メイドを盾に突撃のタイミングを伺っていたとしか思えない。

 なし崩し的に皇帝は私の部屋へと入ってきて、両手に持つガラスの瓶を見せつけるように持ち上げた。


「帝国から持ってきたんだ。リゼ、酒は飲めるか?」

「少しだけなら…」


 メイドが手際よくグラスを用意する間に、私と皇帝はソファに並んで座る。


「リョウコは、それはもう見事な酒豪だったなぁ…」


 懐かしむような目をしながら、皇帝は帝国の酒をグラスに注いだ。

 私たちは静かに乾杯した。

 果実の香りがふわりと広がる酒は、ほんのりと甘く、飲みやすい。


「おいしいです」


 素直な感想を口にすると、皇帝は「そうか、そうか」と嬉しそうに微笑む。


「本当に、リゼはリョウコにそっくりだな。リョウコのように綺麗で、清楚で、どこか儚い。だが、その瞳の奥には母に似た強い芯があるのだろうな」


 私は思わず含みのある苦笑いを返した。

 母の『芯』とやらは、強烈に頑固で癖が強い。それを見て育った私は、むしろ芯の方は折れない程度に柔らかく、状況に応じて変幻自在になっていると思う。


「…アルベルト皇帝?」

父様(とうさま)と、読んでくれ」

「…父様」


 たった一言で、皇帝、父様の瞳にみるみるうちに涙が滲んだ。

 この人、実はかなりの泣き上戸なんじゃないだろうか。

 とはいえ、私も娘を溺愛する父という存在に憧れがあったせいか、父様の涙につられて泣きそうになった。


 でも、それよりも気になることがある。

 父様はなぜ、先ほどから右腕に力を込め、筋肉をモリモリと隆起させているのだろうか。

 まるで、どうだこの筋肉!すごいだろう!と訴えているようなポーズだ。


「リョウコは、まだ私の筋肉を見て喜んでくれるだろうか」

「…ああ、…たぶん。母はたまにマッチョの方を見ると、『まだまだやなぁ。あの人を超える男なんてこの世にはいーひんわぁ』とため息をついていましたから」


 だれのこと?と私が訊いても母は教えてくれなかったけど、あれは絶対、今、目の前で誇らしげに上腕二頭筋を披露している父様のことだったのだろう。


「リョウコ…!そうか。よかった…。リゼも筋肉が好きか」

「えぇっと…、まあ、そうですね」


 なんて質問だとは思いつつも肯定すると、父は少年のように無邪気に笑った。

 正直に言うと、父様のような岩石系ムキムキマッチョよりは、もう少しスリムな細マッチョが好みだが、自尊心を傷つけては国家の和平条約に影響しかねないので、秘密にしておく。


「……リョウコは再婚しなかったのか?」


 ふと、父様の表情が真剣なものに戻った。


「してないです。ずっと一人で私を育ててくれました」

「そうか……。私は、本当はリョウコ一筋で生きていたかったが、皇子という身の上では選択権などなくてな。不本意ながら一人の正室と、五人の側室を置くことになった」


 ん……?側室を五人…?

 グラスを口に運ぶ動きを思わず止めてしまった。

 庶民として育った私にはそれが多いのか少ないのか、王家の結婚事情にも疎いのでわからない。

 わからないがモヤッとする。

 けれど全精神力を総動員して平然を装い、なんとか酒をひとくち喉に流した。


「迎えに行くと約束したのに、こんなに遅くなってしまった。リョウコはきっと……私を深く恨んで亡くなったのだろうな」


 皇帝はグラスを揺らし、切なげに視線を落とした。

 帝国の頂点に立つ者とは思えないほど小さく、寂しげに見える。


「父様のことは、一度も話してくれませんでした。自分の過去についても、触れようとはしなかったです」

「そうか……そうだろうな。思い出すことすら苦痛だったのだろう」


 自嘲気味に笑う父様に、私は首を振って答えた。


「それは、わかりません。でも、母から他責の言葉を聞いたことはありません」


 母は確かに出鱈目(でたらめ)な人だった。

 近所の畑から平気で野菜を拝借するし、税金の徴収が来ればあの手この手で煙に巻き、時には道端で知らない相手と派手な口喧嘩を始める。

 絵に描いたような破天荒なトラブルメーカーだったけれど、自分の不遇を誰かのせいにしたり、人生を嘆いたりする言葉を吐く姿は、記憶のどこを探しても見当たらない。

 だから、私は確信を持って父に告げた。


「きっと母は、父様との時間を大切な思い出として心の中に温めていたんだと思いますよ」


 その言葉が引き金だった。 皇帝の目から、とうとう大粒の涙が溢れ出した。

 この人はずっと母を愛し、気に掛け、時にはこうして人知れず涙を流してきた人なのかもしれない。

 今日初めて会ったばかりなのに、なんとなく私はそう思えて、心の中にあった壁が溶けていくような、不思議と温かな気持ちが広がった。

 …側室が五人いるっていうのは少しだけ引っ掛かるが、皇帝という立場なら、母も『仕方ないか』って笑い飛ばすかもしれない。

 ……たぶん。

 鼻を啜り、子供のように泣きじゃくる父様の姿を見ながら、私は帝国の果実酒を口に含んだ。


 それから私たちは、それぞれの暮らしや、国のことを、世間話をするような緩やかな感じで話し始めた。

 初めて会った父、それも一国の皇帝。

 そんな雲の上の人と二人きりだというのに、不思議と居心地が悪くなかった。

 父様の人柄のおかげかもしれない。

 筋肉以外で母がこの人を好きになった理由が、ほんの少し、端っこだけ、わかったような気がした。


「なんでも聞いていいぞ。リゼならなんでも答えよう」


 酒が進むにつれ、父様の顔にはほんのりと酔いの色が差していた。

 私も果実酒を一杯飲み干したところで、少しだけふわふわとした心地よい酔いがまわってくる。


「えっと、じゃあ…。聖女がいなくなったあと、帝国はどうやって邪気を払ったんですか?」


 ずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。

 聖女の祈りという絶対的な力が失われたはずなのに、帝国は滅んでいない。

 すると父様は「ふっ」と誇らしげに鼻を鳴らした。


「聖女が『祈りの力』で邪気を払うという点に着目したのだ。聖女といえば、清らかな心と体だろう? ならば、それを国民の……そう、清らかな未経験者たちに託したのだよ」

「未経験者……?」

「そうだ。彼らに『一年間はとにかく我慢してくれ』と命を下し、とにかく邪気払いのために祈るよう頼んだのだ。するとどうだ、邪気は少しずつ消えていった。本当は国民全員に一年間の禁欲と祈りを義務化しようとしたのだが、出生率に関わるからと宰相に泣きながら大反対されてな。ははは!」


 豪快に笑い飛ばす父様を前に、私はどう反応していいか分からず、引き攣った乾いた笑いを返すことしかできなかった。

 帝国の危機を救ったのが、まさかの『国民の禁欲』だったなんて。

 そのうち、父様はさらに声を潜めて身を乗り出してきた。


「実は私も禁欲生活を共にしようとしたのだが、どうもダメでな……。昔からそのへんの意思が弱く。リョウコと出会った時も、それはもう――」

「あーっ! ストップ、父様! その先はいいです! 結構です!」


 母との生々しい思い出話を始めようとするので、全力で制止した。

 どうやら父様、完全に出来上がっている。

 私は慌ててメイドを呼び、待機していた騎士たちの手を借りて、千鳥足の父様を寝室まで送り届けてもらうことにした。

 別れ際、父様は何度も振り返りながら「落ち着いたら、一緒にリョウコの墓参りをしよう」と約束してくれた。


「おやすみなさい、父様」


 なんか、楽しい時間だった。

 父の意外な一面を知り、温かな余韻に浸りながらドアを閉める。

 酒で火照った顔を冷まそうと、再びベランダへ向かおうとした。

 けれど 窓の向こうに見えた情景に、私の足は氷ついたように固まった。


 ベランダに続く窓の前に、誰かいる。

 ……少佐だ。

 それも、なぜか上半身を一糸まとわぬ姿にさらけ出している。


「な…、何してるんですか?」


 私の動揺を余所に、少佐は音もなく部屋の中へと踏み込んできた。


「ベランダに出たら皇帝陛下との会話が聞こえてきましてね。貴女も筋肉が好きだと言うので、私も鍛えているものですから、ぜひお見せしなくてはと」

「み、見せなくていいです!」


 後退して距離を置こうとするが、私が下がった分だけ少佐が距離を詰めてくる。

 逃げ場を失った私の膝裏が、ついにベッドの端に当たった。

 少佐はなおも歩みを止めない。


「皇帝陛下ほどとは言えませんが、これでも王都で毎度行われる『筋肉美ランキング』では、常に上位に入っています」


 なんの情報!?

 ていうかそんなランキングまであるの!?


「王宮に忍び込んだ熊を素手で仕留めたこともあるんですよ」


 目の前で立ち止まった彼は、熊を倒した勲章を誇るかのように少し得意げな笑み浮かべる。

 そして次の瞬間、少佐は一歩、逃げ場を奪うように足を踏み込んできた。

 圧倒的な体格差と、肌から伝わる熱。

 その威圧感に気圧されるようにして、私はゆっくりと後ろへ倒れ込み、柔らかいシーツに背中が沈む。

 彼が覆いかぶさった。

 至近距離にある瞳は、怪しく熱を帯びていて煽情的。

 射貫くような眼差しに、私の心臓はうるさいほどに暴れた。


「…酔っているんですか」

「酔ってなどいない」


 いや、シラフでこれをやっているのなら問題ではないか。

 仮にも王宮騎士団の少佐ですよ?

 近づいてくる顔を阻もうと、厚い胸元に掌を置いたが、鋼のように硬い筋肉を前にしては何の抵抗にもならなかった。


「婚約者の元へやってきただけのこと。…なにか不都合があるでしょうか」

「婚約者って…。あれは成り行きで…」


 そういえばと思い出す。

 あの時、私は必死で、その場しのぎで少佐を婚約者だと言ってしまった。でも、彼も本当は困っているんじゃないだろうか。

 まさかこれは、その腹いせだったりして…。


「巻き込んでしまって、すみません…。でも正式な手続きはまだしていませんし、王都に戻ったらみんなにちゃんと説明して、何事もなかったようにすれば」


 言い終わる前に、少佐は私の手首を掴み、ベッドに押し付けた。

 強引な、けれどどこか愛惜(あいせき)を含んだ力の込め方に、言葉が詰まる。


「そんなことをする必要はない。私は貴女に求婚したではないですか、馬車の中で」


 あれって単なる暇つぶしの冗談じゃなくて、本気だったの…?


「でも私と少佐では身分も違いすぎますし、そもそも…」

「身分の条件は現時点で完全にクリアしている。貴女は今や、帝国の皇女ですよ?」


 どこか不敵に微笑む顔を見上げながら、ある予感がふと浮かんだ。

 私が皇女だと判明し、この逃げ場のない婚約が成立する瞬間を、少佐は確信的に狙っていた…?

 でも、そうだったとしても、どうして…?


「リゼは、私との婚約がお嫌ですか?」


 まっすぐに見つめられ、答えられない。

 不思議と、嫌だという拒絶の気持ちは湧かなかった。

 彼に対して好きだという感情をはっきり抱いたことはないし、身分が違うのでそもそも好きの先を考えたこともない。

 けれど、とんとん拍子に婚約が決まった時、焦りはしたものの、結局は受け入れていた。

 何も言えずに瞳を揺らしていると、彼は私の反応を見透かしたように、わずかに表情を和らげた。


「お嫌ではないのでしょう?」


 慈しむような囁きと共に、顔がゆっくりと近づいてくる。

 唇が重なるのが分かっていても、動けなかった。

 そっと触れるだけのキスをされた。

 逃げ出したいような、このままこの熱に呑まれていたいような。そんな相反する感情が胸の中でせめぎ合う。

 少佐は名残惜しそうに、けれど切なさを滲ませて呟いた。


「今はまだ、我慢します。……初夜までのね」


 最後に額へ口付けを落とすと、彼は素早く部屋を出て行った。

 一人残された私は、真っ赤になった顔で天井を見つめていた。


 少佐は自分勝手だ。

 それなのに、……なんで、抵抗しなかったんだろう、私は。

 お酒のせいかもしれない。

 それとも、この異常な状況のせい?

  ……いや、違う。

 認めたくないけれど、先ほど触れた彼の上半身が。

 あの絶妙にスリムなマッチョ感と肩幅の広さが、あまりに好みすぎたのだ。


「もう……バカ……」


 私は熱い頬を冷ますように、枕に顔を埋めた。







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